1-1 リンナエウス家の人々
これは、幸運と呼ぶべきなのか。
よもや助けた馬車に乗っていたのが、これから潜入しようとしていた屋敷の娘だったとは。
しかし、少なくともエリスにとっては……
不幸以外の何物でもなかった。
「──それにしても、すごい偶然ですね。今日からわたくしの家のお手伝いさんになる方々と、こんな形でお会いするだなんて」
助けた馬車に乗っていた少女……領主の娘・メディアルナが、口元に手を当て驚く。
偶然か必然か、屋敷に辿り着く前に標的と接触してしまった三人は、その場で使用人として働く予定にあることを明かした。
メディアルナが「ぜひ一緒に屋敷へ」と言うので、賊を現地の役人に引き渡したのちに、そのまま彼女の馬車へと乗り込んだ。
さすが領主の所有する馬車、五人乗っても十分にゆとりがある。
メディアルナの言葉に、向かいに座るクレアはにこりと微笑み、
「私たちも驚きました。まさか襲われていたのがメディアルナ様だとは……とにかくご無事でなによりです」
「えぇ、本当にありがとうございました。あんな乱暴な方たちに出会うのは初めてで、戸惑うばかりでしたから」
……と言う割には、あまり緊張感のない声で笑うメディアルナ。
対して、彼女の隣に座るもう一人……アルマと呼ばれた赤毛の少年は、未だに身体を強張らせ、どこか落ち着かない様子である。
馬車に乗っていたのは、この二人だけだった。
他には、馬を操る御者が一人のみ。
馬車自体は豪華絢爛だが、領主の娘が乗るにしてはあまりにも護衛が少なすぎる。これでは襲ってくれと言っているようなものである。
一体何故、こんな隣街のはずれを二人だけで走っていたのか……
クレアは会話を続けながら、窺うタイミングを計ることにする。
「この辺りは治安がいいと聞いていましたが、あのような輩もいるのですね」
「本当ですね。突然大声を上げられたのでびっくりしました。何が欲しかったのかしら、あの人たち。お腹が空いていたとか?」
メディアルナは、やはりのんびりした口調で顎に指をあてる。
その横で、赤毛の少年・アルマは額に青筋を立て、
「違いますよ、ディアナお嬢さま……あいつらはきっとお嬢さまを誘拐して、旦那さまに身代金を要求するつもりだったんです。『指定した時刻までに金を用意しろ。さもなくば、娘がどうなるかわかっているな? ぐへへ……』といやらしい笑みを浮かべ、金が用意されるのを待たずにその薄汚れた手でお嬢さまの身体に触れ、あんなことやこんなことを……あぁ、本当に助けてもらえてよかった……」
……と、だいぶ後ろ向きな妄想をぶつぶつと呟く。
それに対し、メディアルナはにこにこ笑って、
「あら、お手々が汚いのならきちんと洗わなくてはね。ひょっとして石鹸が欲しかったのかしら? あいにく石鹸は持ち合わせていなかったわ。ちゃんとお役人さんにもらえているといいけど……」
と、まるで噛み合っていないセリフを返す。
……どうやらこの二人、前向きと後ろ向き・楽天家と心配性という正反対の性格をしているらしい。
隣のエリスから何やらモノ言いたげな雰囲気を感じるが、クレアはそのやり取りにツッコむことはせず、
「失礼ですが、あなたはリンナエウス家の方ではないのでしょうか? 今『ディアナお嬢様』とおっしゃったので……」
アルマと呼ばれた少年を見つめ、そう尋ねた。
事前の調査で、クレアは領主のマークスと娘のメディアルナの顔を知っていた。他に血縁者がいないことも把握済みである。
だから、この少年がリンナエウス家の者でなく、使用人であることは明らかだが……彼自身の口から名前や身分を聞いていなかったので、尋ねてみたのだ。
少年は少し姿勢を正すと、一つ咳払いをし、
「申し遅れました。アルマ・ユングフラウと言います。リンナエウス家にお仕えする使用人です。お嬢さまの身の回りのお世話を担当しています」
そう名乗った。
身の回りの世話……ということは、現状彼が使用人の中で最もメディアルナに近い人物なのだろうか。
詳細はわからないが、彼だけをこの馬車旅に連れていたことからもメディアルナの信頼を得ていることが窺える。
そこで、今度はレナードが口を開き、
「お若いのにお嬢さまの側近を務められているとは……優秀な方なのですね。ぜひいろいろとご教示ください」
と、隣でエリスがドン引きするくらいの爽やか笑顔で言ってのける。
それに、アルマは「はぁ」と気の無い返事をしてから、
「いえ……自分はあなた方のように強くないですし、ただディアナお嬢さまとお歳が近いからこのポジションを与えられているだけなんで……実際は優秀でもなんでもないゴミ人間ですよ、はは」
と、笑い声らしきものを上げるが完全に棒読みだ。せっかくの青く美しい目もまるで笑っておらず、死んだ魚のように濁っている。
これは、筋金入りのネガティブ思考だな……
レナードが内心面倒に感じていると、再びメディアルナが笑って、
「確かにみなさん、とてもお強かったですね! わたくしとアルマなんか、ただただ固まっているだけでしたよ。やはり王都の斡旋所からいらした方はスキルが違いますねぇ」
と、アルマをフォローするでもなく無邪気に言う。
ずーん……と肩を落とすアルマを見かねて、クレアが「いえいえ」と返し、
「確かに我々は護衛なども請け負っているので、武術や剣術には多少心得があります。ですが……アルマさんの警戒心の強さは、お嬢さまを守る上で何より大事になるはずです。無闇に馬車の外へ出なかったのも良い判断でした。お嬢さまが取り乱さなかったのも、信頼できるアルマさんが側にいたからではないですか? そうした『精神面の護衛』は、我々には真似できません。日々お嬢さまにお側にいるからこそ得られるスキルですよ」
そう、完璧なフォローを入れた。
メディアルナはコクコク頷き、
「ですね。アルマがいると、なんだか安心します。だから今回の"お買い物"にもこうしてついて来てもらったわけですし……戦えなくても問題ナシですよ、アルマ♪」
隣で俯く彼の顔を覗き込み、軽い口調で言うが……
しかしアルマは、「ふっ」と自嘲気味に笑って、
「いや、この方々がいなかったら問題アリアリだったじゃないですか……ダメだなぁ、僕は。使えない上にみなさんに気を遣わせて、慰めてもらって。どうか僕のことは『ゴミ』か『クズ』とお呼びください。その方が気持ちが楽なんで」
と、やはり濁りきった目でクレアたちを見つめた。
三人はいよいよ面倒くささを感じ、エリスなどは思いっきり顔に出始めているが、すかさずクレアが微笑み返す。
「ところで……"お買い物"とおっしゃいましたが、たったお二人でこの隣街まで、何を買いにいらしたのですか?」
話の流れ的に頃合いだと踏み、いよいよそう切り出した。
すると、メディアルナが少し目を伏せ、
「実は……お父さまの体調があまり良くなくて。少しでも力になれればと、身体に良いというお茶の葉を買いに、この街の農園まで来たのです」
「お父さま……マークス様が……?」
領主の体調が、思わしくない。
それは、クレアも把握していない情報だった。
少なくともリンナエウスの街で事前調査をしていた十日前までは、そのような話はなかったはずだ。
「それはさぞ心配でしょう……体調を崩されて長いんですか?」
「もう一週間ほどになりますね。最初は軽い頭痛だけだったのが、ここ数日は吐き気や目眩がすると言って……食事もまともに摂れない状況なんです」
やはり、ここ最近の話であるようだ。
肩を落とすメディアルナの横で、アルマが言葉を継ぐ。
「もちろんお医者さまに診ていただき、薬も飲まれています。ですが……日増しに症状が悪化しているように見えて。そんな時、僕が小さい頃、風邪を引くとよく母親に飲まされていたハーブティーの話をしたら、お嬢さまが『ぜひ買いに行こう』とおっしゃって」
「ハーブティー?」
「えぇ。すっごく苦いんですけど、身体が温まって、食欲が湧いてくるんですよ」
「せめて食べられるようにならなければ悪くなる一方だと思い、居ても立っても居られなくて……でも、わたくしが自分で買いに行くなどと言えば他の者には絶対に止められるので、アルマにだけこっそりついて来てもらったんです」
てへへ、といたずらっぽく笑うメディアルナ。
アルマが続けて、
「自分からそんな話をしてしまった手前、お嬢さまを強くお止めすることもできず……すぐ隣の街だから大丈夫だろうと、二人だけで来てしまったのです。でも……」
ガッ!
と、アルマは自身の頭を抱え、
「あぁぁ……僕がそんなゴミみたいな判断をしたせいで、ディアナお嬢さまを危険な目に遭わせてしまった……旦那さまに合わせる顔がない……今すぐ死んで詫びよう……」
「何を言ってるのですか、悪いのはわたくしでしょう? お父さまにもきちんと説明するので大丈夫ですよ。それに、結果的に無事だったのですからいいじゃありませんか。この方々に助けていただいて、不思議な雨まで降ってきて……本当に運がよかった。この調子できっと、お父さまの体調も良くなるはずです。うふふ」
明るく笑うメディアルナの言葉に……エリスは少し『ギクッ』となる。
エリスが魔法を使えることは、隠しておかなければならなかった。
何故なら魔法は、国立グリムワーズ魔法学院の卒業生でなければ扱えない、というのが常識だからだ。
魔導士の登竜門である魔法学院の生徒は、通常であれば十九歳になる年に卒業する。
十六歳で飛び級卒業したエリスは、異例中の異例。
そのため、『魔法が使える十六歳の使用人』という存在は、世の中の常識的にありえないのだ。
だからクレアは、この馬車の中にメディアルナの姿を認めた瞬間、エリスが魔法を使わないよう制止したのだ。
エリスもそれを理解し、馬車に乗り込むと同時に指輪──魔法の発現に必要なリングを指から外し、ポケットに忍ばせた。
しかし、賊に水の魔法を一発浴びせてしまったことは取り消せない。
それついて尋ねられたらどうしようかと、エリスはずっと口を閉ざしていたのだが……離れた場所から放ったため、メディアルナは『たまたま降った不思議な雨』と能天気な解釈をしてくれたらしい。
魔法を使ったこと、バレていなかった……
と、少し安心したところで、エリスの腹が「ぐぅぅ」と鳴った。
予定ではこのレイルートの街でパンケーキを食べるはずだったのに……思いがけず標的に接触したせいで、そのまま領主の屋敷へ直行することになってしまった。
くぅっ、なんてツイてない……パンケーキもお花の料理もお茶も、超超超楽しみにしていたのに……っ!!
でもここでワガママ言ってクレアに迷惑かけるわけにいかないし……何より『琥珀の雫』にありつける千載一遇のチャンスなのだ。ここは我慢してついて行くしか……あああでもめっちゃお腹空いたぁぁあっ……
と、猛烈な空腹感と自制心とがせめぎ合い、目にうっすら涙を浮かべる。
すると、腹の音を聞いたメディアルナがにこっと笑って、
「あら、お腹が空いているのですか? 屋敷に着き次第、ぜひ何か召し上がってください。厨房に頼んで作らせますから。あ、そうそう。先ほどハーブ農園の方からお土産にハチミツをいただいたので、パンケーキなどいかがで……」
「お願いしますっ!!!」
キランッ、と目を光らせ身を乗り出し。
エリスは食い気味で、そう答えた。