4 予定不調和な旅路
王都を発って三日目──
一行は、予定通りパペルニア領へと入った。
クレアとレナードは任務で何度か訪れたことがあったが、エリスにとっては初めての地だった。
すんすんと鼻を鳴らし、エリスは馬車の窓から外を眺める。
街道の両脇を覆い尽くしていた木々が、進む毎にその数を減らしていく。もうすぐ森を抜けるのだろう。
彼女の予想通り、やがて馬車は森を抜けた。
そして一気に視界が開けたかと思うと……
景色を映したエリスの瞳が、極彩色に輝いた。
花畑だ。
赤やピンク、黄色や青、様々な色の花が見渡す限りに広がり、大地を鮮やかに染めていた。
ここが、国内有数の花の産地・パペルニア領……
「……すごい」
ふわりと漂う花の香を吸い込みながら、エリスが呟く。
その横で、
「まるで絵画のような景色ですよね。リンナエウスの街までずうっと続いているのですよ」
そう、クレアが教える。
エリスは瞳を更に輝かせ、
「素敵。これだけお花があれば……ハチミツもさぞたくさん採れるでしょうねっ♡ んふふ、お昼はパンケーキで決まりっ♡」
花が全てハチミツにでも見えているのか、よだれを垂らしながら窓に張り付いた。
花を愛でているのかと思えば、二言目には"食"……こいつの頭にはそれしかないのか。
と、レナードは呆れ顔でエリスを眺める。
しかしクレアは、彼女が"花より団子"であることは百も承知なので、自作のしおりを開いて見せながら、
「もちろん、事前に店を調査済みです。ハチミツをかけたパンケーキだけでなく、食用花を使った料理や乾燥させた花から作るお茶も楽しめるそうなので、ぜひ行ってみましょう」
「やったー! 夕方にはお屋敷に着く予定だもんね。最後の"お外ご飯"を楽しまなきゃ♡」
頬に手を当て、うっとり夢見心地で言うが……
レナードの冷ややかな視線に気が付き、ハッとなる。
「なによ、お昼くらい好きなもの食べさせてよね!」
犬歯を剥き出しにし、威嚇するエリス。
レナードは、「はぁ」とため息をついて、
「……好きにしろ」
諦めたように、そう呟いた。
──昼過ぎ。
三人の乗った馬車は、目的地・リンナエウスの隣街であるレイルートへ辿り着こうとしていた。
クレアがしおりに載せた例の店は、この街にある。
「はっやっく〜♪ 着っかないっかな〜っ♪」
馬車の動きに合わせ、身体を左右に揺らすエリス。
正面に座るレナードはやはり冷めた目で彼女を眺め、
「少しは落ち着いたらどうだ。夕方には屋敷に着くんだぞ? ちゃんと男としてやっていけるんだろうな」
「あぁん゛?! うるさいわね、大丈夫よ! 無理はしないことに決めたから!」
「……どういう意味だ」
「極力自然体のまま、声の高さと喋り方だけ気をつけることにしたの。ヘンなキャラ演じるよりも、等身大でいたほうが領主の娘に近付けると思ってね」
それに……『イイ男』を演じると、どっかの誰かさんがヤキモチ妬いちゃうし。
という言葉は密かに飲み込んで。
「この中で私が一番領主の娘と歳が近いんだもの。親しみやすさ全開にして、お友だちになってみせるわ!」
というのが、『琥珀の雫』を口にするための新たな作戦だった。
……作戦と呼べる程、ご大層なものでもないが。
えっへんと胸を張るエリスを、レナードは尚も半眼で見つめ、
「自然体……その自己中心的な性格を隠さずに"お友だち"になれるとでも思っているのか?」
「はぁ? ありのままでいられるのが"友だち"でしょ? 自分を偽る方が間違っているわ」
「なら聞くが……お前に"お友だち"と呼べる人間は何人いる?」
瞬間。
エリスの動きが、ピタッと止まる。
そして……脳みそをフル回転させ、考える。
友だち……トモダチ……??
チェロは、友だちっていうか元先生だし……
シルフィーは…………金ヅル?
あとは、ええと……うーんと………………
……と、しばらく沈黙した結果。
「…………ほら、人類皆トモダチっていうし」
「いないのか」
「魔法学院の同級せ……学友は百人以上いたし」
「いないんだな」
「一回でもご飯を一緒に食べれば、それはもうトモダチじゃない? そういう意味では数え切れないほどいるわね」
「可哀想な奴だ」
「うっさいっ!! 可哀想ってゆーな!!!」
揺るぎない事実を無情にも突き付けられ、悔し涙を浮かべるエリス。
そんな彼女の背中をクレアはそっと摩りながら、
「大丈夫ですよ、エリス。貴女には『食べ友』であり恋人であり専属シェフである私がいるじゃないですか。余計な人間関係など構築せずとも、"私"さえいればそれで完結します。だから、これからもずっと私と二人だけでいましょうね?」
「うん……トモダチなんていらない……クレアがいればそれでいいもん……」
「なるほど。そうやって洗脳しているのか、クレアルド」
どうやらこの女の協調性のなさは、クレアルドにも責任がありそうだ……
と、クレアの束縛っぷりにレナードが頭を抱えた……その時。
──ガタンッ!
突然、馬車が大きく揺れ、停車した。
「な、なにごと?」
驚くエリスの身体を支えながら、クレアは外の気配を探る。
何者かに襲われた、というわけではなさそうだが……
同じ見解らしいレナードと目配せをし、一度頷いてから、
「どうしましたか?」
外にいる御者に呼びかける。
すると、
「お、襲われています。我々ではなく……前を走る馬車が」
震える声で、そんな返事が返ってきた。
三人は顔を見合わせ、馬車の扉を開け進行方向に目を向ける。と……
一台の馬車── 遠目にもわかる程に立派な造りをした馬車が停まっていた。それが、三頭の黒い馬に囲まれ立ち往生している。
黒馬には男たちが乗っており、それぞれ武器を手にしていた。
さしずめ、この辺りの貴族が山賊に襲撃されている、といった状況だろうか。
「行くぞ」
「はい」
レナードとクレアは剣を手に駆け出す。
エリスも「待ってよ!」と慌てて後を追った。
賊と思しき男たちが乗る黒馬は、その馬車の右と左に一頭ずつ、そして前方にも一頭、行く手を遮るようにして立ちはだかっていた。
手にした剣や槍を振り回しながら、怒号を上げる男たち。まだ馬車の中に人がいるらしく、微かに悲鳴が聞こえた。
その状況を視認したエリスが「もぉっ」と叫ぶ。
「治安が良いんじゃなかったの?! もう少しでお昼ご飯にありつけるっていうのに!」
「そう思うのなら早く片付けることだな。このままでは進みたくとも進めん」
「わかってるわよ!」
レナードに焚き付けられ、エリスは走りながら指を踊らせ魔法陣を描く。
その軌道から、クレアは彼女が水の魔法を放とうとしていることを悟る。
恐らく頭上から大量の水を浴びせ、賊の乗る馬たちを動揺させるつもりだ。
立て続けに冷気の魔法を放ち、馬の脚を凍らせることも考えているかもしれない。
ならばこのまま自分は左の、レナードは右の賊を対処し、早く片付けた方が前方のもう一人に向かっていくのが最も効率的か。エリスの魔法で動きが乱れたところを、一気に叩くのだ。
と、レナードも同じ考えのようで、何も言わずに右の方へと駆けて行く。
この辺りは長年仕事を共にした経験がモノを言う。言葉を交わさずとも状況に合わせ瞬時に連携が取れるのだ。
クレアとレナードが左右に分かれたのと同時に、エリスは魔法陣を完成させた。
そして、
「──水の精霊・ヘラ! たっぷり水浴びさせてやって!!」
叫ぶ。直後、賊たちの頭上にゴポゴポと音を立てながら大量の水が集まり……
それが一気に、降り注いだ。
突然の水責めに賊たちは動揺するが、それ以上に驚いたのは、乗っている黒馬たちだった。
完全にパニックを起こし、賊たちを振り落とさん勢いで身体を震わせている。
その内の右側、レナードが向かっている方の賊が、馬から落下した。
態勢を整えようとすぐに立ち上がるが、レナードはすぐ目の前に迫っている。
ヤケクソ気味に振り回す賊の剣を華麗に捌き、弾いたところで剣の柄を鳩尾に叩き込む。
賊は胃液を吐き出したのち、あっけなく崩れ落ちた。
対する左──クレアが向かう方の黒馬は、一瞬暴れたもののすぐに落ち着きを取り戻した。
賊は未だ馬の上。得物は、剣よりもリーチのある槍。相手の力量はわからないが、状況としてはクレアが不利だ。
それを察したエリスは再び指を振るい、冷気の精霊・キューレの魔法陣を描き始める。クレアの予想通り、馬の脚を凍らせようとしているのだ。
彼女の魔法が完成するタイミングに合わせ、クレアが一度相手との距離を取った……その時。
ちょうど、襲われた馬車の中にいる人物が見えた。
その姿に、クレアは目を見開き……
「エリック! 動かないで!!」
と、エリスを潜入用の偽名で呼び、動きを制した。
エリスは困惑しつつも手を止め、完成間近だった魔法をキャンセルする。
……まったく。
今回の旅は、どうにもしおり通りにはいかないな。
そう胸中で嘆息しつつ、クレアは再び賊との距離を詰め、剣を振るう。
「クソッ! なんだテメェら!!」
クレアの剣戟に槍で応戦しながら、賊が苛立った声を上げる。
馬上からの攻撃は厄介だが、動きは単調だ。大した相手ではない。
クレアは槍と馬の動きを読み、相手の死角となる馬の顔の下を素早く転がる。
姿を見失い、一瞬動きを止める賊。そこへ、クレアは、
「……文字通り、泥臭いやり方ですが」
起き上がると同時に足元の泥濘み──エリスの水の魔法によって生じた泥を掴んで、賊の顔に投げつけた。
べちゃっと音を立て、泥は見事に命中する。
視界を奪われ、呻き声を上げる賊。デタラメに槍を振り回すが、もはや攻撃の体を成してはいなかった。
クレアは槍をひょいと奪うと、手の内でくるりと一回転。
そのまま柄の先で横腹を思いっきり突いてやる。
「ぐぅっ」とくぐもった声を漏らしながら……賊は、ついに馬から落ちた。
と同時に、レナードも前方を塞いでいたもう一人の賊を沈黙させる。
他に敵の気配がないことを確認し、エリスにも「大丈夫だ」と目配せをしてから、三人は襲われていた豪華な馬車へと近付いた。
「──賊は倒しました。もう、開けても大丈夫ですよ」
閉め切られた扉に向かって、クレアが呼びかける。
すると。
キィ……と音を立てて、馬車の扉がゆっくりと開いた。
その向こうから顔を覗かせたのは……エリスと同い年くらいの、赤毛の少年だった。
「……あ、あなたたちは……?」
「たまたま後ろを走っていた者だ。怪我はないか?」
未だ怯えた様子でこちらを見回す少年に、レナードが答える。
その声音はエリスが思わず顔をしかめる程に優しいものだったが、それでも少年は扉の陰に隠れ、
「……本当にたまたまですか? 助けると見せかけて、何か要求するつもりなんじゃ……」
と、安堵するどころか疑いの眼差しを向けてくる。
それにエリスが「はぁ? ンなわけないでしょ」と反論しようとした……その時。
「アルマ、もう平気です。その方々は、きっと良い人たちです」
馬車の奥から、そんな声がする。
そして、赤毛の少年を押しのけ、その声の主が姿を現した。
少女だった。
金……というよりは白に近い絹糸のような髪に、同じく透ける程に白い肌。
淡い青色の瞳は、遠浅の海のように澄み切っている。
そんな、どこか透き通った雰囲気を纏った美少女が、にこっと穏やかに微笑んで、
「旅の方でしょうか。助けてくださりありがとうございます。わたくしはメディアルナ・エイレーネ・リンナエウス。このパペルニア領の領主の娘です。ぜひ、お礼をさせてください」
そう、自らの名を名乗った。
ということで。
第二部・第一章はここまでです。
お読みいただき、ありがとうございます。
第二章は、いよいよ潜入捜査編。
"笛"の謎と、リンナエウス家の秘密に迫ってゆきます。お楽しみに。
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