5-3 半年ほど時間を置いたものがこちら
………と、思っていたのに。
その、翌日。
「おはようございます!」
「おはようございます。いってらっしゃい」
つば付き帽につなぎ。顔にマスク。
手には箒。傍らに大きなゴミ箱。
そんな用務員の装いに身を包み、魔法学院の女子寮前で箒がけをしながら、学生の挨拶に応える……
……クレアの姿が、そこにあった。
昨夜、街が寝静まった頃。
彼は魔法学院に忍び込み、魔法陣で構成されたセキュリティの数々を突破し。
事務局内を漁って、この用務員の制服を手に入れたのだった。
この姿ならば、学院内にいても怪しまれまい。
エリシアの制服姿を、堂々と拝むことができる。
が、エリシアの住む女子寮は男子禁制。用務員であっても入ることは許されない。
が……寮の見取り図および魔法陣の位置、さらには警備員の見回りのローテーションまで昨夜の内に把握できた。
生徒名簿から、エリシアの部屋の位置も特定している。
深夜に忍び込めば、部屋の中にだって容易く侵入できるだろう。
……って、だから隠密スキルをンなことに使っちゃ駄目だろ!!!!
と、心の奥底で"理性"が全力のツッコミを入れるが、今の彼にはまったく響かない。
とはいえ、今日の今日いきなり部屋に侵入するつもりはもちろんない。
授業初日の朝のお見送りができれば、今日は満足である。
午後からは会議も入っているし、目的を果たしたら早々に撤退しなければ。
そわそわと浮つく心を表には一切出さず、彼は静かに箒を掃きイチ用務員として学院の風景に溶け込む。
朝のホームルームまで、あと三十分。
寮から校舎までは五分とかからない距離にあるが、真面目な生徒は早くも寮を出て登校し始めている。
その、真面目な生徒に混じって。
……来た。やはり早かった。
エリシアが、寮の玄関口に現れたのだ。
軍服を思わせるような、かっちりとしたデザインのブレザーに、赤と茶色のチェック柄をあしらったプリーツスカート。学院の校章が刺繍された紺のハイソックス。
そんな制服姿が、異常なほどよく似合っている(ように彼には見える)。
タブレスにある親戚宅……あの八百屋を営む一家と暮らしていた時はおさげ髪でいることが多かったが、今はハーフアップに結い上げていた。昨日の入学式の時もそうだったが、優等生らしくて実にイイ。
玄関を出ると、彼女は茶色い革製の鞄を手に颯爽と歩いてゆく。基本的に、彼女はいつも早足だ。
だから、イチ用務員に扮したクレアの目の前など一瞬で通過してしまうと……
そう、思っていた。
しかし。
彼女は、ふと。
寮の前で掃き掃除をするクレアに気が付くと。
その歩調を緩め……じっと、彼の方を見つめてきた。
「…………」
クレアは、困惑した。
何故だ。何故、見られている。どこか、不自然な点でもあっただろうか。
……まさか、今までのストーキングがバレていて、警戒されているんじゃ……
ドクドクと鼓動が高鳴り、身体が緊張で強張りそうになる。
しかし彼は、こうした危機的状況をどうすれば回避できるのか、心得ていた。
笑うのだ。
目を細め、首を傾げ、「あなたに危害を加えるつもりはありませんよ」という空気を放つ。
そうすれば、大抵の相手は警戒を解く。
これも、ジェフリーに潜入捜査などを命じられる中で身に付けた……いや、身に付けさせられた業である。
だから、彼は笑った。
マスクをしているから口元は見えないが、目だけでも十分なはずだ。
その、彼の狙い通り。
……いや、正確には、期待した以上に。
エリシアも、ふっと表情を緩めると、
「おはよう、用務員さん!」
まるで大輪の花が咲くかのごとく満開の笑顔で。
そう、言い放った。
その、あまりの眩しさに。
「……………」
クレアはマスクの下で……
ギュウッと、血が滲む勢いで唇を噛み締めた。
あっ。これやばい。
と頭の隅で思いつつ、何も返せないまま、辛うじて目だけが笑っていた。
エリシアは、返事がないことを気に留める様子もなく、そのままスタスタと校舎の方へ歩いて行ってしまった。
……その後ろ姿を、五秒ほど見つめて。
クレアはゴミ箱と箒を抱え、足早にその場を後にした。
そして、近くの職員棟に入ると、男性用トイレへ駆け込み……
個室にこもり、ゴミ箱を両手で抱え。
すぅ……っと息を吸ってから、その中に向かって、
「ギルティィイイイイイイイ!!!!」
シャウトした。
……なに。なんなの、あの笑顔。
有罪だろうがあんなもん。可愛さで殺すつもりか?
ていうか、待って。やばいやばい。どうしよう。
エリシアちゃんと、初めて目が合っちゃった。
そんで、声までかけられちゃった。
ああもう、これはアレだわ。
記念日だわ。『目合い記念日』。
いや、その言い方はなんかアレだな……
よし。間を取って『用務員さんの日』にしよう。
……などと、一頻り脳内で荒ぶった後。
彼は、「はぁ……」と深いため息をつく。
誤算だった。彼女と接触するつもりなど、なかったのに。
あくまで自分は、ジェフリーの遺言に従って彼女を見守っているだけ。
これからも、接触は絶対に避けなければならない。
でないと、彼女に危害が及ばぬようにと距離を取っていたジェフリーの苦労が、水の泡になってしまう。
それに。
「……………」
彼女に笑顔を向けられたことに。
彼女の瞳に自分が映し出されたという事実に。
こんなにも、鼓動がはやる。
こんなにも、心が掻き乱される。
こんな感情は、危険だ。
ただでさえ最近は、自制が効かないというのに。
面と向かって接触などしようものなら、もう……
きっと、元の自分に戻れなくなってしまう。
「……はぁぁ」
再び、ため息をつく。
こうして息を吐き出さないと、なんだか胸のあたりがつかえるようで苦しいのだ。
まったく、ジェフリーめ。
最期の最期で、ずいぶんと高難度の任務をぶん投げてくれたな。
付かず離れず、ただ"見守る"。
それだけのことに、こんなにも頭を悩まされるとは。
これまで成し遂げたどんな潜入捜査よりも、どんな奇襲作戦よりも難しい。
……その時。
ホームルーム開始の予鈴が、学院に響き渡った。
タイムリミットだ。"中央"に戻らなくては。
……ジェフリーさん。とりあえずエリシアは、無事に学院生活をスタートさせましたよ。元気に、登校していきました。
と。
クレアは天を仰ぎ、元上司に向けて、胸の内でそう報告したのだった。