3-2 沈黙の理由
「はぁーっ♡ おいしかったね♡」
「はい。噂通りの素晴らしい店でした」
二人は大満足で店を出て、宿へと戻るため歩き出す。
そして、人通りもまばらな路地裏に入ると……
クレアは、エリスの手をぎゅっと繋いだ。
「エリス」
「なぁに?」
「先程の話に戻るのですが」
「うん」
「私が自分の感情を優先させて行動するとなると……やはりこの後は夜這い一択になるのですが。その点、いかがでしょうか?」
「いかがでしょうか? じゃないわよ! 今日はだめっ」
「えぇー。どうしてですか?」
「だってあのツンツン男、よりによってあたしとあんたの間に部屋取ったのよ? あんたがあたしの部屋に来ようモンなら確実にバレるじゃない!」
「バレたら駄目なのですか?」
「ダメに決まってんでしょ?! 明日の朝、顔合わせた時の気まずさを考えなさいよ!」
「むぅ……困りましたね。『美少年モード』も最高ですが、やはり『女の子』なエリスも堪能したいのですが」
「堪能、って……」
「……ねぇ」
ぐいっと、エリスの手を引き。
クレアは、彼女を路地裏の壁際に追い込み……
瞳を覗き込むようにして、囁く。
「エリスの可愛い"女の子な声"……たくさん聞かせてくださいよ」
「ばっ……ばかっ。声なんか出したら余計にバレるでしょっ」
「じゃあ、隣の部屋に聞こえない程度の声でお願いします」
「そんな調整できるかっ」
「声色を変えるのは得意だと、ご自分で言っていたじゃないですか。そこも演技できるでしょう?」
そう、クレアに詰め寄られるので……
エリスは、顔を真っ赤にして睨みつけると、
「…………演技する余裕もなくなるって……知ってるくせに」
恥ずかしさと恨めしさが入り混じったような目で見上げながら、呟くように言った。
心当たりのありまくるセリフに、クレアは「ごふぅっ」と血を吐き……
直後、エリスの身体をひょいっと抱きかかえる。
「わわっ。何すんのよ!」
「こうなったら宿を変えましょう。それしか方法はありません」
「はぁ?! ちょ、待ちなさいこの変態っ!」
エリスが止めるのも聞かず、クレアは彼女を抱えたまま宿とは別の方向へと駆け出す。
その腕の中で、彼の胸をポカポカと叩きながら、
「宿代が二重でかかっちゃうじゃない! 後で怒られるわよ?!」
「はは。経費で散々食べまくっている貴女に言われたくないですね。それに、ここは私が自腹を切るので問題ありません」
「余計ダメだよ! こんなことにお金使うなんてもったいなさすぎる!! 使うならご飯に使って!!」
などとごちゃごちゃ言い合いながら、宿屋が建ち並ぶ通りに差し掛かる。
さぁ、どの宿に入ろうかと、クレアが見回した──その時。
宿屋に挟まれるようにして建つ一軒の酒場から、一人の男が出て来るのが見えた。
その姿に、思わず立ち止まる。
突然止まったクレアを不審に思い、エリスも彼の視線の先に目を向ける。と……
「……あれ。ツンツン男じゃない」
そう。酒場から現れたのは、レナードだった。
こちらにはまだ気付いていないようだが、エリスは少し苦笑いして、
「行くところがある、だなんて言うから何処かと思えば、酒場で飲んでたのかしら。 それとも……クレアの行動を先読みして待ち構えてた、とか?」
言いながら、クレアの腕から降りる。
まさか、さすがにそれはないだろう。
と、クレアが返そうとすると、
「待って!」
同じ酒場から、一人の女性が飛び出してくる。
その声にレナードが振り返ると……
女性は、ぎゅっと彼に抱きついた。
「次は、いつ会えるの……? 」
レナードの胸に額をすり寄せ、女性が甘えるように尋ねる。
するとレナードは……
その身体をそっと抱き寄せ、優しく髪を撫で、
「仕事が片付いたら、またひと月後に来るよ。寂しい思いばかりさせてすまない」
「ううん……なかなか会えないってわかった上で好きになったんだもの。我儘は言わないわ。いつまでも待ってる」
二人は、抱き合ったまま見つめ合うと……
瞼を閉じ、唇を重ねた。
思いがけないキスシーンを目撃してしまい、エリスの目が点になる。
「……なにアレ。恋人同士、ってこと?」
「いいえ。恐らく違いますよ」
心当たりがあるのか、クレアはエリスの呟きを否定した。
やがて、レナードと女性は唇を離すと、名残惜しそうに別れた。
そしてそのまま、宿の方……遠巻きに見ていたエリスたちの方へと歩き出す。
そこでようやく二人に気が付いたようで、互いの視線が交わる。
「……こんなところで何をしている」
先ほどの女性に向けた優しい態度から一変、元の冷たい口調でレナードが言う。
エリスはにんまりと笑って、
「それはこっちのセリフよ。こんな公共の場で、随分とお熱いですこと」
からかうように言うが、レナードは涼しい顔のままスタスタとエリスの横を歩き去り、
「フン。随分とおめでたい頭をしているな。脳の代わりにプリンでも詰まっているんじゃないか?」
「えっ、なにそれおいしそう♡」
「エリス。馬鹿にされているのですよ」
「あぁん゛?!」
クレアに指摘され、エリスはすぐにレナードを追いかける。
「誰の脳みそがプリンよ! 何味なの?! カスタード?! チョコレート?!」
「エリス。そういう問題ではないかと」
「おめでたいのはどっちよ! さてはあんた、さっきのおねーさんに会いたくてこっち方面に向かう任務についてきたのね? 用が済んだならさっさと"中央"に帰れば?」
「……つくづく、甘ったるい脳みそをしているな」
ザッ。とレナードは足を止めると、エリスの方に向き直り、
「あれは、ただの"情報源"だ。この街の情勢を知るために利用しているに過ぎない」
「……じょうほうげん?」
「この酒場にはいわくつきの連中が頻繁に出入りしている。会合や取引の場になっているらしい。その情報を仕入れるため、あの女店主を懐柔している」
……などと説明されるが、エリスは未だピンとこない顔をしている。
それに、レナードは「フッ」と笑って、
「わかるように言ってやろうか? つまりはあの女の恋人を"演じている"ということだ。仕事の一環としてな」
「なっ……」
「ここだけではない。不審な噂のある街には同じように"情報源"を設け、怪しい動きがないか定期的に聞き取りをしている。我々の仕事においては、珍しくないことだ」
固まるエリスを、レナードの冷たい瞳が射抜く。
「……言っただろう? 『心配はご無用』だと。演じるのには慣れている。お前の何倍もな」
そう言い残すと。
彼は二人に背を向け、先に宿へと戻って行った。