3-1 沈黙の理由
そんな和やかとは言えない雰囲気のまま、馬車は進み……
──夜。
三人は、王都に隣接するエステルア領の街にて宿を取ることにした。
進度は順調だった。このまま問題なく進むことができれば、明日はオーエンズ領で一泊、明後日にはパペルニア領へ入れるだろう。
馬車を停め、手頃な宿屋に入るなり、
「三人だ。一部屋ずつ頼む」
レナードは、受付に向かって間髪入れずにそう言った。
どうやらクレアとエリスを同室にさせるつもりはないらしい。
その場で『同室がいい』などと言うことも憚られ……
二人は黙ってそれぞれの部屋の鍵を受け取った。
「では明日、今朝と同じ時間に出発するぞ」
割り当てられた部屋の鍵を開けながらレナードが言うので、エリスは思わず「えっ」と声を上げる。
「あんた、晩ご飯食べないの? あたしとクレアは今から食べに行くけど」
しかしレナードは、振り向くことすらせずに、
「……俺はこれから、行くところがある」
相変わらず淡々とした口調で言うと、そのまま部屋の中へと消えていった。
廊下に残されたエリスとクレアは、一度互いの顔を見合わせてから……
予定通り、夕食を食べに街へと繰り出した。
二人が訪れたのは、この街で人気のビーフシチュー専門店。クレアが事前に作成した『旅のしおり』にも載せた店だ。
もっとも、本当なら二日目の夜に立ち寄る予定だったのだが……レナードが同行することになり、スケジュールがかなり前倒しになってしまった。
しかし、
「んん〜っ♡ お肉ほろっほろ♡ 玉ねぎ甘っ♡ 赤ワインの酸味とバターのコクが絶妙すぎる……っ!! あ、すみませーん! パンおかわりくださーい!!」
エリスが嬉しそうに食べてくれているから、まぁいいか。
と、クレアは正面に座る彼女を眺め、静かに微笑む。
すると、エリスは「はっ」と口元を押さえて、
「やば、つい素が出ちゃった。えぇと…………僕、このあたりのお店は全然詳しくないから、クレアルドくんが『しおり』作っておいてくれて助かったよ。ありがとう」
慌てて『美少年モード』を取り繕い、爽やかに笑う。
瞬間、クレアは「ドキッ」と胸を高鳴らせ、
「い、いえ……喜んでいただけて何よりです。事前に調べておいた甲斐がありました」
「最近、二、三日帰らないことが多かったもんね。リンナエウスを調査しているとは聞いていたけど……まさかご飯屋さんまで調べてくれていたとは」
「えぇ、念入りな調査と準備が必要な案件だったので……家を空けることが多くなってしまい、すみませんでした」
「そうだね……ちょっと、寂しかったな」
「えっ」
聞き返すクレアに、エリスはクスリと笑って、
「……なんてね。仕事なんだもん、仕方ないよ。それに……」
……こそっ。
と、口の横に手を添え、身を乗り出して、
「そのお陰で、今こうして一緒に美味しいご飯が食べられているんだ……僕は幸せだよ」
低い声音でそっと囁く、『美少年モード』なエリスに……
クレアはわなわなと震え出し、自分の胸をぎゅっ! と押さえる。
「そ……それ以上はダメです、おかしくなってしまいます……っ!」
「どうしたんだい? クレアルドくん。具合でも悪いのかい?」
「はわわ……いえ、あの……」
「無理は良くないよ。君が辛そうにしているのを放っておくことなんてできない。僕にできることがあるなら、遠慮なく言ってくれ」
「ひぇ……イケメン……」
「そうだ、水を飲むといい。あぁ、自分で飲めないと言うなら……口移しで、飲ませてあげようか……?」
「…………!!」
何故かノリノリで演じるエリスに迫られ、顔を火照らせるクレア。
そして、その顔を両手で覆い……一言。
「……お……お願いします……っ!!」
「あはは。ごめん、冗談」
「そんな……! ひどい、私を弄んだのですね……あの、どうすれば口移ししてもらえますか? お金なら払いますので、そこをなんとか」
「いや、だから冗談だって。つーかなんであんたが女みたいになってんのよ」
素の口調に戻り、ツッコむエリス。
クレアはぐっと拳を握りしめて、
「くぅっ……だめだ、『美少年モード』のエリスが強すぎてすぐにメス堕ちしてしまう……っ!!」
「めすおち? 何それ。中落ちの親戚?」
「これはいけない……ちゃんとエリスは女の子なのだと脳に再認識させなければ。ということでエリス。宿に戻って、服を脱いでいただいてもよろしいでしょうか?」
「はぁ?! ……んんっ。クレアくん。今夜、僕たちは別々の部屋に泊まるんだよ?」
「そうだった! ちくしょう、なんで無理矢理にでも同室にしなかったんだ……ッ!!」
「あの、落ち着いて……」
「はっ。よく考えたら、使用人として住み込みで働く間はずっと別室生活じゃないか。今の内にできるだけエリス成分を摂取しておかなきゃいけないというのに…………そうだ」
すん。
と、クレアは急に真顔になって、エリスを見つめ、
「……エリス。今夜、夜這いをしに伺いますね」
「ダメに決まってるでしょ!!?」
キリッ、と放たれたその申し出を、エリスは全力で拒否する。
そして、赤くなった顔をパタパタと手で扇ぎながらコップの水を一口飲み、
「もう。あんたもあんただけど……んんっ。アイツのせいで僕らの調子が狂っているのは確かだね」
途中で少年っぽい声音に切り替えつつ、言う。
クレアは、エリスのコップに水を注ぎ足しながら、
「レナードさんのこと、ですね」
「そう。まったく、よりによってあんな感じ悪いヤツがついてくるとは……そういえば、彼とは付き合い長いの?」
「えぇ。私がアストライアーに入った時には、既にレナードさんは所属していましたから……もう十年来の付き合いですね」
「ふーん。彼は昔からあんな感じなの?」
「はい。確かに愛想がいいとは言えませんが、冷静沈着で、淡々と任務をこなせる方です。現場の指揮を任されることも多い、優秀な先輩ですよ」
「……仲良いの? 悪いの?」
「悪くはない……と思っています。あんな感じですが面倒見は良いですし、私を含め後輩のことはかなり気にかけてくれています。言うなれば、兄のような存在ですかね」
「あにぃ? あんなケンカ腰な兄、絶対イヤなんだけど」
「私はもう慣れてしまっているので何とも思いませんが……普通ならそう思うのかもしれませんね」
苦々しい顔をするエリスを見て、クレアは思う。
レナードの冷たい口調や挑発的な態度を嫌だと思ったことは、一度もなかった。
そもそも、隊長だったエリスの父・ジェフリーからも相当無茶をさせられていたが、それを苦に感じたこともない。
何故なら、そういうものだと思っていたから。
そう思うように、育てられてきたから。
だから、エリスがレナードに対し苛立ちを募らせているのを見て、やはり普通はそう思うのかと、どこか冷静に考えていた。
だが。
「レナードさんにはお世話になっていますし、大切な仲間であると思っていますが……エリスを侮辱することだけは、許せないですね」
である。
昨日、エリスを「お子さま」と言われ、反射的に言い返してしまった。
同僚や上司に対し、私的な感情から反論するのは、あれが初めてだった。
自分にどんな言葉をかけられようが構わない。しかし、エリスを馬鹿にするような言動だけは無視できなかった。
昨日、エリスのことを『恋する乙女になった』とからかったりしたが……
すっかり変わってしまったのは、自分の方だ。
クレアは、静かに微笑む。
「もしレナードさんに嫌なことを言われたら、遠慮なく教えてくださいね。私から彼に言いますので。もっとも、貴女と彼を二人きりにするつもりはありませんが」
その言葉に、エリスは肩をすくめて、
「あの程度の嫌味に負けるつもりはないけどね。けど……ありがと。あたしのために怒ってくれて」
と、男装していることを忘れ、照れながら言うので。
クレアは……何とも言えない、温かな気持ちになる。
「いいえ。私の方こそ……こんな感情を教えてくださり、ありがとうございます」
「何それ。あんた怒ったことなかったの?」
「うーん……たぶんないですね。初めて明確な"怒り"を感じたのは、貴女がジーファに攫われた時でしょうか」
「ほ、ほんとに? 誰かにムカつくこと言われたり理不尽なことされたりして、腹立つー! ってなったことないの?」
「…………ない、ですね。言われたことには適切な対処をする、そこに自分の感情はいらない。それが、私にとっての"当たり前"でしたから」
「まじか……毎度思うことだけど、あんたってほんと、とんでもない"当たり前"の中で生きてきたのね」
「そのことに気付けたのも、貴女のおかげです。『エリスの番犬になったからには、自分のために生きよ』。初めて対面した日、貴女はそう言ってくれましたね。私にとって、とても新鮮な人生観でした。あの言葉があったからこそ今の私がいます」
「そっか……クレアがそうやって、自分の感情を優先して行動するようになってくれて嬉しいよ。まぁ、そのせいで先輩に言い返すような隊員になっちゃったわけだけど……大丈夫? 後悔してない?」
なんて、昨日クレアに聞かれたセリフをそのまま返すように尋ねる。
だからクレアは、とびきり優しく微笑んで、
「全て自分で、自分のために選んだことです。後悔など、するはずがありません」
そう、迷いなく答えた。