2-3 任務の準備は万全に
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──時間は再び戻り、出発の日の朝。
動き出した馬車の中。クレアとエリスは横並びに、その正面にレナードが座っていた。
目的地のリンナエウスへは、王都から馬車で丸三日かかる。
と言っても、前回イリオンを目指した時はのんびり歩き、たっぷり寄り道をして十日以上かけて辿り着いたのだから、それに比べれは早いものである。
レナードは、正面に座る少年のような装いのエリスを眺め、
「……で。何だそれは」
短く尋ねた。
エリスが即座にそっぽを向くので、代わりにクレアが答えることにする。
「実は、リンナエウス家では男性の使用人しか雇わない決まりがありまして……」
「……男だけ?」
「えぇ。以前は女性も雇っていたようなのですが、一五年ほど前に突然、男性のみにすると方針を変えたようなのです」
「理由は?」
「まだはっきりとは。その方針に変えたのと同時期に、領主の妻……つまり例の"笛を吹く娘"の母親が亡くなっているので、何か関係があるかもしれません。一方で、娘のためにそうしているのではないか、との噂もあります」
「どういう意味だ」
「使用人はみな男性……しかも、美男子ばかりを揃えているのだそうです。娘を喜ばせるため、眉目秀麗な男たちを集めているのでは……というのが、街のおばさま方の見解です」
「フン、くだらん。それでこの女が妙な男装をする羽目になったということか。大丈夫なんだろうな。女だとバレて足を引っ張るような真似だけは御免だぞ」
鼻で笑うレナードを、エリスはキッと睨み付け、
「うっさいわね。そうならないために、今から少しでも慣れようとこんなカッコしているんじゃない」
「まずはその甲高い声をなんとかしろ。見た目は誤魔化せても声はどうしようもない」
「心配ご無用。見ていなさい」
んんっ、と一つ咳払いをすると。
エリスは、ぺたんこに潰した自分の胸に手を当て、
「──はじめまして。僕の名前はエリック・エヴァンシスカです」
……と、低く落ち着いた声音で、言った。
女の子然とした雰囲気から一変したことに、レナードは思わず目を見張る。
エリスはふわりとした微笑を浮かべながら、
「今日からこのリンナエウス家で働かせていただきます。料理は少し苦手ですが……掃除や洗濯は得意です。精一杯頑張りますので、どうぞよろしくお願いします」
そう続けた。
男性、というよりは、声変わりの最中にある少年のような声色だ。
……確かにこれなら、男として潜入することも不可能ではない。
この状態を四六時中保てるのであればの話だが。
と、レナードが言おうとした……その時。
エリスの隣に座るクレアがバッ! と口元を押さえ、
「んぐぅ……っ!!」
……という呻き声を上げるので、レナードは訝しげな顔をする。
「どうした、クレアルド」
「…………」
……嗚呼、やっぱり『男装エリス』最高……っ!
昨日あの後、男の子になりきったエリスの魅力に骨抜きになった記憶がありありと蘇る……っ!!
……なんて、さすがにレナードの前では言えないので。
「…………なんでもありません」
クレアはなんとか平静を装い、いつもの爽やかな笑みを浮かべ、続ける。
「このように、エリスは適応能力が高いので、きちんと『男』を演じ切ってくれますよ」
「ふふん。どーよ、完璧なまでに男の子でしょ?」
いつもの口調に戻り、胸を反らすエリスを見つめ……
レナードは半信半疑な面持ちのまま、吐き捨てるように言う。
「せいぜいボロを出さないよう気をつけるんだな」
「なっ。あんたこそ、使用人やるならもっと愛想よくしなさいよ! そんなんじゃ絶対務まらないからね?!」
犬歯を剥き出しにし食ってかかるが、レナードはそれを無視。
見兼ねたクレアが、仕切り直すように口を開く。
「いずれにせよ、リンナエウスの領主が何かを隠している可能性は高いです。妻の死、男だけの使用人、『笛』の呪いを受けない娘……やはり"禁呪の武器"であると知りながら、民を洗脳するためにその力を使っているのかもしれません」
「その辺りの因果関係を内側から調べる必要があるな。危険と見なせば、その場で処断することも考えよう」
「治安の良い平和な街なので、なるべく穏便に済ませたいところですが……悪用しているのであれば、その限りではありませんね」
「そうね……『琥珀の雫』をどこに隠し持っているのか、怪しい場所を徹底的に調べ上げなきゃ」
……なにやらエリスだけ別次元の話をしているが、レナードは構わず続けて、
「まずは娘のメディアルナに近付くのが良いだろう。『笛』を扱う張本人であり、まだ十七歳だ。領主よりは隙が多いはず。そこから情報を引き出そう」
「『近付く』って、あんたみたいな無愛想な男が近付いたらビビッて逃げちゃうんじゃないの? あたしが代わりにやってあげましょーか?」
などとエリスが挑発的な態度で言うが……
レナードは眉一つ動かさずに、
「それこそ『心配はご無用』だ。黙って見ていろ。余計なことはするな」
やはり『愛想』のかけらもない態度で淡々と返され。
エリスはジトッと睨みつけてから、ぷいっと顔を背けた。