1-3 新たなる旅立ち
再び時間は戻り──クレアとエリスが待たされている会議室。
突如現れたレナードに、クレアは目を見開く。
「レナードさん……戻られていたのですか?」
しかしその問いに答えたのは、レナードではなく……
「二日前にな。例の案件がようやく片付いたんだ」
彼の後に続き会議室へと足を踏み入れた、ジークベルトだった。
レナードは、クレアがエリスと共に"水瓶男"を追う旅に出たのと同時期に、別の事件を追って遠方の領へと赴いていた。
同じアストライアーの先輩・後輩という間柄だが、顔を合わせるのは実に三ヶ月ぶりである。
「それはよかった。あの案件をお一人で解決されるとは……さすがレナードさんですね」
と、クレアがにこやかに言うが……
レナードは眉一つ動かさずに、
「世辞はいい。それよりも何だ、その態度は。この三ヶ月の間に上司を待つことすらできない男になったのか? その女のせいで」
そう、冷たく言い放つ。
それに、エリスはあからさまに顔をしかめ、
「はぁ? 散々待たせたのはそっちなんだから、まずは『遅れてごめんなさい』でしょ? あんた、いい年してそんな常識も持ち合わせていない男なの?」
ツラツラと、流れるように反撃した。
もちろんレナードとは初対面だが、エリスにはそんなこと関係ない。明らかな"敵意のにおい"を感じ、目を吊り上げて威嚇する。
その視線を、レナードはやはり冷たく受け流し、
「……フン。精霊を認識できる天才魔導士がどんな女かと思えば……こんな"お子さま"だったとはな」
「なっ、なんですってぇ?!」
怒りを露わにするエリスに代わり、クレアが一歩前に出て、
「"お子さま"ではありません。エリスは素晴らしい女性です。人としても、魔導士としても」
にっこりと微笑みながら、言った。
その笑顔の奥に、微かな殺気を感じ……
レナードは、スッと目を細める。
「クレア……」
その背中を見つめながら、エリスが小さく呟く。
顔を合わせるなり険悪なムードを醸し出す部下たちに、ジークベルトはため息をついて、
「時間に遅れたことは謝罪する。すまなかったな、エリシア。早速、話を始めてもいいか?」
「う、うん。平気よ。始めましょ」
気まずい雰囲気を察してか、それとも『お子さま』と言われたことを気にしているのか、エリスは落ち着いた声音でそう返した。
「──今日、君たちを呼んだのは他でもない。次なる"禁呪の武器"の捜索について、正式な指令を下すためだ」
会議室の席に着くなり、ジークベルトがそう切り出す。
「例の『風別ツ劔』の一件以降、クレアにはそれらしい武器の噂について調査を進めてもらっていたが、その中でより信憑性の高いものがあった。クレア、詳細を」
クレアは「はい」と立ち上がり、説明を始める。
「"禁呪の武器"は『封魔伝説』の伝承にある通り、全部で七種類あると考えられます。『天穿ツ雷弓』、『炎神ノ槍』、『麗氷ノ双剣』、『地烈ノ大槌』、『竜殺ノ魔笛』、『飛泉ノ水斧』、そして、『風別ツ劔』。『槍』と『劔』は既に回収済みですので、その他の武器について調査を進めました。そこで気になったのが、パペルニア領にあるリンナエウスという街での噂です」
「リンナエウス……?」
その街の名に、エリスがピクリと反応する。
クレアが頷き、
「えぇ。オーエンズ領の東に位置するパペルニア領──リンナエウスはその中心となる街です。そこに住まう領主の館に"禁呪の武器"と思しきものがあるとの情報を得ました」
「また領主が持ってんの? こないだのイリオンの一件といい、悪どい権力者たちの手にことごとく渡っているのかしら」
「いえ、それが今回は、それほど悪どいかんじではなくてですね」
「……どういうこと?」
「実はこのリンナエウス、アルアビス国内でも有数の治安の良い街なのです。その理由として住民が挙げるのが、毎朝決まった時間に聞こえてくる"笛の音"」
「笛……?」
聞き返すレナードに、クレアは頷く。
「そう、"笛"です。リンナエウスの街の中心部にある領主の屋敷には一際目を引く高い塔が建っているのですが、その塔の上で、毎朝領主の娘が住民のために笛を吹くのだそうです。その美しい音色を聴くと、不思議と穏やかな気持ちになり、『今日も一日頑張ろう』と思えるのだとか」
「そりゃあ……朝から綺麗な音楽が聴けたら、気分はいいでしょうね」
「私も最初はその程度にしか考えていませんでした。しかし実際に足を運び、私ともう一人の隊員とでその音色を聴いてみたところ……確かに精神に作用していることが確認できました。美しい演奏に感動するのではなく、言わば強制的に気分が落ち着くのです。これは普通の音色ではないと確信しました」
「つまり、その領主の娘が吹いているのが……『竜殺ノ魔笛』かもしれない、と言いたいのか?」
レナードが淡々とした声音で問いかける。
クレアは再び頷き、
「そうです。"禁呪の武器"ではなかったとしても、何かしらの術が使われていることは間違いありません。ちなみにエリス、そうした精神作用をもたらす魔法というのは存在するのでしょうか?」
クレアに尋ねられ、エリスは「うーん」と腕を組んでから、答える。
「ないわね。精神作用と言ってもどこからアプローチするのかで変わってくるし。今の話に準えて"音"でどうにかするなら、ウォルフやキューレみたいな気体寄りの精霊をうまく掛け合わせればできなくはないのかもしれないけど……理論が完成したところで実用化に持っていくのは、相当大変でしょうね。制御も難しいし」
……という見解を述べる中で、エリスがいくつかの言葉を飲み込んだことにクレアは気付く。
一つは、"気体寄りの精霊"について。
彼女が今しがた挙げた暖気・冷気、それぞれの精霊を"音"の魔法に用いることは確かに有効なのかもしれないが……
最も純粋な"気体"の性質を持つのは、恐らく『風の精霊』である。
だが、その存在を公にすることはできないので、エリスは自身が発見したウォルフとキューレに話をすり替えたのだ。
そして、もう一つは……
『風の精霊』のように、その武器の属性をそのまま持つ精霊……つまり『音の精霊』が存在するかもしれない、ということ。
現在の魔法研究において、『音の精霊』の存在は確認されていない。
だが、その可能性についてここで口にしてしまえば、「新種の精霊なら持ち帰って来い」などと言われ兼ねない。
『風の精霊』の時同様、彼らがニンゲンに使われることを拒むのならその意志を尊重したい、というのがエリスの考えなのだろう。
だから、『実用化は難しい』という結論にまとめた。
その見解は、クレアにとって好都合だった。
この世でただ一人、精霊を味覚と嗅覚とで認識できる天才魔導士から『精神作用をもたらす魔法は存在しない』との言質を取ったのだ。
リンナエウスで鳴り響く笛の音が如何に奇妙であると言えるのか、説得力が増す。
「ありがとうございます。このように、リンナエウスの領主の娘が不思議な術を使っていることは間違いありません。『竜殺ノ魔笛』である可能性も高い。しかし、その父親……領主であるマークス・デミオン・リンナエウスは、部外者の訪問を極端に嫌う傾向にあります。例の笛に関する質問をしようと正面から訪ねても、門前払いされました」
「ますます怪しいわね」
「はい。"禁呪の武器"を隠すためなのか、それとも他に何か理由があるのか……いずれにせよ、徹底的に調べる価値があります。そのために、リンナエウス家に潜入捜査します」
「潜入捜査?」
と、捜査の手段までは事前に聞いていなかったエリスが首を傾げる。
クレアは再び頷いて、
「えぇ。使用人に扮し、住み込みで働きます。既に三名の使用人に金と新しい職場を与え、辞めさせました。その補填という形で、我々が雇用される手筈を整えています。街の住民を混乱させないためにも、このやり方がベストかと」
アストライアー内では既に話し合われた方針なのだろう、ジークベルトは小さく頷き、納得した様子で腕を組んでいる。
だが、二日前に"中央"に帰還したばかりのレナードは、
「その話が事実なら、とんでもないことだ」
まだ、気になる点があるようだった。
「使われている笛が本当に『竜殺ノ魔笛』だとしたら……領主の娘は、例の"狂戦士化の呪い"を受けていることになる。その点についての調べはどうなんだ」
と、若干語気を強めて問い質すが……その質問も、クレアには想定内だった。
「もちろん、探りを入れました。リンナエウス家の一人娘──メディアルナ・エイレーネ・リンナエウス。彼女がどのような人物なのか……結論から言えば、『狂戦士』とは程遠い、温厚な性格でした」
「……なんだと?」
「誰に尋ねても、怒ったり取り乱したりする様を見たことがないと皆口を揃えて言います。その笛を毎朝吹いているにも関わらず、です。だからこそ、ますます不思議なのです。現代の魔法技術では説明できない、"禁呪の武器"と思しき音色の効果……しかし使用者は、呪いの影響を受けていない。その点も含めて、調べる価値があるということです」
「ちょうどお前が気にしていた点とも重なるだろう、レナード」
クレアの言葉を継ぐように、ジークベルトが続ける。
「『呪いへの耐性を持つ者の特徴』……それを明らかにする良い機会だ。これでもし、クレアだけでなくレナードも耐性を持っていれば、その領主の娘とお前たち三人の共通点が呪いを打破する条件となる。あくまでその笛が、『竜殺ノ魔笛』であるならばの話だが」
「って、まさか隊長さん。このツンツンした男も一緒に行かせるとか言うんじゃないでしょうね?」
顔を引きつらせ、エリスが言う。
ジークベルトは少し苦笑して、
「そのまさかだ。先ほどレナード自身から申し出があった。"禁呪の武器"の呪いについて、耐性を持つのは本当にクレアだけなのか調べたいとな」
それを聞き、エリスは「うげー……」と小さく呟く。
「レナードなら今回の任務に必須な"条件"も満たしている。何より、三人いればできることも増えるだろう。クレア、異論はないな?」
「えぇ、ありません」
そうあっさり答えるクレアを、エリスは驚いて見つめるが……彼はにこにこと微笑むのみだ。
「決まりだな。では、これより正式な指令を下す」
ジークベルトは三人を見据え、力強く言う。
「クレアルド・ラーヴァンス。エリシア・エヴァンシスカ。そして、レナード・グロウシュライト。パペルニア領・リンナエウスの領主邸にて潜入捜査せよ。目的は、領主の娘・メディアルナが持つ笛が"禁呪の武器"であるか否かの確認。もしそうだった場合……可能な限りその効力を保持したまま、"中央"まで持ち帰ること」
「えっ、持ち帰る? その場で無力化するんじゃないの?」
厳粛な雰囲気の中、エリスが思わず声を上げる。
それは、クレアにとっても初耳だった。
"精霊の王"との約束は、武器に封じられた精霊を解放すること。そのことはジークベルトも承知のはずだ。
それに、いくらクレアが呪いに対する耐性を持っているとはいえ、強大な力を保持したままの"武器"を遠く離れた領地から持ち帰るなど危険すぎる。
しかし、そう反論する前に再びジークベルトが口を開く。
「これは上からの追加命令だ。それは危険だと、俺も反論したのだが……どうやら『炎神ノ槍』に加え、さらなる研究材料が欲しいらしい。が、俺はあくまで"可能な限り"で構わないと思っている。現場の状況から、その場で無力化した方が良いと判断したのであればぜひそうしてくれ。リンナエウスの住民と、お前たちの命が第一優先だ。その上で、呪いを打破する者の条件が少しでもわかればなお良い。以上が、今回の任務だ。質問は?」
穏やかな表情で「ありません」と答えるクレアと、その横で納得いかない表情を浮かべるエリス。
その向かいに座るレナードは……
すっ、と静かに手を上げて、
「一つだけ、お伺いしてもよろしいでしょうか?」
そう、切り出した。
「何だ、レナード」
「その追加命令を下した『上』というのは、具体的にどこですか?」
「軍部の上層部と、魔法研究所の所長だ」
「……その方々は、『炎神ノ槍』に加えた新たな研究材料が欲しいと、そう言ったのですか?」
「その通りだが」
「……他の武器を既に所有している、という話はなかったでしょうか。例えば……『弓』とか」
目を細め、低く尋ねるレナードの問いに……
ジークベルトは、瞬きを一度して、
「そのような話は聞いたことがない。仮に、他に回収済みの武器があったとしたら、間違いなく情報共有されているだろう。何故そのようなことを?」
逆に聞き返され、レナードは暫し沈黙してから、
「……いえ、何でもありません」
そう、淡々と答えた、
ジークベルトもそれ以上は追求せず、今一度三人を見回し、
「では、出発は明日。それまでにしっかりと準備をしておくように。特に……エリシア。君は念入りに、な」
と、意味ありげな笑みを浮かべて言うので、エリスはきょとんとして、
「へ? あたし? なになに、どういうこと??」
クレアの服の裾をくいくい引きながら尋ねるが……
やはり彼は、静かに微笑むだけだった。