特別な名前
夜の闇が人を狂わせるのか。
それとも、狂った人間が闇を好むのか。
どちらでもいい。
ただ、目の前の任務を遂行するだけだ。
そんなことを考え、レナードは暗がりの中、目を凝らす。
月明かりに輝く銀色の髪とは対照的に、その瞳は闇夜を溶かしたような深い藍色をしていた。
静かな呼吸を繰り返し、暗がりの中完璧に気配を殺しているが、彼はまだ十歳である。
国に仕える戦士を育成する軍事養成施設・通称『箱庭』の出身で、今は特殊部隊アストライアーに籍を置いている。
情報によれば、ターゲットはもう間もなくこの路地に現れるはずだった。
クーデターを目論む二つの組織。その取引の道具となるモノを運搬する、運び屋……
その後を尾け、取引現場を押さえ、一挙に叩く。それが、今回の任務だった。
レナード以外にもアストライアーの隊員たちが複数、この路地裏に隠れ、運び屋が現れるのを待っていた。
シンと静まり返った、深夜の街──
耳鳴りがしそうな程の静寂の中。
ふと、小さな足音が聞こえてきた。
──来た。運び屋だ。
レナードも他の隊員たちも、気配を殺したまま足音の方へと注目する。
レンガ畳の上に、路地の向こうから徐々に黒い影が伸び……
やがて現れた、その姿は……
…………幼い、子どもだった。
三、四歳くらいだろうか。肩まで伸びた焦げ茶色の髪は遠目に見てもボサボサで、服も大人用のシャツを無理矢理着せられたような、みすぼらしい格好をしていた。
……なんだ、子どもか。
そう考える人間は、この場に一人としていなかった。
何故なら、周囲の目を欺くため幼い子どもを運び屋に使うことは、犯罪組織の常套手段だからである。
現にその子どもは、こんな真夜中に現れたというだけでも不自然なのに、子どもには似つかわしくない奇妙なモノを抱えていた。
弓。
自分の背丈ほどもある黄金色の弓を、幼い手でぎゅっと握りながら歩いていたのだ。
……あれが、取引の道具か……?
レナードは弓をユラユラ抱えながら去って行く子どもを見つめる。
そして、十分に距離が開いたタイミングで、他の隊員たちと共にその後を追い始めた。
そこから先は、計画通りだった。
弓を抱えた子どもが入ったのは、狭い路地を進んだ先にある一軒の酒場。
隊員たちが一気に突入すると、案の定、標的としていた組織の頭目と数名の構成員がいた。
思いがけない襲撃に連中はなす術もなく、アストライアーはこれをあっさり捕縛。今頃、もう一方の組織を追っている別動隊も同じように捕らえている頃だろう。
これで、任務は完了。
怪我人を出すこともなく、無事に帰還することができる──かと思われた。
しかし。
「──で。これは何処から連れてきた子どもなんだ?」
アストライアーの隊長、ジェフリー・ウォルクスが、組織の連中に問い質す。
文字通りお縄になっている頭目が「フンッ」と鼻を鳴らし、
「買ったんだよ、そいつの親戚からな。親が死んで引き取ったはいいが、食いぶち減らしたいからって端た金で売って寄越したぜ。ヒヒヒ」
と、いやらしい笑みを浮かべて答えた。
ジェフリーは「チッ」と舌打ちをし、弓を抱えたまま呆然としている子どもの前に屈む。
「そうか。お前、帰る当てもないんだな。なら……俺たちと来るか?」
そう優しく問いかけるのを、レナードは無言で見つめていた。
その質問には、何の意味もない。
何故ならこの子どもには……他に、選択肢がないからだ。
それに……
結局、『箱庭』に引き取られたところで同じ扱いを受けるだけであることを、レナードは知っていた。
人身売買は、裏社会では珍しい話ではない。
金になるからと、拐われたり親に売られたりして、犯罪に利用される子どもは一定数存在する。こうして任務の中で保護することもしばしばだ。
そんな子どもたちの居場所として……否、"使い道"として、『箱庭』という場所がある。
『箱庭』にいるのは、皆同じような経緯で国に引き取られた子どもたちだ。レナード自身も、そうだった。
国に仕える戦士として、『箱庭』の子どもたちは厳しい訓練を受け、徹底的に鍛え上げられる。
その中で、身体や精神が弱い者は命を落としていく。それほどまでに容赦のない環境に晒されるのだ。
無事に成長できたとしても、実戦の場に出ればさらに危険な目に遭う。
だから、例え死んだとしても、誰も困らない子どもの方が好都合。
結局は、犯罪組織に使われるのと何ら変わりはないのだ。
しかし、レナードはそれを不幸だとは思わなかった。
何故なら、彼にとってはそれが当たり前だから。
国のために命がけで任務を遂行することこそが、彼の全てだから。
自分の感情を、欲求を捨て、命じるがままに任務を遂行するよう、育てられてきたから。
ジェフリーの問いかけに、茶髪の子どもは暫しぼーっと見つめ返すと……
──にこっ。
と、小さく笑った。
身なりは汚いが、よく見ると可愛らしい顔をした子どもだ。
ジェフリーもニカッと笑い返し、ボサボサの髪をくしゃっと撫でる。
「よーし、お嬢ちゃん。帰ったらまず風呂に入れてやるからな。腹も減っているだろう、何か食わせてやる。おい、お前。弓を持ってやれ」
と、隊員の一人に言う。
命じられた隊員は子どもに歩み寄り、その手から弓を預かった。
黄金色に塗られた美しい弓ではあるが、何故こんなものが取引の道具に……?
レナードは疑問を抱きながらその様子を眺める……と。
「……ぐっ……ぁ……………………あは、あははははは!!」
突然。
弓を手にした隊員が、狂ったように笑い出した。
「なっ……どうしたんだ、お前」
不気味な笑い声を上げ、フラフラと歩き回る隊員にジェフリーが近付く。
すると、その隊員は笑ったまま弓を構え、
「ひひ……あははははぁ!!」
まるで矢があるかのように弦を引き、すぐに手を離した。
刹那。
──バリバリバリィッ!!
空気を引き裂くような音と共に、矢の形をした"光"が放たれた。
稲妻のように激しく明滅しながら、真っ直ぐにジェフリー目掛けて飛んで行く……
……が、
「くっ……」
間一髪のところでジェフリーが回避する。
"光の矢"は酒場の壁に当たると、轟音を立てながら大穴を開けた。
「どうした、落ち着け!」
「駄目だ、正気を失っている!!」
他の隊員たちが取り押さえるが、弓を手にした隊員はなおも笑いながら暴れ回る。
そして、別の隊員がその手から弓を奪った瞬間、
「あ……あぁ…………ころす……殺してやる……!!」
今度はその隊員が、弓を構え始めた。
これは……
弓を手にした人間が、次々に攻撃的になっている……?!
と、レナードが身構えるより速く、ジェフリーが動いていた。
弓を手にした隊員の背後に素早く回り込み、首筋に手刀を食らわす。
隊員はあっけなく気を失い、その場に倒れ込んだ。
カラン、と乾いた音を立て、床に転がる弓。
なんの変哲もない、ただの弓に見えるが……
「……呪いでも、かけられているのか……?」
隊員の誰かが呟く。
一同が息を呑みながら弓を見下ろす中、ジェフリーは縄で縛った組織の頭目に詰め寄る。
「おい、これは一体なんだ?!」
すると頭目は、ニヤリと笑って、
「さぁな。俺も今初めて見たんだ、詳しいこた知らねぇよ。ただ……」
「ただ……?」
「……『カミナリが放てる弓』だと聞いていた。使い手を選ぶが、ものすごい力を発揮すると……それを使って一つ暴れてくれないかってのが、あちらのお頭さんからの依頼だったというわけだ」
雷が、放てる弓……?
そんなもの、聞いたことがない。雷の精霊・エドラを用いた魔法であれば存在するが……それでも、魔法を武器と同化させることなどできるはずがなかった。
精霊は、気まぐれな存在だ。どこに、どのくらいいるのかわからない。
魔法陣によって呼び出したとしても、制御するのはかなり難しい。
だからこそ、魔法学院で技術を身に付けた者しか魔法は扱えないのだ。
そんな不確かで不安定な精霊を武器に留めておくことなど不可能。
少なくとも、現在の技術では。
しかし、今。
ここにいる全員が、確かに"雷の矢"を目撃した。
これは……この弓は、一体……
レナードと隊員たちが、困惑に揺れる中。
弓を運んで来た子どもは……感情のない瞳で、倒れた隊員を見つめていた。
その後、『雷を放つ弓』は人の手に触れぬよう箱に入れ、厳重に運び出された。
魔法研究所に送り、調べさせるのだという。
運び屋をしていた子どもは、その後の調査で本当に身寄りがないことがわかり、正式に『箱庭』の所属となった。
その入所手続きには、レナードが立ち会った。
子どもには、名前がなかった。
名付けられる前に親が死に、引き取った親戚からも名付けられず、無下に扱われてきたのだ。
そういうケースは多い。だから、『箱庭』で呼び名を決める。
管理室で、入所手続きを行なう事務員が眼鏡の奥の目を細めながら、
「──えぇと、今空いてる女の子の名前は……」
帳簿のようなものを、パラパラと捲り始める。
ここでは一人ずつ新たに名付けるのではなく、元々ある候補の中から名前をつけるのだ。
死んだ者がいれば、その名前が欠番になる。つまりこの子どもには、死んだ誰かに付けられていた名前が与えられるということ。
レナードも、同じだった。
やがて、事務員が「よし」と手を止め、
「これにしよう。クレアだ。クレア・ラーヴァンス。可愛い名前だろう?」
言いながら、帳簿に何かを書き記し、判をバンと押す。
そして必要な書類を諸々用意しながら、入所に当たっての説明をしていく。
クレアと名付けられた子どもは、それをぼうっと聞いていた。
「──以上。質問は?」
事務員が、クレアに尋ねる。
すると、クレアはやはり無表情のまま瞬きを二回して。
「…………ぼく、男の子ですが」
ぽつりと、そう言った。
瞬間、事務員の眼鏡がガクッとずり下がる。
これにはレナードも驚いた。その容姿からすっかり女児だと思い込んでいたが……
「えぇ〜……どうしよ、もういろんな書類に名前書いちゃったよ。今さら書き直すのめんどくさいなぁ。でもさすがにクレアじゃ女の子っぽすぎるしねぇ……」
死んだ子どもの名前を使い回しているくせに、そういうところは気にするのか。
などと考えそうになる思考に、レナードは蓋をする。
そして、
「……そうだ。『クレアルド』にしよう。それなら、ちょいと書き加えれば修正できる」
なんて、事務員は一人で納得し、書類にペンを走らせ始めた。
クレアルド。
それはただ、書き直すのが面倒だという理由で付けられた名前。
しかし。
他の誰にも付けられたことのない、彼だけの、特別な名前だった。
それを、こんな形でも与えられた彼のことが……
レナードは少しだけ、羨ましかった。
ということで。続編スタートです。
いきなり過去の話から始まりましたが、次回からは元の時系列に戻ります。
第一部完結後の日常を綴った短編集もしれっと連載していますので、ぜひご一読ください。今後に少し関わりのあるお話があったりする、かも……?
(ページ下部にリンク貼ってあります)
私自身、楽しみながら連載してまいりますので、またどうぞよろしくお願いします……!!