エリシア・エヴァンシスカちゃんはキスができない④
──日が沈み、宿屋の看板に明かりが灯る頃。
エリスは宿屋の階段を上り、クレアが眠る二階の部屋を目指す。
その手には、丸いおぼん。そしてその上に……肉団子がたっぷり入った、スープ粥が乗っていた。
出来た……初めて自分で、料理することができた。
これまで何度挑戦しても、爆発するか蒸発するかで散々だったけれど……まさかそれが、精霊の仕業だったとは。
確かに、料理を完全に諦めたのは魔法学院に入る前のこと。あの頃は精霊に関する知識なんかまるでなかったし、自分の料理下手にこんな原因があるだなんて発想すらなかった。
まぁ、作っている途中何回か精霊がお節介……否、お手伝いしに来てくれちゃったから、その度に追っ払って、精神的にはかなり疲れたけど……
兎に角。
出来た。出来たのだ。
あたしの、初めての料理。
クレアのために、作った料理。
エリスは、少しドキドキしながら部屋の戸を叩く。
やはり寝ているのだろうか、返事はなかった。
おぼんを傾けないようにしながら、エリスはそっと戸を開ける。
部屋の中は真っ暗だった。
窓から差す月明かりが、クレアの眠るベッドをぼんやりと照らしている。
エリスは足音を立てないようにベッドへ近付き、サイドテーブルにおぼんを置いた。
そして、そのまま……ベッドの横の椅子に腰掛け、灯りも付けずにクレアの寝顔を眺めた。
……よく、眠っている。
薬が効いたのか、呼吸も落ち着いているようだ。
よかった。このまま、早く良くなるといいな。
クレアも食べたいものがあるとかなんとか言っていたし……
あたしも、早くクレアと一緒にご飯が食べたい。
……お粥、美味しいって言ってくれるかな。
喜んでくれるかな。
少しでも、元気になってくれるといいな。
そんな風に思ってしまうくらい……
クレアのことが大切なのに。
どうしたら、伝わるんだろう。
「………………」
エリスは、ぎゅっと唇を噛み締めてから。
少し、身を乗り出して。
寝ているクレアの頬に……
そっと、くちづけをした。
今は、これが精一杯だけど。
「…………ちゃんと、好きだからね」
そう、消え入りそうな声で、呟いた。
……直後。
「…………ぐはぁっ!!」
突然。
……クレアが、吐血した。
エリスはビクッ! と身体を仰け反らせる。
「えっ?! ちょ……大丈夫?」
恐る恐る顔を覗き込むが……クレアは口元を押さえながら、わなわなと震えて、
「……ほっぺにちゅーって……『好き』って……なんなんですか? 私の息の根を止めに来たんですか?」
「って、あんた起きてたの?!」
顔を真っ赤にして叫ぶエリス。
クレアはむくっとベッドから起き上がり、
「美味しそうなにおいがしたので、目が覚めてしまいました……宿の方が用意してくださったのですか?」
言いながら、サイドテーブルの上で湯気を立てているお粥に目を向ける。
エリスは、キスがバレた気恥ずかしさに負けそうになりつつも、
「……ううん。あたしが、作ったの」
そこははっきりと主張しておいた。
クレアが驚いたように目を見開く。
「でもエリス……料理苦手なのでは……」
「克服できたみたい。詳細は後で話すから、冷める前に食べてみて」
そう言って、エリスはおぼんに手をかけるが……
「待ってください。その前に」
クレアが、それを制止する。
そして、振り返ったエリスの目を見つめて。
「……『ちゃんと好き』って……どういう意味ですか?」
先ほど呟いた彼女の言葉について、尋ねた。
まさかそんなことを聞かれると思っていなかったエリスは、大いに焦る。
「……だ、だって……」
「だって?」
「…………あんたが、『自分の片想いなのか』なんて、言うから……」
エリスはやっとの思いで、振り絞るように答えた。
言葉足らずな返答だったが、クレアには……それで充分だった。
……なるほど。
自分からキスできなかったことを、ここまで気にしていたとは。
「……すみません。少し、意地悪が過ぎましたね」
「……え?」
聞き返すエリスに、クレアは穏やかに微笑む。
「……本当は、もの凄く伝わっていますよ。貴女の気持ち。だって……私は貴女を、二年以上も前から見てきたのですから。他人に無関心だったはずの貴女が、薬を飲ませたり、汗を拭いたり、苦手な料理をしてくれたり……一生懸命看病してくれるというだけで、どれだけ大事に想われているのか、痛い程わかります。たった一回のキスよりも、何倍も大きく伝わってきますよ。本当にありがとうございます。私は世界で一番の幸せ者です」
そんな風に言われ。
エリスの心がじんわりと、温かくなってゆく。
……よかった。
あたしの気持ち……ちゃんと、クレアに伝わってた。
胸がきゅーっとなり、何も言えなくなるエリスに……
クレアは、ニヤリと笑うと、
「もちろん、直接的な愛情表現も大歓迎ですよ。次はもっと上手く寝たふりをするので……ぜひ唇に、お願いします」
「なっ……!!」
からかうように言われ、エリスは顔を真っ赤にする。
クレアは「あはは」と笑って、
「何にせよ、今は風邪を治すことが先決ですね。貴女に移してしまうのが怖くて、キスもハグもできません。ということで……」
自分のお腹を、ぽんっと押さえると、
「……お腹が空いてしまいました。エリス特製のお粥、食べさせていただいてもよろしいでしょうか?」
そう、微笑みながら言った。
「……はい、あーん」
部屋の灯りに照らされた、スープ粥の皿。
スプーンに乗せた肉団子を、ふーふーして冷ましてから。
エリスはそれを、クレアに差し出した。
クレアはぱくっ、と口に入れ。
スプーンを離し、咀嚼する。
瞬間。
「……うっっっま……っ」
彼は……涙を流し、昇天した。
塩ベースの優しい味付け。
口に入れた瞬間、ほろほろと解けるような食感。
それは、今まで食べたことのない不思議な肉団子だった。
「えぇ……何コレ、神美味い……すごいふわふわしてる……繋ぎに何か入れているのですか?」
「スタタ芋よ。すり下ろして鶏肉と混ぜたの」
「なるほど。それでこんな食感に……いやぁ、生きている内にエリスの美味しい手料理が食べられるなんて……感無量です」
「どーいうイミよ」
「だって、冗談抜きで料理出来なかったじゃないですか。何で急に作れるように? もしかして、愛の力……?」
「ばっ……恥ずかしいこと言わないでよ!!」
「いや、でも本当に美味いです……ありがとうございます。これならすぐにでも良くなりそうです」
そう言いながら。
クレアは徐ろに、さっきまで寝るのに使っていた枕を……
ぎゅぅうっ! と、胸に抱いた。
……その謎の行動を、エリスはジト目で見つめ、
「……何してんの?」
「本当はエリスを抱きしめたいのですが、出来ないので枕を身代わりにしているのです。こうして愛情を放熱しないと、すぐにでも内部爆発を起こしてしまいそうで」
なんてことを、大真面目に言うので。
何をまた馬鹿なことを……と、エリスは言いかけるが。
……自分の代わりにクレアに抱かれている枕を見つめていたら……なんだかモヤモヤしてきてしまい。
「……だめっ」
ぱっ。と、枕を彼から取り上げる。
そして、
「……ま、枕になんか放熱しないで……ちゃんと、本物ぎゅってするまで取っといてよ……っ」
そう言って、彼を睨み付けた。
そのセリフが、トリガーとなった。
先ほどのほっぺちゅーや、『好き』の言葉。
エリスの初めての手料理。からの『あーん』。
加えて……枕への、嫉妬。
ただでさえ蓄積されていた"尊み"ゲージが、一気にカンストし……
「……ごふぅっ!!」
クレアは……吐血した(二回目)。
「ちょ、また?!」
「クソッ、こんなの拷問だ……今すぐ抱きしめてキスしたいのに、それが出来ないだなんて……!!」
「あの! 心の声がダダ漏れなんだけど?!」
「早く、一刻も早く治さなければ……このままだと、死ぬ……っ!!」
……と、何やらいろいろと限界な様子のクレアを見て。
「……あっ、そうだ」
エリスは何かを思い出したように声を上げると、スカートのポケットに手を入れる。
「そういえば薬屋さんで……はい。栄養ドリンクもらってきたの。これを飲めば、もっと早く元気になれるかも」
と、おまけでもらったそれを、クレアに手渡した。
それから、にこっと微笑んで、
「クレア、ずっと食べたかったものがあるって言ってたもんね。早く治して、思いっきり食べようね」
彼を落ち着かせようと、言ったつもりだった。
……が、しかし。
そのセリフに、クレアは……
今まさに、目の前にある『食べたいもの』を我慢させられていて。
『治ったら思いっきり食べていい』と言われたことにより。
体調と、欲望と、理性とがせめぎ合い、互いを相殺した結果……
……白目を剥いて気絶した。
「えっ、なんで?! ちょっとクレア!? しっかりしてーっ!!」
エリスにガクガクと肩を揺すられながら。
……嗚呼、これはもう……絶対に一日で治してやろう……
と、心に誓うクレアであった……
──その後。
クレアは無事、エリス特製のお粥をすべて平らげ、薬と栄養ドリンクを飲み。
シャワーを浴びてから、眠りに就いた。
その隣のベッドで、一日看病をやり切ったエリスも。
彼の寝顔を満足げに眺めてから。
静かに、瞼を閉じた──
* * * *
──翌朝。
「……ん?」
エリスは、自分のベッドが軋む音で目が覚めた。
重い瞼を開けると……
……目の前に、クレアがいた。
「…………へ?!」
一気に覚醒し、状況を確認すると……クレアが上から覆い被さるようにして、顔を近付けていた。
彼はすっかり血色の良くなった顔で爽やかに笑うと、
「おはようございます、エリス」
「お、おはよう……具合はどう?」
「おかげさまで、すっかり良くなりました。熱も下がったようです。むしろ……"元気"すぎて困るくらいです」
「そ、そう……? ならよかった。……で。すごく近いけど、なに?」
「えぇ。風邪も治ったので……約束通り、本物をぎゅっとしに来ました」
言うなり。
クレアは、ベッドに入り込んで……
エリスの身体を、強く抱きしめた。
不意を突かれ、彼女の心臓がどきっと跳ね上がる。
「……エリス」
「な、何?」
「看病していただき、本当にありがとうございました。……嬉しかったです」
「……別に、大したことしてないけど」
「それで……私が『ずっと食べたかったもの』、食べてしまっても……よろしいですか?」
「え? あぁ、うん。すぐに仕度するから、一緒に食べに……」
「貴女ですよ」
エリスの言葉を遮るように。
クレアは、彼女の瞳を真っ直ぐに見つめる。
「私が食べたいのは…………エリス。貴女です。意味、わかりますか? つまり…………」
エリスの耳元に、そっと口を近付け。
クレアは……その意味を、伝えた。
聞いた瞬間、エリスの顔がぼふんっ! と湯気を噴き出す。
「なっ、えっ、そ……い、今から?!」
「はい。正直、一晩我慢できただけでも奇跡です。何せ……あの栄養ドリンクをいただいてから、なんだか妙な熱を持ってしまいまして。最初は風邪によるものかと思ったのですが……どうやら、違うみたいです」
あ、アレ……やっぱりヘンな薬だったんか!!!
脳内で愕然とするも、時既に遅し。
クレアは、エリスの頬に手を添えると、
「……大丈夫です。うんと優しくします。貴女が慣れるまで、たっぷり時間をかけて、私の愛を伝えますから。受け止めてください」
そう、囁いてから。
唇を……重ねてきた。
ま……待って。いくらなんでも急すぎる……!
止めなきゃ……そう、頭では思っているのに。
彼のくちづけに、あっという間に思考力を奪われる。
クレアの唇が、耳へ、首へ、鎖骨へ……順番に、キスの足跡をつけてゆく。
くすぐったいのに。恥ずかしいのに。
……本気で止めようとしていない自分がいる。
熱い。
触れられたところから火が点きそうなくらいに、熱くて。
脳みそが、とろとろにとけちゃいそうなくらいに……
熱……………
「………って、あっっつ!!!」
そう声を上げたのは………クレアの方だった。
何故なら。
……エリスの身体が、異常な程の熱を帯びていたから。
これは……ひょっとして………
「既に……移っている……?」
額に汗を浮かべるクレアの目の前で……
エリスが「くしゅんっ」と、くしゃみをした。
* * * *
──街医者に診てもらった結果。
エリスも無事、風邪であると診断された。
まぁ、あれだけ毎日キスしていたのだから無理もないか……
と、クレアは責任を感じて、徹底的にエリスを看病した。
嗚呼。これでまた、『食べたいもの』はしばらくお預けかな……
なんて、クレアは少々残念に思うが、
「ふぁぁ、これすっっごくおいひぃ……クレア天才……しゅき……」
彼が作った『とろとろ餡かけたまご粥』を食べ、鼻水を垂らしながら幸せそうに呟くエリスを見て。
……まぁ、焦る必要もないか。
今のままでも充分、幸せだ。
と、穏やかな気持ちになるのだった──
──が。
やはり、したいものはしたいので。
「さて、エリス。ご飯の後はお薬ですよ」
「ありがと。あぁ、寒気が……早く飲んで寝なきゃ……」
「そうですね。しかし……『飲む』と言うよりは、『挿れる』ですかね」
「…………は?」
「ほら、コレ」
「…………それって……」
「座薬です。高熱にはコレが一番でしょう」
「え……でもお医者さんは座薬出すなんて一言も……」
「『彼女が熱風邪だ』って言ったら、親切な薬屋さんがくれました」
「(……あ……あンの薬屋ぁぁああああっ!!!!)」
「ふふ、大丈夫ですよ。私がちゃあんと……優しく、挿れてあげますからね」
「待って! ほんとにムリ!! そんなんさせられるワケない!!」
「何故です? 恋人同士なのですから、遠慮することはありませんよ」
「遠慮とかそういう問題じゃない! 恋人だからこそ……どうせ見られるなら、普通にそういうコトする流れでの方がまだマシっ!!」
「……言いましたね?」
「…………ぁ」
「わかりました。では、座薬はやめてこちらの飲み薬にしましょう。早く治して……今朝の続きのそういうコト、しましょうね」
「くっ……言わせたわね、このヘンタイっ!」
「はいはい。その変態が、夜は『かぼちゃとさつまいものミルク粥』を作ってあげますから。楽しみにしていてくださいね」
「しゅきっ♡」
「(嗚呼、チョロかわいい……)」
*おしまい*
番外編 第一弾、お読みいただきありがとうございました。
いい話では終われないところが変態の変態たる所以です。毎回のことながら本当にすみません。
完結ハイで思う存分イチャつかせてしまいましたが……お楽しみいただけていたらさいわいです。
次回、番外編 第二弾は、いよいよ恋人たちの楽園・アルピエゴが舞台となります。
まだまだ付き合いたての二人を、果たして何が待ち受けているのでしょうか……
引き続き、よろしくお願いします!