エリシア・エヴァンシスカちゃんはキスができない③
さて、次は食材の準備だ。
どピンクな薬屋を出ると、エリスは商店街に向かい八百屋を訪ねた。
わずか半年ほどではあったが、エリスも八百屋で売り子をしていた経験がある。野菜の目利きには自信があった。
彼女はあらかじめ買うことを決めていたニンジン、大根、生姜と、ねばねばとした身が特徴のスタタ芋を手早く選び……
さっと会計を済ませて、今度は肉屋へと移動した。
そこでも彼女は迷わず鶏の挽き肉を購入。これで、必要なものはすべて揃った。
両手いっぱいに袋を抱えて、エリスは元来た道を戻り……宿屋へと帰って来た。
「──あぁ、おかえり。お、いっぱい買ってきたねぇ」
中へ入ると女将がエリスに気付き、袋を半分持ってくれた。
そのまま一階奥の厨房へと案内され、二人は調理台にドサッと食材を置く。
「作り始める前に、お昼の分の薬飲ませてくる」
エリスが言うと、女将は水をコップに入れて渡してくれた。エリスは礼を述べ、二階の宿泊部屋へと向かう。
──コンコン。
ドアを小さくノックをしてみるが、返事はない。
そっと開けて中に入ると……やはりクレアは、眠っているようだった。
近付いて見てみると、額にはうっすらと汗が滲んでいた。呼吸も荒い。
起こすのは忍びないが……熱を下げるためにも、薬を飲ませなければ。
「クレア、薬もらってきたよ。起きられる?」
少し身体を揺すりながら呼びかけると、クレアはゆっくりと瞼を開けた。
「……すみません……お手数おかけして……」
「いいから、はい。薬飲んで。今タオル持ってくるから」
起き上がった彼に薬の包みとコップを手渡すと、エリスは自分の鞄からタオルを取り出す。
そして魔法陣を描き、水の精霊・ヘラを呼び……タオルを、ちょうどいい塩梅に濡らした。
ベッドに戻り、クレアが飲み終えた薬の包み紙とコップを回収する。それから、
「……ほら。汗拭くから、目閉じて」
タオルを見せながら言う。
クレアはぼーっとした表情のまま……大人しく、目を閉じた。
少し冷たかったのか、額にタオルを当てた瞬間、クレアの眉がぴくっと動いた。
エリスは汗と熱とを拭き取るように、額、頬、首筋と、順番にタオルを当ててゆく。
できる限りのことをしてやらなきゃと、夢中で拭いていたエリスだったが……
……目を伏せ、無防備な状態のクレアの顔が、目の前にあるという事実に気が付き……
途端に、意識し始めてしまう。
……こうしてあらためて見ると、なんて整った顔立ちしてんだろ。
目も綺麗だし、鼻筋も通ってるし……ほんと、黙っていれば顔だけでモテるんだろうな。黙っていれば。
……キスくらい、できなきゃ。
ちゃんと「好きだよ」って、伝えられなきゃ。
いつか他のコに……取られちゃったりするのかな。
あたしなんかより、もっともっと、愛情表現が上手なコに。
……そんなの、嫌だな。
さっきは、できなかったけど……
今なら……
…………キス、できるかな……
……少しだけ、身体を震わせて。
エリスは、クレアの唇に、近付いていく………
……………と。
──ぱち。
エリスの手が止まったことを疑問に思ったクレアが、目を開けた。
ばっちり目が合ってしまい、エリスは慌てて顔を引っ込め、
「は……はいっ、おしまい! さっぱりした?!」
クレアの両頬をぱちんっ! と手で挟んで、誤魔化した。
彼は頬を挟まれながらもコクコク頷き、返事をする。
「ふぁい。ありがとうございまふ」
「じゃ、あたし晩ご飯の準備してくるから。このタオルおでこに当てて寝てなさい。いいわね?!」
ぐいっ、と彼にタオルを押し付け、エリスは足早に部屋を後にした。
そして廊下に出て、ドアに寄りかかるように背を預けると……
「……はぁぁ」
自分の可愛くなさにほとほと嫌気がさし。
大きな大きな、ため息をついた。
一階の厨房では、宿屋の女将が鍋や包丁の準備をして待っていた。
エリスがどんよりした顔で戻って来たので、女将は心配になって尋ねる。
「彼氏さん、どうだった?」
「えっ?! あぁ、うん……とりあえず薬は飲めた」
「そうかい。それで? お嬢さんは、彼に何を作ってあげるつもりなんだい?」
と、調理台に広げた食材に目を向ける。
エリスは、気持ちを切り替えるように顔を上げると、
「──『根菜と鶏団子のスープ粥』よ」
はっきりとした声で、料理名を発表した。
「スタタ芋は滋養強壮に効果があるでしょ? すり下ろして鶏ひき肉と混ぜれば、ふわふわの肉団子になると思って。生姜をたっぷり入れれば身体もあったまるし、根菜は消化にもいい。風邪にはぴったりのメニューよ。ただ、さすがに生米は買えなかったから、ご飯だけ分けてもらえると助かるの。お代は払うから」
「あぁ、いいよいいよ。昼に炊いたのがあるから、それを使いな。にしても、なかなかいいメニューじゃないか。料理苦手って言ってたけど、自分で考えたのかい?」
「考えるだけならできるのよ。食べるの好きだし、いろんな料理に触れてきたから知識もある。けど……作るのなると、何故か手元が狂うのよね」
「それは……何ともままならないねぇ」
「でしょ? だから助けてね、女将さん」
苦笑するエリスに、女将は「まかしときな」と力強く答えた。
まず、火の通りにくい根菜の調理から始める。
女将に協力してもらいながら、エリスはニンジンと大根を細かく賽の目に切っていく。
ぎこちなくはあるが、均等に丁寧に切っていくエリスの手元を眺め、女将が「ほぅ」と口を開く。
「なんだ、包丁使えるじゃないか」
「切るところまではいいのよ……火や水を使う段階になると危険なの」
一体何がどうなってしまうのか……女将はゴクッと喉を鳴らしながらも、少しだけ見てみたい衝動に駆られた。
切り終えたニンジンと大根を煮る前に、軽く油で炒める。
エリスはこれを女将に任せている間に、スタタ芋をすり下ろし、ひき肉と混ぜる行程に取り掛かるつもりでいたのだが。
「ねぇ。横で見ていてやるから、ちょっと炒めてみなよ」
女将が、何故かわくわくした表情を向けてそんなことを言い出した。
エリスはジトッとした目でそれを見返し、
「……本当に、やめておいたほうがいいと思うけど」
「えぇ? せいぜい火加減間違えて焦がしちゃうとか、そんなところだろう? おばさんだって若い頃はよくやったさ。教えてあげるからやってみなよ。じゃないと、今後も彼氏さんにご飯作ってやれないだろう?」
……なんて、彼氏を引き合いに出されたものだから。
エリスは、考え込むように暫し黙り込み。
「………わかった。でも、切った食材全部使うと取り返しのつかないことになるから。ちょっとだけね」
「あぁ、それでもいいよ。とにかくやってみな?」
エリスは心底気が進まない様子で鍋を手に取ると、かまどへとそれを運ぶ。
少ししゃがんで、かまどの中に薪が入っていることを確認してから、女将から受け取ったマッチで火を灯した。
上手く火が点いたらしく、鍋が徐々に熱せられてゆく。
エリスは鍋の中に油を敷き、十分にあたためてから……
「……それじゃあ、入れるよ」
そう、断りを入れてから。
エリスは、細かく切ったニンジンと大根を一掴みだけ、鍋の中に投入した。
瞬間!
──ぼふんっ!!
……と音を立てて。
鍋の中が、爆発した。
真っ黒焦げになった野菜たちが飛び散り、もくもくと煙が立ち上る。
突然の小爆発に、女将は顎が外れんばかりに口をあんぐりと開けた。
エリスはひょいっと肩をすくめて、
「だから言ったでしょ? 火を使おうした瞬間、いつもこうなるのよ。試しにお水も入れてみる?」
と、エリスは徐ろにお椀一杯分の水を鍋に投入。すると今度は……ジュワッ!! と蒸気を上げて、一瞬で蒸発してしまった。
はぁ……と、エリスはため息をついて、
「ほらね。やっぱりあたし、料理向いてないのよ」
「いや……いやいやいや! 向き・不向きってレベルじゃないよ!! もはや超常現象じゃないか!!!」
と、女将が全力でツッコむ。
しかしエリスは、やはり諦めたように首を振り、
「親戚のおばさんには『食材に対する愛が強すぎて暴走してる』って言われたわ。確かにあたし、食べることには命かけているし……」
「気持ちの問題じゃないだろコレ!? えぇ?! 手品か魔法の類いなんじゃないのかい?! 見たことないよこんなの?!」
「きっと自分で美味しいもの作れたら一生料理しかしなくなるから、神さまが規制をかけたのね。残念ながら、手品でも魔法でも……」
ない。
……そう、言いかけて。
ふと、エリスは言葉を止める。
………魔法?
確かに、言われてみれば魔法で引き起こした現象に似ている気が……
エリスはぺろっと舌を出し、周囲の精霊を念入りに探る。
すると……炎の精霊・フロルと、水の精霊・ヘラが、鍋の周りに漂っているようで……
「……まさか……」
エリスの頭に、一つの仮説が浮かぶ。
まだ精霊が人の目に見えていた時代、彼らは人間に協力し、その衣食住を支えていた。
そして精霊は、人々の『いてほしい』という願いを源にし存在している。
……もしかすると、あたしの『めちゃくちゃ美味しいものを作りたい!』っていう強すぎる思いが"願い"となって……知らず知らずの内に精霊を呼んでしまっているのか……?
普通ならあり得ないが、何せ精霊と人々を繋いでいた『巫女』の生まれ変わりだ。味覚と嗅覚とで精霊を認識できている時点で十分イレギュラー。他に何か影響があったっておかしくはない。
ならば……
一か八か、試してみるか。
エリスは、静かに目を閉じて。
心の中で、精霊に呼びかけた。
「(……フロル、ヘラ……気付かない内にあなた達を呼んでしまったみたいで申し訳ないけど、あたしは別に、あなた達に手伝ってもらいたいわけじゃないの。
ちゃんと自分の力で、大切な人にご飯を作ってあげたいのよ。だから…………余計なことすんな)」
そう念じると。
鍋の周りにいた精霊たちのにおいが、物凄い勢いで飛び去っていった。
エリスは少し申し訳ないと思いつつも、パッと顔を上げて、
「……女将さん。もう一度だけ、試してみてもいい?」
エリスは、飛び散った焦げ野菜を拾っていた女将にそう投げかける。
女将は、少し心配げな表情を浮かべるが……
「……いいよ。気が済むまでやってみな」
そう言って、笑ってくれた。
焦げ付いた鍋を洗い、もう一度火にかける。
油を敷き、熱が通ったら……
「……………」
ごくっ。
エリスは一度、喉を鳴らして。
再び、野菜を一掴み分、鍋に投入した。
すると、
──……じゅうぅぅっ。
食材に火が通る音。
爆発は、しなかった。
「おおっ! 今度は大丈夫そうだね!!」
おっかなびっくり見守っていた女将が、安心したように鍋を覗き込む。
エリスはまだ緊張を解かないまま、ニンジンと大根を全て鍋の中に入れるが……やはり、何も起きない。
木べらで均等に炒め、今度は水を追加。これもクリア。
「……やった。あたし……料理が、できる……!!」
エリスは目をキラキラさせて、拳を高く突き上げた。
その横で、女将は何故か感動した面持ちで拍手をした。
これなら……クレアに、とびきり美味しいご飯を作ってあげられる……!
その事実に、エリスは心を躍らせ、
「よーしっ! 煮込んでいる間に肉団子も作るぞーっ!!」
意気揚々と、腕まくりをした。