エリシア・エヴァンシスカちゃんはキスができない②
「──すみません。連れが風邪で倒れちゃって……延泊ってできますか?」
エリスは一階に降り、カウンターにいたお団子頭のふくよかな女性……宿屋の女将に声をかけた。
女将は宿泊台帳をめくりながら名前を確認し、頷く。
「あぁ、ツインルームのお客さんね。連れって、あのイケメンな彼氏のことかい?」
にまにまと笑いながら聞かれ、エリスは「へっ?!」と顔を赤らめてから……
「…………そ、そうです」
しおしおと小さくなりながら、そう答えた。
すると女将は、追い討ちをかけるように、
「はは、見たところ付き合いたてだね? せっかく同じ部屋に泊まれたのに、残念だねぇ」
「べっ!別に残念とかじゃないし! それより延泊できるのか教えてよ!!」
「あぁ、ごめんごめん。……うん、大丈夫だよ。三泊までなら延長できる」
「よかった。じゃあとりあえずもう一泊延長で。あと……厨房って借りられたりする?」
「厨房? 何に使うんだい?」
そう聞き返され。
エリスは少し、もじもじしながら、
「……晩ご飯、作ってあげようと思って。包丁とまな板とお鍋借りられたら、それで十分なんだけど……」
なんて、照れたように言うので。
女将は、何故か胸がきゅーんとなり、
「……わかった。なんならおばさんも手伝う」
「ほんと?!」
「あぁ。今日のお客さんはみんな他所で食べるっていうから、夕飯作る予定なくて暇なのさ。調味料も、好きなのを使っていいよ」
「ありがとう! 実はあたし、料理はからきし駄目で……手伝ってもらえるならすごく助かる。あ、そうそう。ここから一番近い薬屋ってどこにあるかな。まずは薬をもらってこなきゃ」
「薬屋なら、ここを右に出て三つ目の角を左に曲がれば、すぐに見えてくるよ」
「意外と近いのね。よかった。ありがとう!」
エリスはお礼を述べるとカウンターから離れ、
「薬もらって、そのまま食材も買ってくる! またあとでお願いね、女将さん!」
一度振り返り、女将に笑顔を向けて、宿の外へと駆けて行った。
その後ろ姿を見送り、女将は頬に手を当てて、
「はぁ……若いって、いいわねぇ」
一人うっとりと、呟いた。
──思っていたよりもずっと上手くいった。
……と、宿を出たエリスは、思わず笑みを浮かべた。
クレアに滋養があるものを食べさせてあげたい。出来れば作りたての、温かいものを……と思ってはいたが。
自分の料理の腕が壊滅的であることは百も承知なので、上手いこと宿の人に協力してもらいたいと考えていたのだ。
「んふ。親切な女将さんでよかった♪」
エリスは軽い足取りで、女将に言われた通り三つ目の角を曲がり、薬屋を目指した。
医者がしてくれるのは、診察と処置まで。薬は、専門の薬屋で手に入れなければならないのだ。
……と、程なくしてエリスは薬屋の看板を見つけた。
駆け寄って、店の前に立つ……が。
「……え゛」
その店構えを見て、絶句した。何故なら……
ど ピ ン ク 。
壁面から扉から窓枠から、何もかもが、どギツいピンク色で塗装されていたのだ。
しかし、看板には間違いなく『薬屋』の文字があり……
「……変わった店」
とりあえずここで間違いなさそうなので、エリスは意を決して入ることにした。
店の中は、案外普通だった。壁もカウンターも、塗装されていない木材の色そのままだ。
薬の元となる植物の葉や実、根っこなどを乾燥させたものが瓶詰めされ、あちこちに積まれている。薬に関するものだろうか、辞典のように分厚い本が本棚にずらりと並んでいた。
薬屋独特のにおいを感じながら、エリスが誰もいない店内に「すみませーん」と呼びかけると、
「はいはーい! あら、可愛いコ。いらっしゃーい♪」
そんな明るい声と共にカウンターの奥から出て来たのは……
妙齢の女性だった。長身でスタイルの良い美人である。ショートカットの艶やかな金髪に、ピンク色のメッシュ。エメラルドグリーンの瞳には、銀フレームの眼鏡がかけられていた。
他に誰もいないところを見ると……この女性が、店主なのだろうか?
エリスは医師にもらった処方箋を取り出し、女性に渡す。
「医者から、この薬をもらうようにって言われました」
「ほうほう、どれどれ。んー……見たところ、熱風邪の症状と……怪我でもしているのかしら、痛み止めも必要なのね」
と、店主らしき女性は眼鏡を持ち上げながら処方箋を眺める。
「でもコレ、あなたのものではないわね? だって書かれている患者名が男性だもん」
「あ、はい。連れが熱出して倒れちゃって……」
「…………」
すると女性は、エリスの顔をずいっと覗き込み、
「……カレシ?」
「なっ! ……えぇ、まぁ、そんなところです」
「いやぁ〜ん♡ 風邪引いたカレシのためにお薬もらいに来たのね♡ わかったわ。おねーさんが今最っ高にキクお薬作ってあげるから。座って待ってて♡」
そう言って、スキップをしながらカウンターの向こうへと戻って行った。
宿屋の女将といい、みんなして彼氏カレシって……なんなんだこの街の住人は……
エリスは赤くなった顔を手で扇ぎながら、壁際に置かれた椅子に座った。
薬を作り始めたのだろうか、女性が消えたカウンターの奥からは、ゴリゴリと何かをすり潰すような音が聞こえてくる。
それを聞きながら、しばらくぼーっと店内を見回していたエリスだったが……
「……カレシ、かぁ」
そう呟いてから。
ふと……先ほど言われた、クレアの言葉を思い出す。
『なんだか悲しくなってきました。やはり、私の片想いなのでしょうか……』
……うっ。思い出しただけで胸が痛む……
エリスは、痛む胸を押さえてから。
はぁ……と、ため息をついた。
……もちろん、クレアのことは好きだ。
キス自体が嫌なわけではない。
ただ……恥ずかしいだけ。
だって、想像すらしていなかったのだ。
こんな風に、誰かを好きになって……恋人同士になるだなんて。
だから自分が、普通のカップルみたいにキスとかをしていることが、なんか変で……
どうしようもなく、恥ずかしいのだ。
しかし、どうやらそのせいでクレアを不安にさせてしまっているらしい。
あたしがうまく、気持ちを表現できていないから……
ちゃんと好きなのに、それがあいつに伝わっていない。
だから……
『エリスは何も、気にしないでくださいね』
……あんなこと、言われちゃうんだ。
たしかに、「大好き」って口にしたのも一回だけだしなぁ……
だけど「好き」って、あらためて言葉にするタイミングなくない……?キスは人体の構造的に無理だったし……
あああもう!!
好きな気持ちって、どうやって伝えたらいいの?!
うがーっ!
とエリスが頭を掻き毟っていると……店の奥から、店主の女性が戻って来た。
「おまたせーっ! お薬できたわよん♪」
「あ、ありがとうございます」
「んふふ。特別にハイ、コレ。ちょー"元気"になる精力ざ……じゃなくて、栄養ドリンク♡ サービスで付けとくから、カレシさんに飲ませてあげてね♡」
……なんて言いながら、液体の入った小さな瓶を差し出してくるので、エリスは不審な眼差しを向ける。
「……大丈夫なの、ソレ。法に触れるものじゃないでしょうね?」
「だぁいじょうぶよん♡ マムシとスッポンのエキスで作った、ただの滋養薬よ♡ あなただって早くカレシさんに"元気"になってもらいたいでしょ?」
「ま、まぁ……それはそうだけど……」
「んで、こっちが風邪のお薬。食後に一包ずつ飲ませてあげてね♡」
笑顔でごり押しされ、エリスは不安になりつつも栄養ドリンクと薬の袋を受け取った。
そして代金を支払い、お釣りを受け取った時、
「ひょっとして、アルピエゴ領に向かってるの?」
そう聞かれたので、エリスは少し驚きながら頷く。
「うん、なんでわかったの?」
「だって、最近若いカップルに超人気の旅行先だもの。みんなこの街を通っていくわ」
そうか、それで……
どこも宿はいっぱいだし、みんなして彼氏カレシ聞いてきたのか。
エリスが一人納得していると、女性が続けて、
「アルピエゴなんて元々なんもないド田舎だったけど、数年前に領主が変わってから『若い人を集めよう!』って街を改築したり制度を見直したり、いろいろ新しいことをやり始めたのよ。新婚さんの移住者も増えているんだって」
「へぇ……本当に噂の通りなんだ」
「実は私、実家がアルピエゴにあるんだけど……あまりにカップルが増えていたたまれなくなって、それで去年ここに店を移して来たの。あいつらほんと、所構わずイチャつくからさぁ……何度毒薬撒き散らそうと思ったことか♡」
「…………!!」
エリスは受け取った薬の袋をガサッ! とカウンターに置き、一気に彼女と距離を取る!!
毛を逆立て警戒するエリスに、女性は「あはは」と笑って、
「うそうそ、冗談よ♡ いい加減家を出ろって、親に追い出されちゃったの。妹はとっくに独り立ちしているのに姉のお前は何やってんだー、ってね。ウチは代々薬屋の家系だから、腕は間違いないわよ。毒なんか入ってないから安心して♡」
と、エリスが手放した袋を手に取り、再び差し出す。
それでもエリスは近付こうとしないので、女性はにこっと微笑んで、
「……アルピエゴに行けば、きっといろんな刺激をもらえるわ。カレシさんともっともっと仲良くなれるかもしれないから……楽しんで来てね♡」
そう、優しく言った。
その言葉に、エリスはじっと黙り込んでから……
「……どうも」
と、小さく返して。
薬の入った袋を、受け取った。
さて、ここで問題です。(唐突)
この薬屋のおねーさん、一体何者でしょうか。
ヒントは、「アルピエゴ」。
実は本編の第一部に一度だけ登場している地名なのです。
答えは 2020/01/26 の活動報告に載せていますので、よろしければご覧ください。
※ちなみにわからなくても内容的にはまったく問題ありません。