18 ずっと貴女を見ていました
それから。
五人は"秘密の隠れ家"だった洞窟を後にし、ブルーノの家へと戻ってきた。
エリスはようやく手錠を外された手をぶらぶらさせながら、
「こんないい剣が手に入るなら、新しいの買う必要なかったわね」
と、クレアが座る椅子の横に立てかけられた『元・風別ツ劔』に目を向ける。
数百年前に創られ、二十五年間もシュプーフの喉に刺さっていたというのに、その劔は錆どころか刃こぼれ一つしていなかった。
クレアもつられるように劔を見つめながら、
「えぇ。魔法の力はなくなりましたが、剣として見てもかなりの上物です。これ、このまま使っちゃってもよろしいですか?」
「どーぞどーぞ。なんなら昨日買ったヤツ返品してこない? まだ一回も使っていないし」
「返品……やば、領収書取っといてあるかな……ちょっと財布の中探してみてもいいですか?」
「じゃなぁぁあああいっ!!」
ダンッ!
……と、シルフィーが拳をテーブルに叩きつける。
「あの! お二人の中では完結しているかもしれませんが、私たちまっったく状況が飲み込めていないんですけど!? 一体あの時、お二人は何を見たのですか?! どうして劔は抜けたんですか?!」
そう、鼻息を荒くして捲し立てるので。
エリスとクレアは、一度顔を見合わせてから。
あの時見た精霊の記憶を……シルフィーたちに、話して聞かせた。
──精霊を、肉眼で認識できていた時代が存在したこと。
精霊たちを統べる"王"がいたこと。
彼らは、人間による『いてほしい』という想いを糧にしていること。
そして、人間と精霊を正しく導こうとする『巫女』がいたこと。
人間たちは自身の欲望のために、争いに精霊を使うようになり……
その中で、精霊を無理矢理すり潰し創り上げたのが『風別ツ劔』をはじめとする七つの呪われた武器。
人間と精霊の行く末を案じた『巫女』は、死の淵で"精霊の王"に「精霊たちを隠して」と願った。
突然精霊が姿を消したことで首領たちは激昂し、"精霊の王"に戦いを挑み……
結果、七つの武器は世界のどこかに飛ばされ、"王"は井戸の底に封印されてしまった。
「──で。その成れの果てが、あの"水瓶男"ってことなの」
「それじゃあ、儂らが『封魔伝説』として聞かされてきた話は……『悪い人間たちに封印された"精霊の王さま"』という真実を隠すためのものだった、ということか」
「そゆこと。"水瓶男"の寓話も、井戸に近寄らせないために作られたものだったんでしょうね」
「だから"水瓶男"は、伝説の武器を探していたんですね。大昔に閉じ込められた精霊を助け出すために……」
「私たちに直接攻撃をしかけてこなかったのも、そういう理由だったのね」
シルフィーとチェロが、納得した様子で頷く。
そして、チェロはふと、身に纏っていた白衣の内側から精霊封じの小瓶をバラバラと取り出し……
その栓を開け、中の精霊を解き放った。
「……まさか精霊に、意志があっただなんてね。酸素と同じ、空気中を漂うただの物質だと思ってた。こんな話を聞いてしまったら……閉じ込めておくことなんて、できないわ」
「チェロ……」
自身の研究成果であるそれを否定するような口ぶりに、エリスは少し複雑な表情を浮かべる。
しかしチェロは微笑んで、
「そんな顔しないで、エリス。知っての通り、私は天才にして秀才なエリート教師だから。またすぐに新しい技術を開発するわ。もっと、精霊の存在を尊重できるようなものをね」
迷いなくそう言うので、エリスも「ん」と笑顔を返した。
「それで……エリスが最後に"水瓶男"と交わした会話は、一体どういう意味だったの?」
「確かに。以前からの知り合いみたいな口ぶりでしたよね」
瓶をひとつずつ開けながら、チェロとシルフィーが続けて尋ねる。
するとエリスは、「ああ」と思い出したように、
「その『巫女』っていうのの生まれ変わりが、どうやらあたしみたいなのよ」
……なんて、まるで他人事みたいなトーンで言うので。
チェロたちは、『……え?』と固まる。
代わりにクレアが口を開き、
「いやぁ、本当にエリスとそっくりでしたね。エリスが髪を伸ばしたらああなるのかと……大変参考になりました」
「見た目もそうだけど、その『巫女』が『生まれ変わっても精霊を見つけたい』と願ったことで、あたしが特異体質を持って生まれたみたい。まぁ、記憶は全っ然ないけどね」
「って、前世の記憶はないのですね。最後に"王"へ伝えたセリフ的に、てっきり記憶があるものと思っていました」
「ないない。あの時はああでも言わなきゃ言いくるめられなかったでしょ? またヘンな人間捕まえて、手荒な手段で武器探しされても困るしさぁ」
クレアの言葉に、エリスは肩をすくめながら答える。
その軽い口調に、シルフィーは唖然として、
「……記憶もないのに、前世の責任感じて、伝説の武器を全て見つけて解放する約束をしちゃった……ってことですか?」
「そういうことになるわね。さすがのあたしも、あんな歴史見せられたら『なんとかしなきゃ』って思うわよ。精霊への干渉があたしにしか出来ないっていうなら、やるしかないかなって」
「エリス……」
横で、クレアが思いつめたように彼女を見つめる。
しかしエリスは、明るい表情で息を吐くと、
「ということで。『風別ツ劔』も抜けて、シュプーフをただのイシャナに戻すことができたわけだけど。おじいさん、今の気持ちは?」
そう、ブルーノに尋ねた。
ブルーノは一度静かに瞼を閉じてから……
「……最高じゃ。まさか本当に、あいつを自由にしてやれる日が来るとは。ありがとう……本当に、ありがとう」
声を震わせながら、言う。
四人は微笑みながら、互いの顔を見合わせた。
エリスは、ブルーノの方にずいっと身を乗り出し、
「ね。最っ高の気分ならさ……やることは一つじゃない?」
言葉の真意がわからず、ブルーノが不思議そうに彼女を見返すと……
エリスは、ニタッと笑って、
「お祝い、しましょ? 美味しいご飯と、お酒で♡」
悪戯っぽく、そう言った。
ブルーノは……苦笑いをすると、
「……その『美味しいご飯』とやらは、一体誰が作るんじゃ?」
「もちろん、"一端の漁師さん"に決まってるじゃない。ね、またあのスープ作ってよ♡」
「……ったく、しょうがない娘じゃな。わかったよ。とびきり美味いのをこさえてやる」
清々しい笑みを浮かべながら、ぐいっと腕まくりをした。
──オレンジ色の明かりが灯る窓から、賑やかな笑い声が漏れ出る。
「ぎゃははは! 金髪のお嬢ちゃん、なかなかイケる口じゃの!」
「あったり前でしょ?! こちとら仕事のストレス発散するため毎日欠かさず飲んでるんだから!」
「やっぱりストレスの捌け口って大事ですよね〜。私なんかお酒は弱いし運動もできないし、一体何で発散すればいいのやら……」
……と、まだ日が高い内から飲み始めたブルーノ・チェロ・シルフィーは、したたかに酔っていた。
泣いたり笑ったりして騒ぎながら、なんともご機嫌な様子である。
それを眺めながら、エリスが何杯目かのスープを飲み干した時、
「──エリス」
向かいに座るクレアに、こそっと呼ばれる。
そしてそのまま、彼はちょいちょいと手招きをして、
「ちょっと、来てもらえますか?」
と席を立ち、賑やかな酔っ払いたちを置いて外へ出て行くので。
エリスは疑問に思いながらも、その後を追った。
「……どうしたの?」
後ろから声をかけると、彼は振り向いて、
「食事中にすみません。実は……エリスに、お話したいことがありまして」
少しあらたまった様子で、そう言う。
エリスは小首を傾げ、目をぱちくりさせ、
「……話したいこと?」
「はい。とても大事な話なので……場所を変えてもいいですか?」
やはり、いつになく真剣な表情をするクレアを不審に思いながらも。
エリスは、彼の後ろを歩き始めた。
──夕日が沈んだばかりの、いちばん星が輝く空の下。
先日、ステーキを食べた帰りに立ち寄ったのと同じ港まで、二人は歩いた。
今日も海は穏やかな波音を立てている。
二人は、あの時と同じように堤防の上に腰を下ろし……
そして座るのと同時に、クレアが口を開いた。
「……風の精霊のこと、チェロさんたちにも内緒にしたのですね」
「うん。約束しちゃったからね、誰にも言わないって。あたしも認識したことがない精霊ってことは、たぶんもうほとんどが消えちゃってるはずだから……話したところで誰にも見つけられはしないと思うけど」
「人に……忘れられたからでしょうか」
「そう。きっと風の精霊を上手く呼び出す呪文が完成しないまま、数百年の時が流れて……誰からも必要とされなくなって、あの劔に封じられたコたちしかいなくなっちゃったんだと思う」
「そこまで見抜いて精霊を説得するとは……本当にエリスはすごいです。貴女のおかげで、何もかも解決しました。ありがとうございます」
「いや、あたし一人じゃ無理だったわ。劔の呪いに飲み込まれそうだったし……あんたが半分請け負ってくれたから、なんとか干渉できたってだけよ。ていうかあんた、あの呪い大丈夫だったの?」
「え? はい、特になんともありませんでしたが」
「……劔の呪いより、あんたの闇の方がデカかったってことかしら」
「はは。それはどうでしょうかね」
「…………そんなことより……」
エリスは、少しだけ居住まいを正し、
「……話って、なに?」
そう、尋ねた。
クレアは俯き、言葉を選ぶように少し沈黙をしてから、
「……実は………私、貴女に嘘をついていることがあるのです」
彼女の目を見つめながら、そう切り出した。
エリスは、僅かに目を見開いて、
「うそ?」
「はい。全てが解決したので、きちんとお話しなければと思いまして。と言っても、何から話せば良いか……」
クレアは、少し宙を見つめてから。
一つひとつ、言葉を紡ぎだすように、語り始めた。
「……まず私は、アルアビス軍の中でも特殊な任務を請け負うアストライアーという部隊に身を置いていて……今も、その一員です。クビになったというのは、嘘。ここへは治安調査員ではなく、アストライアーとしての任務を遂行するため来ました」
「……うん。それで?」
「以前、私の恩師について話したことを覚えていますか? その人は、私がアストライアーに入隊した当初から育ててくれた上司でした。任務のことだけでなく、いろんなことを教えてくれた……父親のような存在でした。ですが二年前、その恩師は、とある事件で帰らぬ人となりました。彼の命を奪ったのが……禁呪の武器の一つ、『炎神ノ槍』です」
エリスは、驚いたように彼の顔を見る。
その視線を、クレアは静かに受け止め、
「『槍』を使用した首謀者の裏に"水瓶男"の影があることを掴んだ私は、恩師の無念を晴らすべく、その調査を進めました。そして……このイリオンで『風別ツ劔』を探しているという噂を耳にしたのです」
彼の言葉を、エリスは何も言わずに聞いている。
波の音だけが響く中、クレアは彼女を見つめたまま続ける。
「いざイリオンへ赴こうという時、軍部はもう一つ、重大な問題を抱えていました。それが……エリス、天才魔導士である貴女が『治安調査員になりたい』と言い出したことでした。貴女を国の重要ポストに迎えたいと考えていた軍部は、治安調査員と称して秘密裏に"水瓶男"追跡の任務に導こうと、私をパートナーに当てがったのです。……いえ、これも嘘ですね。何故なら……貴女をこの任務に就かせることを提案したのは、他でもない、私なのですから」
……そして、クレアは。
意を決したように、自身の拳を握りしめると。
「……エリス。その、亡くなった恩師というのは…………ジェフリー・ウォルクス。つまり、貴女のお父さまです」
と。
今までずっと隠してきた真実を、伝えた。
エリスの赤い瞳が、一際大きく見開かれる。
「……すみません。伝えるべきか、とても迷ったのですが……ジェフリーさんには本当にお世話になったので、彼の名誉のためにも真実を伝えたくて。貴女のお父さまは、家族を捨てたわけではありません。危険な任務に就いている自分と距離を置くことで、貴女たちを護っていたのです。その証拠に……彼は今際の際に、『妻と娘を見守ってほしい』と私に託して息を引き取りました」
「……父さんが……?」
エリスが、掠れた声で呟く。
クレアは頷き、
「そうです。私は、娘である貴女を探し、見つけました。そして、遺言に従って見守っている内に……両親を亡くしてもなお、強く生きようとする貴女の姿を追う内に…………いつの間にか、恋をしていました」
真っ直ぐに告げられた、そのセリフに。
エリスはほのかに頬を染め、唇をぎゅっと結ぶ。
しかしクレアは、自嘲気味に笑って、
「……本当に、冗談ではなくストーカーだったのですよ。ジェフリーさんの遺言に従っていたはずが……いつしか自分の意志で、貴女を追うようになっていた。挙句、側にいたいからとこんな危険な任務に巻き込んで……禁呪の武器の解放という大きすぎる荷を、貴女に背負わせてしまった」
一度目を閉じてから、彼は再び彼女の瞳を見つめる。
「私は貴女に、自由に生きていてほしいのです。美味しいものを食べて、好きなことをして……笑っていてほしいのです。だからこんな、前世のしがらみに縛られた生き方をさせようとしているだなんて、耐えられない。そうなるきっかけを作ってしまった自分が……許せないのです。エリス。禁呪の武器の捜索は、我々アストライアーが担います。だから、貴女はどうか……これからも貴女らしく、生きてください」
そう、願うように、言った。
身体が、震えていた。
それが自分に対する怒りによるものなのか、やっと全てを告白できた安堵によるものなのか……
……エリスが離れてゆく恐怖によるものなのか、わからなかった。
クレアの言葉を聞き終えたエリスは。
何度か、まばたきをして、
「それって、つまり……ここで、お別れってこと?」
「……そうなっても、仕方ないと思っています」
「……じゃあ、もう…………誕生日にお花、くれないの?」
……その言葉に。
クレアの心臓が跳ね上がる。
驚くクレアの顔を、エリスは覗き込み、
「アレくれていたの、あんたでしょ?」
「気付いて……いたのですか……?」
「なんとなく、そうかなーって思ってた」
「……いつから?」
「ピネーディアの街で、シュークリームを食べた時。あんたの指を……舐めたでしょ? その味と匂いが、花をくれた人のものに似ていたから。夢で、その人の指を舐めたような気がしていたけど……あれ、夢じゃなかったのね」
まさか勘付かれていたとは……
クレアが言葉を失っていると、エリスは肩をすくめて、
「おかしいと思っていたのよ。父さんがくれてた時は、あんな洒落たリボンなんか付いていなかったんだもの。父さんの身に何かあったのかな、っていうのも……薄々感じてた」
それから彼女は、ぐっとクレアに顔を近付けて、
「あたしに、あたしらしく生きて欲しいって? あんた、そんな前からあたしを見ていたんなら知ってるでしょ? あたしは、生きたいように生きるためなら"使えるものはなんでも使う"。だから……この『巫女』の生まれ変わりっていう立場も、利用してやるつもりでいるのよ」
「……どういう意味ですか?」
「だって、世界中に点在する禁呪の武器を探す使命を背負えば……これからも大手を振って、国から給料もらいながらグルメ旅ができるじゃない!!」
きらんっ、と光るエリスの瞳。
クレアは、「……え?」と間の抜けた声を上げる。
「むしろあんたがまだ特殊部隊にいてくれて好都合だわ。武器の呪いは、あんたがいてくれなきゃ突破できない。その事実を上に伝えればパートナー続行でしょ? そしたら……」
──ぱぁっ。と。
彼女は、満面の笑みを浮かべ。
「これからもクレアと、世界中の美味しいもの、はんぶんこできるじゃない!」
心の底から、ワクワクした表情をして。
そう、言った。
それに、クレアは。
瞳と、声とを震わせて、
「……本当に……いいのですか? 私が、側にいても」
「散々ストーカーしてきたクセに今さら何言ってんの? ていうか、『もう離さない』って言ったのはそっちじゃない。あたしだって……そう簡単に離してやるつもりなんか、ないんだから」
そして。
エリスは、クレアの手をぎゅっと握ると。
「……父さんのために今まで、ありがとうね。それから……世界中でただ一人、あたしの誕生日をお祝いしてくれていたことも。すごく嬉しかった。次は、花束にしてちょうだいね。
…………大好きよ、クレア」
少し、はにかみながら。
初めて、『好き』の気持ちを口にした。
言ってから途端に照れ臭くなってきて、彼女が目を逸らそうとすると……
「……ひゃあっ!」
正面から、クレアに抱きしめられた。
締め付けられる胸の苦しさを、込み上げる愛しさを、全て伝えるように。
彼は、強く強く、エリスを抱く。
「エリス……好きです。大好きです。愛しています」
「だっ、だから知ってるってば」
「何度だって言わせてください。でないと、心臓が破裂してしまいます。言葉にして出さないと、もう苦しくて……好きです好きです好きです好きです」
「ああもう、好き好きうるさーいっ!!」
叫ぶエリスの身体を、クレアはゆっくりと離し、
「エリス……キスをしても、いいですか?」
彼女の額に自分のをくっつけて、尋ねる。
すると彼女は、恨めしそうに彼を睨みつけて、
「……恥ずかしいから……………もう、いちいち聞かないで」
顔を真っ赤にしながら、そう返すので。
「……わかりました。次からは、もう……聞きません」
クレアは、思わず微笑んでから。
愛しむように優しい、キスをした。




