17-5 秘められた原罪
"水瓶男"は、言っていた。
精霊を……我が眷属を、解き放ってほしい、と。
それはつまり、"水瓶男"が精霊たちを統べる存在であるという意味だ。
さらに、先ほど目の当たりにした"精霊の王"の出現の仕方や、身に纏ったフード付きのローブが同じであることからも、エリスは二者が同一人物だと確信していた。
そしてそれは……クレアも同じだった。
エリスが"水瓶男"のにおいを強く感じたのも、"精霊の王"であるが故……数多の精霊を束ねる王だからこそ、エリスの言う『精霊をぐちゃぐちゃに混ぜたみたいなにおい』がしたのだろう。
だが……
仮にそうだとして、何故あの少年のような姿から、今の"水瓶男"の姿になってしまったのか……
残る疑問は、そこだった。
エリスの言葉に、クレアが返そうとした……その時。
再び、周囲の景色が変わり始める。
どうやら『風別ツ劔』に封じられた精霊の記憶には、まだ続きがあるらしい。
エリスとクレアは、互いの手をぎゅっと握り。
"王との離別"後の世界がどう動くのかを、見届けることにした──
──二人の目に映ったのは、戦場だった。
足下は真っ赤な血で染まり、あちこちに傷付いた兵士が倒れている。
が……今まさに殺し合いをしていたであろう人々が。
皆攻撃の手を止め、困惑した様子で、辺りを見回していた。
「これは一体……どういうことだ……?」
「精霊が……消えた……?」
どうやら"精霊の王"が、人の目から精霊を隠した直後のようだ。
攻撃に使用していた精霊たちが一斉に消え、敵も味方もなく混乱しているらしい。
「まさか……あの『巫女』が……?」
「いや、こんな真似が出来るのは……恐らく、"精霊の王"だけだ」
そう言って、『風別ツ劔』を生み出した眼帯の男が奥歯を軋ませる。
「おい、どうすんだよ……!」
「精霊がいなくなっちまったら、いくら領土を広げたってマトモに暮らしていけねぇぞ……?!」
いくら呼びかけても姿を見せない精霊に、兵士たちは狼狽える。
もはや戦どころではない。眼帯の男は、そのことを悟ると、
「……どうだろうか、ここは一時休戦にしては。そして……共に"精霊の王"と相見え、問い質すのだ!」
そう、敵陣に向かって叫んだ。
すると兵士を掻き分け、あご髭を蓄えた敵の首領が歩み寄り……
「……わかった。そのように致そう」
重々しく、頷いた──
──直後、場面が切り替わったかと思うと……そこは初めて"精霊の王"を目の当たりにした、あの玉座のある神殿だった。
そこに、七人の男たちが駆け込んでくる。一人は、『風別ツ劔』を持つあの眼帯の男。一人は、敵対していたあご髭の男……その手には、巨大な斧が握られていた。
他の五人も、皆武器を持っているが……精霊をすり潰して創り上げたものなのか、どれも禍々しい光を帯びていた。
それを見たクレアが、独り言のように呟く。
「禁呪の武器が、あんなに……」
「恐らく、『封魔伝説』に出てくる七賢人の武器よ。
『天穿ツ雷弓』、『炎神ノ槍』、『麗氷ノ双剣』、『地烈ノ大槌』、『竜殺ノ魔笛』、『飛泉ノ水斧』、そして……『風別ツ劔』」
エリスの言葉を聞き、クレアはその内の『槍』を見つめる。
それは間違いなく……恩師・ジェフリーの命を奪った、あの槍だった。
「これも七人の賢者ではなく……真実は、争いを起こしていた各地の首領だった、ということですか」
「そうみたいね。まったく、都合のいい伝説だわ」
「と、いうことは…"魔王"とされているのは、もしかして……」
クレアが呟くのと同時に、眼帯の男が叫んだ。
「王! 精霊の王よ!! 姿を現し給え!!」
直後、つむじ風を起こしながら……玉座の前に、"精霊の王"が現れた。
"王"が言葉を発する前に、眼帯の男が一歩前に踏み出し、
「精霊がいなくなった! どういうことだ?! これでは互いに困るであろう!!」
と、息を荒らげて言う。
"精霊の王"は、ゆっくりと七人の男たちを眺め……
「……我が眷属を、武器に封じたのか」
「こちらの質問に答えろ! 精霊をどうした!? 何故、姿を消したのだ!!」
口角泡を飛ばし、食ってかかる眼帯の男。"精霊の王"は、それぞれが持つ武器をじっと見つめると、
「……このままでは、人間たちは殺し合いの末、滅びる。そうなれば、我らも消える。だから、お前たちの争いを止めるために……精霊を、隠した」
「余計なことを……今すぐ元に戻せ!!」
「ならん。今ならわかる。我が眷属を身勝手に封じ……我らを正しく導こうとした者を殺したお前たちの指図など、受けるべきではないと」
「なっ……」
「その剣から………我が眷属を、解放せよ」
それまで無表情だった"王"の目に……殺気のようなものが宿る。
しかし眼帯の男は、怯むどころかニヤリと笑って、
「……そうか、人間様に歯向かうか。ならば……力ずくで指図するまでだ!!」
それが、合図となった。
七人の首領たちは、禁呪の武器による攻撃を一斉に放つ。
水が、氷が。炎が、雷が降り注ぎ。
地面が割れ、聴くものを惑わせる呪いの音が響き。
巨大な風の刃が迫り来る。
………が。
──すっ。
と、"王"が片手をかざしただけで。
それらの攻撃は全て、跡形も無く消えた。
しかし、眼帯の男はなおも不敵に笑い、
「チッ……やはり精霊による攻撃は効かないか。だが……"精霊の王"は、人間に攻撃することができない……そうだろう? 力の源となる人間を消すことはできないからな」
七人の首領たちも、再び武器を構え……
「貴様も…………眷属同様、すり潰してくれる」
──そこからは、完全に人の域を超えた攻防だった。
『魔笛』の音色で身体能力を上げた首領たちが、物理攻撃に切り替え武器を振るい、"王"に迫る。
眼帯の男の言葉通り、"王"は人間に危害を加えられないようだった。迫り来る攻撃を避けることに徹し、首領ではなく彼らが手にする武器を狙って魔法を放っている。封じられた精霊の解放を狙っているのだろうか。
クレアの目でも追うのがやっとの応酬が続き……
やがて、全員の動きが止まったかと思うと。
神殿の隅に追い詰められた"王"の身体を、あらゆる武器が貫いていた。
刺さった箇所から、精霊たちと同じ紫色の体液が滴る。
「さぁ……精霊を使えるよう、元に戻せ」
眼帯の男が言うと、『魔笛』の男が不気味な音を奏で、『大槌』の男をさらに強化した。
男はその槌を高々と持ち上げ、従わなければ潰すと言わんばかりに構える。
……しかし、"王"はそれに答えなかった。
代わりに、両手を静かに前へと掲げる。すると。
──カッ!!
七つの武器が、強い光を放った。そして……
領主たちの手を離れ、宙に浮いたかと思うと……
パッ! と弾けるように、四方へ飛んで行ってしまった。
『なっ……!!』
武器を失い、声を上げる首領たち。
"王"は、口の端から紫色の血を流しながら、
「……内部の精霊に干渉し……この世界の方々へ散らした。すぐには見つけられまい……人間たちにはな」
「きっ……貴様ァアッ!!」
ガッ! と、眼帯の男が"王"の胸ぐらを掴む。
「逃がさないぞ……我らより先に武器を見つけ出し、中の精霊を解放するつもりだな…?! そうはさせるか! 精霊が隠された今、あれらの武器は人間の最後の砦なのだ! 是が非でも取り戻す!! そのためには……」
ぐっ……
眼帯の男は、"王"の首に手をかけ。
「……貴様には、じっとしていてもらうことにしよう。殺せないことは端からわかっている。当分の間、動けないように……眷属同様、封印してやる」
そう言うと、他の男たちに樽と剣を持ってくるよう指示する。
"王"は、禁呪の武器を散らしたことで力を使い果たしたのか、抵抗を見せなかった。
そして……
男たちは、弱った王を樽に入れると。
何本もの剣で、"王"の身体を突き刺し始めた。
ぐちゃぐちゃと肉を潰すような音がする度に、紫色の体液が飛び散る。
「思った通り……こいつも中身は精霊と同じ。俺たち人間が理想とする姿を模した、皮を被っていただけだ」
「精霊同様、肉体を失えば動くこともできまい」
「このまま樽に封じ込め、井戸の底に沈めよう。こいつが復活する前に、禁呪の武器を探し当てるのだ」
男たちは、樽の中でただの液体と化した"王"を眺めると……
厳重に蓋をして、樽を運び出した──
「──それで……"水瓶男"の寓話が生まれたのね」
「えぇ。人々を不用意に井戸に近付けないようにするため……彼らが犯した罪を隠すために、あのお伽話を創り出したのでしょう。封魔伝説も、同様に」
「"精霊の王"は、あたしたちが思い描いた姿を模る、って言ってたけど……"水瓶男"の寓話によって抱かれた人々のイメージが、そのまま今のあの姿として反映されたのかしら」
「そうかもしれませんね。きっかけはわかりませんが、"水瓶男"……もとい"精霊の王"の封印が最近になって解かれ、禁呪の武器から精霊を解き放つべく動き出した。しかし、人間にしか解放できない呪いがかけられていたため……適当な人間の力を借りようとした、と」
「で、よりにもよってジーファみたいな野心の塊みたいなのに声かけちゃったのね。はぁ。なんだか吐きそうなくらいに胸くそ悪いけど、全てが明瞭になったわ。あとは……これを見せてくれた精霊さんたちをどう解放するか、ね」
言って、エリスが顔を上げると……
二人の周りが、ただただ真っ白な景色へと変わる。
精霊たちの追憶は、ここでおしまいのようだ。
「……ねぇ、精霊さん。あたしたち人間がしたこと……謝ったって許してもらえるとは思えない。あたしを信用しろ、って言うのも無理な話かもしれない。けど……あたしは本気で、あなた達を劔から解放したいの。あなた達だってそれを望んで、この記憶を見せたんでしょう?」
右も左も、上も下もないような真っ白な空間に向かって、エリスは呼びかける。
すると、
「…………怖いんだよ」
幼い、子どものような声で。
「これ以上、誰も殺したくない。僕らを使う人間の感情も、斬られた人間の感情も、すごくすごく暗くて、ドロドロで……怖いんだ。外には出たいけど、それ以上に……怖いんだよ」
そんな言葉が、返ってきた。
エリスとクレアは一瞬驚いたように顔を見合わせて、
「あなた達は……ヒトの感情を感じ取ることができるのね」
「うん。それが、僕らの源になるからね。ここにいれば……このイシャナくんの中にいれば、怖い感情に触れなくて済む。だからずっと、ここに隠れていたんだ」
なるほど、それで……シュプーフの身体と一体化していたのか。
エリスは納得すると、優しく微笑み、
「……ねぇ、いいこと教えてあげようか」
「……なに?」
「あたし、純粋な風の力を持つ精霊はいないと思ってた。けど……ちゃんといたのね、"風の精霊"。今の世界では、誰もあなた達の存在を知らないわ。だから……外に出ても、恐ろしいことに利用されることはもうない」
「……本当?」
「本当よ。あたしも絶対に、あなた達のことは誰にも言わない。約束する」
「……その人は?」
「え? ああ、横にいる彼? 大丈夫よ、コイツはあたしの、えぇと……眷属だから。ねっ?」
……と、少し顔を赤らめながらクレアを見上げるので。
彼はにこりと笑って、
「はい。エリスが口を縫い合わせろと言うのなら、喜んで従います」
「だってさ。あたしも彼も、あなた達の存在は一生内緒にしておく。だけど忘れない。そうすれば、あなた達は消えないでしょ?」
「……でも、君たちが死んじゃったら、誰が僕たちのことを想ってくれるの?」
「それは…………こっ、子どもができたら、お伽話にして聞かせるから!」
「ぶふっ」
隣で、クレアが思わず吹き出す。
「……エリス。念のための確認ですが、それは私との子ども、ということでよろしいですか?」
「うるさい察しろ!! とにかくっ。……精霊さん、あなた達の王さまも、迎えに来てくれているのよ」
「王さまが……?」
「うん。だから、安心して出てきて」
「…………じゃあさ……名前を、呼んでくれない?」
そう言われ、エリスとクレアが『名前……?』と同時に聞き返す。
「そう。ずっとずっと昔のことだけど……人間たちは僕ら一人ひとりに名前をつけて、呼んでくれていたんだ。そうすると、僕らは力が湧いてくる。ここにいてもいいんだって、人間たちにちゃんと必要とされているんだって。それが、僕らの力になるんだ。ここから出るには、ちょっと力がいりそうだから……どうか、名前を呼んでくれないかな」
そこで、エリスとクレアは思い出す。
見せられた記憶の一番最初……青年が、精霊を名前で呼んでいたことを。
なるほど、それで……今も魔法を使う時には精霊の名を呼ぶのかもしれない。
「……わかったわ。けど、あたしがあなた達に新しい名前を付けるのなんて烏滸がましいから……ちょっと懐かしい名前でも、いいかな」
「懐かしい、名前?」
エリスは、穏やかに微笑むと、
「……"リーナ"。もう、大丈夫だよ。
こんなところから出て……自由になろう」
あの青年が口にしたのと同じ名で、呼んだ。
刹那、目の前が強く光り──
♦︎ ♦︎ ♦︎
「──……エリス! エリス!!」
「クレアさん! 聞こえますか?!」
そんな声がして、二人がまばたきをすると。
そこは、元いたシュプーフの口の中だった。
エリスは左手で、クレアは右手で、それぞれ『風別ツ劔』の柄を握り、立っていた。
どうやら、意識が現実に引き戻されたらしい。
両脇からチェロとシルフィー、それからブルーノが心配そうにこちらを覗き込んでいる。
「よかった……急に動かなくなったので心配しましたよ!」
「劔の呪いは? 大丈夫なの……?」
シルフィーとチェロにそう聞かれ、エリスは一度頷くと、
「うん、もう平気。……クレア」
「はい。劔を………解き放ちましょう」
互いに、柄を握る手にぎゅっと力を込めて。
ゆっくり、それを真上に引くと……ずずっ、と僅かに動いた。
これまでビクともしなかった劔が動き、ブルーノは目を見張る。
そして。
二人は、劔を一気に引き抜いた。
瞬間、刃に刻まれた紋様が強く光り……
──ぶわぁぁああぁああっ!!
劔の先から、ものすごい数の光の球が生まれ、風となって溢れ出した。
「なっ、なんじゃ?!」
「これ全部、精霊……?」
「ものすごい数……!」
猛烈な風に片目を瞑りながら、ブルーノたちが声を上げる。
精霊と思しき光の球は、まるで挨拶するように"水瓶男"の頭上をくるくると回ると、一斉に洞窟の外を目指して飛んで行き……
壁面を大きく抉りながら、自由な世界へと、還っていった。
『………………』
風に砕かれ、すっかり広がってしまった洞窟の入口を……ブルーノたちは唖然として見つめる。
その隣で、解き放たれた精霊たちを見送るように、"水瓶男"もそちらを見上げていた。
そして、何も言わずにつむじ風を巻き起こし、その場から去ろうとするので、
「待って!!」
エリスが、それを止める。
"水瓶男"は大人しくその場に留まり、エリスの方を向いた。
エリスは一度呼吸を正すと……真っ直ぐに、彼を見つめ、
「……他の禁呪の武器も、あたしが解放するから……それまで、待っててくれない?」
そんなことを言い出した。
クレアは驚き、「エリス……?」と横顔に尋ねるが、彼女は"水瓶男"に目を向けたまま、
「並みの人間には任せられないって、痛感したでしょ? あたしなら、封じられた精霊に干渉することができる。だから……他の人間に頼らないで、待っていてほしいの」
真っ直ぐに、言った。
それから、ニッと笑って、
「……忘れちゃったの? あたし、言ったじゃない。『必ず生まれ変わって、精霊たちを見つける』って。ねぇ、"王さま"」
「……おマエ……やはリ、アのニンゲンノ、たマシイをモつもノカ……」
「そうみたい。っていうかよく見てよ、同じカオしてるでしょ?」
「………ニンゲンハ、みなオなじニみえル」
「はは、そっか。でも……こうしてちゃんと、あなたのことも見つけたでしょ? だから……封じられた精霊たちも、必ず見つけ出す。お願い、信じて」
チェロたちが心配そうに見つめる中、エリスは"水瓶男"に微笑みかける。
『信じて』。
その言葉に、"水瓶男"……いや、"精霊の王"は、じっとエリスを見つめ………
「……………わかッタ。おまエヲ、しんじヨウ」
そう言って、頷くと。
つむじ風と共に、去って行った──
「………終わった、の……?」
「………ですかね……?」
"水瓶男"が去った後を眺め、チェロとシルフィーが呟く。
ブルーノは、頭上を見上げて、
「……シュプーフ。身体は……平気か?」
そう、震える声で尋ねると……
喉の奥から「グギュウゥッ」という鳴き声がした。エリスたちは思わず耳を塞ぐ。
『だいじょうぶ』。そう返してくれたことが、ブルーノには理解った。
「そうか。それじゃあ…………お前も、行ってこい。外の世界へ」
『え……?』
ブルーノの言葉に、エリスたちが驚くが。
クレアは、エリスの手を引き、
「……舟に乗りましょう。シュプーフの口から出るのです」
シルフィーとチェロにも目配せをし、促した。
五人は来た時と同じように小舟に乗り、ブルーノの操舵でシュプーフの口から出る。
そうしてシュプーフの目が見える位置に停めると、ブルーノは舟の上に立ち、
「これだけ出口が広がれば出られるな。思いっきり、泳いでこい」
いつもの、ぶっきら棒な口調で言う。
シュプーフは戸惑うようにまばたきをするが、ブルーノは首を振り、
「……儂ならもう大丈夫じゃ。お前がずっと側にいてくれたから。あの時の傷も、疾うに癒えたよ。だから……お前はお前の泳ぎたい海を行け。長いこと閉じ込めてしまって、本当にすまなかった。……ありがとうな、シュプーフ」
目に溜めた涙を零さないように。
二十五年分の想いを込めて、そう伝えた。
シュプーフは、そのつぶらな瞳でじっとブルーノを見つめると……
「……ギュオォォオオゥンン……!」
どこか寂しげな鳴き声を残して。
果てなく続く海へと、泳ぎ出した──




