16-3 情愛ディストーション
"水瓶男"の襲撃に備え、小瓶に様々な精霊を封じ。
ストックがいっぱいになったところで自分の病室に戻ってきたチェロは、隣の部屋から出てきたクレアと、廊下で遭遇した。
目が合った瞬間、なんとなく動きを止める二人。
しかし……その沈黙を先に破ったのは、チェロの方だった。
「……エリスは?」
そう尋ねられ、クレアは先ほどまでの変態行為を悟られぬよう、爽やかな笑顔を取り繕う。
「眠りました。私のせいで寝不足にさせてしまったので……私のベッドで休んでもらっています」
「……そう」
静かに返事をするチェロ。どうやら怪しまれてはいないようだ。
そのままチェロは、何かを考え込むように俯き、
「……悔しいけど……エリスにとって、アンタは特別な存在みたいね」
……なんてことを呟くので。
クレアは驚き、目を見開く。
チェロは面白くなさそうにそっぽを向き、低い声音で続ける。
「アンタたちの雰囲気見ていればわかるわ。上手くいったんでしょ? よかったじゃない。おめでと」
「チェロさん……」
「なによ、その顔。言っとくけど、同情なんかやめてよね。死にたくなるから」
……と、チェロが言った、ちょうどその時。
眼鏡の修繕を終えたシルフィーが、階段を上って二階の廊下に差し掛かった。
しかし、対峙するクレアとチェロを見つけ……慌てて階段の壁に隠れる。
「(わわ。なになに、修羅場?! エリスさん狙いの二人が、あんなところで向かい合って…)」
などと、どきどきワクワクしながら、二人の会話に聞き耳を立て始めた。
チェロの声が、再び続ける。
「……アンタは知らないでしょうけど、あの娘、学院では本当に他人に興味がなくて、いつも独りだった。自ら望んで、周りとの関わりを絶っていたのよ。自分が求める魔術の研究に、友だちなんか不要だと思っていたみたいで……私も、その研究に利用されただけだった。けど……」
ぎゅっ、と。
チェロは、拳を強く握りしめて。
「……昨日、アンタを心配するあの娘を見て……変わったな、って思った。自分のことを後回しにしてまで誰かを心配するなんて……本当に驚いたわ。たぶんアンタと過ごす中で、他人といることの楽しさや、思いやる気持ちを知ったんでしょうね。私といても、あの娘は……そんな風には変わらなかった」
そこまで言うと、チェロはパッと顔を上げ、
「だけど、私はこれからも変わらずエリスが好き。別に好かれなくてもいいの。ただ、あの娘が幸せになってくれさえすれば……それがアンタと居ることで叶うなら、それでもいい。でももし、アンタがあの娘を泣かせるようなことがあれば……」
──びしっ!
と、チェロはクレアに人さし指を突き付け、
「その時は……即・殺すから」
そう、言い放った。
それにクレアは……真剣な表情で、チェロを見つめ返し、
「……私も、あなたと同じ気持ちです。エリスにはただ、美味しいご飯を食べて、笑っていて欲しい。彼女の笑顔を脅かす存在は、誰であろうと許さない。例えそれが……自分自身であっても」
そんな風に返すので。
チェロは「ふんっ」と鼻を鳴らし、
「アンタが自害する前に、私が絶対殺すからね」
「そうならないよう、努力します」
「本当に、次エリスにあんな心配かけたらタダじゃおかないんだからね。あの娘のあんな辛そうな顔……もう、見たくないんだから」
……という、チェロの泣きそうな声に。
盗み聞きをしているシルフィーが……何故かうるうると目を潤ませる。
「(チェルロッタ先輩……本当にエリスさんのことが好きだったんですね……だからこそ、身を引いて……クレアさん、これは絶対に絶対に、エリスさんを幸せにしないとダメです!)」
壁からこそっと片目だけ覗かせ、シルフィーはクレアを見つめる。
チェロから突き付けられた言葉に、彼は困ったように笑い、
「……エリスに出逢うまで、自分の命なんてまったく惜しくありませんでした。しかし、今は……死んだらもうエリスには会えないですし、何よりこんな私でも、死ねばエリスを悲しませてしまうようなので……一秒でも長く生きなければと、そう思っています。だからもう、エリスに心配をかけるような戦い方はしません」
そう答えた。
それを聞いて、シルフィーもほっとする。
もしかすると近々、またあの"水瓶男"と遭遇することになるかもしれないが……この様子ならきっと、冷静に戦ってくれるだろう。
「(お二人の関係性もいい感じにおさまったみたいだし。さ、そろそろ出てって声かけよっと)」
と、シルフィーは二人の方へ向かおうとする……が。
チェロが、ニヤリと笑いながら口を開き、
「アンタが油断したら、エリスのことは遠慮なくいただくからね。あの娘、案外隙だらけなんだから。私が本気を出せばイチコロよ。そうそう、こないだもうっかり胸揉んじゃったことがあったんだけど……ちょーっと下着がキツそうだったのよね〜。今度一緒に買いに行こうかしら?」
……などと、女同士だからこそできることを武器に、クレアを挑発し始めたので。
その不穏な空気感に、シルフィーは再び階段の陰に引っ込む。
チェロのセリフに、クレアは……
「うっかり……揉んだ……?」
聞き捨てならない、と言わんばかりにチェロを睨みつけてから……
しかしすぐに、ふっと黒い笑みを浮かべて、
「……奇遇ですね。実は私も先ほどエリスの身体に触れた時に、サイズが合っていないなぁと思いまして。ちょうど今から、新しい下着を買いに行くところだったのです。採寸もしてあるので……チェロさんのお手を煩わせるまでもないかと」
「さ、さ……採寸ですって?!」
と、今度はチェロが動揺する。
そのまま、身体をわなわなと震わせ………
「…………私も行くわ」
スン、と急に真顔になったかと思うと、そんなことを言い出した。
どうやら採寸したてのサイズがどんなもんなのか、知りたいらしい。
クレアはにこりと微笑んで、
「えぇ、いいですよ。女性がいてくださる方が心強いです」
「ふんっ。エリスの魅力を最大限に引き出す極上の一着を、この私が選んであげるわ」
「色は何がいいでしょうか。エリスは普段ピンクか白ばかりなので、たまには青系もいいんじゃないかと思っているのですが」
「アンタ何も分かっていないわね。あの娘の髪色に合わせて考えるなら、赤一択でしょ」
「おお、赤ですか。確かに……一気に大人っぽくなりますね。想像しただけで、いろいろ捗ります」
……そんな会話を交わしながら、二人が階段の方へと向かってくるので、シルフィーは慌てて一階に下り身を隠す。
そして、恋敵という立場を超え、共通の"推し"を持つ者同士として共に下着屋を目指す二人の背中を見送り。
シルフィーは……
「……………ええぇ……??」
常人には理解できない変態ワールドに、ただただ困惑の声を漏らすのだった……
* * * *
「………ん……」
ゆっくりと、瞼を開け。
エリスは、深い眠りから目を覚ました。
瞼と頭がやけに重い。
どうやら、かなり長い時間眠っていたようだ。
……お腹が空いた。
今、一体何時だろう?
と、起き上がろうてして……気がつく。
……後ろから、誰かに抱きしめられていることに。
そして、その相手が誰なのか……顔を見なくとも、匂いでわかる。
クレアだ。そうか、あのままクレアのベッドで寝てしまったんだ。
気付いた途端、後頭部にクレアの寝息がかかるのをありありと感じ、エリスは全身を熱くする。
まずい。あたし、どれくらい寝ていた?
こんな、同じベッドに密着して寝て……何もなかったのか?
エリスは、自分の身体にヘンなところがないか、意識を巡らせる……が、どうやら何もされていないらしい。服も、乱れてはいなかった。
……とりあえず窓の外を見て、昼なのか夜なのかだけでも確認しなくては。
と、エリスはクレアの腕からそっと抜け出し、ベッドから起き上がる。
振り返って見ると、彼はまだ静かに眠っていた。
……ふと。
枕元に、真新しい紙袋が置かれていることに気付き。
「…………?」
なんだろう。寝る前はなかったけど……
不思議に思ったエリスは、それをそっと覗き込んでみる。
すると。
「………………え゛」
中に入っていたのは……
女性ものの、上下セットの下着だった。
それも、総レースの真っ赤なヤツ。
……なにコレ。
なんでこんなものがココに……?
さらに、その紙袋の下にクレア愛用のメジャーがあるのを見つけ……
……エリスは、なんとなく嫌な予感がして、下着のタグに書かれたサイズを確認する。
それは……エリスがまさに、近々必要かなと思っていたサイズで……
これらの状況から、彼女の明晰な頭脳は、ある答えを導き出す。
…………間違いない。
あたし、寝ている間に……
……測られた……っ!
この変態に、ガッツリ変なコトされてた……っ!!
ていうか、え?! こいつ一人で女性もの下着買いに行ったの?! こわっ! なんで捕まってないの?! イリオンの治安どうなってんのよ!!?
まったく……
と、エリスは顔を赤らめながら、クレアの寝顔を見下ろす。
……なんでこんなヤツ、好きになっちゃったんだろう。
ヘラヘラと愛想だけよくて、ホントは結構な変態性と闇を抱えてて……
だけど……
……誰よりも優しく、あたしを思いやってくれて。
一緒にいると楽しくて、安心できて。
こいつと食べるご飯が、世界で一番美味しく感じられるから。
……これから先もずっと側にいたいと、そう思ってしまった。
だから。
「………………」
エリスはそっと、カーテンの隙間から外を見る。
どうやら今は明け方のようだ。昨日の昼過ぎから、半日以上寝てしまったというわけか。通りでお腹が空いているはずだ。
エリスはもう一度、ベッドで眠るクレアを見つめる。
……身体のあちこちに巻かれた、白い包帯。
クレアは、あたしを助けるために、こんなにもボロボロになった。
なのに、今日にでも『風別ツ劔』の元へ向かうつもりでいる。
あの"水瓶男"が、現れるかもしれないのに……またあんな戦い方をしたら、今度こそ死んでしまうだろう。
そんなの……絶対に、嫌だ。
"水瓶男"は、あたしに来いと言った。
だったらあたしと、おじいさんだけで行けばいい。
……こんなこと言ったら、クレアに怒られるかもしれないが…
あたしには、あの"水瓶男"が、どうにも悪いヤツには思えなかった。
勘、と言えばそれまでだが……あの時感じた猛烈なにおいも、邪悪なものではなかった。単純に、大量の精霊を混ぜ合わせたようなものだったから。
きっと話せばなんとかなる相手だ。
クレアに無理をさせる必要はない。
「…………行こう」
エリスは、小さく頷くと。
クレアを起こさないようにそーっとベッドを降り、ブルーノの病室へ向かおうとする………
が、その時。
「──どこへ行かれるのですか?」
後ろから、そんな声がして。
エリスはびくぅっ! と身体を震わす。
そろ……っと振り返ると、そこには……
「く、クレア……起きてたの?」
「はい。エリスがおはようのキスでもしてくれるんじゃないかと、寝たふりをして待っていました」
「き……っ!?」
「それよりも………何処へ、行くつもりだったのですか?」
スッ、と目を細めながら、クレアが低い声で尋ねる。
エリスはあからさまに動揺し、目を泳がせながら「あぁ、えぇっとー」と口ごもったのちに、
「……お、おトイレ……?」
「………………」
クレアは何も言わずにエリスの手を引くと。
そのまま、少し乱暴にベッドへ押し倒した。
そして、瞳を覗き込むように顔をぐっと近付けて、
「まさかとは思いますが……一人で、イシャナの元へ行こうとしていました?」
「う゛っ」
………まずい。バレてる。
「もしかして、私が怪我しているからとか、無理させたくないからとか……そんなことを考えています?」
…………だめだ。全てお見通しだ。
エリスが口をぎゅっと結び、気まずそうに顔を逸らすと……
クレアは、その両頬をむにゅっと掴んで正面を向かせる。
「忘れたのですか? 私と別行動になったがために、貴女は山賊に連れ去られたのです。あれだけ危険な目に遭っておいて、また単独行動をするつもりですか?」
「だ、だって……」
「『だって』じゃありません。貴女がどう思おうが、私はもう貴女と離れるつもりはありません。貴女を助け出すまでの間、どれだけ不安だったか……まるで生きた心地がしませんでした」
「そっ、それは申し訳なかったけど……でもあたしだって、あんたが心配で……」
「まだ理解りませんか」
エリスの言葉を、クレアは強い口調で遮る。
そして、
「……もう離さないと、そう言っているのです」
クレアは、エリスの右の手首をガシッ、と掴み、
「口で言って理解らないのなら……物理的に、繫ぎ止めるしかありませんね」
その、掴んだ手首に……
──ガシャンッ!
……と、ポケットから取り出した手錠の片輪をかけた。
驚くエリスを尻目に、もう片方の輪を自分の左腕にかけ、
「ほら、これでもう離れられない。泣こうが喚こうが、ずっとずっと……………私と、一緒ですよ?」
手錠の繋ぎ目を見せつけるようにして。
クレアは、嬉しそうに笑った。
完全に異常者の目をしたクレアの視線に、エリスは涙を浮かべ……
怒ってる? とか。
なんで手錠なんか持ってるの? とか。
そんなことよりも、まず真っ先に浮かんだ疑問を、彼にぶつける。
「こ、これ……………ホントにトイレ行きたくなったら、どうすんの……?」
そう、震える声で尋ねるが。
クレアは口の端を吊り上げ、にこにこするのみで……
「…………」
無言のまま、にこにこするのみで……
「…………」
ただただ、にこにこするのみd
「いや、なんとか言えやぁぁぁあああっ!!!」
早朝の病院に。
涙混じりのエリスの絶叫が、響き渡った……