15-3 潮騒のキヲク
※残酷描写注意 です。
セオドアと名乗ったその男は……どうにも様子がおかしかった。
笑みを浮かべ半月のように歪んだ目は焦点が合っていないし、足元はフラフラと覚束ない。まるで、酔っ払っいのようなのだ。
そんな男の登場に、ブルーノは眉間に皺を寄せ、
「お前さんが何様かは知らないが、ダメなものはダメだ。身分証を見せろ。然るべき処罰を受けてもらう」
そう、淡々と告げた。
イリオンの漁業組合の役員を務めていたブルーノには、密漁を取り締まる権限があった。
これまで海賊紛いの連中とも何回かやり合ってきたが……このセオドアという男からは、そうした賊とは違うニオイを感じた。
恐らく、それなりに身分のある者……どこぞの貴族が、娯楽として狩りを楽しんでいるといったところだろう。
だが、身分があろうがなかろうが、犯罪は犯罪。等しく裁きを与える必要がある。
ヘラヘラとした笑みを浮かべるセオドアを、ブルーノはもう一度睨み付け、
「聞こえんかったか? 許可なき者のイシャナ狩りは犯罪だ。見つかってしまった以上、大人しく身分を明かせ」
ブルーノが投げかける横で、仲間の漁師たちが手に武器を持ち始める。海賊と鉢合わせた時のため、常に備えてあるのだ。
武装する漁師たちを眺め、セオドアは戯けたように肩をすくめる。
「おー怖。揃いも揃って剣だの槍だの。これじゃ海賊と変わらねーじゃねぇか」
「先に剣を抜いたのはそっちだろ。これは正当防衛っす」
と、若い漁師が槍を向けながら勇ましく言う。
セオドアは、「ヒヒッ」と笑い、
「いやいや。これはお前らに向けて抜いたものじゃねぇよ。イシャナを狩るために使ってんだ」
「ハッ。船の上で剣振り回して魚が捕れるなら、俺たち漁師は誰も苦労しねーよ」
若い漁師の挑発的な言葉に、他の漁師たちも笑う。
それに、セオドアは……
「……それが、出来ちゃうんだよなぁ。ほら……こぉんな感じで」
ニタァッ、と笑ったかと思うと。
目の前の空を切るように、手にした長剣を振るった。すると……
──ブォンッ!
空気が振動するような鈍い音と共に、刃の形をした風が生まれた。
それはもの凄い速度で若い漁師目がけて飛んでゆき……
「…………え?」
声を漏らした時には、もう。
……その腹から、真っ赤な鮮血が噴き出していた。
何が起こったのか理解できず、ブルーノたちは目を見開く。
若い漁師は膝から崩れ落ち、その場に倒れ込んだ。
「お……おい! しっかりしろ!!」
ブルーノが駆け寄り、身体を抱き起こすが……既に意識はなかった。
「何だ、今のは……」
「魔法か……?!」
武器を握りしめる漁師たちに、緊張が走る。
セオドアは高笑いすると、
「魔法なんて甘っちょろいモンじゃねぇよ。これは、かの有名な伝説の武器……『風別ツ劔』だ」
「……『風別ツ劔』?」
それは、この国に住まう者なら知らぬ者はいない、『封魔伝説』に登場する賢者の武器の名だ。
しかし、あくまでも"お伽話"。そんな代物が、現実に存在するわけがない。
ブルーノたちが困惑していると、セオドアはもう一度剣を振りかざし、
「信じられねぇって言うなら見せてやるよ。この劔の力を……!!」
その剣を、思いっきり振り下ろした。直後。
剣身から、先ほどよりもさらに大きな"風の刃"が生まれ……ブルーノたちの漁船の向こうへと飛んでいった。
直後。
まるで巨大なナイフを入れたかのように海水が真っ二つに割れ、水しぶきが上がり……海底の珊瑚礁まで剥き出しになった。
『なっ……!?』
"海を裂く"という伝説そのままの力を目の当たりにし、ブルーノたちは戦慄する。
先ほど吹いた妙な突風の正体はコレだったのか……
と、息を飲む漁師たちの反応を、セオドアは満足げに見下ろし、
「さぁ、次はお前たちの番だ……」
そう言って、劔を構えようとするが、
「セオドア様! 領民に手を出すのは流石にまずいです!!」
「どうか一度、その剣を置いて!!」
黒いスーツ姿の男二人が現れ、セオドアを取り押さえた。身なりと口ぶりから察するに、使用人か何かだろうか。
だが、セオドアは二人を振り払い、
「だから、俺様に指図するなっての」
「しかし、もしも殺人など犯したら、さすがのセオドア様も法の裁きを免れません!」
「だぁから」
──ブゥンッ!
セオドアは、躊躇することなく劔を振るい……
「……俺自身がこの世界の"法"になれば、そんなの問題ないだろ…?」
低く囁きながら、"風の刃"で使用人二人を斬り捨てた。
その光景に……セオドアの異常性に、漁師たちは後退りをする。
「なんで今まで気付かなかったんだろう。この劔の力をヒトに使えば、簡単に世界を手に入れられるじゃん。だって……ヒトなんかこんなに簡単に、壊せちゃうんだから」
劔を担ぎながら再びこちらを見下ろすセオドアの目が、不気味に光る。
こいつ、完全に……狂っている……
どんどん冷たくなる若い漁師の身体を抱えながら、ブルーノが汗を垂らすと。
漁師の一人が、セオドアに向けてクロスボウの矢を放った。それはセオドアの右肩に見事に命中。貫かれた痛みに、「ぐあっ!」と声が上がる。
「てんめ……俺様の身体によくも傷をつけてくれたな……!!」
セオドアは激昂し、矢が刺さっていることなどお構いなしに劔を構える。
そしてそれを勢い良く横薙ぎに振り……巨大な"風の刃"を放った!
若い漁師を抱えていたブルーノは、咄嗟に床へ伏せるが……
『うわぁぁああああっ!!』
武器を持ち、立った状態だった漁師たちは、その攻撃をモロに喰らってしまった。
そして……
全員、身体を斬り裂かれ、血を噴き出しながら、倒れ込んだ。
操舵室の窓も屋根も、その猛烈な風圧により吹き飛ばされ、破片がパラパラと海に落ちて行く。
「お……おまえら!!」
倒れた仲間と破壊された漁船を瞳に映し、ブルーノは混乱と怒りに震える。
一体、何が起こっている? これは現実か? どうしてこんなことに……
……許せない。こいつは……儂が止めなければ。
高笑いするセオドアを睨め付け、ブルーノが槍を手に立ち上がった……その時!
──ドォンン……!!
という音と共に、セオドアの乗る船が大きく揺れた。
それによりセオドアはバランスを崩して倒れ……その手から、劔を離した。
落下した劔は、そのままブルーノのいる漁船の甲板にトスッ、と刺さる。
今の揺れは……
「……シュプーフ……!!」
ブルーノは、海を見下ろし叫ぶ。
シュプーフが、セオドアの船に体当たりをしていたのだ。
「くっ……この、クソ魚が! ぶっ殺してやる!!」
セオドアは怒りを滲ませると、船を飛び降りブルーノの漁船へと降り立つ。
そして再び、劔を手に取ろうと駆けるので……
「させるか!!」
ブルーノは槍を持ち、突進する。
あの子は……シュプーフは、儂らの家族だ。
せめてあの子だけでも、護り抜かなければ……!!
必死の思いで、ブルーノはセオドアへと向かうが……
あと一歩のところで、セオドアの方が速かった。奴は劔を引き抜くと、突進してきたブルーノ目掛けてそれを振り上げ……
すぐ目の前で、"風の刃"を放った!
だめだ。避けられない…!!
ブルーノがすべてを諦めた……その時。
──ドォオン……!!
今度は、こちらの漁船にシュプーフが体当たりをしてきた。
そのお陰でブルーノは倒れ込み、"風の刃"の軌道がズレたことで直撃を免れた。
そして……
──ドスッ……!!
転んだ弾みで、同じく態勢を崩しよろめいたセオドアの腹に……
ブルーノの槍が、深々と突き刺さった。
「……あ………あ…………」
セオドアが、一歩、二歩と後退しながら、腹に刺さった槍を見下ろす。
そのまま、こぼれ落ちるように、力なく劔を手放した。
劔は、未だ揺れる漁船の動きに揺さぶられ……
トプンッと、海に落ちてしまう。
「あぁ、劔が……『風別ツ劔』が……!!」
セオドアが、腹から血を流しながらも劔に手を伸ばす。
すると、沈みゆくその劔の元へ、シュプーフが泳いでゆき……
──ばくんっ!!
……と。
劔を、飲み込んでしまった。
「なっ……シュプーフ!!」
「そんな……劔……俺の劔……!」
セオドアの顔が絶望に染まる。
しかしシュプーフは、一度だけ「キュウ」鳴くと……
……深い海の底へと、潜って行ってしまった。
「あぁ、クソ……クソォッ……!!」
セオドアは、苦悶の表情を浮かべながらしばらくのたうち回った後に……動かなくなった。
ゆらゆら揺れる漁船の上。意識があるのは、ブルーノただ一人となった。
……シュプーフに、救われた。
船に体当たりをして、あの危険な劔を飲み込んで……儂を、助けてくれた。
しかし、飲み込んだ劔が喉や内臓に刺されば……
間違いなく、死に至るだろう。
「シュプーフ……シュプーフ……!!」
海に向かって叫んでみるが、「キュウ」という返事はない。
ブルーノはギリッと奥歯を軋ませ……
それから、操舵室へと駆け込んだ。
屋根は吹き飛んだが舵は残っており、幸い操縦には問題がなさそうだった。
まだ、仲間たちを救えるかもしれない。
早く街へ戻って、治療を……!!
ブルーノは、後ろ髪を引かれる思いで、シュプーフが消えた波間を一瞥してから。
全速力で、港へと漁船を走らせた。
* * * *
結果的に言えば。
生き残ったのは、ブルーノとセオドアだけだった。
仲間たちは皆、『風別ツ劔』による攻撃が致命傷となり、命を落としたのだ。
その後、セオドアの素性が明らかになった。
奴の名は、セオドア・ブラウ・サジタリウス。
このオーエンズ領の……領主の、息子だった。
次男という次期領主にはなり得ない身分に生まれたことを憂い、イシャナ狩りで鬱憤を晴らしていたのだという。
それに用いられたのが……サジタリウス家に代々伝わる秘められた家宝・『風別ツ劔』。
サジタリウス家はこの伝説の劔を所有していたことで、古の時代より権力を保持していたのだそうだ。
イシャナ狩りに興じていたことも、それに『風別ツ劔』を用いていたことも、現領主であるセオドアの父は知っていた。
知った上で、黙認していたのだ。
次子として生まれてしまったばかりに、闇を抱えることになった我が子への可愛さと、罪悪感が為に……
そして、あろうことかサジタリウス家は、この件を隠蔽しようと徹底的な根回しを始めた。
『領主の息子が起こした殺人事件』ではなく、『海賊と漁師による不運な衝突』として、事件を闇に葬ったのだ。
当然、ブルーノはそれを許さなかった。しかし、いくら真実を訴えようとも、伝説の劔による事件など誰も信じてはくれず……仲間を失ったことで心神喪失しているのだろうと、憐れみの目を向けられるのみだった。
そうして、数週間が経った後。
セオドアが死んだとの一報が入った。
あの時、腹に槍が刺さったことで生死の境を彷徨っていると聞いていたが……最後は気が狂って自害したらしい。
奴の死について、サジタリウス家から責められることはなかったが、真実については口を噤むようにと念押しされた。
仲間を失い、シュプーフを失い、憎悪をぶつける相手すら失い。
茫然自失となったブルーノは、久しぶりに海辺へと足を運んだ。
今回のことがあって、海に近付くことすら怖くなっていたが……ふと何かに呼ばれるように、「行ってみよう」と思い立ったのだ。
港から眺める、いつもと変わらない海。
あの時、一体どうすれば良かったのか。
何が正解だったのか。
どこから、間違ったのか。
考えれば考える程、わからなくなって。
どうして自分だけが生き残ってしまったのか……これからどうやって生きてゆけばいいのか、わからなくなってしまって。
その答えが見つかるはずもないのに、ブルーノは。
寄せては返す青い波を、ただ静かに眺めていた。
………その時。
「…………キュウゥ」
潮風に乗って。
あの、甘えるような声が、聞こえた気がした。
ブルーノは慌てて堤防から身を乗り出し、海を見回す。
きっと、空耳だ。愚かな願望が生み出した、幻聴だ。
そう思っているのに、ブルーノはどうしてもその影を探さずにはいられなかった。
そして。
ブルーノが見つめる、その先に。
……遠くの沖合いの波間に、ひょこっと現れたまぁるい頭を見つけた。
あの傷。あの瞳。
間違いない。あれは……
「……シュプーフ……!!」
瞬間、ブルーノは海に飛び込んでいた。
服が水を吸い、重くなるのも気にせず、ひたすらに泳いで。
するとシュプーフの方も、ブルーノの元へ近付いてきて……
ブルーノを自身の鼻先に乗せるようにして、身を寄せ合った。
「シュプーフ! お前……生きていたんだな!! あんな劔を飲み込んだのに……………って」
再会の喜びを噛みしめたブルーノは、ふとある変化に気がつく。
「お前……少し見ない間に、デカくなったか?」
そう。間近で眺めるシュプーフの身体は、数週間前に比べ一回り以上大きくなっていたのだ。
確かに、イシャナという魚は成長すれば二十メートル以上にもなる。このくらいの成長スピードでも、おかしくはないのかもしれないが……
「……とにかく、シュプーフ。口の中を見せてみろ。劔はもう吐き出したのか? 傷は残っていないか?」
ブルーノが口先をさすりながら言うと、シュプーフは大人しく口をパカッと開ける。
すると……
「こっ、これは……!」
シュプーフの、赤黒い喉の奥に。
……劔が、深々と突き刺さったままだった。
しかし、そこから出血しているわけでもなく、また炎症を起こしている様子もない。
まるで最初からそこに刺さっていたかのように自然と、シュプーフの柔らかな粘膜に馴染んでいるのだ。
まさか、まだ体内に劔が残っているとは思わなかったが……シュプーフの成長具合を見るに、しっかりとエサは食べられているようだ。
これは、たまたま刺さり所がよかったのか……? いや、いずれにせよこのままではまずい。シュプーフの身体に影響を与えないわけがないし、何よりサジタリウス家が取り戻しに来るかもしれない。
そうなったら……今度こそ、シュプーフまで失うことになる。
ブルーノは、グッと拳を握りしめると、
「……シュプーフ、ここだと誰かに見つかる可能性がある。儂の"秘密の隠れ家"へ行こう。そこで、劔を抜いてやるからな」
そう、優しく言い聞かせると。
シュプーフのヒレに捕まって、『秘密の隠れ家』を目指した──





