15-1 潮騒のキヲク
「───んむぅぅううううっ♡」
二日ぶりの食事となった、モノイワズの煮付けを口にし。
エリスは、頬を押さえて悶絶した。
イリオンの中心部にある病院を一時離れ。
クレアたちは、ブルーノの知り合いが営んでいるという小料理屋を訪れていた。
そこで持ち込んだモノイワズを捌いてもらい、様々な料理に変えて提供してもらったのだが。
「……ようやくおとなしくなりましたね」
「ああ……犠牲者が出る前に連れて来られてよかったわい」
嬉しそうに煮付けを噛みしめるエリスを見つめ、シルフィーとブルーノがため息をついた。
あの後、空腹が限界突破したエリスは……
とにかく何か口にしたいのか、あらゆるもの(特にクレア)に齧り付こうと暴れまくったのだ。
その様相は、まさに獣。だんだんと人語を話すことも、聞くこともままならなくなり、ただ荒い息を繰り返すだけの肉食獣と化した。
病院や他の患者に迷惑をかけるわけにもいかず、とにかく外で食事を摂らせようと、クレアが自分の肩を齧らせながらおんぶしてここまで連れて来たのだった。
「すまなかったな、あんちゃん。一番ひどい怪我をしているというに」
「いえいえ。エリスがこうなった責任は……私にありますから」
ブルーノに言われ、クレアは苦笑いする。
……恐らくだが。
エリスの中で、食欲と性欲は非常に近い部分にあるのだろう。
以前にもツカベック山の洞穴で似たようなことがあったが……あの時もエリスは、昼食を抜いた空腹状態にあった。
そこへ、前回は媚薬、今回はクレアのキスによって性欲が刺激され……
結果、爆発寸前の食欲と混ざり合い、『クレアを(物理的に)食べたい』という衝動に至ったのだ。
エリスを空腹にさせたのも、いやらしい気分にさせたのも、自分のせい。
しかし……『キスで発情してこうなりました』なんて説明するわけにもいかず、結果的にエリスだけが悪者扱いされてしまい、クレアは本当に申し訳ないと感じていた。
これは……あれだな。
今後はちゃんと、お腹いっぱい食べさせてから手を出すことにしよう。
エリスのためにも、自分のためにも。
……と、向かいの席で一心不乱に食べ続けるエリスを眺めながら、クレアはそっと心に誓うのであった。
そんなクレアの視線に気がついたのか、エリスは箸を持つ手を止め……
顔をみるみる内に赤く染め上げると。
──ばっ!!
と、両手で顔を覆った。
そして、一言。
「……ふんふふんふふふ」
「いや、口パンパンすぎて何言ってるかわかんないんですけど」
「『すみませんでした』、と言っています」
「だから何でクレアさんはわかるんですか」
シルフィーが、エリスとクレアに交互にツッコむ。
そしてそのまま、エリスのことをあきれ顔で見つめ、
「お腹が満たされて、我に返ったんですねエリスさん」
「ふむ……ふふんむむふふふふむむんむ」
「『はい、ご迷惑をおかけしました』、と言っています」
「本当ですよ。クレアさんのことが心配だったのはわかりますけど、これじゃあ結局クレアさんに迷惑かけているじゃないですか。食べる時はしっかり食べないと、あなたが身体壊しちゃいますよ?」
と、珍しくシルフィーにお姉さんっぽく叱られ、エリスはしゅんと肩を落とす。
そして、顔を覆った指の隙間から、チラッ……とクレアを盗み見る。
クレアはそれに、にこりと微笑み返して、
「エリスは悪くないですよ。元はと言えば、心配をかけた私のせいですから。それにしても……エリスが釣ってくださったこのモノイワズ、本当に美味しいですね。脂がよく乗っていて、身がトロトロです。白子も濃厚で、思わず唸っちゃいました。わざわざ私のために……嬉しいです。ありがとうございます」
そう、優しく言うので。
エリスは、ぱぁあっ! と顔を輝かせてから、コクコク頷いて、
「ふーふふん! ふんむむ、ふむむふむふふん!」
「はは、それは楽しみですね」
「いやだから、飲み込んでから喋れ!!」
はぁ。もうやだ、このバカップル……
と、シルフィーがため息をついた、その時。
──カランコロン。
店のドアベルを鳴る。扉の向こうから現れたのは……
「あ、いたいた。もう、探したわよ」
先ほど、泣きながら病室を去って行ったチェロだった。立ち直ったのか、エリスたちを見つけるなりスタスタと近付いて来る。
シルフィーは軽く手を掲げ、
「ああ、チェルロッタ先輩。すみません、黙って出てきてしまって」
「ほんとよ。病院の人に聞いたら、あなた達慌てて出てったって言うから。何かあったの?」
「それが……エリスさんが空腹のあまり、クレアさんを食い殺そうとしたんです。それで、食事を与えようと思って」
「……なるほどね。それで、あんな体勢に……どうせそんなことだろうと思ったのよ。エリスがこんな変態男と懇ろになるワケがないもの。ねっ♡ エリス♡」
そう、席に座りながらにっこりとエリスに笑いかける。
それに、エリスはビクッ! と肩を震わせ、たらー……っと気まずそうに汗を流すが……
チェロは気付かず、すぐにクレアのことをキッ! と睨み付けると、
「そのまま噛み殺されればよかったのに!!」
「あはは。それはそれで本望ですが……生憎まだ、解決していない問題がありますので。死ぬわけにはいきません」
……と。
クレアは、全員が揃ったこのタイミングで。
本題を切り出すことにした。
「……ブルーノさん。『風別ツ劔』について……真実をお話いただけないでしょうか?」
クレアは、斜め前に座るブルーノを真っ直ぐに見据え、投げかける。
ブルーノは……一度目を伏せ、しばらく黙り込むと。
「……もう、隠しておくわけにもいかんな。わかった、話そう。だが……少し、場所を変えたい」
そう言って、チラッと周りの客を気にした。
確かに、昨日の件は世間にまだおおっぴらになっていない。領主の弟が『保安兵団』を抱き込み、領民の命を脅かすような企みをしていたのだ。不要な混乱と不安を招かぬよう、"中央"も慎重に処分を進めていることだろう。
「……わかりました。では、食事を終えたら移動しましょう」
クレアは神妙な面持ちで、静かに頷いた。
* * * *
──食事を終え、一行はブルーノの家にやって来た。
中に入るなり、ブルーノは無言で小さな本棚から古い文献を取り出し……
とあるページを広げ、皆に見せつけるようにテーブルの上へと置いた。
「……これは?」
首を傾げ、本を覗き込むエリス。
ブルーノは、そこに描かれた挿絵を指さし、
「イシャナについて書かれた本じゃ。ほれ、この絵」
「これが、イシャナ……? って……これ、魚じゃなくて……!」
エリスが、目を見開く。
ブルーノはゆっくりと頷き、言葉を継ぐ。
「そう。イシャナは、"魚"と呼ばれてはいるが……生態としては、竜に近い。言わば、"魚竜"の仲間なんじゃ」
そして。
彼だけが知る、イシャナと『風別ツ劔』に纏わる物語を……
ゆっくりと、語り始めた。




