14-2 ふたりの答えあわせ
──優しく、慈しむようなキスだった。
ただ、触れ合うだけ。
互いの温もりと、匂いを、静かに確かめ合うような。
そっと、重ねるだけの口づけ。
……本当は、想っているだけでよかった。
側にいられるだけで、幸せだった。
なのに。まさか、こんな。
……同じ気持ちになれる日が、来るだなんて。
彼女が知らない、二年分の想いを。
溢れるくらいに大きな、この気持ちを。
すべて、優しさに変えて。
『愛している』が、少しでも伝わるように。
彼は、うんと優しい、キスをした──
──唇を離し、クレアがゆっくり目を開けると。
「……………………」
目が合ったエリスが、照れくさそうに睫毛を伏せた。
それが可愛くて、またぎゅうっと抱きしめる。
そして、口元に笑みを浮かべて、
「……いいんですか? 私、変態ですけど」
「…………………いいよ」
「ぶふぉっ」
「なっ、なによその反応」
「……そうやってたまにストレートで打ち返してくるの……心臓に悪いです……」
「じゃあもう言わない」
「嘘ですごめんなさい。もっとください」
なんて、くだらないやり取りをして笑うと。
クレアは、エリスの身体をゆっくりと離し。
ちゅっと、唇に軽いキスを落とす。
「……あの時は、貴女のファーストキスをあんな形で奪ってしまって、すみませんでした」
「ホントよ。……って、なんで初めてだって知ってんの?!」
「そりゃあ、貴女のストーカーですから。私としても不本意でしたが、もう死ぬかもと思ったら奪わずにはいられなくて。今となっては本当に申し訳ないです。初めてが、血とハッカの味になっちゃいましたよね」
「う……あらためて思い出すと恥ずかしいからやめてっ!」
「飴を移すためとはいえ、結構深いヤツしちゃいましたし……完全に順番を間違えました。反省しています」
そう懺悔するクレアを……
エリスは、なにやら言いたげな目で見上げてくる。
「……どうかしましたか?」
クレアが尋ねると、エリスは「あ、えっと……」とごにょごにょ口籠ったのちに。
「……あ、ああいうキスは、その……………飴がないと、できないモンなの……?」
……なんてことを、上目遣いで聞いてくるので。
「………………」
その瞬間、クレアの理性は………
パーンッ! と、爆発四散した。
「……それはつまり……あの時みたいに、もっと舌を絡ませるようなキスがしたいと、そういうことですか?」
「えっ?! いや、それは……その……」
「……いいですよ。なら……」
──どさっ。
と、クレアはエリスをベッドに押し倒し……
「……飴なしの、本物のキス……………味わってみますか?」
瞳を妖しく光らせながら。
エリスの両手首を押さえつけて。
……噛み付くように、唇を奪った。
──先ほどとは打って変わって、クレアは息つく間もないくらいの、激しい口づけをした。
舌を深くまで絡ませ、吸い上げ。
その度に漏れる甘い声に酔い痴れながら、何度も、何度も。
今までの想いを全てぶつけるように、クレアは、エリスの舌を求めた。
……エリスが悪い。せっかく、優しいキスで済ませようと思っていたのに。
あんな煽るようなことを言われたら……もう、止められない。
嗚呼、エリスの舌……
想像していたよりもずっと甘くて、柔らかくて、温かい。
美味しいものだけを味わってきた、穢れを知らない舌を、自分の舌がめちゃくちゃに蹂躙しているという背徳感。
互いの唾液と、体温とが混じり合って、とろとろに溶けてゆくようで……
馬鹿になりそうなくらいに、気持ちいい。
「……んは……っ」
唇を離すと。
エリスは、半開きになった口から荒い呼吸を繰り返した。
頬を上気させ、蕩けきった顔で、くたっと脱力している。
その扇情的な表情に……クレアの加虐心が、堪らなく擽られる。
「……キスだけでくたくたになってしまうようでは、先が思いやられますね」
「さ、さきって……?」
「いえ、こっちの話です。で、どうでしたか? やはりエリスは……こういうキスの方が、お好みですか?」
と、いじわるく聞いてみた。
きっと、顔を真っ赤にして恥ずかしがるはずだと、そう思っていた。
……しかし、エリスは、
「…………ぅん。だって……」
荒い息遣いで、彼を見つめながら、
「こっちの方が……………クレアの味が、よくわかるんだもん」
……なんてことを言うので。
からかったつもりでいたクレアの方が、
「………………………へっ??」
素っ頓狂な声を上げ、顔を赤らめた。
思いがけない返答に困惑するクレアを……
今度はエリスが、ゆっくりと押し倒し。
「クレアの味……すっごく美味しい……」
「え、エリス……?」
「もっと………味わいたい……」
「え……えっ??」
「ていうか、もう……クレアのこと、食べたい。噛みちぎりたい」
「噛みっ……?!」
そして。
エリスは、クレアの上に馬乗りになり……
「ねぇ……クレアの、いろんなトコロ…………もっとたくさん、味見させて……?」
甘い吐息を漏らしながら……
……腹を空かせた獣のような目で、彼を見下ろした。
セリフと体勢だけ見れば、ありがたすぎる状況なのだが。
クレアは……本能的に、恐怖していた。
………あれ? ひょっとして、俺…………
……ただの食糧として、好かれている……?!
汗を垂らすクレアに、追い討ちをかけるように。
エリスが、クレアの服を脱がせ始める。
そして……
──がぶぅっ!!
と、彼の首筋に齧り付いた。
「い……ってぇぇえっ!!」
容赦なく肌に食い込む犬歯の痛みに、素で叫ぶクレア。
「ま、待ってくださいエリス! 確かに食べられたいとは言ったけれども! 俺まだ生きてますから!!」
彼女の肩を掴んで止めようとするが、エリスは……
ハァハァと息を上げ、熱に浮かされたような笑みを浮かべていて……
……その顔を見て、クレアは。
──あ、だめだ。喰われる。
と。
捕食者を前にした草食動物のように、自らの死を確信した。
震えるクレアに覆い被さるようにして。
目をギラギラさせたエリスが、「あーん♡」と口を開いた…………
その時。
──ガチャッ。
と、部屋のドアが開いた。
その隙間から、
「エリス……? 騒がしいけど大丈夫? ヘタレ野郎は起きて……」
そんな声と共に、チェロが心配そうに顔を覗かせた。しかし……
ベッドの上で、クレアに跨がるエリスを目撃し……
……ピシッ。
と、石化する。
そして。
「ぅ……ぅわぁぁああぁああんっ!!!」
滝のような涙を流しながら、走り去って行った。
続いて、
「あ、クレアさん! 目を覚ましました……か……」
今度はシルフィーが現れ……
目にした光景に、やはり固まる。
しかしエリスはまるで気に留める様子もなく、クレアの肩にがじがじと齧り付いてくるので、
「し、シルフィーさん……助けてください……」
クレアが、切実に助けを求めるが。
シルフィーは……
「………………」
ベッドの横の椅子に腰掛け、すちゃっと眼鏡の位置を直すと。
……無言で、二人を見物し始めた。
「………いや、助けてくださいって!!」
さらに。
ドアの隙間からブルーノが顔を出す。
「おー、あんちゃん起きたか。って……おお。すっかり元気そうじゃな」
「いやだから死にかけているんですよ今まさに!! エリスに食べられているんです! 物理的に!!」
クレアが必死に訴えると、ブルーノは「ふむ」と顎に手を当て、夢中でクレアに噛み付いているエリスを眺め、
「そりゃあ、相当腹が減っているはずじゃからな。何せ、丸一日ほとんど何も口にしとらん」
……などと言われ、クレアは、
「…………え?」
と、言葉を失う。
それに、椅子に掛けたシルフィーも肩をすくめて、
「エリスさん、食べる間も惜しんで、クレアさんに付きっきりだったんです。あのエリスさんが、ですよ?」
と、あきれたように笑う。
そんな馬鹿な……
いつだって、食べることを最優先に生きてきた、あのエリスが……?
「クレアさんが目覚めて、安心した途端に食欲が爆発したんじゃないですか? 空腹状態のこの人なら、目の前で動くものなら何でも食べてしまいそうですもんね」
「はは、確かにな」
そう言って笑うシルフィーとブルーノの声を聞きながら。
クレアは、未だ肩に歯を立てるエリスを見つめる。
……そんなに、心配をかけていたのか。
そんなに、自分を……想ってくれていたのか。
クレアは、噛まれる痛みを無視して。
エリスの身体を、そっと抱き寄せた。
それを見たシルフィーとブルーノは、目配せをして。
「それじゃあ、少し早いが朝メシにするか。そうそう、今朝はとびっきりの食材があっての」
ブルーノは一度廊下に出ると、大きな箱を持って来て……その中身を見せた。
そこに入っていたのは……
「………モノイワズ……?」
「そう。お嬢ちゃんが、あんちゃんのために釣ってきたヤツじゃ。儂の船で、カチンコチンに凍っておった」
「海に投げられた私を助けた時、エリスさんが同時に凍らせていたみたいです。さすが、抜かりなしですね」
「で、ようやく氷が溶けたところなんじゃが………どうする? あんちゃん」
ブルーノとシルフィーが、にまにま笑いながら見つめてくる。
それに……クレアは、微笑み返しながら、
「……もちろん。骨まで残さず、いただきます」
そう言って、頷いた。