14-1 ふたりの答えあわせ
──すーっと香る、消毒液の匂い。
それから……
………愛しい彼女の、匂いがする。
そんなことを、頭の隅でぼんやりと考えながら。
クレアは、ゆっくりと瞼を開けた。
……あれ。なんで眠っていたんだっけ?
今は、朝か? 夜か?
ここは、一体……
……と、まだはっきりとしない意識のまま、身体を起こそうとすると、
「……クレア!! よかった、気がついた!!」
横からそんな声がし、目を向けると……
今にも泣き出しそうな顔をしたエリスが、そこにいた。
「……エリス……ここは……?」
「イリオンにある病院よ。治療もしてもらったけど……大丈夫? 何があったか、思い出せる?」
「治療……」
心配そうに聞かれ、クレアは自分の身体があちこちに痛むのに気がつく。
……そうだ。禁忌の呪法を使って、ジーファを倒したのだ。
身体の状態を確認してみる。致命傷と呼べるものはなさそうだった。斬り付けられた左腕と、胸のあたりが少し痛む。あばらにひびでも入っているのかもしれない。
それからあらためて、自分が今いる部屋を見回す。
エリスの言う通り、病院の一室のようだった。自分が今いるベッドの他には小さなテーブルと椅子が一組あるだけの、小さな部屋だ。
「……みなさんは?」
「他の部屋で寝てる。みんなあんたに比べたら軽傷よ」
「……ジーファと……あの、フードの魔導士は……?」
「ジーファの身柄は『保安兵団』にお願いした。あの"水男"は、あれから現れていない。"中央"への報告とかも、諸々済ませておいたから」
「何から何まですみません。と、いうことは……私はけっこう長い間、気を失っていたのですか?」
「……そうよ」
「……今、時間は?」
「もうすぐ夜明け」
「……つまり、半日以上も寝ていたのですか?」
「そう」
「……その間、ずっと……こうして、側にいてくれたのですか?」
「……っ、そうよ! あんたが目を覚ますのを、ずっとずっと、ずぅぅっと、待ってたんだからっ!!」
声を発する度に、感情を露わにするエリスの目から。
──ぽろっ。
と、涙が零れた。
それに、クレアの心臓がドキッと跳ね上がる。
二年以上エリスを見続けてきたクレアだったが……彼女がこんな風に涙を流すのを、初めて目の当たりにしたのだ。
「……もしかして……私のせいで、泣いていたりします?」
「そうに決まってんでしょ?! あんな無茶な戦い方して、ボロボロになって……このまま目を覚まさなかったらどうしようって、ずっと怖かったんだから!!」
そう言って、エリスはさらに涙を流す。
その泣き顔に……クレアは、胸がぎゅっと締め付けられた。
こんなに心配をかけてしまって申し訳ないと、そう思う一方で。
……自分のために涙してくれていることに、どうしようもなく嬉しくなってしまう自分もいて。
クレアは、涙に濡れた彼女の頬に、そっと手を触れる。
「すみません。どうかそんなに泣かないでください」
「ばかっ! 誰のせいよ……っ」
「……私が死ぬのって、そんなに怖いですか?」
「あ……当たり前でしょ?! あんたに死なれたら、あたし……あたし……っ」
声を詰まらせ肩を震わす、その潤んだ瞳に……
クレアは、思い出す。
二人でステーキを食べた、あの夜。
彼女が言いかけた、言葉……
『…………あたしとあんた、どちらかが先に死んだら…………その時は……………』
「……エリス。あの時、何て言おうとしたのですか……?」
「………あの時……?」
「エリスと私、どちらかが先に死んだら、その時は……って。あの続き、今聞かせていただけませんか?」
「なっ……なんで今、そんな話を……!」
「だって、こうして死にかけたわけですから。死んでしまってからでは遅いので、生きている今のうちに、聞いておきたくて」
……そう。
"水瓶男"との決着は、まだついていない。
もしかしたらまた、命の危険に晒されるかもしれないから……
こうして話ができる内に、聞いておきたかったのだ。
しかし、エリスは。
「……………」
気まずそうに目を逸らし、口を噤んでしまう。
「……そんなに、言いにくいことなのですか?」
「……………」
「………なら……死んでしまったらどうしたいのか、私の考えを話しても、よろしいでしょうか?」
「……え……?」
クレアは、そっと。
エリスの手を、包み込むようにして握り、
「……エリス。もし、私が先に死んだら、その時は…………どうか私のことを、食べていただけないでしょうか?」
……なんてことを。
真剣な眼差しで、口にする。
「……覚えていますか? 以前、私が死んだら胃をあげますと話したこと。あれ、やっぱり撤回させてください。私、死んだら……エリスに、食べてもらいたいです。貴女の血となり、肉となり……貴女の一部となって、貴女と共に生きたいです。逆に、貴女が死んでしまったら、その時は私に食べさせてください。そうすれば、ずっと……ずっと、一緒です」
目の前のエリスが、驚いたように目を見開く。
しかし、もう……止められなかった。
一度口にしてしまった想いは、後から後から溢れ出て。
彼女への愛しさで……胸がいっぱいになって。
「……すみません。こんな話、気持ち悪いですね。つまり……つまりですね。何が言いたいかというと…………」
クレアは、ぎゅっ、と。
握った手に少しだけ、力を込めて。
「…………愛しています。エリス。
食べてしまいたいくらいに」
彼女の赤い瞳を見つめて
真っ直ぐに、そう伝えた。
瞬間、エリスの瞳が、大きく揺れる。
嗚呼、やっぱり。困らせている。
そう感じたクレアは、優しく微笑みながら、
「すみません。貴女を困らせてしまうことはわかっていたのですが……もう、心に留めておけなくて。聞いていただき、ありがとうございます」
「……クレア……」
「ああ、無理にお返事していただかなくて結構です。今の関係性のままで、私は充分に幸せですから」
「……あの……」
「あ、もし一緒にいるのすらもう嫌だというのであれば、ご安心ください。元々パートナーでいるのも、この任務限りの予定でしたから。これからは別々の仕事を…」
「だから、ちょ……聞きなさいよ!!」
エリスは遂に声を荒らげ、彼の言葉を遮る。
クレアがきょとんとした顔で見てくるので……エリスはそれを睨みつけながら、
「………………同じよ」
「………え?」
「……だっ、だからっ! あたしもあの時……同じことを言おうとしてたのっ」
顔を真っ赤にして叫ぶと。
少し俯きながら、話し始めた。
「……あたしね、母さんを亡くしてから、ずっと思ってた。人は、死んだらそれで終わり。他の動物みたいに、その命が何かの糧となって繋がることもなく、ただただ消えていく。それが……すごく、怖かった。だからもし、誰か好きな人ができたら……あたしが死んだ後は、その人に食べてもらいたいなって。その人の一部になれたら幸せだな、って……そんな風に考えてた。でもこんな感覚、きっと誰にも理解されないだろうから……人を好きになることもないって、ずっと、胸の奥にしまっていた」
エリスは、クレアの手を強く握り返し。
「つ、つまりね? あたしも、食べられるならクレアがいいし……あんたを食べるのは、あたしじゃなきゃ嫌だってこと! 意味わかる?! だから……これからも、ずっと……ずっと、あたしと一緒に……………っ?!」
その瞬間。
クレアは、エリスの手をぐいっと引き寄せて……
強く抱き締めていた。
「………エリス」
「な、なによ」
「愛しています」
「ソレさっき聞いた……っ」
「何度言っても治まらないのです。貴女への気持ちが、どんどん大きくなって……いくら言葉を並べても、伝わる気がしない。だから……」
クレアは一度、身体を離すと。
「……キスをしても……いいですか?」
エリスの両頬を、優しく手で包み込み。
囁くように、尋ねた。
それに、エリスはこれ以上ないくらいに顔を紅潮させ、しばらくあっちこっちへ目を泳がせてから……
「…………………ん!」
やがて、覚悟を決めたように。
目と口を、ぎゅっと閉じた。
その表情が、あまりにも可愛くて。
「……すみません。幸せすぎて……さっそく死んでしまいそうです」
「えっ?! なにそ……ん……っ!」
戸惑う彼女の言葉を遮るようにして。
彼は、唇を重ねた。