13-3 目には目を、歯には歯を
目深に被ったフードに隠された、その素顔。
……いや、正確に言えば、そこに顔はなかった。
目も鼻も口も、皮膚や毛髪すらない。
あるのは……
水。
液体だ。
向こう側が透けて見える、透明な液体が。
ヒトのかたちを模り、服を着ているのだ。
その液体の中に、気泡や植物の葉、鮮やかな色の花などが漂っている。
そう。つまり……
こいつは───ヒトじゃない。
その異形の姿に、エリスは幼い頃母に聞かされた寓話を思い出す。
『むかしむかし、人々を苦しめる邪悪な化け物がいました。
王さまの呼びかけで集まった七人の賢者たちは、その化け物に勇敢に立ち向かいました。
戦いの末、賢者たちは化け物の身体から魂を抜き出し、井戸の中へ封印することに成功したのです。
魂だけになった化け物は、もう悪さができないかと思われましたが……
夜中、井戸の近くに子どもが来ると、声をかけて誘い出し……
声につられ井戸を覗いた子どもを、冷たい水の中へと引きずり込むのです。
身体を失った化け物は、井戸の水で人間の姿を模りました。
だから、人々はそれを……
"水瓶男"と、呼びました。』
昔話に出てくる化け物そのものの姿をしたソレに。
「……あなたこそ……一体、何者なの……?」
エリスは、ごくっと喉を鳴らし。
そう、問いかけた。
一方、ジーファに足止めを喰らったクレアとチェロは……苦戦していた。
クレアの剣とチェロの魔法とで交互に攻撃を繰り出し、なんとか隙を作ろうとするが、押される一方だった。
「(くっ……早く行かないと、エリスが……!!)」
クレアが手数で勝負を仕掛け、ジーファの注意を引きつける。すると、
「──ヘラ! キューレ! 交われ!!」
チェロが水と冷気の精霊を混ぜ合わせ、"氷の槍"を作り出した。
ジーファがそちらを振り向き、弾き返そうと構えるが……チェロが投げた槍は、あさっての方向へ飛んで行ってしまった。
「ハハ、どこを狙っている?!」
勝ち誇った笑みを浮かべるジーファだったが……チェロは、ニヤリと笑う。
それを不審に思い、ジーファが後方を見遣ると……高く跳躍したクレアが、チェロの投げた"氷の槍"を掴み取っていた。
そして落下の勢いを利用し、槍をジーファの右肩へ深々と突き刺した!
「ぐぅ……っ!!」
低く唸り、剣を落とすジーファ。
全身を取り巻く"風の鎧"を貫通させるには、なるべく風の抵抗を受けない攻撃をと考えていた二人の連携が上手く決まった。
槍でジーファの動きを止めたクレアとチェロは、再びエリスを助けようと駆け出す………
が、しかし。
「……ッ、こんなもの……!!」
肩を貫かれたはずのジーファは、予想よりも早く動き出した。
彼は自身の肩から乱暴に槍を引き抜くと……
右手を掲げ、チェロに向けて"風の大砲"を放った!
「………やば……っ!!」
完全に背を向けていたチェロは、それを避けることが出来ず……
背中に風の衝撃を受け、倒れ込みながら地面をズザザザーッ! と転がった。
「チェロ!!」
「チェロさん!!」
エリスとクレアが叫ぶ。
何故……しばらくまともに動けないほどの痛みを与えたはずなのに……
と、クレアはジーファの方を振り返る。
まさか……精霊の圧力を受け続けているせいで感覚が麻痺し、痛みに鈍くなっているのか……?
だから、肩を貫かれた痛みを物ともせず、動くことができる……
これが、禁忌とされる人体強化の力……なんと恐ろしい。
戦慄するクレアの背後で、エリスがチェロの元へと駆け寄る。
すると、ジーファが引き抜いた槍を構え、
「うろちょろと……余計なことをするな!!」
エリスに向かって、勢い良く投げつけた!
風の勢いを得た槍は、もの凄い速さでエリスに迫り……!!
「………っ!!」
すぐに、彼女の目の前にまで到達した。
だめだ、避けられない……っ!!
エリスがぎゅっと目を閉じた……その時。
……どんっ!
と、エリスの身体が、何かに押された。
クレアだ。槍がエリスに到達する直前に、クレアが彼女を突き飛ばしたのだ。
しかし代わりに、クレアが槍を受け止める形になり……
「……ぐぁ……っ!!」
槍に貫かれながら、クレアの身体は飛ばされ……
遠くの壁に、強く叩きつけられた。
その衝撃で壁面にひびが入り、小さな石がパラパラと降り注ぐ。
「く……クレアぁああっ!!」
エリスの悲鳴のような叫び声が響く。
「ふふ……はははははは!! さぁ、これでマトモな戦力はいなくなったぞ?! ブルーノ! 観念して俺と来るのだ!! そして、『風別ツ劔』を……!!」
高笑いをするジーファに、ブルーノが諦めたような表情を浮かべる……が。
「……………すみません……エリス……」
自分を呼ぶ声に、エリスは涙を浮かべていた目を見開く。
すると、壁にめり込んだクレアが、ゆっくりと動き出し……
「………貴女の大事な『魔導大全』に……穴を、開けてしまいました……」
……と。
槍の突き刺さった分厚い本を、申し訳なさそうに掲げた。
同時に、槍が光を放ちながら精霊の姿へと還る。
船着場で拾って以来、ずっと身に付けていた『魔導全書』を、咄嗟に盾にしたのだ。
槍の直撃は免れたものの……壁に叩きつけられたダメージは、相当に大きかった。
足元のフラつくクレアに、ジーファは再び右手を向け、
「……フン、死に損ないが。今、楽にしてやる」
その手に、風を集め始める。
チェロが戦闘不能となった今、状況としてはかなり分が悪いが……一人でも、戦うしかない。
クレアは剣を手に、駆け出す。
ジーファが"風の大砲"を放つが、クレアはそれを冷静に避ける。そして勢いを殺さぬまま、剣を水平に構え、ジーファに突きを放った。
風の抵抗を極力受けないようにするための攻撃だったが……しかし、ジーファが軽く手を振っただけであっさり弾かれてしまう。
やはり先ほどの槍のようにリーチがなければ、深いところまで到達できないか。
それでもクレアは、ジーファが消耗することを見越して、攻撃を続ける。
痛みに鈍感になっているとは言え、肩から血を流し続けているのだ。いつか、動きが鈍くなるはず。
そう考え、剣を振り続ける………が、そこで。
──ギンッ!!
と、鈍い音を立て。
クレアの握る剣が……根元から、折れた。
風圧を受け、何度も弾かれる衝撃に、剣身が限界を迎えたのだ。
クレアは柄だけになったそれを捨て、倒れている山賊から剣を奪い代用する。
しかし、元々上等とは言えない代物、それもすぐに折れてしまう。
そんな危なっかしい攻防を黙って見ていられるはずもなく、エリスが動き出す。
吐き気を堪えながら、微かに感じる精霊のにおいを頼りに……彼女は魔法陣を描く。
そして、
「──アグノラ!!」
風圧に負けない強固な武器をクレアに託そうと、近くに転がっていた剣に鉄の精霊を纏わりつかせた。
だが……
出来上がったものは、まるでギロチンの刃のような……大男でも扱うことに難儀しそうな、分厚い大剣で。
こんなもの、重すぎて使い物にならない。
嗅覚をやられているせいで、やはり魔法が上手くコントロールできないのだ。
クレアを助けたいのに……こんな時に限って、何の役にも立てないなんて。
自分の不甲斐なさに、エリスはぎゅっと唇を噛み締める。
……と、そこで、
「……もう、やめろ……やめてくれ!!」
ブルーノが、震える声で叫んだ。
そして、無言で立ち尽くしていた"水瓶男"に摑みかかると、
「………お前に、『風別ツ劔』の在り処を教える。そうすりゃいいんだろ?! だからこんなこと、もうやめさせてくれ!!」
必死の形相で、そう言った。
その言葉に、ジーファとクレアは剣を交えながら目を見開く。
ブルーノが続けて、
「お前さん……さっき言っていたよな? 『力の解放を』って。儂が望んでいるのも、劔の力を解き放つことなんじゃ! こんな男に明け渡すくらいなら……同じ目的を持つ、お前さんの方に託す。だから、ここは……一度引いてもらえないか?」
「ブルーノさん!!」
フードの下の異形を見つめ、懇願するブルーノに、クレアが制止の声を上げる。
まずい。この場を切り抜けるためとはいえ、"水瓶男"とそんな約束をしては……
奴の目的が明確でない以上、それは危険すぎる。
それを聞いたジーファも、焦りの表情を浮かべ、
「ふ……ふざけるな! 劔の力を使うのは俺だ!! 俺がいなければ、力は解放できない! そうだろう?!」
と、クレアの剣を受け止めながら叫ぶ。
それに、"水瓶男"はゆっくりとそちらへ振り返り、
「……そウ。チカラのかイホうは、ニンゲンにしかデキなイ。ダガ……おまエであるヒツヨうモまた、ナイ」
「なっ……!!」
突き放すようなその言葉に、ジーファは愕然とする。
"水瓶男"は再び、ブルーノに向き直ると、
「……ホンとうニ、ツルギのモトヘ、ワレヲみちビくカ……?」
「あぁ……約束する!」
「…………ソのトキは……」
す…っ、と。
"水瓶男"は、エリスを指さして。
「……コのニンゲンヲ、つれテこイ。チカラのかイホうニ、ヒツヨうトなル……」
「……え……?」
困惑するエリスに、"水瓶男"は何も返さないまま……
現れた時と同じように。
風を巻き起こしながら……姿を消した。
「お……おい! 何処へ行く……?! おい!!」
取り残されたジーファが手を伸ばし呼びかけるが……返事はない。
「……よく分かんないけど……仲間割れした、ってこと……?」
悪臭の元凶が消え、エリスは息をつきながら呟く。
しかし……
「………渡すものか……」
ジーファを取り巻く風は、消えることなく……
「………『風別ツ劔』は、俺が手に入れる!! それ以外、認めるわけにはいかない!!」
──ゴォォオオオッッ!!
叫ぶのと同時に、全身から猛烈な風が放たれた!
まるで竜巻の中に放り込まれたようだ。砂塵が舞い、目も開けられない。吹き飛ばされないよう、足を踏ん張るのでやっとだった。
それでもクレアは、ジーファのいる位置を確認しようと、なんとか目を開ける……が。
──ズドンッ……!!
腹に、激痛が走る。
「これで……終わりだ……」
いつの間にか、目の前にいたジーファが。
ありったけの風圧を込めて、クレアの腹に、拳を叩き込んだのだ。
そのことを認識すると同時に、クレアは……
「か……は……っ」
口から、真っ赤な血を吐き出した。
「クレアぁああっ!!」
膝から崩れ落ちるクレアの元に、エリスが駆け寄ろうとする。
朦朧とする意識の中、クレアには、世界がゆっくりと動いているように見えた。
……駄目だ、エリス……こっちに来ては……
そう言って、彼女を止めたいが、声が出ない。
ジーファに向かって剣を振るいたいが、力が入らない。
くそ……こんなところで終わるわけには……
エリスを……失うわけには………!!
クレアの思いとは裏腹に。
ジーファの手が、エリスの方へ向けられようとした………
その時。
「──……エドラ! お願い……!!」
振り絞るような叫びと共に。
ジーファの身体に、突如として現れた稲妻が、直撃した。
「……が……ぁ……!!」
"風の鎧"でも防げないその攻撃に、ジーファは全身を痙攣させ、膝をつく。
エリスの後方から、雷の精霊を放ったのは……
「……チェロ!!」
エリスは振り返り、その名を呼ぶ。
先ほど受けた攻撃の痛みが尾を引いているのか、チェロは地面にへたり込んだまま魔法陣を描いたようだった。
彼女は震える手で、エリスに小さな瓶を一つ差し出し、
「……まだ、あと一つだけ……エドラの瓶があるわ。これで、トドメを……」
……と、言いかけるが。
「う……ぐぅ……!!」
ジーファが、なおも動き出そうと、唸りながら歯をくいしばっている。
電撃による痙攣が治まれば……またすぐにでも動き出しそうだ。
「そんな……これでもまだ動けるっていうの?!」
チェロがその顔に、絶望の色を浮かべる。
クレアも、戻りつつある意識の中、ジーファの姿を瞳に映した。
……ジーファももう、引くに引けないのだろう。
盾となっていた山賊どもを失い、"水瓶男"という協力者にも見捨てられ……それでも諦めきれず、もはやただの憎悪の化身となっている。その身が滅びるまで、破壊の限りを尽くすに違いない。
それを止めるには……こんな身体じゃ、どちらが先に倒れるかわかったものではない。
"水瓶男"が消えたとはいえ、残る戦力が本調子ではないエリスと、たったひと瓶の電撃だけでは、あまりにも心許なさすぎる。
ならば………
クレアは剣を地面に突き立て、立ち上がると。
エリスとチェロの方に、ゆっくりと歩み寄る。
そして。
「……その、残された精霊……私に、使っていただけませんか……?」
そんなことを、口にした。
エリスたちはその言葉の意図がわからず、『え……?』と聞き返す。
クレアは、血の付いた口の端を少し吊り上げて、
「目には目を……歯には歯を………
………………禁忌には、禁忌を…ですよ」
と。
まるで悪戯を思いついた少年のように、言った。