鳥居をくぐる
「神様、どうかこの世を幸せにしてください。」
毎年、毎年、呆れるほど繰り返した。
手が擦り切れるほど手を合わせ、
立ちくらみが起きるほど頭を下げ、神に祈った。
神様は、この世を必ず幸せにしてくれると、信じ続けた。
でも、神様を信じているだけじゃ、幸せなんてものは見えてこなかった。
やがて、私は、自分自身を呪った。
呪って、呪って、地獄に落ちるほど醜い姿になって、
でも、呪い続けるという行為にも、
どうやら底があったらしい。
呪い続けた自分自身には、もう何も残っていなかった。
だから、昔より軽くなったその心で、
神社に置いてある、見たこともない何かに、
自分の幸せを丸投げすることをやめようと決心した。
そして、今までこんな醜い私を支えてくれた人達のために、
自分の幸せを、
幸せになることの出来なかった醜い自分を、
自分自身で受け入れてみようと思った。
最初はすごく、涙が止まらなかった。
だから、涙が枯れるまで、悲しいという感情が尽き果てるまで、
自分が感じた悲しみの全てを外に吐き出した。
そうしたら、いつの間にか、
今まで溜めに溜めた悲しみも、いつの間にかどっかにいってしまっていた。
だから、次に、
自分が、面白いと、楽しいと思うものに出会えたら、
「面白い」
「楽しい」
悲しくて、辛いものに出会ったら、
「悲しい」
「辛い」
きちんと感情を口に出すことにした。
最初は、多分、変だったと思う。
でも、あなたはそんなヘンテコな私すら、きちんと受け入れてくれた。
そういうことをずっと繰り返して、
「おはよう。」
「こんにちは。」
「こんばんは。」
「おやすみなさい。」
「ごめんなさい。」
「ありがとう。」
自分から口に出して言える、
今までの自分が捨ててしまった言葉たちが、
自分の元に帰ってきて、
自分の口で、無意識に言えるようになった頃、
本当に、心から面白く、楽しいと思えるものが次々と現れて、出会って、
笑おうなんて思わなくても、
あなたの私を想ってかけてくれる言葉に、自然に笑えるようになった。
そうしたら、やっと。ひょっこりと、
向こうから、幸せが歩いてきた。
その、歩いてきた幸せを眺め続けて、
そうして、やっと気がついた。
神が人間を創り出したのではないのだと。
神を信じる、
幸せになれる自分を信じる、
大切な誰かが笑顔になれる未来を信じる、
人間の信じる心が、神を産み出したのだと。
人間の信じる可能性が、全ての望みを叶えていくのだと。
今、そこで泣いている、絶望を見ているあなたは、
幸せという信じる心で、この世に幾度となく、
なりたいあなたという名前の神様を産み出してみせた。
神様が優しさの強さを信じなければ、
神様の周りの優しさは、力でねじ伏せる暴力に変わってしまう。
神様が幸せでなければ、
神様を信じる人は皆、悲しい表情で不幸を嘆くことになってしまう。
神様が笑っていなければ、
神様の世界から笑顔を持った人々は自然と消えていくだろう。
神様が絶望しか見る気がないのなら、
神様の後ろに続く人々が希望を見ることはないだろう。
神様の慈愛が、私という人間を救ってくれた。
今そこに居る私を支えて続けてくれた神様へ。
この世は幸せじゃないわけじゃなかったんだ。
私自身に、私が見てる世界が、
どんなに絶対的不幸に包まれているように見えたとしても、
不幸があるということは幸もある。
この世に絶対的不幸のある限り、
自分が見ることが出来なくても、
聴くことが出来なくても、
感じることが出来なくても、
絶対的な幸も同じように存在していたのですね。
私に、この世に存在している幸せを見抜く力が、
誰かの笑顔を信じて前に進む、生きとし生けるものの足音を、
信じ抜く力が、足りなかっただけだったんですね。
どんな絶望も受け入れてくれた神様へ。
見ていてください。
どんな醜い私も、ヘンテコな私も、
受け入れてくれた神様のように、
私もいつか、誰かの幸せを、笑顔を、
どんなに暗い絶望からでも、絶対に、
どんなに長い時間を経ようとも、見つけ出してみせます。
例え、神様の背中に、届かなくとも、
私は私らしく、
自分の幸せを、誰かの笑顔を信じられる、
この世の幸せを信じられる、
そんな人間に、なろうと思います。




