前十篇 虹色の奇跡
※この話は『花十篇 カーネーション』の続篇です。
前作のネタバレが多分に含まれますので、先にそちらを御一読頂けると助かります。
また、『前十篇』シリーズはオムニバス形式の作品です。
読む目安は、赤→灰→緑・蒼・白・黄→金→イレイザー・ケース→虹・黒となります。
可能であればその順番でお読み下さい。
「うぅ……」「そう緊張しないで、ビルさん」「別に取って食われる訳でもないでしょうに。ねえ、姉さん?」
“衛星二十四番”、丘陵の頂。異端の楽園は解体されて久しく、とうに人の手が入る以前の草原へと戻っていた。
会話の主は、並べば良く似た三姉妹と、唯一既婚の三女の伴侶ビル・レヴィアタ。四人が腰掛けるは、大河が見下ろせる場所に設置されたガーデンチェアだ。傍には久方振りのゲストの要望に応じられるよう、ポット片手にメイドのランファが控えている。そしてテーブルには、彼女の淹れた人数分の紅茶。
肉体の死と同時に無意味と化した、血液染めの赤衣。そんな悪趣味な衣装に袖を通す長女メアリーは、腕を組んで意地悪げにニタニタ。その背後の元薔薇園では彼女のパートナー、ヘイレン画伯が膝上にスケッチブックを広げていた。
「分からんぞ。あの坊主、意外と執念深そうだったからなあ」
「メアリーお姉ちゃん!?」
「お姉さんの言う通りだ。アニー。ハイネは私のような酷い父親を、本当に赦してくれるのだろうか……?」
今にも嘔吐しそうな義弟へ、情けない男ね、次女ルーシーも容赦の無い激を飛ばす。
「会うのが怖いなら、最初から来なければいいのに」
「ルーシーお姉ちゃんまで!?だ、大丈夫よビルさん!ハイネは優しい子だもの。きっと笑顔で和解してくれるわ」
「しかし」
「放っとけ、アニー。ランファ、茶」
「はい」
コポポポ……二杯目のアールグレイが注がれる音をバックに、百メートル程丘を下った先。今年も儚い花を落とし青々と茂る一本の樹木の下、同じ名を持つ“緑”が立ったまま物思いに耽っていた。と、彼女の左側から肩を叩く掌。
「おい、桜。もうすぐあいつ等来るぞ。ぼーっとしてないで」ポカッ!「いてっ!?」
殴られた頭を押さえつつ振り返るアダム。そこでエメラルド色の義眼と目が合った瞬間、ゲッ、あんたかよ、人間嫌いは珍しくバツが悪そうに首を竦めた。
「どうしたんだい、三人共?」
幽霊歴も早三桁だと言うのに子供等の保護者、コンラッドは今日も元気に鍛錬に勤しんでいる。経営者の仕事が無くなった分、今度は武道への欲求を思うまま満たす事にしたらしい。偶に手合わせを務める家族達に、良い気分転換になると言われたのもその一因だろう。
「はは、アダム。流石に昨日の今日だ。少しは空気を読んであげなさい」
「……チッ。悪かったな、桜」
「いえ、私こそぼんやりしてごめんなさい。ほら、杏伯母さんも」
姪御の促しにだが、何故だ?元植物園の女主人は首を傾げた。
「女心を解さなかったのはそちらの若造だ。非を詫びようにも理由が無い」
「前々から思っていたけど、あんた頑固だな。桜の親戚ってのも納得だぜ」
「え。私、こんなに強情?」
もしそうなら心外だ、そう言いたげに問う。
「意外とな」
「そう……なら、彼にもそう思われているのかしら……?」
サァァ……つい先日来訪した恋人、その魔術にも似た爽やかな風が亡霊達の頬を揃って撫ぜる。墓標代わりの樹の幹を愛しげに触り、桜は小さく溜息を吐いた。
「おい、放せこの糞餓鬼!」「ヤダね、君こそ放しなよケダモノ!」「二人共止めて!本気で千切れる!!」
眼下からの賑やかな声に、胸を熱くしていた“緑”を含め、全員の視線が一斉にそちらへ向く。完全に草原化した山道を登る四人組の内、先頭のキューが代表で腕を振る。「ただいま、皆!」
「おう、やっと来たな餓鬼共。まーた愉快な事やってるじゃないか」ヒョイッ!片脚で腰を上げる女主人。「私も一丁混ぜろや」
「止めて下さいよう、伯母さん!これ以上増えたら、幾ら幽霊でも真っ二つですよ!?」
「はっはっは。モテる男は辛いな」
スタスタスタ。赤衣のポケットに両手を突っ込み、Drは扇体操状態の甥っ子に近付く。
「そんな他人事みたいに、あ。他人事だった……あれ、父さん」
一瞬の逡巡の間に、空気を読んだ二人がハイネを解放。自由になった脚で彼は丘を登り、怪女の背に隠れるように立つ父親へ腕を伸ばした。
「―――ただいま、父さん。久し振り」「あ、ああ……おかえり、ハイネ。元気そうで何よりだ」
和解の握手を交わし、ふと頭上を仰ぐ父子。先程の小雨で、大気中にまだ水蒸気が漂っている所為だろう。幽霊達の優雅なティータイムを祝福するかの如く、『ホーム』の上空には鮮やかな七色の大河が掛かっていた。