2.冒険者
街道を歩き始めて2時間ほど経ったのだろうか。まだ森が続いていた。
とうに日も暮れてしまった。月明かりだけを頼りに歩いていた。
時間がたつにつれ、私の中にある疑問と不安が渦巻き始めた。
『私は何者か?』
私は何者か。このまま歩き続け、街に着いたとして、自分が何なのかすら分かっていない私を、受け入れてくれるのだろうか。街に入れても、何をすれば良いのか。
金も無い。短剣だけを持った私が怪しまれるのは当然と言える。
その時だった。
「グルルルル…」
背後に一匹の狼が現れたのは。
こちらを狩るつもりだろうか。
短剣を構える。地面を蹴り、狼との距離を一気に詰める。
「……」
短剣で狼の目を突き刺そうとした。
しかし、ギリギリで避けられ、眼球の表面を少し傷付けるのみとなってしまった。だが狼には十分な威嚇になった様だ。
「キャィン!」
狼は情け無い悲鳴を上げ、森の中へ消えていった。
街道を再び歩き出す。さっきの狼のこともあり、少し警戒して歩くことにした。
今夜は月が明るく、それでも暗いが、歩けないほどではなかった。時折、狼の遠吠えが聞こえ、少し怖かった。
カサ……と背後で草の擦れる音が聞こえた。風かと思ったが、どうも不自然な音だったので、振り返った。
そこには、右眼から血を流した、先程のものと思われる狼と、もう一匹の狼がいた。闇の中で目だけが光っている。
さすがに二匹同時に相手をするのは辛い……反射的に狼に背を向け、走り出してしまった。
狼は私を追いかける。
「ウォンウォン!」
「ウォンウォンウォン!」
その脚ならば、私の走りに追いつく事は容易だろうに、二匹は私の後ろを一定の速さでついてくる。
あぁ…追いつかれる。きっとこいつらは群れでいるだろう。森の中にもまだ何匹か潜んでいるはずだ。この二匹が私を消耗させ、疲れて走れなくなったところで獲物を仕留めるのだ。
走り始めて少しして、わたしの脚と体力は早くも限界に達しようとしていた。
「ハァ、ハァ、ハァ、」
脚がくるくるする。胸が痛い…息を吐くと血の匂いが鼻で感じられる。
終わったと思った。私はここで死ぬのだ。
「おい!こっちだのろま狼ども!」
振り返ると、森の中から一人の男が飛び出し、私と狼の間に立ち塞がった。
大きな安心を感じ、その場に倒れこんだ。
少し遅れてもう一人出てきた。
「一人で行って噛み殺されたらどうするんだよオズ……」
そしてもう一人、女性だった。
「ちょっと待ってよー暗いんだからぁ……って、大丈夫⁉︎」
その人が私に気付いて、駆け寄ってきた。
「カレン、その子を頼む!クラウス!やるぞ!」
「おう!…って、その子?……あ、居たのかそこに!」
「オズ!この子は任せて!」
カレンと呼ばれた女性が、私に「もう大丈夫よ」と声をかけてくれた。
視界の奥で二人の男が狼と戦っているのが見えた。
私の意識は疲れと安心に押し流され、そのまま眠りについた。
……………………
………………
…………
どうやら昨日はあのまま寝ていたようだ。走っていたせいで、まだ喉が痛い。
目を開けてみる。今度は馬車の中ではないようだ。少し安心した。
森の中の少し開けたところの木の根元に、誰かのマントを掛けられ寝ていたらしい。あたりは薄明るく、夜が明けていた。
上半身を起こしてあたりを見回す。土の上に女性が座っていて、自分より少し離れたところでもう一人、木にもたれて寝ていた。
「あ、目ぇ覚めた?」
座っていた女性が私に気づき、声を掛けた。
「…ぁ……はぃ…」
「起きれる?朝ご飯あるよ。一緒に食べよう。」
カレンと呼ばれていた女性の誘いに乗り、マントをめくって立ち上がり、近くまで歩いて行き、座った。
「クラウスー!朝だよー!」
「うぇぃ……おきるぅ…」
「少女が起きたよ!起きて!」
「大丈夫か少女!」
クラウスと呼ばれた男が飛び起きた。「少女」とは私の事らしい。私の事を心配してくれていたようだ。少し嬉しかった。
「大丈夫です。」
「そうか!良かったな!」
すると、低木の陰から人が立ち上がってこっちへ来た。手には角の生えたウサギを持っている。昨日「オズ」と呼ばれていた人だった。
「お、起きたか。とりあえず朝飯だ朝飯ー」
荷物が置いてある近くの木に角うさぎを置いて、クラウスとカレンのあいだにオズが座った。カレンが袋からパンとバターを取り出し、それぞれに配った。
「いただきます」の合図でみんなが食べ始める。
私がパンを一口齧ると、オズが話し始めた。
「少女も目覚めた事だし、ここらで自己紹介といこうか。」
「いいね!そうしよう。」
「俺はオスカー。ジョブは魔法剣士。Cランクの冒険者だ。みんなからはオズって呼ばれてる。よろしくな!」
「アタシはカレン。魔法使い。Dランクよ。よろしく!」
「俺はクラウスだ。同じくDランク。戦士やってるぜ。よろしく!」
「君は?」
私も言うのか!
これは困った。自己紹介と言っても私には紹介できる事はない。
えっとえっとえっとー……
「私は…気が付いたら荷馬車で運ばれていて……それより前は覚えていない。…確か、二人の男がいて、私の事を森で拾ったと言っていた。」
「名前は?」
「分からない」
「もしかして記憶喪失ってヤツ?」
「それにしてもよ、なんでウルフに追いかけられてたんだ?」
「荷馬車を脱出して、街道を歩いてたら…ウルフが一匹の出てきた。目を少し斬ったら逃げたけど、今度は二匹出てきた。逃げたら追いかけてきた。」
「そういう事か!そりゃあ逃げたら追いかけてくるだろ。」
クラウスはそう言って笑った。
「ちょっと待て。今、荷馬車を出たと言ったか?男二人が居て、どうやって出たんだ?」
うっ……そこは聞いてこないでほしかったなぁ。
「それは……」
「それは?」とカレン
「それは……秘密。」
「えーー教えてー」
「止めとけカレン。言えない事もあるんだろ。」
オズが私の腰の短剣をちらと見てそう言った。
はー良かった。少女と呼ばれてる事だし、今の私は子供らしい。子供が「殺した」とか言ったら絶対驚かれる。オズの察しが良くて助かった。
「おい、名前が分からないと言ったか?思い出すまで何か呼び方がないと不便だろ。なんと呼べばいい?」
「分からない……あなた達に決めてほしい。」
これから思い出す自信もない。ここで呼び方を決めたら、思い出せなければそれが今後の名前になる気がする。
自分の名前は自分で決めるものじゃないし。
「いいわ、アタシが決めたげる!クラウス!何かいいのない?」
「はぁ?お前が決めるんじゃないのかよ!」
「すぐに良いのは思いつかないわ!」
「そうだな、俺も手伝おう。」
「おお!頼れるぜ、リーダー!」
3人は楽しそうに自分の名前を考えてくれている。
「何か好きな花とかある?」
「白い花と青い花。」
「白い花ならカルナの花とかは?」
「青は?」
「俺は青い花は知らない。」
「ルナセレネは?」
「なんだそれ」
「知らないのか?夜だけに咲くっていう…」
「月を象徴する花ね。」
「ルナ、とかは?カルナにもルナセレネにも入ってるし。」
「ルナ…良い。ありがとう。」
「ルナか。良い名前だ。」
そう言われ、思わず笑みが浮かんだ。
「私はルナ。よろしくお願いします。」
「おう、よろしくルナ。」
「よろしくね。」
「よろしくな!」
朝食を食べ終え、三人が荷物をまとめ始めた。私も掛けられていたマントの土を払い、持ち主だったクラウスに礼を言って返した。
「よし、行くかー。」
オズが片手剣と大きな鞄、カレンが杖と食料の袋、クラウスが大剣とさっきの角うさぎを背負い、一行は再び街道を歩き始めた。