なずながんばります
「別にいいんじゃないの。どうしてだめなのよ」
翌日、酒場へ向かう道すがら、葵はそう聞いた。
「パーティは少数精鋭がいいんだよ。報酬は山分けなんだから」
「少数はともかく、精鋭は無理よね。どんな物好きがユニークと組みたがるのよ」
「そ、それはそれとしたって、危ないのは本当だろ。あいつは十五歳だぞ」
ハルちゃんも十八歳でしょうに。葵は困った顔で、やはり笑った。
酒場の戸を開くと、その瞬間にまさに店を出ようとしていたなずなと鉢合わせた。おうと挨拶をしかけて、軽装の大男に連れられていることに気が付いたーーあるいは連れているのかもしれないが、艶に袴を着こなして尚、年相応のあどけなさを隠せないなずなのことだから、誰の目にもそうは見えない。父親にしては、あまり似ていないようだ。
「春太さん、葵さん」
例の花が咲いたような顔で、
「こちら、田川さんです。突然ですが、パーティに参加することを考えてくださるそうですよ」
田川と呼ばれた男は、葵の足の辺りをちらと伺って、それきりちっともこちらには目をやらない。
「考えるって?」
「私、これから田川さんとふたりで林へ行って、力を見せて頂けるそうです」
だったらと言いかけたおれを制して、なずなは得意満面で、
「おっと、いけません。気になるのはわかりますけど、田川さんの条件は、私とふたりだけで行くことです。同業者にもそうそう手の内を明かさないのが、今の時代を生き抜くコツなんですって」
ねえ、田川さんと、友達のいないのが不思議な人懐こい笑顔を向けられて、当の田川は苦虫を噛んだような顔で、歯切れの悪い生返事を返すのにさえ、相当骨を折っている様子だ。
「田川さんはバイタルですけど、人の手を握って力を吸い取るスキルを持っているんですって。私、それを見せてもらうのが楽しみで」
「そうなんですか、田川さん」
葵が顔いっぱいに怒りを湛えて、なずなの手を引いておれの後ろに押し込んだ。なずなは状況を読めない顔をして、ふたりを見比べる。転居してからこっち、この少女が誰とも口を利かなかったことは、案外幸運だったかもしれない。
急に用を思い出した田川の背中を見送ってから、おれたちは酒場に入って席を取った。
「けっこう、人は来てくれたんですけど」
昨夜寝ずに書いていたというビラの山を葵に没収されて、なずなは口を尖らせた。金がないと言っていたとはいえ、山と積まれたそのすべてが手書きらしいのには驚いたが、遠足のお知らせを思わせる丸っこいイラストが散りばめられて、まずはおしゃべりだけでもと強調されているのに加え、ひどいことに、連絡先としてなずなの泊まっている宿まで書いてある。
「ユニークの人が多くて。やっとバイタルの人が来たところだったんです」
「それでもだめよ、あの手の人は。ハルちゃんが嫌がるもの。あんなの、なずなとは目も合わせて欲しくないって」
「妙な言い方をするなよ。どうしておれの周りにはこう馬鹿ばっかり集まるんだ」
葵となずながそれぞれ「馬鹿とはなによ」「ばっかりとはなんですか」と騒ぐのにため息を吐くと、今度はそれを見咎めて騒ぐのだから始末が悪い。人を見る目があるだの言っていたのは、誰の話だったか。
昼食を取る間にも、ビラを持った男が何事か期待した顔で近くまで来ては、おれや葵の一瞥を受けて背を向ける……というようなことが数回あったが、それだけで済んだのなら、まだ救いがあった。
それからのなずなの努力は目覚ましく、痛々しくさえあったのだ。
酒場に先回りして目ぼしい討伐依頼をまとめておいてくれたり、支援屋に渡りをつけて、初回無料のクーポンをもらってきたり、かと思うと、突然部屋にやってきて布団を干してくれたり、掃除をしようとして、しかしこれは諦めたり、中でも最悪なのは、ひとりで勝手に依頼を受け、勝手に死に掛けて帰ってきたこともあった。さすがにこのときは凹んでいたが、追いかけ回されてだめにした着物が気に入っていたのだと言い出した時には頭を抱えた。
「あれ」
宿でいちごをつまんでいた葵が、突然手を止めた。
「なんだ、種がないなんて言わないでくれよ」
「言うわけないでしょ。それよりハルちゃん、何か変わったことない」
変わったこと? 葵が口に含んだものを飲み込んで、
「今、おばさんの魔力が消えたの」
言葉足らずは葵の得意技である。
「わかるように言えよ」
「だから、おばさんがハルちゃんにかけてた保護魔法が消えたの。ずうっとかかってたのに。今ボクサートレントに殴られたら、ハルちゃん、顔が三倍になっちゃうわよ」
母ちゃんがおれにそんな殊勝な魔法をかけていたことにも驚いたが、葵がまともにミスティックらしいことを言ったのが、何よりも意外だった。
頭でも打ったのかと声をかけようとした時、部屋の扉がノックのひとつもなく開いた。
「春太さん、葵さん」
しばらくぶりに顔を見せたと思うと、後ろ手に何か隠し持っていることがすぐにわかった。今度は何かと、葵と顔を見合わせる。
「褒めてください。ずうっと春太さんを追いかけてた、ストーカーの魔物を倒しました!」
石を投げまくったのだと自慢しながら、ジャンと差し出したのは、コウモリに似た魔物だったが、目がひとつきりしかなく、耳に刺さるような甲高い声で、
「ヤメテヨォ……マジヤメテヨォ……」
と呟いている。なずなは気味悪げに顔をしかめて、しゃべる魔物はいやだなあと言う。「声が気持ち悪い」
それは、実家でたまに見かける魔物であったから、おやと思って葵を見てやると、やはりうんと頷いた。
「……なずな、言いにくいんだけど」
「そんな……」
「き、気にするなって。なずなの気持ちはありがたいし、別に怒ってないよ」
使い魔を討たれると、術者に多少の跳ね返りがあるという話だが、母ちゃんなどは元討伐兵で丈夫だし、そうでなくても少しくらい痛い目を見た方がいいと思っているから、怒っていないというのは事実であった。
「でも、保護魔法が」
「かかっててもあちこち擦りむいてる」
「……ごめんなさい」
なずなの外に開かれた普段の快活さはどんよりとして、陰にこもった声色で、ハアとこぼしてベッドに倒れ込むと枕に顔を埋めた。
「おれのベッドだよ」
なずなは顔を上げないまま、もごもごと、
「ここで少し落ち込みます。寝るかもしれません」
それはいかにも困った。
さすがに見かねて、葵がおやつでも買ってきてやろうと言い出した。子どもじゃあるまいと思ったが、その瞬間、なずなが唸り声を一瞬止めたのに、気づかないはずもない。
寝ててもいいよと、なんだか優しい葵がなずなの後ろ髪を撫でて、行こうと言うから、おれも後について部屋を出た。
宿の一階の売店で肉まんを三つだけ買うと、そのときに売り子が葵を呼び止めて、討伐軍の方には渡しているだのと言って、チラシを一枚寄越した。それは爽やかなスカイブルーの色紙に、筆でたくましく書かれた大きな文字が躍る、以前に見た祭のお知らせであった。詳細を尋ねてもユニークは黙ってろの一点張りで、ちっとも構ってくれようとしなかった。
部屋に戻ったときなずなは元の姿勢のままだったが、座卓の上には先ほどはなかった急須と湯飲み。一体誰が用意したものやら、戸が開くなりなずなは滑り込むようにして座布団に移る。
「あれ、春太さんは」
春太とは、その一瞬で逆に、葵のベッドでなずなのようになっていたおれの名前だ。
「ハルちゃんも少し落ち込んでるのよね」
枕からほんのりと、いい匂いがするのに気を逸らされて、実はもうあまり落ち込んでいなかったが、もう少しこのままでいるためには、そのことは内緒にした方が良さそうだ。
「少しここで落ち込みます。寝るかもしれません」
「いいけど、ハルちゃん、よだれ垂らさないでよ」
葵からいい匂いがするようになったのはいつからだったか。島の農家にはパッチに適性がある人はいなかったから、よく畑仕事を手伝わされたものだが、そのときにはみんなで橋田の宿でもらい湯をして、宴会をするのが恒例だった。そのときには皆が葵と同じシャンプーを使ったはずなのに、宴会場は酒とたばこの匂いがするばかりで、これくらいいい匂いのする人はいなかった。葵だけ別のシャンプーを使っていたのか、労働者なんて連中は、風呂に入ってもシャンプーなんか使う奴はいなかったのか、そのどちらかだろう。
座卓の方へ顔を向けると、リスのように肉まんを両手で持って、これもリスのように頬を膨らませたなずなと目が合った。
「食べないんですか」
「お前の元気がないようなら、祭にでも誘おうと思ってたんだけど」
「元気ありません!」
大きな瞳をキラキラと輝かせて、弾かれたように膝立ちになるなずなの前に、葵がちらしを広げてみせる。
しばらく何かもぐもぐ言って、飲み込めと叱られてから、ごくりと大きな音をさせて、
「ゴーレム祭って、でも、危なそうな名前よね。なずな、何か知ってる?」
「知りませんけど、お祭ですから、きっと物騒なことないですよ」
どうしてさっきの売店で聞いてくれなかったのか、葵が聞いてくれていれば、おれも傷付かずに済んだのだ。
「お祭は明日だけど、参加するのに登録がいるみたいだから、私となずなで行ってくるわね」
ふたりが連れ立って部屋を出た瞬間から、おれは気兼ねなく、寝入ってしまうまで枕の甘い香りを吸い込んだ。
「やあ」
翌日、酒場で声をかけて来たのは、三十前後と見える見知らぬ男だった。青い瞳でジロリとおれを見ながら、鎧を身に纏って、色の白いたくましい身体を護っているが、兜の類は身につけておらず、その代わりに、特徴的な金色のマッシュルームヘアが乗っている。葵がちょっと触ってみたそうにそれを見る。
「君か。若い女の子をふたりも連れた討伐兵っていうのは」
「おれは農家だから、たぶん違うと思います」
会釈をして、横を通り抜けようとしたときに、なずながあっと思い出した顔をして、
「春太さん、あの人、私のビラをもらってくれた人です。春太さんはどういう人なのかとか、実績がどうとか、色々聞かれて面倒だったから、走って逃げたんですけど」
「え、本当に」
それって、真っ当にパーティ参加を考えて吟味してくれてたんじゃないのか。妙な男に慰み者にされそうになっておきながら、一方でまともそうなこの人を捕まえて、走って逃げたんですけど、じゃあるまい。
「あの、おれかもしれません。農家だけど」
金髪の男はやはりと頷いて、
「僕はクラウス・デーゲンという。この祭に関して、君に話があってね、ハルタくん」
「はあ、話ですか」
「僕のパーティにはミスティックがいない。君のパーティにはバイタルがいないそうじゃないか。そこで、このゴーレム祭で僕と君が勝負をし、勝った方が、相手のパーティからひとり引き抜けるというのはどうかと思ってね」
「え、バイタルがいるんですか」
クラウスは鷹揚に頷いて、
「ああ、いるとも」
「よし乗った!」
「ちょっと、ハルちゃん!」
葵がおれの手を引っ張って、酒場の奥へ連れ込むや否や、肩をわしとつかんで大きく揺する。
「どうしてあんな勝負を受けちゃうの、勝てるわけないでしょ!」
「いや、祭で勝負なんだから、早食いとか射的とかだろ」
勝機がないような言い草は心外だ。これでも射的は得意で、以前景品を打ち抜き過ぎて、下から固定していた接着剤を露出させ、ひとり警察送りにしたこともある。
葵はあんぐりと口を開けて、そうかとため息を吐く。
「ハルちゃんは昨日、寝てたから説明しなかったんだわ」
「なんだよ」
「いい、ゴーレム祭っていうのはね」
なんだって。