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世界に魔物があふれたら  作者: モヘンジョ
事の始まり
6/20

春太、農家になる

始まりの島を出て、船上での大立ち回りを経てたどり着いたのは、唯一、故郷の田舎島と定期便を交換する本土の都市ーー始まりの街である。

 都市全体をぐるりと城壁によって護られていて、その城壁の拡張が随時進められているため、この船着場から見える限りでも、パッチワークのように継接ぎの痕があちらこちらに残っている。

 その中でも一際苔むしている城門の前で、磨き上げられた鎧をまとった守衛の兵士が首を振る。

 「悪いけど、島から申請きてないから。討伐兵じゃないと入れらんないんだよ」

 「でも、おれは義勇兵だろ」

 兵士は一度噴き出すと、すぐにきりりと表情を引き締めて言った。

 「義勇兵ってのは、ちょっと聞いたことないが、島の方の自警団か何かかい」

 からかう様子のない真面目な口調に、目を丸くする。

 「聞いたことない? 討伐兵みたいなものじゃあ……」

 「いや、ないね。討伐兵は討伐兵だよ」

 葵に目をやると、腑に落ちた顔をして、それから笑った。

 「なるほど。何かと思ってたけど、自警団だったのね。それなら、討伐軍とは受付が別だって話もわかるわ」

「そ、そんな」

「恥ずかしい! 恥ずかしいわね、ハルちゃん!」

 つい先ほどまでは誇らしかったレベルカードだが、これを見せびらかしていたことを後悔する。この世界の「義勇兵」は、おれと、酒場で見た受付の酔っ払いだけなのだ。

 「とにかく、一旦島に戻って、手続きしてきなよ」

 こっちも仕事だからと言われては、引き下がるしかない。しかし、引き返そうにも船頭はさっさと街に入ってしまったし、仮に船頭がいたところで、船旅に懲りてしまったことは言うまでもあるまい。

さて。


 オートロックマンションの話を聞いたことがある。魔物によって生活が脅かされる以前には、さまざまな科学技術があって、これはその中のひとつである。

 鍵をなくすと家に入れないのは当然だが、建物自体の鍵は住民全員が持っているから、鍵をなくして家に入れない者は、他の住民が帰ってくるのにくっついて入ったという。

 「そう上手くいくかしら」

 「他に方法がないだろ。どっちにしても、まずは人に会わないと」

 一体どれほど時間が経った頃だろうか、城壁を左手に見ながら、壁伝いに歩いて来たおれたちは、すっかり降りた夜の帳の中で、大きな悲鳴を聞いた。

 示し合わせたように足を止め、息を潜める。

 「魔物かしら」

 「悲鳴は、女の人だったな」

 「近かったわよ」

 「逃げるか」

 まさに一寸先は闇の世界を、手探りに引き返し始めたとき、もうひとつ、短い悲鳴がこだましたかと思うと、

 「ああ、もう!」

 苛立たしげな声が、後を追って届いた。若いというよりも幼げなその声は、よく耳を澄ませているうちに、すすり泣きに変わっていった。

 「魔物じゃなさそうね」

「悲鳴は、女の人だったな」

「近かったわよ」

 「見に行ってみるか」

 声を潜めて、そろそろと声のした方に近付いていく。まだそう夜も更けていないはずだが、街の灯りはことごとく城壁に遮られ、周囲の暗さは足元もおぼつかない深刻さだった。

 それでも、すぐに行き着いたのは、島でもおなじみの畑である。何か植えられている様子はないが、丸く縁取られた一帯が、丁寧に砕土されている。

 丸く?

 「ハルちゃん」

 葵が鞄を背負い直して指差した先に、小さな背中が丸まって、小刻みにしゃくり上げているのが見えた。その周辺の土が耕されているが、その輪郭はやはり丸く、大きな円形の鋤でも使ったかのようだ。

 「すみません」

 「ギャア!」

 飛び上がると、彼女は軟らかそうな土に尻餅をついた。それから、声をかけたことを申し訳なくさえ思わせる怯えようで、ゆっくりと、本当にゆっくりと、こちらへ向き直った。

 「に、人間ですか?」

 やはり幼い、その声は言う。

 「人間よ。始まりの島から連れて来られたんだけど、街に入れなくて困っているの」

 力の抜けたような吐息の多い声で、そうですかとこぼすように返し、彼女は立ち上がった。やはり背は低く、ゆったりとして布地の多そうな服のシルエットが、ずいぶん余って見える。いや、あるいは少々特殊な形状の服を着ているのか、袖の辺りにヒラヒラと揺れるものがある。どちらにしても、ここでは暗くてよく見えない。

 土に塗れたのだろうお尻を払い、耕したばかりと見える土を踏むのも構わないで、彼女はこちらに近付いてくる。

 「それは困りましたね。ええと……」

 名乗ろうとした瞬間、カッと目を焼くような光に襲われる。しまった、と思う暇もあらばこそ、おれたちは情けない声を上げながら、押し倒されたように背中をしたたかに地面に打ち付けた。

 「す、すみません、大丈夫ですか?」

 チカチカとピントの合わない目に、しかし痛みはなく、打ち付けた背中と尻を除けば、体に異常はなさそうだった。

 辺りが急に明るくなったのに、利かない夜目を利かせていたおれたちは、ようやく少しずつ慣れてきた。

 見れば、葵の方も、ほとんど同じような格好で、同じようにおれを見て、指を差して笑い出した。

 「ハルちゃんってば、情けないなあ」

 「お前、自分の格好見て言えよな!」

 駆け寄ってきた女の子は、何度も頭を下げた。

 「すみません、驚かせてしまって」

 両手を差し出すその子が着ていたのは、なるほど和服であったのだ。袴とブーツの活動的な印象の一方で、振袖の純潔を振りまきながら、今や煌々と照らされる白い額の、その丸さの半分を黒髪で隠している。髪の流れは眉をかすめて耳にかかると、キラキラと光る髪留めで留められていた。うなじの辺りでふわりと切り揃えられた後ろ髪が、上辺のものだけ中央のバレッタでゆるくすくって束ねられていて、初々しい世慣れなさを感じさせた。

 くりくりとした瞳を人形のように丸くして、小作りな唇から「あの」と言葉を滑らせる。

 「ごめんね、この人は島の出身だから、かわいい女の子を見慣れていなくて、あなたに見とれているだけよ」

 葵がその子の手を取るのにつられて、おれもそうすると、その冷たさと軟らかさにため息が出る。

 ぐいと引っ張られる力は予想を超えて弱く、しかしその必死さを見かねて、おれも葵もほとんど自力ですぐに立ち上がった。

 「いや、こっちこそ、さっきは驚かせて悪かった」

 おれたちが名乗るのに頷くと、

 「私、黒川なずなです。なずなで良いですよ」

 これでおあいこですねと、花が咲くように笑うと、その顔は幼さを差し引いても、ひどくいじらしいので息が詰まるようだった。

 「なずなはこの街に住んでるの?」

 葵が尻を払いながら聞くと、なずなと名乗った少女は少し考えて頷いた。

 「住んでいると言っても先月からですけど、でも、住んでますよ。私、農家なんです」

 「それはなんとなくわかってるよ。それで、ひょっとして、なずなはミスティックなのか?」

 驚いた顔のなずなが、手のひらを庇にするおれを見て、ああと首を振った。

 「いえ、ユニークです。こ、こうげ……光源? 光源設置っていう、農家のパッチスキルですよ」

 なるほど便利なスキルである。食べ物が安くなったことについて、ニューゲーム様々だと母ちゃんが言っていたのを思い出す。

 「この辺、耕してあるのも、なずな一人でやったの?」

 「はい。耕鋤スキルで、あっという間ですから!」

 胸を張るなずな。そのまま「しかし」とこぼして眉だけをハの字にする、

 「虫が苦手なんですよね。スキルの範囲は自分を中心にしなくちゃいけないので、どうしても踏んじゃって」

 農家としては致命的な欠点だが、そればかりはパッチでどうこう出来るものでもないらしい。

 「ところで、こんな時間にどうして畑なんか耕してるんだ? 街の近くって言っても、危ないだろ」

 「昼間は魔物が出ますから。この辺りは、むしろ、夜の方が安全なんです」

 島での唯一の娯楽と言って良い海水浴も、そういえば夜の行事だった。そういうものだと思って疑問も持たなかったが、それにもきちんと理由があったのをたった今理解したのは、おればかりではないようだ。

 「それで、今はこうして光を炊いてるわけだけど、これは大丈夫なの? 魔物が寄ってきたりしないの?」

 くるくると忙しく表情を変えていたなずなは、スイッチを切ったように真顔になると、

 「しますよ。逃げましょう」

 そういうことは早く言え。


 思いの外の距離を、おれたちは歩いていたようだ。最寄りだと言われて連れてこられたのは、先ほど文字通り門前払いを食った城門とは違う門である。

 「はい、なずなちゃんね。ご苦労さん……、そちらの方々は?」

 カードを返されて、なずなはアッと顔を硬くした。

 「ええと、この人たちは……、父……いや、違くて……」

 「先ほど黒川さんとこで雇っていただくことになりました、農家見習いの者です」

 目配せを受けたなずなはにやりと頷いて、

 「そうなんです。ついさっき」

 鞄を下ろしてレベルカードを取り出すが、まだ職業欄は更新されていない。

 葵がひとりだけ驚いた顔で「そうなの、ねえそうなの」と騒ぐので、頭を叩いておれはカードにささやく。

 「農家になりました、農家になりました……」

 ゆっくりと義勇兵の記載が消え、新たに農家の二文字が浮かび上がるのを確認したちょうどその時に、カードを見せるように言われて、胸をなでおろす思いで提出する。葵もそうして事なきを得るが、守衛は相変わらず怪訝顏である。

 「申請はあるのかい。ないと通せない決まりになってるんだが」

 やはりそう来た。まだ農家になるのかとしつこい葵に代わって、父が危篤で、申請を通していては間に合わなくて、あるいは護送のため船に乗ったが健闘むなしく船が沈んで帰れず、と言い訳を組み立てていたおれの小賢しい考えは、

 「だめですか?」

 なずなの一言で無為なものに成り下がった。

 「そう言われてもね」

 「いつも守衛さんがお仕事をしてくれているおかげで、安心して作業が出来るんですから、私もわがままは言えません。でも、やっと仲間に恵まれたと思ったのに……」

 「なずなちゃん、止してくれよ……」

 「悲しいです」

 守衛の男は、何か言いかけたが、首を振る。

 「通せないよ。心苦しいが、仕事なんだ、おれも家族を養わなくちゃあ」

 だめか。諦めかけた時、なずなはにこりと笑った。

 「守衛さん、わたしは農家です。この門のあたり一帯、すごくふかふかにすることができますよ」

 何を言いたいのかわからず、なずなを見つめるのは、おれたちばかりではない。守衛もそうである。

 「するとどうでしょう、城壁は崩れるでしょうか。わたしたちも街に入れなくなりますし、追われる身にはなるでしょうが、門を守れなかった守衛さんは、家族を養えないばかりか、ひょっとするとその家族も、石を投げられたり、生卵をぶつけられたりすることがあるかもしれませんね」

 ね、とこちらに向き直るなずなは、泣き笑いのような悲しい顔だ。こっちに振るな。

 「残念です、わたしたちを通してくれれば、それだけでいいのに」

 「なずなちゃん……」

 「じゃ、耕鋤スキルを」

 守衛が折れて内密にと念を押したのは、それから数分ほど後のことであった。


 「楽勝でしたね」

 どうだと大手を振るなずなをさておいても、島の外の街は、不思議なものや目に新しいものばかりである。

 こいつ、人間的に問題があるな。

 ともあれ、初めてのおれたちは、例に漏れず落ち着きなく周囲に目を泳がせた。夜でも新聞が読めるほど明るい事はもちろん、支援屋という商売は知らなかったし、酒場が何軒も隣り合って並んでいることや、武器にしろ何にしろ専門店が多いのに驚かされた。特に兜屋と鎧屋を別に見かけたときなどは、おれたちがケチをつける熱も最高潮となった。

 「おふたりは、この街へ何をしに?」

 すっかり世話になってしまったが、なずなはそれでも、少しも恩着せがましい様子を見せない。人間的には問題があるが。

 「何をしに、と言われると弱いんだけど、まあ、ゲームを買うのと、魔物の討伐かな」

 何の因果か、義勇兵だったおれは、この街で討伐依頼を受けて生計を立てるために農家になってしまったが、そのはずだ。

 なずなは一歩前へ躍り出ると手を打った。

 「すごいじゃないですか! じゃあ、おふたりとも討伐軍の方なんですね」

 葵と顔を見合わせて、苦笑する。

 「実は登録前なんだ。おれはわけあって、しばらく農家でいようと思うんだけど、葵はすぐに登録したいと思ってて」

 葵が肩を何度か叩いて、ちょっとちょっとと口に手を添える。

 「なんで私が討伐軍に参加するのよ。そういうのがしたいのはハルちゃんでしょ。私は、しばらくのんびり出来ればいいんだから」

 「あのな、城壁の外へ一歩出るたびに、あの頭の固い守衛の尋問があるんだぞ。この先しばらく、絶対に壁の中に囚われていたいか、守衛に恋する予定でもあるんでない限りは、とりあえず登録だけでもしておいてくれよ」

 葵は唇を噛んで、しばらく何事か言おうとしていたが、やがて肩を落としてため息を吐いた。

 葵はなずなの方へ向き直ると、殊勝にも自分から討伐軍の登録受付はどこかと聞き、それに応えてなずながこっちだと先導した。


 葵が受付で頷いているとき、おれたちは四人掛けのテーブルに腰掛けて、店員に注文をするところだった。

 「ここはおれたちで出すから、なずなは遠慮せず食ってくれ」

 「本当ですか! じゃあ、チキン南蛮定食をタルタル多めで、それにブロッコリーのにんにく炒めと、あとジンジャーエールください」

 少しは遠慮をしてもばちは当たらないが、そうは言えないから、黙って有り金の確認をする。

 こいつ、人間的に問題があるな。

 さすがに今日明日でなくなる額ではないにしても、軽はずみな一言でこうも早速倹約を強いられることになるとまで想像してはいなかった。

 「きのこ炒めをふたつ……」

 店員が下がるのを待って、なずなは掲示板を指差した。

 「討伐依頼はあそこですね。私、魔物の討伐がどれくらいお金になるか知らないんですけど、儲かるんですか?」

 そうは言われても、おれだってよく知らない。肩をすくめて見せたとき、ちょうど登録を終えたらしい葵が、掲示板に寄り付くのが見えた。それからおれたちを見つけてやってくる。

 「登録してきたわよ。本当、勝手なんだから、ハルちゃんは」

 メニューを手に取ろうとする葵に、お前はきのこ炒めだと告げると、ぴたりと動きを止めておれの目を見る。

 「え……?」

 「掲示板、どうだった。良さそうな依頼はあったか」

 堰を切ったように文句を言うのを制しに制して、どうどうと落ち着かせてから聞くところによれば、良いも悪いもわからないということだ。経験の浅いおれたちには、無理もないことである。

 「でも、やっぱり報酬はまともじゃないわね。ゼロを数える気にもならないのだってあったわよ」

 「そういうのはめちゃくちゃ強い人がやるんだよ。いちばん安いのでどれくらいだ?」

 八万円くらいのがあったかなと答えるのを聞くにつけ、なずなは勢いよく席を立って、掲示板に食らいついたかと思うと、討伐軍の受付を経由して、肩を落として戻ってきた。

 「気持ちはわかるぞ、なずな。もうじき飯も来るから、食って元気出せよ」


 「私の泊まってる宿、安いからオススメなんですけど」

 なずながくるくると毛先を指に巻きつけながらそう言ったのは、酒場を出て礼を言ったときだった。

 礼を重ねてくっついていくと、確かに佇まいの割には安い宿で、ぼったくり宿屋の娘も満足げであったから、すぐにそこに決めてしまった。

 「一部屋でいいんですか?」

 畳の床にようやく荷物を下ろして、失礼なミスティックが開口一番に清掃魔法を放ったのを見ながら、なずなが言った。

 「おふたりはそういう関係なんですか?」

 「いやいや!」

 生い立ちから現在の懐状況まで話して同意を求めると、「ハルちゃんは無理だなあ」と、葵は嫌に心を込めて裏付けた。

 「すみません、久しぶりに人とこうしてお話をしたものですから、つい、はしゃいでしまって」なずながほんのり頬を染めて言った。「お邪魔だったらどうしようかと」

 「とんでもない。すごく助かったわ。ありがとう」

 十五歳の女の子が口元をむにむにとしながら耳の下を引っ張る仕草に、葵も顔が綻ぶのを抑えきれない様子だった。

 「ここに住み始めたばっかりだって言ってたもんな」

 おれたちほどではないにしたって、そう知り合いも多くはなかろう。

 「それにしても、話をしてないっていうのも随分だな。どれくらい一人だったんだよ」

 軽口のつもりで言ったのだが、なずなが言いづらそうに一ヶ月くらいかと答えたとき、おれと葵はどちらが先ともなく、この部屋に枕を持ってきなさいと指示していた。


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