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世界に魔物があふれたら  作者: モヘンジョ
事の始まり
2/20

春太、宿屋になる

ここまで期待をして何事もなく家に帰るのも釈然としない。何か方法はないか、お願いします、お願いします、と食い下がると、受付の女性は目の端をひくひくとさせながら教えてくれた。

「義勇兵という形であれば、パッチの制限は……、一応、ありません。ただ、やはりユニークの方には危険なのでーー」

「義勇兵として登録をお願いします」

討伐軍という言葉の響きにはやはり惹かれたが、背に腹は代えられない。女性は生返事を返すと、今度は別のところを、やはりあごでしゃくって、義勇兵の受付はあっちだと言う。

そこには、タバコ屋を思わせる小さなカウンターがあって、汚い髭を生やした中年の男性がそこに腰掛けて、瓶から直接ビールを飲んでいた。「義勇兵登録」という看板も、半紙に汚い字で一枚に一字ずつ書かれたものがガムテープでくっつけられ、カウンターに貼り付けられているだけだ。

恐る恐るそこで志願をすると、中年の男性は無言でおれをねめ回すなり、ため息を吐いて、乱暴に用紙を出した。

レベルカードを渡したときに、また笑われたように聞こえたが、気に留めないようにしてそのくしゃくしゃの用紙に記入を済ませ、返ってきたカードを見ると、「家事手伝い」だったはずの職業欄が「義勇兵」に更新されていた。

レベルカードを光に照らして、ほうとため息を吐く。今日から、おれは義勇兵なのだ。外への憧れを抱いているつもりはなかったが、これからの冒険を思うと、少し震えがきた。お隣の凱亜くんを見ていて、早々に諦めてしまったが、おれだって、子供の頃は魔王討伐軍に憧れたこともあった。ユニークの自分には到底無理だと諦めていたその夢が、少し希望とは違ったが、案外なんとか叶ったように思えた。

「おじさん、まずは仲間が欲しいんだけど」

やる気が漲ってきたおれは、受付の男性は、明らかに前後不覚の酔っ払いだが、それでも彼に声をかけた。

「登録されてる義勇兵のリストを見せてくれよ」

「ないよ」

「え?」

「こんな平和な島にそう何人もいないよ、義勇兵なんか!」

男性は「あ、やばいかも」と言ったきり、俯いて喋らなくなってしまった。

リストがないということは、この島にいる義勇兵は、この男性とおれの二人だけということだ。いくらなんでも、ユニーク一人で魔物だらけの世界を旅することは不可能だ。バイタルかミスティックの仲間を見つける必要があるが、この島ではそれが出来ない。

島を出るーーそれは家を出たときから決まっていたことだが、ひとりで出ることになるとは思っていなかった。急に不安が押し寄せてきて、この受付の男性でもいいから、仲間に引き込めないかと考えてしまった。見たところ、彼はおれのような特殊な事情でもない限り、筋骨の盛り上がりからして、バイタルだろう。仲間になってくれれば、頼りになるのは間違いなかった。

「おじさん、もしーー」

「ウエェ」

俯いたままだったおじさんは、そのままの姿勢でビチビチと音を立て、嘔吐した。おれは何も言わなかったことにして、船着場へと足を向けた。


「おじさん」

船着場では、先ほど見かけた船頭が、連絡船の整備をしている最中だった。船頭はおれの方を見ると、日焼けした肌に対していやに浮いて見える白い歯を見せて笑った。

「ハルスケじゃねえか」

「春太な」

「どうした」

船頭はおかに降りて、おれの肩を何度か叩いた。

「本土に行きたいんだけど、今度はいつ出る?」

船頭はさすがに大層驚いた様子で、おれの目を真っ直ぐ見たまま、何も言わない。おれの方は少し鼻にかけて、レベルカードを差し出した。

「見なよ。理由ならそれでわかるから」

おれのカードを受け取って、しばらく眺めたものの、なかなか得心がいかない様子で、やはり何も言わない。

「職業欄の……」

「ああ、義勇兵ってあるな! え!」

やっとわかったか。心ばかり胸を張って船頭に笑いかけたが、どうも船頭の方はそうすっかり腑に落ちたとは見えなくて、苦笑しながらおれにカードを返した。

「春坊、外は危ないぞ。さっき討伐軍の方々を本土から乗せてきたけどな、海にだってやっぱりレッサークラーケンだのジャイアントタートルだの、ある程度、魔物は出るしよ。さっきは、兵士さん方があっという間に追い払ってくれたからよかったが、お前さん一人で船に乗せて、おれまで一緒に沈みたくはねえしよ」

やっと義勇兵として勇者への一歩を踏み出したと思ったのに、討伐軍の受付の女性と同じようなことを言われて、気勢が削がれる思いであった。しかし、おれも今や一端の義勇兵だ。危ないからと言われて引き下がるわけにはいくまい。

「そこを何とかお願いします」

おれは深々と頭を下げて、両手で船頭の手をはしと取った。

「そう言われても、痛い痛い、春坊、放せよ。は、春坊、放してくれ……、はなっ、放せェ!」

赤くなった左の手首を振りながら、渋々と言う。

「仕方ねえ奴だな、まったく。グリグリするなよ、グリグリ……」

「だって……」

「わかったわかった。折れてやるよ、もう。兵士さんじゃなくたって構わないから、あと一人、バイタルかミスティックを連れて来な。そしたら、おれだって仕事だから、乗せてやる」

「言ったな! 本当だな! 絶対だぞ!」

きちんと納得ずくだとは誰の目にも見えない様子であるのが気がかりだが、そこは船頭の仕事に対する誇りを担保にするとしよう。

仲間を得ることで新たな街に旅立つことが出来るという状況は、案外冒険の始まりという感じがして、かつて憧れた職に就いたばかりのおれの胸が踊らないはずがなかった。

酒場に戻ろうかと思ったが、酔っ払いを引き連れて「こいつを頼りに船を出せ」とも言えまい。それに、先ほど目の前で嘔吐されて、酒であろうが船であろうが、酔って醜態を晒されるのはもうたくさんだ。

うちの常連のバイタルやミスティックもいることにはいるが、親父の商売相手と旅をするのはどうも気乗りがしないから、満を持して、橋田のところへ行くことにする。


創業から二十年。比較的新しい宿であるが、それを差し引いても綺麗に手入れがされているから、佇まいを一目見た旅人には、小さな島の宿でありながら、衛生面の不安はないものだろう。そもそもこの島を訪れる人などほとんどいないのも、その清潔さの秘訣である。

「おじさん」

三人組とはいえ、珍しい来客にほくほく顔の店主が、機嫌のいい返事をする。

「ハルちゃんか! おうい、葵、ハルが来たぞお!」

店主が奥に呼びかけるや、厨房の方から「ええ」と思わしくない声が飛んできて、それから、この忙しいときを狙いすましての何のと、たらたら飛んでくる文句の後に続いて出てきたのは、しかし機嫌のいい、苦笑を湛えた顔だった。

「いらっしゃい。ハルちゃん、今、お客さん来てるから遊んであげられないんだけど。お客さん来てるからね」

「二回も言わなくても、わかってるよ。遊んでもらいに来たんじゃないしな。船着場で見たんだ。討伐軍の人たちだろ」

店主と葵が顔を見合わせて、それから、伺い顔でおれを見る。

葵は漆を塗ったように黒く滑らかな髪を、陶器のように白い首元でふたつに結んでいた。胸元でするりと途切れた髪は、ベージュの質素なエプロンの上でさらさらと揺れる。春先で肌寒い今日のことだから、厚手のセーターを着ているが、その若草色と、ふわふわとした白いスカートが相まって、春の爽やかさを感じさせる。この島で唯一、同い年の住民である葵は、幸運なことに、どこに出しても恥ずかしくない美人である。特に今日は気合いがあるのか、宿屋の看板娘を地で行く出で立ちであった。

「おれ、旅に出ようと思うんだけど」

 しばらくそっと沈黙を挟んで、

 「ハァ?」

驚いた顔で、大きな声を出した葵が、珍しく食らいつくような剣幕で一足にそばまでやってきて、おれの鳩尾のあたりを、人差し指で突いた。

「なによ、いきなり。久しぶりに顔を見せたと思ったら、それ、島を出るってこと?」

「そう」

多少気圧されたところがあって、一歩か二歩ばかり退くと、あまり大きな声を出さないでくれと前置きをして、おれはことの顛末を葵に話した。呆れた顔をして、

「馬鹿ね、ハルちゃん、それは追い出されるって言うのよ。旅に出るだなんて格好つけて。馬鹿ね」

「なんだと」

「だいたい、ハルちゃん、ユニークでしょう。討伐軍に入れるわけでもないんだから、まず、島を出る手続きに何日かかかるわよ。よしんば本土に着いたって、ユニークは門前払いを食うことだってあるって言うし、そしたら、とんぼ返りで戻ってくるだけじゃない。ユニークが旅をできるほど、外は生易しいところじゃないわよ」

矢継ぎ早にまくしたてられて、悔しいから反論をしようとするが、いずれもぐうの音も出ない正論だ。言い負かされて店主に助けを求めるつもりで視線を送るが、効果は思わしくなかった。諦めた様子で首を振るばかりである。

「そ、そこで、さっき島に来たばかりの兵士さんたちに助けてもらおうってわけだよ。二時間もあれば往復できるんだし、ちょっと送ってもらえればいいんだ。あの人たちだって、魔王軍に対抗する戦力が増えるんだから、いいことづくめだろ」

「戦力? 誰のことよ」

やはり何も言い返せずに黙ってしまうと、葵の言葉はその間隙を見逃すまいと続く。

「兵士さんたちだって、長旅でお疲れなのよ。勝手な都合で駆り出すわけにいかないし、うちにとっては年に数回のお客さんなの。今日ボレるだけボッとかないと、明日からのご飯も危ういんだから」

 無闇に輝いた目をして、拳を振り上げる。

「だけど、バイタルかミスティックがいないと、船頭さん、船を出してくれないって」

「もう、本当に危ないことやめてってば。おうちに帰って寝てなさいよ。ニートのハルちゃんが魔王に向かってやれることなんてないの」

「に、ニートじゃない、家事手伝いだよ! いや、違った、これを見ろ!」

普段、財布から取り出すことはほとんどないはずのレベルカードを、今日人に見せるのは何度目か。葵はそれを引っ手繰ると、ぎょっとした顔でおれを見た。

「ハルちゃん……、義勇兵って」

これには店主も驚いた様子で、カウンターを放り出して、おれのカードを覗き込もうとやって来た。

「ああ、もう。呆れた。何年か前に、自分には特別なパッチが当てられたの何の言ってたけどーー」

「その話はもうやめてください、お願いします」

「そのときから何も変わってないわね。ハルちゃん、賭けてもいいけど、何年かしたら、今日のこと話すと頭抱えて恥ずかしがるわよ」

「そ、そうかな」

「そうよ。義勇兵って言っても、ユニークの兵士なんか聞いたことないし、それで旅立ちの手続きが免除になるわけないじゃない」

やはり世知辛いもので、そう上手くはいかないらしい。先ほどからアキトとか言った肝心の討伐兵たちの姿も見えないし、考えていた以上に無謀なことをしようとしているのかもしれないと、そのときようやく自覚が芽生えてきた心地であった。葵はカードをおれに返すと、この話はおしまいと言い捨てて、厨房へと踵を返した。

「ごめんな、ハルちゃん」

店主がおれの肩に手を置いて、片眉を吊り上げて言った。

「葵の奴は、お前に旅立たれると、友達がいなくなるから、さみしいんだよ」

葵はぴたりと立ち止まって、耳を真っ赤にしながら店主やおれに食ってかかるのが本来の王道のはずだったが、

「いや、別にそういうことじゃないわ」

極めて冷静に、嘲笑さえ混ぜ込みながらそう言い残して、奥へと姿を消した。

そのかわいくなさに、繰り返し、世知辛さを覚えるばかりだ。

「そんなことより、ハルよ」

「そんなことだと」

「お前、ちょっと手伝ってくれよ」

 今の今まで、誰の娘がおれをこっぴどく言い負かしていたのか忘れた顔で、一層不機嫌になるおれの髪を、店主はゴツゴツとした手でくしゃくしゃと撫でた。それから、耳元にそっと手を添えて、

 「甲斐甲斐しく世話していれば、そのうち兵士さんたちにも、取り入るタイミングがあるかもしれないぞ」

 悪戯好きの男の子の表情で、店主はおれにウインクすると、葵に感づかれないよう忠告して、チェックインカウンターに引っ込んだ。男の子がいない橋田の店主は、昔からおれに甘いのだ。


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