98.足手まとい
98話目です。
よろしくお願いします。
突然現れた男と巨大なモンスターの死体を前にして、ウルハッドの兵士達は完全な混乱に陥った。
一二三というイレギュラーな存在についてウルハッドは情報を持っていなかったこともあったが、何よりも谷が完全にふさぐ死体の存在が大きかった。
「とにかく、あの死体をどけろ!」
指揮官が唾をまき散らして叫んでいるが、具体的にどうすれば良いかは指示されない。兵士たちは槍や剣を突き立ててはみるものの、弾力性に富むウーパードラゴンの表皮は刃を受け付けなかった。
そして、一二三の周りにも数百の兵士達が殺到する。
ドラゴンの処理はさておき、彼らから見れば向こう側から無謀にもたった一人で出てきた敵兵に過ぎない。
「装備は剣と槍。オーソドックスだな」
一二三は大勢を前にして冷静に彼らの装備を見ていた。
多くが単なる兵卒なのだろう。シンプルな革鎧を着ており、数名が鉄製の兜を付けているかどうかという程度の防具しか付けていない。
「かかれ!」
誰かが号令を発した。
その誰かの目の前に一二三が踏み込む。
「えっ!?」
「状況を良く見ろ。馬鹿野郎」
気付いた時には、一二三の右足がその敵兵の足を踏みつけて固定しており、左膝が股間を革鎧ごと叩き潰している。
叫び声も出ない程の痛みに耐えかねて膝をついた男は、そのまま頭部に肘鉄を落とされて頭蓋を割られ絶命した。
「戦う気が無い奴を殺してもつまらん。逃げたければ逃げれば良い。だが、一度俺に武器を向けたなら、もう逃げられないと思え」
周囲を睥睨するように見回した一二三は、言いながら右手で寸鉄をくるくると回した。
封印前から愛用している武器である寸鉄は、日々の稽古や実戦で使い続けているうちに彼の手にしっかりと馴染むようになっていた。
体術の邪魔にならず、的確に痛点を狙うことができるこの武器を、一二三はいたく気に入っている。
ところが、素手と変わらぬリーチであり刃物ですらないことで、異世界に広まることは無かった。
「オリガもアリッサも使いこなせなかったんだよなぁ……。まあ、いいか」
武器には得手不得手がある。
十五センチほどの長さの鉄棒に、指を差し込む輪が一つだけつけられたシンプルな武器である寸鉄。もちろん、ウルハッドの者たちはその正体を知らない。
とても武器には見えないものを握っている一二三に対して、兵士達は闘争では無く戦いを選んだ。
「そうこなくちゃ」
嬉しそうにしている一二三へと振り下ろされた剣は、側面から打ち当てられた寸鉄で中程からぽっきりと折れた。
「ええっ!?」
驚いている間にも、一二三は動く。
折れた剣を握る手を横に払うと、敵はくるりと背中を向ける。
力の入っていない流れるような動きに翻弄される間もなく、首筋を引き倒されて胸を踏みつけられた敵は、一瞬だけ痙攣して心臓を止められた。
「おっと」
槍は身体をずらして腰を当てるだけで別の敵を貫いた。
味方の腹を突き刺さった槍は、革鎧に引っかかって抜けずにいるのを一二三に叩き折られた。
「ぐえっ」
腹に穂先が刺さったままの兵士はうめき声を上げて倒れ、味方を刺した兵士は素手になってしまったことで慌てふためき、一二三に背を向けたところで頸椎を寸鉄で砕かれて死んだ。
通り一遍の集団戦闘訓練を受けただけの兵士たちでは一二三に対応できようはずも無く、剣も槍も役に立つ事無く兵士達が次々と命を落としていく。
「あの魔導具を使え!」
後方、遠くで誰かが叫んでいる。
味方を巻き込む可能性が高い、と反対する意見を押えて、その声は魔導具の使用を共用しているのが聞こえた。
ほどなく、崖の上に知らせるためらしき狼煙があがった。
しかし、何も起きない。
「どういう事だ! 装置は予備があったはずだ!」
装置というのは、一二三が崖の上から蹴り落とした、湖に取り付けられていた物のことらしい。
「残念だが、俺が知る限り予備があったとしても動かす奴はいないんじゃないか?」
「貴様は……! もうこんなところにまで!?」
馬上にいた指揮官らしき男は、一二三が眼前まで迫っていたことに気付くと驚愕に目を見開いた。
「ほら、こいつら」
闇魔法の円を開くと、そこから水棲ドラゴンに食い散らかされた死体がこぼれ落ちた。
「うっ……?」
「こいつら意外に、湖の周囲に人間の気配は無かった。これは単なる予想だが、何かしらの方法で湖から崖へ繋がる水路を作り、そこから水を高圧で噴射して攻撃したんだろう?」
一二三がすらすらと推測を語るが、敵は苦い顔をしているだけだった。
「言わないか……いや、その表情だとお前、理屈を理解していないな?」
高圧のウォーターガンをシャワーのように浴びたせいで死体は綺麗に穴だらけになっていたのだろうが、指揮官はその仕組みまではわからないのだろう。
周囲に再び敵兵が押し寄せてきているが、一二三は落ち着き払った様子でゆっくりと首を横に振った。
「これじゃあ、何の情報収集にもならないな」
言い終わるや否や、一二三は目の前の指揮官が乗っている馬の鼻っ柱を軽く叩いた。
「うわわっ!?」
突然の痛みに棹立ちになった馬に慌ててしがみ付いた指揮官は、どうにか落馬せずに済んだと嘆息したところで、一二三を見失った。
「ど、どこへ……」
「ここだよ」
声が聞こえると同時に、金属鎧の首元を掴まれた指揮官は一二三の肩に脇腹を乗せる形でくるりと逆さまにされた。
「えっ?」
突然、景色の天地が入れ替わったことに、指揮官は抜けた声を上げる。
そのまますとん、と落とされた彼は、体重と鎧の重さで首を折り、絶命した。
「さて。残りをさっさと片付けるか」
指先で寸鉄を回しながら周囲を見回した一二三は、馬の尻を叩いて逃がすとどうじに走り出した。
☆★☆
ホーラント女王サウジーネは、右手を上げて「やあやあ」と声をかけた軽薄な男の挨拶を聞いて頭を抱えた。
「ランスロット・ビロン伯爵。私はまだ、頂いた打診に返答をしていなかったはずですが?」
「いやあ、申し訳ありませんね、陛下。ちょっとこっちにも事情がありまして。お忍びでお伺いした次第でして」
どうもどうも、と言いながら城へと入ろうとするランスロットに、一人の魔人族女性が付いて入っていく。
護衛らしき者たちは困惑しながらもそれに倣おうとするが、彼の前にサウジーネの腹心であるサカトが立ちはだかる。
「申し訳ありませんが、手続きの為にお待ちいただきたいのですが」
「手続きか。なるほど、それは大事だね」
拍子抜けするほど簡単に納得して見せたランスロットに毒気を抜かれつつも、サカトは彼らの身分を確認していく。
丁度町への視察へ出ようとしていた矢先だったサウジーネは、訪問のタイミングがランスロットの計算では無いかとも考えていた。
少なくとも、顔を合わせることには成功し、話をしたいという意思を直接聞いてしまった。これで都合が悪いと延期はできても拒絶することは難しい。
「ホーラントを、再び戦火に巻き込むおつもりですか?」
「うぅむ。ちょっと違います。説明は難しいですが、移籍したいのでその交渉に窺ったのです」
「移籍、とは?」
「ぼくが治めるミュンスター伯爵領。まるごとホーラントに鞍替えしたいので、女王陛下にお願いしにきました」
周囲の全員が、ランスロットの言葉を理解するのにしばらく時間がかかった。
「……とにかく、城内へ。護衛の方々には食事をお出ししましょう。休む部屋も用意いたしますので、くれぐれも城内も町中も勝手に移動しないようお願いいたします」
「もちろんですとも。良かったね、旅の途中は保存食続きだったから」
振り向いて護衛のアルダート達に微笑むと、秘書であるサーラの腰に手を当てて引き寄せたランスロットは片目を閉じた。
「彼女はぼくの秘書なんで、一緒に通してもらっても大丈夫でしょうか?」
「はあ……では、こちらへどうぞ」
サウジーネはランスロットに同行していた者たちの姓名と所属を確認し、冒険者であるアルダート達は侍女に任せる事にした。
ランスロットとサーラは、サウジーネとサカトに案内されてホーラントの王城内にあるサロンへと案内された。
運ばれてきた紅茶の香りをたっぷりと吸い込んで楽しむランスロットに、サウジーネは珍しく不機嫌を露わにしている。
「私の臣になりたいと言う割には、些か礼を欠いていると思うのですが?」
「緊急事態にございますれば、どうぞ御寛恕いただきたい」
「緊急事態?」
「早ければ明日にでも始まるであろう、オーソングランデの内戦についてです」
はっきりと口に出したランスロットは、いつの間にか真剣な表情を見せていた。
「ぼくがこれから言う情報は、部下を使って調べさせたことですが……彼にも聞かせてよいのですか?」
「……サカトさんは私の信頼する臣です。ですが、侍女たちには負担となる内容かもしれません」
そう言って侍女たちを部屋から出してしまうと、サウジーネはランスロットに続きを促した。
「ヨハンナ・トリエ・オーソングランデ王女は自らを女王とした新たな国を立ち上げるつもりです。それにはオーソングランデ国内から多数の貴族が賛同し、現在でも対立が深まっている神聖イメラリア教と皇王を中心とした他種族排斥派と、正統イメラリア教及びヨハンナ王女を中心とする共生派の戦いは間もなく始まるでしょう」
国が二分されることを現皇王が許容するはずも無い、とランスロットは断言する。
「それがわかっていて、貴方はヨハンナさんに協力しようとは思わないのですか?」
サウジーネが問うと、ランスロットは「残念ながら」と苦笑した。というより、悔しさを誤魔化すような笑みだった。
「我がビロン伯爵家はそれなりの力を持っている自負してはおりますが、いかんせん場所が悪い。強制派は国の西部に固まっており、東部は王城に従う者がほとんどです」
もしビロン伯爵領が共生派に組すると宣言したならば、劣勢に立たされることがわかっている“飛び地”にヨハンナは応援の戦力を割かねばならなくなるだろう。
彼女の性格や旗印とする“共生”の理念からみれば、見殺しにするわけにもいかない。もしどちらにも加わらないとしても、排斥派から武力を持って協力を迫られるだろう。
「要するに足手まといになってしまうのですよ。だから、早々に内乱から離脱することで、ヨハンナ様の負担を減らしたいのです」
さらに言えば、領民を内乱から遠ざけるために、ホーラント側の協力を得たいという考えも吐露した。
「……詳しく話を聞きましょう」
ビロンの考えが利己的な物では無いと知ったサウジーネは、それから二時間程ランスロットと語り合った。
最終的に、ランスロット・ビロンの願いは条件付きで認められた。
城内に用意された部屋に移ったランスロットは、記録を書きつけているサーラに向かって肩をすくめた。
「やれやれ。思ったより手強い女王様だったね」
「あのような約束をして……よろしかったのですか?」
「あくまで努力目標だからね。それに、領民を守るためだから、嫌とは言えないよ」
サウジーネが出した条件は、内乱の終結後にオーソングランデ王族が持つ“召喚”についての技術を調査して提出することだった。
「問題は、なぜサウジーネ女王がそんな条件を言い出したのか、だね」
まさか勇者を呼び出して軍事強国となる野望を抱いている訳ではないだろう。
「これは、もうしばらく城に居座って調査しないといけないかな?」
「……その為にわたしを連れてきたのですか?」
「主な目的な君と離れたくないからだよ。……お願いできる?」
仕方ない、とため息を吐いたサーラは、魔力を使って魔人族特有の灰色の肌から人間と同じ姿へと変化した。顔つきも、先ほどの会談で紅茶を運んできた侍女に良く似ている。
「相変わらず、魔人族の擬態はすごいね」
ランスロットは変身したサーラを抱き寄せると、顔を近づけた。
「変身したままで一回……あだだだだ!?」
細い指先で鼻を摘み上げられたランスロットは、そのままベッドに向けて突き飛ばされた。やわらかな毛布に受け止められたランスロットは、鼻先を赤くしている。
「しばらく頭を冷やしていていください」
荷物から侍女服を取り出して着替えたサーラが出ていくと、ランスロットは鼻を押えたままむくりと起き上がった。
「痛いなぁ、もう」
ブツブツ言いながら、ランスロットは枕を引き寄せて頭の下に差し込んだ。
「召喚魔法、勇者……そういえば、あの二人の勇者は行方不明だったな……」
ほどなく、城内でミキを見つけたサーラの報告を受けたランスロットは「とんでもないものを抱え込んでいたもんだね」と頭を掻いた。
これが露見すれば、ホーラントは明確に排斥派と対立することになるだろう。
「大変、大変」
深刻さを感じさせない言葉を吐きながら、旅の疲れ身を任せたランスロットは「仮眠をとる」と呟いて目を閉じた。
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