94.水棲ドラゴン
94話目です。
よろしくお願いします。
「……魔国に一二三がいない?」
信じられない情報を得て、神聖イメラリア教三騎士の一人であるオージュは顔をしかめた。オーソングランデ皇国軍との共同作戦について準備するため教会本部にいる彼女の下へ、魔国周辺を探っていた暗部の一人が持って来た情報だった。
「それでは、彼はどこにいるのですか?」
「城からの情報が制限されておりますようで、正確なところは不明ですが……どうやら一二三は魔国の王であったテザーンを殺害した時に、何らかのトラブルで行方不明になったようです」
暗部は町の中でも情報収集をしていたが、結局は一二三の姿を見つける事はできなかったらしい。
「鵜呑みにはできませんが、行方不明であり何らかの理由で魔国の動きに参加できないとすれば、私たちにとって有利な事ですね……引き続き調査を」
「わかりました……」
暗部の連絡役は、音も無く本部から姿を消した。
一二三の殺害に失敗し、数名を失った暗部は完全にオージュ達三騎士の下部組織となっていた。
とはいえ、二人に減った三騎士にとって暗部は調査機関以上の活躍は期待できない存在でしかない。戦闘力の低い人物を暗殺はできても、主力となる人物に対してはまともに戦うのも難しいとみている。
「オージュ。シャトーの身体が届いたよ」
司祭長フィデオローへの報告を考えていたオージュに、ウワンが声をかけた。
「地下に安置した。一般の信者たちには見られてない」
「上出来です。……どうしたのです?」
ウワンが暗い表情をしているのを目にして、オージュが問う。
「……本当にやるのかい?」
「まだ悩んでいたの」
ホーラントの内戦にて死亡したウワン。ヴィーネとの戦闘で気絶し、オージュが放った火炎魔法によって死亡したのだが、打ち捨てられていた死体は暗部によって盗み出され、オーソングランデ内へと密かに運び込まれた。
目的は、“蘇生実験”にある。
「暗部連中のような“出来損ない”と違って、私たちは成功例です。特にシャトーは身体が大きく頑丈ですから、素材としては最適でしょう」
「普通に埋めてあげるわけにはいかないかな」
「ウワン」
声をかけながらウワンの目の前に立ったオージュは右手を伸ばし、彼の頬をそっと撫でたかと思うと突然強烈な平手を喰らわせた。
ウワンは、その動きは見えていても避けなかった。
「貴方は、自分の甘さを考えなおしなさい。私はシャトーを蘇生させて、私が放った魔法で殺したことを詫びたい気持ちと、戦う事すらできなかった一二三やその妻を相手にする事で無念を晴らして欲しいと思っているのです」
「……わかった。俺も鍛え直しているから、次はちゃんと殺すよ」
ウワンは顔を上げて、まっすぐにオージュの目を見ている。まだわずかに迷いに揺れているようだが、オージュは彼の言葉を受け入れた。
「オーソングランデの方が兵力を集めるまでにまだしばらく時間がかかります。私もシャトーの復活にかかりきりになりますから、貴方には訓練の仕上げに一仕事してもらいます」
「わかった。やるよ」
「内容も聞かずに答えて良いの?」
素直になったかと思うと、途端にオージュの言葉をそのまま受け入れたウワンに、彼女は思わず笑みで声が弾んだ。
「だって、それがこれからのイメラリア教の為になるし、シャトーの為にもなるんだろう?」
「そうね」
オージュは目元を隠すように、フードを引き上げて顔の上半分を覆った。
「そしてそれがこの世界の人間の為になるのです。たとえ私たちが手を汚したとしても、人間の為になるなら……」
「うん。俺はやる」
「私も同じ気持ちです。では、貴方の仕事について教えます」
オージュはデスクの上に置いていた一枚の書類を手に取ると、開いたままでウワンへと手渡した。
「ホーラントへの、潜入?」
表部隊での戦いが多い三騎士の仕事では異例とも言える隠密行動に、ウワンは戸惑った。
「暗部から補佐を一人付けます。二人で密かにホーラントへ入り、王城へ行ってください」
一度行ったことがあるでしょう、とオージュは確認した。
一二三がまだホーラントの王城にいたころ、イメラリア教から派遣されていたテスペシウスという司祭をウワンが処断している。
「憶えてるよ。あそこに行って……そうか、今度は」
「ええ。ホーラント王城に勇者ミキがいるらしいのです」
魔国の王城に比べて、ホーラントの情報は楽に得られたらしい。一足先にその情報が入ってきた。
そして、司祭長フィデオローは決断を下した。
「ミキを処分してきなさい。……人間を裏切る勇者など、私たちには必要ありません」
☆★☆
「あー、これか」
崖をよじ登っている一二三は、昇り始めてすぐの高さに無数の穴が開いている事に気付いた。
一見して何かの巣穴のようだが、穴の大きさは数ミリ程度しかなく、綺麗に円形になっている。
穴に向けてそっと耳を寄せた一二三は、穴の奥からかすかに水が揺れる音が聞こえるのを感じた。穴の先には水があるようだが、何らかの方法でせき止められているらしい。
岩に指を引っ掛けて、ぶら下がるような格好で穴を睨みつけたまま見上げる。
切り立った崖はまだまだ高さがあるが、一二三は小さな突起に指をかけてものともせずに昇って行った。
「……うん?」
崖を登りきる前に、一二三は妙な気配を感じた。
それは人では無い。魔力の動きもあるようだがわずかな物であり、その程度は些事だと無視できるほどの威圧感がある。
「憶えがあるぞ。この雰囲気……ドラゴンか!」
両腕の力だけで懸垂し、その勢いで崖の上へと降り立つ。
そこにはまばらな木々があり、囲まれるようにして広い湖があった。湖水は薄い乳白色に濁り、深さは分からない。
川と接している訳では無いようだが、雨水が溜まっているというわけでも無いようでわずかに流れがあるらしい。
「地下水道でもあるのか……? それよりも、問題は別のところだな」
静かな湖の周囲には似つかわしくない、人間の手足や生首が周囲に転がっているのだ。どれも新しい死体のようで、まだ乾いていない傷口は鋭利な刃の跡が見えつつも、無理やり引きちぎられたように皮膚が伸びている部分も多い。
「食いちぎられた、か」
一二三が呟くと目の前の湖面が突然せりあがった。
激しく波打った水が一二三の膝までを濡らし、以前に仕留めた陸ドラゴンと同じ位の巨体が姿を見せる。
「うーん……ドラゴンと似た空気ではあるんだが……」
姿を見せた水棲のドラゴンと思しきモンスターを見上げ、一二三は首を傾げた。
「……ウーパールーパーにしか見えないぞ、おい」
うすピンク色のぬらぬらと光る肌を持ち、がに股な前足で水中から上半身を出している。その頭部は左右に三対のひらひらとした飾りのような突起があり、二つの黒い目は大分左右に離れている。
大きささえ無視すれば、どことなく間の抜けた容姿であり、可愛らしくもある。
だが、その性質は凶暴なようだ。
「こいつらを食ったのはお前か」
粘液を纏ったように濡れている大きな口が開くと、そこには似つかわしくない鋭い牙がずらりと並んでいた。
咆哮はしない。ドラゴンはじっと目の前にいる一二三を見つめている。
「良し、こうしよう。お前はウーパードラゴンと呼ぶ」
一二三が冗談とも本気ともつかない呼称を勝手につけると、仮称ウーパードラゴンはさらに口を開き、牙の奥から丸っこい何かが膨らむのが一二三の視界に映った。
「おっ!?」
瞬間、一二三は濡れた地面を蹴り飛ばして横っ飛びに避けた。
べしゃり、と濡れたタオルを叩きつけたような音が響いたかと思うと、いつの間にか伸びていたドラゴンの舌が地面の一部を削り取って巻き取られていく。
「妙な攻撃をするな!」
言いながら一二三は懐から取り出した小さな鉄の粒“礫”を取り出し、投げつけた。
礫は先ほどの舌に劣らぬ勢いでドラゴンの頭部に命中する。
だが、水風船のように柔らかい頭部に当たった礫は、傷をつける事無く勢いを殺されて湖面へと落ちた。
さらに、再び伸ばされた舌に対して一二三は取り出した鎖鎌で斬りつけたが、ずるりと表面を滑って先端すら刺さる事が無い。
「さて、どうするか」
初めてのタイプに対して、一二三は不敵に笑みを浮かべながら鎖鎌を放り捨てるように闇魔法収納へと放り込む。
水に引き込まれたくは無いな、と呟いた一二三が鎖鎌の代わりに取り出したのは、短刀だった。
「テリトリーに入ったのは俺が悪かったな。だが、出会った以上は殺して金に換えさせてもらうぞ」
一二三が一歩踏み出すと、湖の冷たい水が革靴を通してジワリと染みこんできた。
お読みいただきましてありがとうございます。
次回もよろしくお願いします。