9.戦場へ
9話目です。
よろしくお願いします。
一二三がフォカロルの町を出ると宣言した翌日、早々に旅の支度を始めている一二三の元へ、シクが訪ねてきた。二人の男性を連れて。
「メグナード・トオノと申します。こちらは私の息子で、ウェスナーです」
背筋の伸びた紳士然とした老人が、三十歳前後の男性を紹介する。息子だと紹介されたウェスナーは、どこか緊張した顔で頭を下げた。
「ウェスナー・トオノと申します。血のつながりはありませんが、養父には良くしていただいております」
親子と言うには歳が離れているな、と感じていた一二三だが、どうやら養子らしい。
旅の支度はオリガに任せ、プーセと共に対応する事にした一二三は、シクと共に親子を部屋へと招き入れた。
シクが手配したのか、宿のスタッフがすぐに紅茶を持って来る。
「アリッサの子にしては……ああ、そうか。養子を取ったと言っていたな」
「ええ。小さい頃にこの町の孤児院におりまして、ご縁があってアリッサ様……お母様に拾っていただきました。貴族に成れた事も充分すぎる幸福ですが、お母様に出会えた事の方が、私にとっては得難い幸運でした」
在りし日のアリッサを思い出しているのだろう。老人は目を細めて、静かな声で懐かしそうに語る。
「孤児の出身でしたが、お母様とミュカレ様、二人の母親がいたようなものでして、厳しく鍛えられましたが、お蔭様で七十歳を過ぎたこの歳まで、どうにか領主の仕事を続けてこられました」
ミュカレというのは、一二三がフォカロルをはじめとしたトオノ伯爵領の領主であった頃に、文官として雇っていた女性の事だ。同性であるアリッサに対し並々ならぬ執着心を見せていたのだが、どうやら未婚のままアリッサと共に暮らしていたらしい。
「シクから連絡を貰いまして、お母様の養父である一二三様が復活されたとの事で。取り急ぎ挨拶に伺いました」
「俺はもう、領地を放り出して引退した身だ。そこまで気を遣う必要も無いと思うがね」
「そうはいきません。肩書はどうあれ、一二三様は私の義理の祖父であり、またこの領地の基礎を作った偉人でもあります。せめて挨拶だけでもせねば私としても落ち着きません」
ほっほ、と白い口髭を曲げて笑う。
養子と言う事だが、どこか無邪気な笑い方は、アリッサに雰囲気が似ていた。
「それに、お母様より遺言がありますので」
「遺言?」
「ええ。旧領主館を博物施設にする際に決まったのですが、一二三様が復活された際には、家を一軒用意する事になっております。また、一二三様に領地運営についてその時の状態についての感想と意見を貰うように、と」
メグナードは、やや緊張した面持ちで切り出した。いうなればご先祖様が表れて評価を下すのだから、仕方のない事かも知れない。
だが、一二三としては、メグナードの隣に居る後継ぎのウェスナーが、一瞬だが自分を睨みつけた事の方が気になった。
「評価するとするなら、良くやっているんじゃないか? 俺は領地経営は素人に過ぎん。具体的な事は言えないが、町に物がたっぷりあって、食べ物が美味い。食い物を工夫する余裕があるわけだ」
それに、と一二三は手袋をした左手をもそもそと確かめるように動かしながら続けた。
「意見なぞあるわけがないだろう。もう俺の領地でも無い。好きにすれば良い」
「ありがとうございます。お母様もきっと喜んでいるでしょう」
現在のオーソングランデ皇国の話題が出たが、主に領主メグナードが一二三へ説明をするという形だった。
フォカロルを始めとしたトオノ伯爵領は多種族共存派閥の旗頭として、日々王都方面の排斥派の領地から流れてくる人民を受け入れている最中であるという。
王家の後ろ盾があるから。また聖イメラリア教の敬虔な信徒として、排斥派に流れる貴族も少なくないという。だが、人口の減少に歯止めがかからず、密かにメグナードと接触を図る者も出ている。
「こちらには人も多く兵は精強です。ですが、兵数や国内の権勢といった点では、まだまだ王都の派閥の方が強いのです」
幸いにも、先日一二三が襲われたような小規模な衝突のみで、大きな戦力のぶつかり合いには発展していないが、状況次第ではどう転ぶかわからない、とメグナードは語る。
「今はホーラントを戦場にして、共存派と排斥派が戦っている状態です。ホーラントにとっては不幸な事ですが、オーソングランデからそれぞれの派閥から兵が入り込んで戦争は次第に激化しつつあります」
「そう言えば、ギルドで突っかかってきた連中も、ホーラントには強い奴が集まっているし、稼げると言っていたな」
「それは間違いではありません。どちらも傭兵を含めて兵力を欲しています。ホーラント王政府は聖イメラリア教によって排斥派が多数を占めており、対する民衆側もドワーフ達が資金を用意する形で対抗している状況です」
説明はしたが、メグナードは一二三に対して“協力して欲しい”とは言わなかった。あらかじめシクが助言していたという事もあるが、アリッサから一二三についての話を何度も聞かされていた彼は、そう言った要望を素直に聞いてくれる人物では無い事を知っていたのだ。
長話になってしまった事を詫び、メグナードは義息子ウェスナーを連れて退室する。その際、オリガとも顔を合わせ、用意する家の事や使用人も手配する事、他に何かあれば協力する用意がある事を伝え、宿を後にした。
待たせていた馬車に乗り込むと、長く黙っていたウェスナーが口を開いた。
「父上、あの男はそれほどの人物なのですか? 自分には……」
「お前は、この領地の歴史を学んだだろう」
「あのようなおとぎ話、まさか父上は信じておられるのですか?」
眉を顰めたウェスナーは、口を歪めて養父を笑った。
「……お前が何を考えているのか知らないが、あれは史実だ。全て実際に起きた事だ」
当然ながら、メグナードはその当時を体験したわけでは無い。だが、養母を含めて当時を知る人物とは何人も顔を合わせている。その多くの人物が語った“一二三”という人物。
畏怖も尊敬も嫌悪も、様々な話を聞いていたが、共通して一点“誰も敵わぬ程強かった”という意見だけは揺るがなかった。ついでに言えば、その妻であるオリガも怖いという話も合わせて聞いたのだが。
「お前は、もう少し自分自身の力を磨く努力をすべきだ。私は、あの方の前に居る間、何をきっかけに斬り捨てられるか、気が気では無かった」
「そんな真似するはず無いでしょう。父上はこの地の領主であり、伯爵ですよ。そのような横暴、許されるはずがありません」
「許す、許さぬを誰が決める?」
メグナードの質問に、ウェスナーは答えを用意できなかった。
「世の中には、法や尊厳など毛ほども気にせず、そんなものは実力で吹き飛ばしてしまえるような、暴風に等しい人物が存在する事を、お前も良く知っておくべきだ」
丁度良い機会だ、とメグナードはウェスナーへ一つの指示を出した。
「一二三様は旅立たれるそうだから、奥様であるオリガ様やヴィーネ様、そして当時を知るプーセ様から、色々とお話を聞いておきなさい。きっと、それがお前の役に立つはずだ」
「……わかりました」
渋々ではあるが、了承したウェスナーに、メグナードは大きく頷いた。
そして、思考はまた別の方向へと向かう。プーセへの襲撃やオリガたちへの監視。それらの正体が未だに判明していない事についてだ。
単に排斥派による工作であれば良いのだが、とメグナードは今朝早くに届いた、魔国ラウアールの政権交代の報との関連を疑っていた。一二三の部屋にいた魔人族にも見覚えがあり、それが前王ウェパルである事を思い出したメグナードは、ニュースへの裏付けがなされた事に胃が痛む思いだった。
最早老齢の自分が、目の前にいる若いウェスナーへと当主の座を譲ったとして、再び混乱期を迎えつつある中で領地を守って行けるだろうか、と。
☆★☆
ウェパルから譲り受けた証明書の効果は大きかった。
列車を使って魔国ラウアールに入った一二三は、国境での検閲でもほとんどチェックされる事が無かった。むしろラウアールの魔人族兵からは敬意を持って遇され、おしゃべりな兵士からホーラント国境方面へのルートをすんなりと聞き出せた程だ。
ラウアールの国境に一番近い町で列車を降り一泊。そして別の路線でホーラント国境へと向かう。
ホーラントへ近づくにつれて、列車の乗客は武装をした冒険者や傭兵と思しき集団が多くなり、車内はピリピリとした空気が満たされていく。
「あとどれくらいで着くのかね」
変わり映えしない車窓の風景にも飽きた一二三は、オリガから持たされた弁当を開いて暢気に呟いた。
弁当と言っても、茹で卵とサラミのような燻製肉を挟んだサンドイッチだったが、一二三の好みに合わせてしっかりと塩コショウが聞いて、腹に溜まりやすいようにパンが大きめに切られて耳も残してある。
アナウンスなど存在しないので、あとどれくらいで到着するかわからなかったが、すぐに着いたらまた闇魔法収納に放り込めば良い、と考え、水筒の熱い紅茶でサンドイッチを次々に食べていく。
周りの男たちからは刺さる様な視線が向けらたが、それで気にするような一二三では無い。
軽く二十ほど用意されたサンドイッチをあっという間に減らしていく。
「こりゃ、単なる観光と変わらんな」
「そんな事を言っていられるのは、今のうちだと思うぜ、兄さん」
一二三の一人ごとに返事をしたのは、魔人族の男だった。
隣に無遠慮に腰を下ろした男は、一二三があっという間に昼食を終えて、紅茶を飲んでいるのを見ながら笑っていた。
「あと一時間もすればホーラント国境だからな。そこからホーラントに入ってしばらくは平和だろうが、中央部辺りは地獄だって噂だぜ」
反応が無いのは気にならないらしく、ぺらぺらと喋り続ける。
「兄さんも冒険者だろ? 今はあそこが良い稼ぎ場だってのは有名だからな。でもよ、前線から逃げて盗賊になる連中も多いらしいから、うまい事有力な部隊にでも潜り込まないと、おちおち寝る事も出来ないらしいじゃねぇか」
男が話している間に、一二三は果物を取り出して齧りついていた。以前に獣人族が住む森で手に入れた果物だ。
「んで、兄さんは随分余裕があるようだけど、どこかそういう部隊に伝手があるのか?」
シャクシャクと果物を食べてしまった一二三は、五月蠅くしゃべり続ける男に視線を向ける事もしない。
「現地に行ってから決めるつもりだ」
「なぁんだ、オレと一緒か。何か伝手があれば、一緒に行ってやっても良かったんだけどな。まぁいいや。そんで、兄さんの武器はその細い剣かい? 大昔に人間の英雄が使ってたって奴に似てるな」
オレはこの槍だ、と床に置いていた二メートル程の槍を指差す。盗まれないように紐を付けているらしい。
「元々は地元で冒険者ってのをやってたんだけどよ。やっぱりあの“聖イメラリア教”とか言うのはいけ好かないよな。獣人にもエルフにも良い奴はいるからな」
勝手に喋り続ける男の話を聞き流しながら、ぼんやりと景色を眺めているうちに列車は目的地である国境の町に到着する。
以前は路線がホーラント国内へ向けても繋がっていたそうだが、度重なる襲撃があったため、現在は徒歩か護衛が付く乗合の馬車で進むしかない。
さっさと降りた一二三の後ろを、魔人族の男はついて来た。
「もう夕方だぜ。今日の所はここで宿を取って……おい、待てよ!」
無視して歩き出した一二三が向かったのは、町の入口近くになった馬場だ。何ともの馬が繋がれた横に、一人の男が座り込んでいる。
その前に立った一二三は、一頭の鹿毛を指差す。毛並みが良く、鞍も付いたままだ。
「あの馬を売ってもらいたい」
「む、無茶言わないでくれ。おれはここで馬を預かってるだけで……」
「私の馬がどうかしたかね?」
一二三の後ろから声をかけたのはエルフの青年だった。三人程武装したエルフを連れた青年は、キラキラと光をはらむ金髪をさらりと指で払い、一二三に笑いかけた。
「あの馬を売ってもらいたい」
同じ言葉を繰り返す。
「ふむ。君が目利きである事は認めるが、冒険者風情にはちょっと手が届かない名馬だとは思えないかね?」
青年はサーベルのような剣を腰に提げ、細やかな模様が入ったブレストプレートを付けていた。エルフに貴族とかは居なかったはずだが、と一二三は思ったが、プーセの例もある。数十年も経てば出世する者もいるのだろう。
「この馬は僕の父親がとある馬商から買い受けたものだが、金貨十枚はくだらない価値があると僕は思っているんだ。君にそのような金額が払えるとはとても……」
「十枚か。じゃあ色付けて十五枚ならいいだろう」
収納からじゃらじゃらと無造作に金貨を取り出し、エルフの青年に押し付けた。
「えっ?」
話はついた、と一二三はさっさと馬へ近づき、滑らかな毛皮を撫でて鼻を鳴らしている馬に微笑むと、杭に繋がれていた手綱を取るや否や、ひらりと飛び乗った。
「王都はどっちだ?」
やりとりをぼんやり見ていた魔人族の男に聞く。
唖然とした表情のまま指差した方向へ馬を向けると、一二三は「そうか」とだけ呟いて、町を抜ける方向へ向かって馬を走らせた。
エルフの青年と魔人族の男は顔を見合わせ、互いに言葉を探してしばらく見つめ合っていた。
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