86.取引き
86話目です。
よろしくお願いします。
実に四時間に及ぶ長い施術の末、ようやく生まれた一二三とオリガの子。黒い髪がうっすらと生えている男の子が元気に産声を上げたことで、その場にいた女性陣はそろって大きく安堵のため息をついた。
「オリガさんは大丈夫?」
「気絶しているけれど、大丈夫です。問題は……」
ウェパルの問いに答えたプーセは、オリガではなく彼女に手を掴まれたまま、先に気を失ったヴィーネの方を向いていた。
折れた手をそのまま握りしめられたらしく、見るも無残な状態で白目を剥いているヴィーネの瞼を、ヨハンナがそっと閉じた。
「えー……とりあえず、オリガさんの手から解放してあげましょう」
がっちり掴まれたヴィーネを解放するのに、それから三十分かかった。
「かわいい! かわいいです!」
ようやく解放され、プーセとヨハンナから治癒魔法を受けて回復したヴィーネは一足遅れて赤子を抱き上げてはしゃいでいた。
オリガも目を覚まして、その様子を見ている。
「奥様。お疲れ様でした!」
「これからが大変ですよ。聞けば赤ん坊の世話は寝る暇も無いほどだとか」
「私がお手伝いしますとも!」
怪我をしていたことなど忘れたかのようにはしゃいでるヴィーネは、プーセたちに口止めをしていた。余計な心配をさせる必要はないと考えたからだ。
「そう。頼りにしていますね」
「お任せください!」
元気に返事するヴィーネの声に驚いたのか、腕の中でおとなしくしていた赤ん坊が泣きだした。
おろおろするヴィーネから子供を受け取ったオリガは、そっと赤ん坊の頬を撫で、ゆっくりと揺らしながら声をかける。
しばらくすると安心したのか泣き疲れたのか、オリガの腕の中ですやすやと寝入ってしまう。
「それじゃあ、私たちは休むから、オリガさんもゆっくり休んでね。フェレス。悪いけど貴女はここに残ってくれる?」
「畏まりました」
「色々とありがとうございます。……流石に、疲れましたので休みます」
すぐ隣に用意されたベッドへ赤ん坊をそっと寝かせると、オリガは横になって目を閉じた。
フェレスだけを残し、静かに部屋を出た一同はそのまま食堂へと向かう。誰もが疲れていたが、それ以上に空腹だった。
「公表するのは明日にしようか」
「オリガさんの意見を聞いてからにいたしましょう」
「それよりも名前はどうするんだろうね?」
「ご主人様が戻られてから決められると言われておりましたよ?」
それはいつになるのか、とヴィーネの言葉に一同は顔を見合わせたところにニャールが食事を運んできた。温かな湯気が立ち上るシチューには、野菜や肉がゴロゴロと入っている。
「何はともあれ、無事に子供が生まれたのは祝うべき事よ」
そう言いながら、カップを並べたウェパルが次々と酒を入れていく。カップの数を見たプーセが止めた。
「お待ちなさい。ヨハンナ様にまで飲ませるつもりですか」
「祝い事なのよ。舐めるくらい良いでしょ? ヨハンナ様も頑張ったんだもの。一緒にお祝いする権利はあるわよ」
「ぐ……少しだけ、ですよ?」
プーセの許可を受けて、ウェパルがウィンクするとヨハンナも喜んでカップを受け取った。
カップを掲げて互いの健闘を労い、それぞれが杯を傾ける。
「うぅ……」
どうやら葡萄酒が口に合わなかったらしいヨハンナが顰め面で舌を出すと、すぐにプーセが水の入ったカップを差し出した。
「まだ少し早かったみたいね」
「お酒には好みも有ります。貴女のように酒ならば何でも良いという人の方が少数です」
「失礼な。私だって好みがあるわよ」
ウェパルとプーセがあれやこれやと言い合っているのを見ていたヴィーネは、カップに半分ほど残っていた酒を飲み干して、テーブルに置いた。
「プーセさん。奥様はどれくらいで動けるようになるのでしょうか」
「そうですね。普通に生活するには数日も有れば充分でしょうけれど……」
「戦闘に参加するには?」
ヴィーネの質問が意図する所が、オーソングランデへの侵攻についての計画であると察した面々は、互いに顔を見合わせた。
「……彼女次第です。でも、少なくとも一ヶ月はかかるでしょう」
「そんなに急ぐことも無いんじゃないかしら。産まれた子の世話もしないと行けないし」
「そうですよ。赤ちゃんをそんなに連れ回すのは危ないです」
プーセが反対すると、ヴィーネは紅潮した頬を両手で押さえて考え込んだ。
「むぅ……奥様はきっと、お子様の為に一刻も早くご主人様を呼び戻すことをお考えになるはずです。大人しく待っていてくださるか、どうか」
「それでも子供の為なら仕方ないじゃない。旅先で病気にでもなったら、それこそ大問題よ」
「そういう事なら、オリガさんは城に残って、いざと言う時の為にプーセも残留ね」
「ヨハンナ様も、戦場に出るのは駄目ですよ。それに魔法陣の解析もしなければなりません」
「とすると、ヴィーネと私、それにミーダットが戦いに出るわけね」
ウェパルがそう言うと、プーセが「駄目です」とバッサリ切り捨てた。
「ここは魔国ですよ。貴女がしっかりまとめていただかないと、不満が出ます。それに、魔法陣の研究には貴女も必要です」
「とすると……」
全員の視線がヴィーネに集まる。
「私、ですか?」
「ヴィーネさんとミーダットさんに任せることになりますね」
「はあ……魔人族の国から出撃する軍が獣人族中心とは、前代未聞ね」
「あら、良いじゃない」
ヨハンナは大歓迎だと言った。
「獣人族と魔人族。それにトオノ伯爵たちが協力してくれたら人間も含まれるわ。そんな混成部隊こそ、本当のイメラリア教の姿としてふさわしいじゃない」
それに、とヨハンナは指を立てた。
「一二三様は種族が何だって気にしないのでしょう? 同じ目的で戦えるなら、どこの誰だって良いのよ」
この言葉には、誰もが納得した。
☆★☆
取引の場所はすぐに分かった。
一二三たちがのんびりと歩いて到着した頃には、商人が数名の護衛らしき男たちと共に森の出入り口で待ち構えていたのだ。
「おはようございます。こちらへどうぞ。丁度良く開けた場所がございますので」
先日とは打って変わって、丁寧な言葉遣いで先導する商人と護衛たちに、一二三とウィルは無言で付いていく。
護衛の人数は十名。だけのように見えるが、進む先にさらに十名が潜んでいるのを一二三は感じ取っていた。
そして、その誰もがそれなりの手練れらしい。一二三には通じないまでも、しっかりと気配を隠している。オリガ程ではないが、ヴィーネ程度の実力はありそうだ。
商人の背後で一二三は笑みを浮かべ、それをみたウィルが嫌な予感を覚える。
「こちらです。これくらいの広さがあれば充分でしょう」
「ギリギリだな」
商人が指した広場を見た一二三は、そう言ってためらいなく闇魔法収納から大型ドラゴンの死体を取り出して見せた。
「でけえ……」
護衛の一人が呟いた。
死んでいると言っても、頭部だけで人一人を軽々と飲みこめる程の大きさがある。護衛の誰もが大型ドラゴンを見た事は無いようで、その巨体と迫力に誰もが目を見開いている。
商人も同様のようで、口を開けたまま見上げて、硬直していた。
「こ、これが皇晶貨十個……」
「では、金を貰う。それで終わりだ」
一二三が声をかけると、我に返った商人が振り返った。
「お金ですね。少々お待ちを……」
肩にかけていた鞄に手を差し入れながら、商人はそっと後ろへさがり、代わりに護衛の者たちが一二三の前に出てきた。
「ちょっと。どういうつもり? あんたの鞄なんて狙うわけないじゃない!」
文句を言うウィルに向けて、護衛の男たちは剣を抜いてせせら笑った。
「この嬢ちゃんはちょいとオツムが温いらしいな。あんたも妙な魔導具を持っているようだが、この状況で武器も抜かないとは……」
「十人隠れているうち、二人逃げたぞ」
「……はあ?」
突然一二三が放った言葉に、護衛の男は顔をしかめたが、すぐにその内容を理解して舌打ちした。
「こんな簡単にばれるとはな。上手く伏せていたつもりだったが……」
「そっちじゃないだろう。逃げたのは上手に隠れていた奴らだ。連中はなんで逃げたとおもう?」
隠れていた男たちも次々に姿を現し、周囲を囲みつつある状況にありながら、一二三は悠然としてドラゴンの死体を指差した。
「こいつを倒した俺に敵う訳がない、と冷静に判断したんだろう。そいつらとも戦いたかったが……仕方ない」
一二三が小さく開いた収納から取り出したのは、一本の杖だった。胸元までの長さがある鉄の棒は、以前契り木という武器が壊れてから作り直したものだ。
「えっ、どういうこと?」
未だに理解していない様子のウィルに、一二三は無言で追い払うように手を振った。
「ば、馬鹿にしないでよ! 戦うんでしょ? あたしだってできるし!」
ウィルが取り出したのは、魔導陣を展開するための小さな球だった。投げつけて展開するという魔道具の一種でウィル自身が開発したものだ。
本人がそういうなら、と一二三は自分の戦いを楽しむ事にする。
「そんな棒っきれで何をするんだ?」
「何でもできるぞ」
たった一歩だが、数メートルはある距離を一気に詰めた一二三は、杖を突き出して男の喉笛を的確に捉えた。
「おごっ……!?」
頸椎までダメージを受けた男は、首をぐにゃりと曲げて膝から落ちる。
倒れるのを待たずに一二三が振るった杖は別の男の鎧を叩き、革鎧が破れたところに先を引っ掛けて投げ飛ばした。
「わわっ!?」
何をされているのかわからないまま、杖を背負った一二三が思い切り背負い投げの動きをすると、投石器で飛ばされたような格好で男は飛んで行く。
受け身も取れずに大木の幹に頭から叩きつけられた男は、落下してそのまま動かなかった。
「さあ、残りもさっさと……と、その前に」
一二三が懐から取り出した小さな鉄の欠片を投擲すると、逃げ出そうとしている商人のふくらはぎに突き刺さる。
「ああっ!」
両足に激痛を感じて倒れた商人は、どくどくと血を流す足を見て悲鳴を上げた。
「しばらく待っていろ。まだ“取引”は終わっていない」
一二三はさらに杖を振るって護衛の頭蓋を叩き割り、手元に引き寄せたかと思うとくるりと縦に回して後ろから近付いていた別の敵の股間を殴りつけた。
「おぐっ!?」
言いようの無い痛みに襲われて膝を突く。
その首に一二三の足が掛けられ、締め上げられたと同時に首がへし折られる。
「ふむ、やっぱり殺すなら人間だな」
足を緩め、死体になった男を地面に落とすと、一二三は呟いた。
「さあ、続けるぞ!」
右手で一回転させた杖を脇に挟み、空いている左手が人差し指で相手を誘う。
「お前たちはどんな戦い方をする? 何をやってきた? 何が出来る? 全部だ。全部見せてくれ」
口上の途中で投げ矢が飛来する。
こんな物もあるのか、と素手で叩き落としながら一二三は興奮を押えられなかった。
鉄製の杖が軋むほどに握りしめ、笑みを浮かべながら迫る一二三に、護衛はどう倒すかよりもどう逃げるかに考えが移っていく。
だが、全ては遅かった。
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