85.出産騒動
85話目です。
よろしくお願いします。
「やりましょう」
と、ヨハンナはオリガやウェパルが書面で提出した案をあっさりと飲んだ。
「よろしいのですか?」
「動くべき時に動かずに後悔したくないわ。それに、一二三様やオリガさんにはわたくしもお世話になったわけだし」
ヨハンナは手元に置かれた書類に承認のサインを入れると、難しい顔をしているプーセに微笑む。
「心配しなくても実際に兵を動かすのはオリガさんが出産してからの話だから」
「そういう事ではありません。あまりオーソングランデを刺激するのは良くないのではありませんか?」
「刺激、ね……そういう意味ならもう遅いと思うわ。それに、わたくしはオーソングランデ皇国という国そのものが残っている理由はもう無いと思うの」
「そ、それは、つまり……」
「ウェパルさんを見て思ったのだけれど、国を背負うのは大変だけれど、王様が誰か、国の名前や場所なんて結局は大した意味が無いのよ」
極端な話を始めたヨハンナだが、彼女としては国がしっかりわかれていて、それぞれの国がまとまっているのが正常な状態であると思い込んでいた、と自省したらしい。
「オリガさんに教わったの。大切な物が何かは人それぞれで、国や組織というのは必要に応じて変わるものだし変えるものよ。国や組織の在り方なんていうものに捉われて不自由な思いをするのは間違いよ」
「それでは、ヨハンナ様は……」
「一二三様はその昔、戦い方を広め戦争をする資金を作るために戦果を上げてフォカロル一帯の領主となったそうじゃない。では、わたくしの目的は?」
人差し指を立てて、ヨハンナは笑う。
「イメラリア様の作りたかった国は、あくまで“平和で種族同士の争いが無い国”であって、それがオーソングランデという名前である必要も無いのよ」
プーセもそれは分かっていた。
レニやヘレンを始めとして獣人族たちがそうしたように、彼らは住む場所や所属する国に拘る事無く最も大切な獣人族の継続を成し遂げた。
対してプーセたちエルフはどうか。
族長であったザンガー亡きあと、エルフたちは完全にバラバラになった。拠り所など無く、それぞれの地域に散らばって暮らしている。
「ヨハンナ様。一つお願いがございます」
「なぁに?」
「オーソングランデが生まれ変わったその時は……」
真剣な表情で言葉を選びながら語るプーセの迫力に、ヨハンナもこれまでに無い程の真剣さを感じて息を飲んだ。
「私も旦那様を見つけて寿退職いたします!」
「……うん。その、頑張ってね」
「ありがとうございます。では早速、ウェパルさんとオリガさんを捕まえて詳しい計画の立案に入ります」
独り身人生約百年。これまでにない程プーセは燃えていた。
執務室に一人、ポツンと残されたヨハンナは呆然とプーセを見送ったが、我に返ると途端に机に突っ伏した。
「結婚かぁ……イメラリア様も、誰かに恋をしていたのかな。例えば、一二三様とか……」
女性陣ばかりの城内だったが、主だった者たちは独身ばかりである。既婚者はオリガの他は、町に夫を残してきたミーダットくらいだ。
目指す目標は壮大で、将来は困難が予想されるものだったが、魔王オリガが治める魔国の首都は、城を中心にして意外とのんびりした雰囲気だった。
☆★☆
「お、大型ドラゴン種? そんなものがあるはずが……」
「これで信用できるか?」
とある商家の店先で、一二三とウィルに対応した男は大型ドラゴンの死体が手に入ったという言葉を信用しなかった。
だが、一二三が投げ渡した一抱えはある大きな爪は確かにドラゴン種のそれとそっくりだった。
爪一本では信用できないという商人を連れて店の裏手に行き、一二三が闇魔法の収納から頭部の一部をのぞかせる。
「ここで全部出してもいいんだが、店が潰れるかもな」
一二三が言う“潰れる”が廃業と言う意味では無く物理的に建物が叩き潰されるのを指していると気付いた商人は、止めてほしいと嘆願する。
「一体何が目的なんだ!?」
腰を抜かして座り込んだまま叫んだ商人に、一二三を止めたウィルが悪い笑みを浮かべて顔を近づけた。
「誰にも知られずに処分したいのよねぇ。あんたのお店は大きいから、大型ドラゴンをまるごと買い取るくらいできるでしょ?」
「買い取れったって、き、金額は……?」
「皇晶貨十個よ。大型ドラゴンまるまる一体分なら安いと思うけど?」
「じゅっ……そんな無茶な!」
ウィルが提示した金額は、日本円で言えば大凡五千万円程の価値にあたる。大型の商家でも一度に支払うには難しい金額だ。
「とても払えない!」
「じゃあ、余所を当たるしかないわね」
「ま、待ってくれ! 商売仲間を当たる! 人数を集めるから、何とか……!」
大型ドラゴンが討伐される事は非常に稀で、彼の店で一度には支払えない程の金額なのも事実だが、本当に大型ドラゴンの死体なら皇晶貨十個は安い。商人なら見逃せない条件だ。
「それじゃあ困るのよ。あたしたちは誰にも知られないようにこれを処分したいの。変に話を広げられるなら、やっぱり無理ね」
「ぐ……」
商人は歯を食いしばってぐるぐる回る思考を纏める。
「わかった。何とか金は集めてくるから、二日だけ待ってくれ!」
「どうする?」
「良いだろう。その位は別に問題は無い」
一二三が承認すると、ウィルは腕を組んで大仰に頷いた。
「というわけだから、三日後の朝までにお金を用意しておいてね!」
「では、三日後に……。人目につかない方が良いのだろう。この町の南門を出て、街道沿いに歩いた途中で左手に森が見えるのは知っているか?」
商人が言う場所について、ウィルは首をかしげたが一二三は分かっていると答えた。ドラゴンを探して町を出た時に見た覚えがある場所だ。
「では、そこで落ち合う事にしよう。街道に一番近い、森に入ってすぐの場所で良いだろうか」
「だが、森は危険じゃないか?」
一二三の言葉は、心配と言うよりそのような場所を指定する商人に対する疑惑の表れだった。
「わ、私もそれなりに名の通った商人だ。護衛くらいはすぐに雇える」
「そうこなくっちゃ!」
決まりだね、と言ってさっさと踵を返したウィルと違い、一二三だけはじっと商人を見据えていた。
「あの、なにか……?」
「護衛にしっかり伝えておけ。“森は危険だ”と」
「はあ……」
当然の事を繰り返された商人は、その意図がわからずに息を飲み、抜けた言葉を返しただけだった。
「これで目標の三分の一ね! もう少し吹っかけてやれば良かったかしら!」
宿の食堂で少し豪勢な食事を前に、ウィルは上機嫌ではしゃいでいる。
「手に入ってから喜べ。金を集められない可能性もあるし、来ない可能性もある」
一二三は薄く切り分けられた肉を薄いパンと共にくるくると巻いて口に放り込む。言葉には出さなかったが、商人が“別の考え”を持っている可能性が高いと見ていた。
そして、期待していた。
「その時は、また別の商人に話をすれば良いのよ。もっと大きい町だったら確実かも知れないわね……あ、明日から一応調査を始めるから、付き合ってよね」
「調査?」
「場所や道具が揃わなくてもできる事はあるのよ。あんたがいた世界の事を聞いて、目印になりそうな物が無いか探すわよ」
ウィルが説明した内容によれば、召喚魔導陣で繋がる可能性がある世界は数えきれない程存在するらしい。
その中で、一二三が居た世界を探すために目印となる物があり、またその世界を構成する内容がある程度わかれば絞り込みが出来る可能性もあるらしい。
「それでも、同じ条件にあてはまる世界なんて大量にあるから、見つけるのは難しいのよ」
説明しながら一二三の皿から薄切り肉をひょい、と取り上げたウィルは、その瞬間に胸で一二三の持つ串が煮込みの肉を持って行った事に気づいていない。
「んぐ……あ、これ美味しい」
肉をゆっくり味わうようにしっかり噛んで飲み込んだウィルは、目印はなるべく特徴的な物が良いと言う。
「と言っても、基準なんて無いも同然なのよね。だから、思いつく限りの話を聞いて記録して、それを片っ端から送還先調査に使うの」
キーワードを大量に使って本当に必要なホームページを検索するようなものか、と一二三は納得して頷いた。
「紙と筆記具を用意しないといけないわ。荷物運び、よろしくね」
普段は軽い調子だったが、翌日から始まったウィルの聞き取りは延々と続き、一二三がうんざりしても連想ゲームのように「関連する事項を思い出せ」と繰り返される事になる。
「脳が疲れる」
「帰るためでしょ。あんたを待っている人もいるんでしょう?」
「そうだなあ……とりあえず、嫁には顔を合わせないとな」
ゴトリ、と筆記具として使っていた炭の棒を落としたウィルは、絶叫した。
「奥さんがいるの!? あんたみたいなのと結婚するのが!?」
「どういう意味だ、それは。……それよりも、例の取引は明日だ。筆記具を買うついでに買ったナイフを忘れるなよ」
「分かってる。でも、いくら森が危ないと言ってもモンスターにこんなナイフで役に立つ?」
落とした筆記具を拾い直したウィルは、小さな安いナイフの存在に疑問を口にする。
その答えを、一二三は笑みを浮かべて椅子を揺らしながら呟いた。
「モンスター? 俺が思うに、相手は人間だぞ」
できれば強い奴とやりあえる事を祈りながら、一二三はオリガについて思い出した事を呟いていく。
☆★☆
「プーセさん、今良いですか」
「あら、オリガさん。どうしました?」
魔国の財政についての書類を纏めていたプーセの執務室に、不意にオリガが訪ねてきた。
どこか足元がおぼつかない様子のオリガを見て、プーセは不安げに立ち上がって近づいた。
「体調でも悪いのですか? もういつ生まれてもおかしくないのですから……」
「破水しました」
「……え?」
「破水しました」
プーセが視線を落とすと、足元がびしょぬれになっている。どうやらオリガの寝室の近くに誰もいなかったため、一番側にあるプーセの執務室へ来たらしい。
産気づいた、と知ったプーセは、大声で人を呼び、かつてない力を発揮してオリガの身体を抱えて彼女を寝室へと連れて行った。
「なんだ、どうした!?」
最初に駆け付けたのは羊獣人のミーダットだった。
オリガの部屋に駆け込んで来た彼女に、プーセは城内の女性陣で手の空いた者に手伝ってもらうように声をかけ、ありったけのお湯と清潔な布を大量に用意するように伝えた。
「わ、わかった!」
それから、数分と経たずにヴィーネやウェパル、フェレスやニャールもオリガの部屋へと集まり、ヨハンナまでもが執務を放り出して飛び込んできた。
「綺麗なお湯をたくさん用意すれば良いのね? ニャール、洗濯室から桶を沢山もらって来なさい。フェレスは多少なら火魔法が使えたわね? 私の水を温めなさい」
ウェパルは二人の部下を使って落ち着いた様子で手伝いの体制を整えた。出産に立ち会った経験は無いが、おろおろと慌てるような年齢でも無い。指示通りに用意された桶に、あっという間に水を溜める。
「わたくしがお手伝いできることは?」
「ヨハンナ様……治癒魔法でオリガさんの体力回復を継続的にお願いします。彼女は若く身体も小柄なので、母体がもたない可能性もありますので」
プーセ自らも治癒魔法を使うが、赤ん坊の取り上げに集中できるに越したことは無い。申し訳ないと思いつつも、魔力量の高いヨハンナが手伝ってくれる事に感謝する。
「えっと、えっと……とにかく、汗を……」
おろおろとして、汗を手近にあった布で汗みずくになっているオリガの額を拭ったヴィーネは、自分ができることの少なさに涙目になっていた。
「ヴィーネさん。……ヴィーネさん!」
「は、はい!」
プーセに声をかけられ、慌てて目を向ける。
「……オリガさんの手を握って上げてください。本当なら何かに掴まってもらうんですが、貴女なら彼女も安心できるでしょう」
それは一二三の代役としてだったが、ヴィーネはそこまで考えないままに言われた通り、熱い汗をかいたオリガの右手を握った。
「奥様! 大丈夫ですから! このヴィーネが付いていますから!」
目をぎゅっと閉じ、言葉も出せない程に苦しむオリガに声が届いたかどうかわからない。だが、ヴィーネの声に応えるように握り返してきた。
そして、ヴィーネの手から枝がまとめてへし折られたような音が響く。
「おぎゃあああああ!」
「産まれたのかい!?」
叫び声を産声と勘違いして飛び込んできたミーダットが見たのは、右手を握りつぶされた痛みに泡を吹くヴィーネと、気の毒な目で彼女を見ながらも自分の仕事で手一杯の面々だった。
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