84.彼女の存在
84話目です。
よろしくお願いします。
「……ど、どどどどドラゴン! 大型ドラゴン!?」
木々をなぎ倒しながらウィルの前に姿を現したのは、彼女一人がすっぽりと収まるほどの大きな顎を持った四足歩行の巨大な爬虫類だった。
全体的にずんぐりとした体形で体に比べて頭部が大きなそれは、俗に“陸ドラゴン”と呼ばれる翼を持たないドラゴン種だ。
地響きのような音を立てて喉を鳴らしながら、地面にべったりと座り込んで水たまりを作っているウィルを見据えたドラゴンは、鋭い牙が並ぶ口を大きく開こうとして邪魔された。
「こいつがドラゴンか」
木の上から飛び降りた一二三が鼻先に落ちてきたことで、強制的に口が閉ざされたのだ。
食事の邪魔をされて怒ったのか、先ほどよりも大きな音で喉を震わせている。
「よっ」
軽い掛け声とともに、一二三が持った鎌がドラゴンの目を穿つ。
「グオオオオオオオ!」
突然の痛みと閉ざされた視界に、大きく口を開いて雄たけびを上げたドラゴンから一二三は転がるように降りた。
「少し離れていろ」
「う、動けないよぅ……」
完全に腰が抜けているらしいウィルが涙目で訴えると、一二三は即座にその首根っこを掴んで近くの木の陰に放り捨てた。
「ぎゃん!」
「そこで静かにしてろ」
抗議の声が聞こえるのを無視して、一二三は鎖鎌の分銅をくるくると回しながらドラゴンに向き直った。
「火を吹いたり……するやつが森にいるはずもないか。それじゃ……っと!」
一二三が話している間に、前足で勢いをつけて身体を起こしたドラゴンがその巨体で叩き潰さんとばかりに圧し掛かってきた。
流石に受け止めるのは難しいだろう、と一二三が横っ飛びに避けると、地響きを立てて巨体が地面を叩く。
「ひゃあああ?」
茂みの向こうからウィルの悲鳴が聞こえる。一二三の鋭敏な感覚が、周囲の動物たちが逃げ出していくのを感じていた。
「どうやらこの森の主らしいな。ウィル! こいつを仕留めたら良い金になるだろう?」
「なるわよ! でも勝てるわけないでしょ!」
「さあ、どうだろうな」
感触で仕留めきれていないことが分かっているのだろう。ドラゴンは四足で素早く一二三に向かって方向転換して突進してきた。
小さな木などは根元から引き抜かれるほどに激しく傍若無人な突撃に対し、一二三は相手の上に飛び上がることで対応する。
だが、ドラゴンは再び頭上に来られるのを嫌がったようで、急停止したと同時に身体ごと回転して尾を振るった。
「うわ、っと」
鎌を投げ、近くの木に引っ掛けて空中でブレーキをかけた一二三の目の前を、ごつごつした鱗に覆われた尾が通り過ぎる。
その風圧だけでも、一二三の身体は軽々と吹き飛ばされた。
「すごい力だな。この巨体でそこまで動けるか」
感心しながらも木の幹を踏み台にして体勢を整えた一二三は、再びドラゴンと真正面から向き合う。
「ふふ……これだけの獲物は向こうにもいなかった。人間じゃないのは残念だが、お前なら楽しめるな」
言いながら、真正面からぐいぐいと“位押し”に迫っていく一二三に対し、ドラゴンは戸惑った様子を見せた。
それも当然で、ドラゴンを前にした者のほとんどが、人であれモンスターであれ逃げ出すか戦意を喪失してへたり込むかのどちらかなのだ。
「怖がるなよ」
威嚇するように吠えて見せたドラゴンに対し悠然と立ちはだかる一二三は、開かれた口の中に自ら飛び込んだ。
すぐに口は閉ざされはじめたが、その前に鋭い鎌がドラゴンの口内をずたずたに切り裂いた。
「グゥエエエエ……」
首を振るってもだえるドラゴンの口から脱出した一二三は、目の前で左右に動く鼻先に鎌を引っ掛けると、それを踏み台にして再び大きな頭部の上に駆け上がった。
「どんなに硬い外皮があっても、基本的に粘膜が剥き出しの部分は弱い。人も魔物も同じだ」
振り落とされないように一つの鱗をがっしりと右手で掴み、一二三は先ほど鎌を突き刺した目に左手で作った手刀を肩口が埋まるまで激しく叩き込んだ。
「見つけた。手が届く場所にあったか」
爬虫類の脳は小さい。眼底を突き破って一二三が掴んだのは人間のそれと比べて半分程度の大きさのものだった。
柔らかな肉を一二三が握りつぶすと、ドラゴンの身体は激しく跳ね回った。
それは意思によるものではなく、単純な神経の反応だったのだろう。さらに一二三が脳の中心部分を掴んで引きずりだしたところで動きは完全に止まった。
なぎ倒された木々の上に倒れこんだドラゴンは完全に息絶えている。
「終わったぞ」
一二三の言葉を受けてひょこひょこと這い出てきたウィルは、ドラゴンの巨体の上で誇らしげにピンク色の肉塊を掴んで立っている一二三を見上げた。
「あんた、本当に人間なの……?」
「失礼な」
脳を放り捨て、一二三は鼻を鳴らした。
「さて、こいつを売って金を作るぞ」
「そ、そうよ! これだけ傷の少ないドラゴンの外皮があれば、一気に大金持ちだわ!」
先ほどまでの怯えはどこへやら、ウィルはペタペタとドラゴンの鱗に触れて大騒ぎしている。
「その前に、適当に水浴びしてこい」
冷静に指摘されると、ウィルは顔を真っ赤にして一二三が指差した方向へと走って行った。そこに小さな川があるのだ。
「やれやれ……」
忙しない奴だ、と嘆息した一二三は、足の下にいるドラゴンへと視線を移した。
「問題は、騒ぎにならないように売り捌く方法だな」
そして金ができたら居場所を確保して研究して、と考えた一二三は、いつになった帰れるやら、と苦笑した。
☆★☆
寝室に寝かされているオリガの番は、ヴィーネが任される事になった。
昼間の騒動のあと、ウェパルはまだ眠っており、他の者たちもそろそろ眠るだろうという夜中になっても誰も交代してくれず、ヴィーネは一人、薄暗いオリガの寝室で拗ねていた。
「稽古疲れでお昼寝してただけなのに……」
ともすれば世界の危機だった状況にあって、暢気に昼寝をしていたヴィーネに対する罰でもある。
寝ていたのだから仕方がないと言えばそれまでだが、オリガの従者という扱いでもあるうえ、目覚めたときにヴィーネならばオリガもいきなり攻撃したりしないだろうという狙いもあった。
「……う?」
暗さと静寂に耐え切れず、うとうとしていたヴィーネの兎耳にノックの音が聞こえた。
「誰ですか?」
腰の釵を一振りだけ抜いて右手に持ち、ドア正面を避けて立ったヴィーネが問う。
「ミーダットだよ。両手がふさがっているんだ。開けておくれ」
聞き覚えがある声に安堵したヴィーネは、釵を腰に戻してドアを開いた。
そこには、盆に載せたサンドイッチと飲み物を抱えたミーダットが立っていた。紅茶はまだ湯気が立っていて、もう一つのカップからは温かなミルクの香りが漂う。
「夜食だよ。オリガさんは?」
「ありがとうございます。奥様はまだ眠っています」
部屋に入ったミーダットは、音をたてないようにそっとテーブルへ盆を置くと、ちらりとオリガの顔を見た。
この部屋へオリガを運んだのは彼女だったが、その時から姿勢も変わっておらず、静かに眠っている。
「……こうして見ると、まだ幼さも見える可愛らしい人なんだけどねぇ」
「むぐむぐ……起きていても、可愛らしいところのある方ですよ」
早速サンドイッチを口に放り込んでいるヴィーネに向かい合ってミーダットが座った。
「可愛らしい? ここに来るまでウチの部下が倒した数に比べて数倍の敵がオリガさんの手で殺されている。とてもじゃないがそんなところは見られなかったよ?」
ただただ恐ろしいばかりだった、と話すミーダットにニヤニヤと笑うヴィーネは二つ目のサンドイッチを飲みこんでから口を開いた。
「ご主人様……一二三様と一緒の所をちゃんと見てないからですよ」
オリガが魔国の首都に到着して一二三に再会した前後から、ミーダットは部下と魔人族兵の交流や城の制圧準備に忙しく、二人がどうしていたかはよく見ていなかった。
「一二三様のお隣にいる時の奥様は、ずっとにこにこしていて本当に可愛らしいんですよ。他の人には絶対見せない表情なんです。見ておかないと損ですよ」
言い終わるなり、次のサンドイッチを掴んで口に詰め込む。けっこう空腹だったらしい。
「惚れた相手にだけ見せる表情ってやつかな。そういえば、ヴィーネさんだってあの一二三さんって人に惚れてつきまと……ついて来たんだろう?」
「ん……何を言いかけたかは特に追求しませんが、奥様には口を滑らせないように気を付けてくださいね。命の保証はしませんよ」
紅茶を一口飲み、片方だけ残る長い兎耳をぴっぴと動かす。
「私は奴隷としてご主人様に買われて、それからずっとお仕えしてます」
「ええっ。奴隷なのか?」
「形式上は解放されましたけれど、それからは私の希望でお側に置いていただいているんですよ。まあ、お使いとかお仕事で離れる事も多かったですけれど」
当時に共に一二三の奴隷となった獣人族たちは、ヴィーネが封印された後もレニやヘレンと共に町に住む獣人族として種族無関係に協力して生きた。
「と言う事は、ウチのひいばあちゃんとかと同じ年というわけだね」
「やめてください」
封印されていた三人はそれなりに時代の変化を楽しんではいたものの、ヴィーネは特に周りの者たちが老いたり亡くなったりしていた事に気持ちが沈んでいた事もあった。
それから気を取り戻したものの、今度は会う人会う人から“昔話”をせがまれ、まるで大昔の出来事を話す生き字引のおばあちゃんのような気分だったのだ。
「封印されていた間は年齢を重ねていないって扱いで良いはずです。その証拠に奥様も私もまだまだ肌が! ほら! ほら!」
「わかった、わかったから」
自分の頬をつついてみせるヴィーネに、ミーダットは参ったと言って笑った。
「しかし、八十年以上ねぇ……そこまで魅力がある人なのかい?」
「もちろん。じゃないと奥様ほどの人がここまで入れ込む事はありませんよ。私と出会う前にも色々あったみたいですけれど……」
「そっか……。ウチは魔法が苦手だし、戦術以外の研究何てからきしだからね、部下を使って力仕事を手伝う程度だけど、さ。ウチも一二三さんって人とゆっくり話してみたいからね。精一杯協力するよ」
ミーダットの言葉に、目を見開いていたヴィーネは食べかけのサンドイッチを置いて、手についたパンくずを払い落として椅子から立ち上がった。
「どしたの?」
「よろしくお願いします」
頭を深々と下げたヴィーネに、ミーダットは気恥ずかしいと言ってやめさせようとしたが、ヴィーネは頭を下げたまま言葉を続けた。
「私がご主人様に会いたいのももちろん理由としては大きいですが、何卒、奥様がもう一度ご主人様にお会いできるよう、ご協力をお願いいたします」
「ヴィーネさん、あんた……」
「私は、力仕事もイマイチ苦手だし読み書きや計算はできても魔法は下手っぴです。多少は鍛えていますが、まだまだみなさんには及びません。こうしてお願いするしかできないんです……」
ヴィーネの頬から水滴が落ちるのを見て、ミーダットは顔をそむけた。
「そんな事は無い、と思うよ」
「えっ?」
目元を拭いながら顔を上げたヴィーネに、気恥ずかしさで顔を向ける事も出来ないままミーダットは口を開いた。
「オリガさんも、さ。結局は一二三さん以外だとヴィーネさんが一番付き合いが古いし、同じ人を好きで、同じ場所にいる仲間がいて心強いと思うよ」
「奥様が?」
「そうさ、多分ね」
ヴィーネは気付かなかったが、ミーダットは顔を逸らした視線の先でオリガがうっすらと目を開いたのを見て驚いた。
「じゃ、じゃあウチはそろそろ休むよ。とにかく、ウチも部下たちもできるだけの協力はするからさ、ヴィーネさんも無理しないように。じゃあね」
早口であいさつを済ませ、返事を言う前にさっさと出て行ってしまったミーダットを呆然と見送ったヴィーネは、目元をごしごしこすって涙を拭った。
「私でも、役に立ってるのかな……うん。頑張ろう」
ミーダットのお蔭で目が覚めた、と残りのサンドイッチを食べ始めたヴィーネの姿を、オリガはそっと見ていた。
「言われて気付くなんて、本当に鈍い人ですね」
声にならない口を動かすだけの言葉を紡ぎ、オリガは再び瞼を閉じた。
お読みいただきましてありがとうございます。
次回もよろしくお願いします。




