83.殿中
83話目です。
よろしくお願いします。
「ちょっと待って! 待って!」
「畜生にそんな言葉が通じるわけないだろう」
犬型モンスターの群に囲まれて、ウィルは首が外れるんじゃないかと思える程にぐるぐると周囲を見回して逃げ道を探していた。
だが、五十頭近い数に包囲されては、逃げ道は見いだせないようだ。
「あんたはなんでそんな冷静なのよ!」
「慌てても良い事なんか無い。それに動物が持つ筋肉の動きは人間と違う。しっかり見ないと思わぬ不意打ちを食らうぞ」
言っている間に、周囲から同時に飛びかかられてウィルは悲鳴を上げた。
「武器ぐらい買えよ」
しゃがみこんだウィルの上にかぶさるように踏み込み、一二三は手刀を横なぎに振るった。
ゴキリ、と骨が砕ける音を響かせてモンスターたちがまとめて弾き飛ばされる。
数頭の仲間を巻き込んで転がって行く姿を見て、モンスターたちはやや慎重になったようだ。一二三の様子を睨みつけ、じりじりと位置を変えていく。
その動きは、周囲からじっくりと隙を窺う熟練のそれだ。
「割と頭がいい。これは厄介だぞ」
言葉とは裏腹に、一二三の表情は楽しそうだ。
「ああ、あんたこそ、何か武器持ってないの!? いくらなんでも素手じゃあ……」
「そうだな。時間がかかりすぎる」
そう言って、一二三が取り出したのは鎖鎌だった。随分と使い込んだ愛用品で、鎖が千切れたり鎌が曲がったりしたのを、都度補修して来た。
それをじっと見て止まっている一二三に、モンスターたちはじりじりと近付いていく。
「な、何やってんのよ!」
「この世界に鍛冶屋はあるか?」
「あるわよ! 武器作ったり鍋とか作ったりしてる人たちがいるわよ!」
馬鹿にするな、とウィルが声を上げると、一二三は安心したように息を吐いた。
「良かった。なら、壊しても大丈夫だな」
草を刈るような動きで、一二三は近くにいた数頭の前足を一気に数本刈り取った。
「ギャン!」
それらを飛び越えるように飛んでくる相手に対して、的確に喉を切り裂き、ウィルに向かったモンスターには、分銅がめり込む。
「……なにか違うんだよなぁ」
ブツブツと言いながら、一二三はザクザクと犬型モンスターを屠って行き、半数以上が殺された所で、生き残りは退散して行った。
「終わったぞ」
声をかけられたウィルは、地面にしゃがみこんで震えていた。
「うう……助かったし、強いけど……こんなのあんまりだよぅ……」
ウィルに飛びかかるモンスターはその悉くが死体になったのだが、頭部に分銅を受けて眼球や脳症をまき散らしたり、鎌に裂かれて内臓を溢しながら、勢いよくウィルにぶつかったのだ。
今やウィルは全身血まみれで、あちこちに何かの破片がべったりと貼りついている。
「隠れるなり避けるなりすれば良いだろうが」
そういう一二三は、然程汚れていない。
相手が多く素早い事もあって、敵を斬り裂いた時には次の敵に向かって動いていたせいだろう。
「立て。こいつらが目的じゃないだろうが」
「もう嫌だ。帰る」
「はあ?」
立ち上がるなり言い放ったウィルに、一二三は首をかしげた。
本来の狙いは、この森で発見されたという小型ドラゴン種なのだ。まだ見つけても居ない状態で、犬型モンスターに襲われただけだった。
「馬鹿言え。金を稼がないと駄目だと言ったのはお前で、ドラゴン種を狙うと決めたのもお前だろうが」
血で汚れるのも構わず、一二三はウィルの口元をがっちりと掴んだ。
「うぷっ!? ひゃ、ひゃって……」
服がどろどろで血だらけの状態でこれ以上森を歩きたくない、疲れたし、臭いも嫌だ。ウィルはそう主張し、即座に却下された。
「血の匂いくらい我慢しろ。慣れたら楽になる……ん?」
一二三は鎖鎌をくるくると回して左手に持ち直すと、顎に手を当てて考え込んだ。
「ウィル。確か目標のドラゴンは肉食だったな?」
「そうよ。人間を襲う事もあるうえに、小型でも外皮が固くて強力だから、総合して結構な値が付くのよ」
ようやく解放され、痛む頬をもにゅもにゅと撫でながら説明するウィルに、一二三はじっと視線を向けた。
「な、なによ……」
「確か、爬虫類は獲物を探すための嗅覚が発達していたはずだな」
「はちゅうるい? なんのこと?」
随分昔の事のように感じる中学時代の教科書か何かの本で見た知識を思いだし、一二三はある提案をした。
「そのまま血は洗わずに、ここで待機しよう」
「ええぇ~……せめて水浴びくらいさせてよ」
「駄目だ。お前の臭いでおびき寄せるんだからな」
「へっ?」
「俺は隠れておく」
キョトンとしているウィルを置いて、一二三はさっさと木に登り、気配を消した。
「あ、あたしを餌にするつもり……?」
一人で森を抜ける力も無いウィルは、その場で座り込むしかなかった。
「……誰よ、あんな奴を世界から放り出したのは。会えたら一発引っ叩いてやる」
自分が召喚したという事実は棚に上げて、ウィルは恨み言を吐きながらむせ返る血の臭いに囲まれて、半べそで時間を過ごした。
ドラゴンが現れたのは、三十分程後の事である。
小型では無かったのだが。
☆★☆
「ふひ……くちゅん!?」
くしゃみをしたウェパルに、フェレスがそっとハンカチを差し出した。彼女はニャールと共にウェパルの呼び出しに応じ、先日より魔国の城で働いている。
「ありがとう」
「少しお休みになられてはいかがですか? いくらウェパル様が他の人より頑丈だと言っても、限界はあります」
「そんな評価を受けた事はないのだけれど……そうね。効率も悪いから、少し寝ておくわ」
そう言ってウェパルが立ち上がった時、ノックをしてプーセが入ってきた。
「ウェパルさん。ヨハンナ様から聞き取りした召喚魔法の内容をまとめたのですが……あら、どうしたんですか?」
「少し休もうと思ったんだけれど……そういう事なら、先に目を通しておくわね」
応接に案内され、ウェパルと向かい合って座ったプーセは無理をしない方が良いと言ったのだが、ウェパルは疲れた微笑みを見せた。
「急いだ方が良いのよ。どれくらい時間がかかるかわからないし、まだまだ先が見えない状態だから、なるべく早くオリガさんには一定の報告をしておくべきだと思うわ」
「そうですか? 彼女も時間がかかる事は重々理解しているでしょうし、自分の身体の事もありますから、そこまで焦っているようには見えませんけれど」
フェレスが用意したお茶に礼を言い、プーセは疑問を口にした。
ウェパルが危惧しているのは、オリガの表面に見えない部分の精神状態に対してだという。
「唯でさえ状況が不明な状況で旦那が行方不明よ。肩書を作って気丈にしているけれど、いつ暴発してもおかしくないわ」
暴発、という言葉にプーセも顔をしかめた。
「今にして思えば、魔王そのものは誰でも良かったんだから私がなっておくべきだったのよね……。身重だからとか理由をつけて、参謀あたりの職に就いてもらった方が良かった」
万が一、一二三の状況確認すら遅々として進まないとなれば、権力を握っているオリガが何を考えるかわかった物では無い。
「あの時は私も混乱していたのよね。反省だわ……」
負い目もあるが、魔国の国民やそれ以外の国の人々の為にも手抜はできない、とウェパルはこぼした。
「それにしても……」
プーセから渡された書類に目を通しながら、目じりを擦ってウェパルは口の端を曲げた。
「これじゃあ、断片的にしかわからないわね」
「仕方が無いでしょう。ヨハンナ様自身は召喚についての術式を幾度か目にされただけで、実際に行ったわけでは無いのですから。それだけの情報を記憶されていただけでも素晴らしいことです」
「貴女、城勤めが長いだけあって目上を褒めるのも慣れたものね」
「城の主だった貴女に言われたくはありません」
今後の流れとして、ウェパルは自分が構築した転送魔法陣について発動した時点でどこへ飛ばされるかを確認する事になり、プーセはヨハンナと共に古代魔法の召喚技術について調べる事になった。
「手探りでしかないのが痛いわね。とりあえずコレは、オリガさんには見せない方が良いわよ」
ウェパルの忠告に、ティーカップを持ったプーセの手がピクリと震えた。
「……どうして、ですか?」
「貴女、まさか……」
「し、仕方ないでしょう。この城の責任者はオリガさんなんですから! それに、彼女が誰よりもこの研究の成果を待っているのです。進捗が無いと暴走するかも知れないと言ったのはウェパルさんではありませんか」
「迂闊な話をすると、暴走の後押しをするかもって話よ。コレの出所を考えれば……」
ひらひらと書類を揺らして見せたウェパルの言葉を遮るように、廊下から叫び声が聞こえた。
「誰かー! 誰か手伝ってぇー!」
「……ミーダットの声ね」
ウェパルとプーセだけでなく、室内にいたフェレスも部屋を出た。
廊下の先、すぐ近くにあるオリガの執務室の扉が開き、部屋の主がのしのしと歩を進めているのが見える。
足元にしがみ付いたミーダットは、引き留めようとしているらしいが無惨に引き摺られていた。
「なんて力……本当に人間なの、この人……」
「離してください。ここで手をこまねいていては、主人に合わせる顔がありません」
「無茶だってば。一人で行ってどうするのさ」
「ヴィーネも連れて行きます。貴女も一緒に来ますか?」
「三人でも無理!」
言い争いをしていたミーダットは、ウェパルやプーセが来た事に安堵を見せた。
「丁度良い所に! オリガ様を止めてよ」
「……どこへ行くのよ」
ミーダットの情けない姿から視線を逸らしたウェパルの質問に、オリガは真顔で答えた。
「オーソングランデ王都です」
恐れていた事が起きた、とウェパルは頭を抱えた。
「念のために聞くけど、何をするつもり?」
「召喚魔法で不明瞭な所が多いという報告を受けました。ならば、魔法陣がある場所から根こそぎ持って来た方が早いでしょう?」
城に乗り込み、魔法陣を書き写すなり削り取るなりして持って来れば資料になる、とオリガは主張する。
「たった三人で、敵の城に乗り込もうってわけ?」
「不可能ではありません。それに魔王として手伝いの兵を集めることも不可能では無いはず。それだけの権力はあります」
そしてその権力は一二三の為に使われるものだと断言する。
「プーセ」
「なんです?」
ウェパルはプーセに呼びかけながらもオリガの背後にまわり、羽交い絞めにして固定する。
「魔法で眠らせる事くらいできるでしょう?」
「何をするのですか、邪魔をしないでください!」
暴れはじめたオリガに、プーセが慌てて手を当てて魔力を流し込む。怪我人や病人を落ち着かせるための魔法だが、使いようによっては眠らせる事も出来る。
「いたたっ。胸に頭が当たって痛いっ!」
「クッションがある分平気でしょう! オリガさん、申し訳ないけれど、子供の為と思って勘弁してくださいね……」
足元ではミーダットが両足をしっかりと腕に抱えて、ウェパルから踏まれつつも我慢して頭を下げていた。
「むむぅ……」
ようやく魔法が聞き始めたらしく、オリガの身体から力が抜けて、眠りについた。
「お、終わったわね?」
「酷い目にあったよ……」
口々に疲れをぼやきながら、ウェパルに支えられたオリガを受け取ったミーダットは、そっと両腕に抱え上げた。
「こんな細い身体の、どこにあんな力があるんだろうねぇ」
「魔法も驚くほど効き難いですよ。普通の人なら一瞬なのに」
ミーダットとプーセが感心したような驚く様な事を話している間、ウェパルは何かを考え込んでいた。
「どうしました?」
「……準備さえしっかりすれば、悪くない手段かもね」
「ウェパルさん。貴女、まさか……」
「手っ取り早いのは間違いないのよ。オリガさんだって、動いていた方が気がまぎれるでしょう?」
プーセは反対した。出産の兆候が出始めてもおかしくない時期なのだ。遠征どころか安静第一の状況だと強く訴える。
「わかってるわよ。だから、その準備をしながら彼女の出産を待って、それから動きましょう」
「産後の母体に無理をさせる事も許可できません!」
「タイミングは、診断している貴女に任せるわ。どうせ色々と動くのに二、三ヶ月はかかるわけだし」
ウェパルの言葉に、プーセはいぶかしげな眼を向けた。
「準備期間が長いですね。どうするつもりなんですか?」
「味方は多い方が良いでしょう? トオノ伯爵や、貴女が会って来たサウジーネ女王も巻き込んじゃいましょう」
顔をしかめるプーセは、言葉で反対こそしなかったが、乗り気では無いようだ。
「一二三が帰ってくるまえに、この世界の戦争やら対立やらを失くしてやろうじゃない。私だってストレス溜まってるんだから、オーソングランデの王城を水浸しにしてやるくらいさせてもらうわ」
高笑いして去っていくウェパルを呆然と見送っていると、フェレスが一礼した。
「三日ほど一睡もしておられませんので、少しおかしくなっているようです。寝て起きたら発言の恥ずかしさで転がる事は目に見えておりますので、先ほどの話はまた後程という事で」
失礼します、と再び一礼して、フェレスは自分の寝室を通り過ぎてしまったウェパルを追いかけていった。
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