82.集まった女たち
82話目です。
よろしくお願いします。
「もういつ生まれてもおかしくない時期ですね」
魔国入りしたヨハンナ一行は、復旧した鉄道によって早々に首都まで案内された。そこで最初に行われたのが、オリガの診断だった。
「ゆっくり呼吸をしながら、力を抜いてください」
魔力による診察を行いながら、プーセは寝椅子に身体を横たえるオリガを見た。
リラックスしているような、すました顔をしてはいるが、その内心は緊張してるようだ。子供の無事を信じてはいるものの、当人ですらわからない事はある。
「……問題無いようです。赤ちゃんは元気ですよ」
「ありがとうございます。長旅でお疲れだというのに、急ぎでお願いしてしまって」
「気になるのは分かりますから、良いのですよ。それより、ヨハンナ様も私も、お話が聞きたいのです」
わかっています、とオリガは頷き、身体を起こした。
着ているものは以前から愛用している青のローブであったが、その上から仰々しいまでの金刺繍を施した漆黒のマントを羽織る。
「ウェパルさんが、“背が低いから威厳を出すために”と言って用意したんです。重くて肩がこるのですが、主人が戻るまではしっかりと席を守らねばなりませんから」
「戻るまで……というと、また一二三さんはどこかへ?」
「ええ、そうです。どこかへ……」
それ以上はプーセも問わなかった。
ウェパルやヴィーネも交えて、女たちだけの話し合いがこれから行われる事になっている。そこで全てが説明される事になっているのだ。
「それにしても……」
プーセは堂々と歩くオリガに対し、廊下ですれ違う魔人族や獣人族、そして人間の使用人たちが怯えたように道を開けて頭を垂れる様子を見て嘆息する。
「まだオリガさんがこの城に来て半月ちょっとのはずですが、随分と、その……教育が行き届いているようですね」
プーセの言葉に、オリガの足がぴたりと止まる。
「当然です」
振り返ったオリガの眼つきは厳しい。
「主人が戻った時、気持ちよく過ごせる環境を作っておく必要がありますから」
話題を変えるように、オリガは問い返した。
「ところで、ヴィーネは役に立ちましたか?」
「えっ? ええ、女性の騎士もいるにはいますが、彼女ほどの能力を持つ人物は中々いませんから」
「それは良かった」
「ただ、一二三さんからはあまり褒めて貰えなかった……というより、希望するご褒美は貰えなかったと気落ちしていましたね」
「褒美、ですか」
オリガの目が光ったように感じ、プーセは話題を間違えた、と内心ヴィーネに詫びた。
「一二三さんは厳しい人ですから……彼女はホーラントの内戦でとても活躍しました。それはオリガさんも伝え聞いているでしょう?」
「そうですね。夫が彼女をどう評価したか、ヴィーネから聞きましょう」
ヴィーネは嘘がつける正確では無い。一二三に求めた褒美についても話が及ぶだろう。
「と、とにかく彼女はフィリニオン様のご活躍をしっかり確認し、尚且つその部下についてもしっかりと守りましたからね! オリガさんからも褒めて貰えたらきっと嬉しいですよ」
「内容を確認してから、ですね。主人が評価しなかった理由も気になりますし」
駄目だったか、とプーセはヴィーネの運命は天に任せる事にした。
廊下を進む途中で、ウェパルとも合流した。
「あら城詰めエルフさん、久しぶりね」
「魔人族の“元”女王も……って、どうしたんですか?」
プーセが驚いたのは、ウェパルの顔についてだった。魔人族特有のグレーの肌はどこかくすんで見え、整った顔立ちなのは変わらないが、目は疲労で濁って隈もできている。
「まあ……後で説明するけど、私の責任もあるからねー」
抑揚のない声で返事をすると、ウェパルは背を向けて歩いて行った。
「フェレスとニャールを呼び寄せてるから、すぐに楽になるわよ。目覚ましに顔洗ってから参加するから、先行ってて」
「はあ……」
呆然とするプーセに、オリガはニッコリと笑う。
「みなさん、協力的で本当に助かります」
☆★☆
「どれくらい金があればいいんだ?」
町の出入りは問題無かった。番兵は居ても、モンスターが入ってこないかどうかに集中しているようで、人間には何のチェックも無かったのだ。
さっさと町に入った一二三とウィルは、宿を決めてその食堂で食事を採りながらの打ち合わせを始めた。
食べ物は前の世界と大差がなく、多少味が薄いと感じるくらいだ。
「ここの宿に泊まるのに、一人中晶貨一つ。中晶貨が十個で大晶貨なんだけど……」
財布らしき袋からコロコロと三種類の大きさの透明な六角柱の宝石を取り出して並べ、ウィルは大きさ別に並べた。
「大晶貨の上にもう一個大きいのがあるわ。皇晶貨っていうの。大晶貨百個分ね」
目標とするべきはその皇晶貨が三十個程らしい。大晶貨二つで庶民一家族が月に使う生活費の平均になる考えると、その金額は相当なものだと分かる。
「普通に働いたって、皇晶貨を見る事自体がほとんど無いもの。あたしは天才魔導陣研究者だから、それくらいの稼ぎはあったのよ」
「追いやられて家なしなのに、随分と自信があるな。何か稼ぐ手段でも持っているのか?」
小さめの胸を張って立ち上がったウィルは、一二三から容赦なく現実を突きつけられて再び座り込んだ。
「むぅ……そんな事言っても、協力的だった貴族は国から睨まれて手を引いちゃったし、研究の基礎資料も持って行かれちゃったから、最初から全部揃えないと駄目だし……」
「お前が言っていたモンスターを倒せば、金が出て来ないか?」
完全にゲームの発想だが、ファンタジー世界ならそれもあるんじゃないかと一二三は口にした。
だが、返って来たのはウィルのじっとりとした視線だった。
「そんなわけ……いや、良いかも!」
ウィルは一二三の腕を取って食堂を出ようとしたが、逆に一二三から腕の関節を掬われて立ち止まった。
「食事中だ。どこかに行くなら少し待て。それと、動く前にどこに行くか言え」
「か、肩があああああ!?」
一二三が使ったのは、関節技を良く使う武道では割とポピュラーな動きで、手首を掴んで肘と肩を浮かせるように固定する技だった。どうやら、勢いが付いていたウィルの肩が外れてしまったらしい。
「ひ弱だな……動くなよ」
「うぎょっ!?」
二の腕を取って引っ張り、元通りに肩の関節を嵌め直す。
「ほれ。もう痛くないだろう。落ち着いて座ってろ」
そう言って席につき、食事を再開した一二三を、正面に座りなおしたウィルは睨みつけていた。
「ふーっ、ふーっ……」
「猫か」
「人間よ!」
どうやらこの世界にも猫がいるらしい。それよりも、と一二三は二股のフォークのような木製の道具を料理に突き刺した。
「お前が今、自信満々で思いついた事を話せ」
「ぐぬぬ……」
「あのな」
一二三は口に放り込んだ肉を飲み込み、ウィルを睨む。
「俺はお前が出来ると言ったから、その準備を手伝うつもりだが……もし、俺を単に利用しようというつもりなら、別の方法を探す」
「うぬぬ……」
ウィルとしては、絶体絶命の状況から助けてくれた恩もあり、この世界に呼び出して騒動に巻き込んだ引け目もある。
それに、何よりも今一二三から離れてしまうと、次に襲われた際に確実に捕まるか殺されてしまうだろう。魔導陣の技術はあっても、彼女の使える魔力は大した量は無い。
「モンスターを倒して、その素材を商人に買い取ってもらえればお金になるのよ。それを専門でやってる狩人もいるくらいだけれど、はっきり言って危険なのよね」
町に近い場所ではそうでもないが、森や山など、人があまり入らない場所だと強いモンスターが現れて、人間が襲われる被害が出ると言う。
「だから、買い取り希望が出てるモンスターを確認して、あんたが勝てるって言うならやろうと思ったのよ!」
「森なあ。なら、エルフやら獣人族やらはどこで暮らしてるんだ?」
「なにそれ?」
いないらしい。
「兎やら羊やらの特徴を持った人間だな。あとは魔法が得意で耳が長くて寿命が長い奴らとかな。世界が変わると色々違うもんだ」
一二三の説明に、先ほどまで涙目だったウィルはいつの間にか目をキラキラさせて聞いていた。
「聞けば聞くほど不思議な世界ね! あんたの収納魔法も凄いけど、他にも色々あるんだ」
パシッ、と音を立てて手を合わせると、一二三は席を立った。
「買い取り希望はどこで見られる?」
「町の入口近くにあるはずよ! どこの町でも、そこに商人たちが希望の内容と商会の名前を書いてるから!」
一二三の手を取り、ウィルは走り出した。
「あたしに任せて! お金さえ! お金さえあれば何とかするから!」
「カネカネうるさい」
☆★☆
魔人族の首都にある王城は、つい先日から『魔王城』と名を変えている。大量の魔人族塀が一人の人間に殺され、王であったネヴィルも殺害されて主が替わったという血塗られた歴史が出来たばかりなのだが、王都の人々は微妙な表情だ。
ネヴィルの治政で息苦しさを感じていた人々は、彼を倒した人間に少なからず好意を抱いていたが、その人間が重傷を負って城で静養していると知らされているからだ。
「でも、実際は一二三は私が作った転移魔法陣によってどこかへ飛ばされた」
一通りの説明を受けて、改めてウェパルがそう口にしたとき、誰もが沈痛な表情を浮かべている。ヴィーネに至っては、ぽろぽろと涙を溢していた。
「ううう……ご主人様……」
オリガやヴィーネにとっては、最も大切な人物の消失なのだ。オリガも今では責任感で立っているが、しばらくは食事すら採れない程に気落ちしていた。
ヨハンナやプーセに取っても痛手には違いない。
一二三という存在は、神聖イメラリア教やオーソングランデ王国に対する一種の抑止力的な部分がある。一二三が時折表舞台に現れて大きな影響を残していく事で少なくない制限を受けているのは想像に難くないのだ。
もし、一二三が居ないという情報が広がれば、オーソングランデや神聖イメラリア教の勢力は攻勢に出る可能性が高い。
「ヨハンナ様。プーセさん。お二人にお願いがあって、こうして足をお運びいただいたのです」
迂闊に情報を明かす事も出来なかったので、ああいう招待の方法になった事を詫び、オリガは口を開いた。
「主人を……一二三様を再びこちらへ呼び戻すための研究に、ご協力をお願いします」
「まずは彼がどこに行ったかの特定。それと魔法陣の設計ね。癪だけど、古代魔法がベースの魔法陣については、オーソングランデの王族が一番詳しいし、魔力操作については私よりプーセが上だもの」
「わたくしの知識が役に立つのであれば、強力するわ」
ヨハンナはすんなりと承諾した。
「頼み込んだこっちが言うのもなんだけど、オーソングランデ王族の秘術じゃないの?」
ウェパルの質問に、ヨハンナはさっぱりとした笑顔を浮かべて頷く。
「そうね。でもわたくしはもう自由に生きている単なるヨハンナだもの。ああ、正統イメラリア教の教主という立場もあったわね……でも、良いのよ」
自分自身の正直な気持ちで一二三にもう一度会いたいと思っている、と語る。
「ありがとうございます」
大きなお腹を抱えて、そっと立ち上がったオリガは、ヨハンナとプーセに向かって頭を下げた。
「ただ、主人の行き先と向こうの様子が分かるようになって……そして、もし一二三様が飛ばされた世界が、元々暮らしていた世界だったとしたら……」
顔を上げたオリガは、泣いている。
「主人がそれで幸せそうだとわかったなら、呼び戻す事はいたしません」
震えた声で語られた決意に、誰もが反対しなかった。
お読みいただきましてありがとうございます。
次回もよろしくお願いします。