78.新たな命のために
78話目です。
よろしくお願いします。
準備と実力だけが戦闘の結果では無い。
そこには運も大きな要素として関わってくる。
ごく一部の、不運すらも実力で突破できる者たち以外にしてみれば、突然接敵する、災害に見舞われるなどの不利な条件に見舞われた時には実力以上の動きを要求される。
だが、多くの凡人は不意の状況にはまず混乱する。
場所は魔人族の首都まで目と鼻の先。
もうすぐ目的地だと油断していたところを、背後からミーダットたち獣人族兵に襲われた魔人族たちは、まさに混乱の極みにあった。
自分たちは人間の国と戦っていて、獣人やエルフなどは一部混じっていたに過ぎなかった。だというのに、追いついてきたのは獣人族ばかりの部隊であり、しかも精鋭のようだ。
足の遅いものから次々と食い破られていく。
一度は立ち止まって交戦することを考えた魔人族たちだったが、彼我の損害は著しくバランスに欠いた。
ものの数分で逃亡を選択した魔人族は、選択としては正しかったかも知れない。
これが単なる獣人族たちの部隊であったなら、魔法攻撃を苦手とし、遠距離での攻撃手段に乏しいことで大部分の獣人族兵は逃げおおせた可能性は高い。
しかし、獣人族の中にたった一人だけ人間がいた。
オリガの存在である。
「どうなってる。何がおきてるんだ!?」
オリガは魔法によって自在に空気を操る。
目に見えない攻撃は刃となり敵を切り裂き、呼吸を止めて昏倒させ、吹き飛ばす。
「畜生! 人間と魔法の勝負で負けるわけがねぇ!」
叫びながら一人の魔人族が生み出した火球は、急速に勢いを弱め、消えた。
「なんで……」
酸素の供給を断たれたなど知る由もなく、もし知ったとしても理解はできないだろう魔人族は、火球とともに呼吸を止められて倒れた。
わけのわからない魔法攻撃を受けたとしか見えないその状況に、恐慌はさらに広がっていく。
もはや兵隊としての体を成さず、ひたすらに助けを求めて逃げていくばかりだ。
この世界で、オリガは確かに魔法に関する手記を残していた。
だが、そこに記載された多くは一二三から伝えられた中学生レベルの科学知識に基づいたものであり、解読は非常に困難だった。
水や空気の流れなどはある程度実験によって実証され、魔法に生かされることになった。だが、空気の中に酸素や水素が含まれること、ましてや分解して取り出すなど不可能だった。
オリガだけが、その存在を理解していた。
呼吸する前と後の空気。火や炭を燃やして変化する周囲の空気などを感知する実験を繰り返す中で、感覚的に身に着けたものだ。驚異的なセンスと努力の賜物である。
「間もなく首都に到着するかと」
「では、まとめて片付けましょう」
ミーダッとの副官から火打石を借りて小さな紙切れに火をつけたオリガは、正面に向かってそれをかざした。
傍から見ていた者たちには、オリガが火炎魔法を放ったように見えただろう。
だが、その実態はわずかにある水素に火をつけ、多くの酸素によってコーティングした炎の通り道を空気中に作り出したというものだ。
「とんでもないことをするね……」
横で見ていたミーダットは、副官と顔を見合わせて冷や汗を流した。
酸素濃度が上がった周囲の空気によって、炎にまかれた魔人族たちは勢いよく燃え上がる。
まるで炎がまとわりつくかのように燃え上がり、あっという間に炭化していく魔人族たちの姿に、敵である獣人族たちですら背筋に寒いものを感じていた。
「燃え移りますよ。部下の方たちを下がらせてください」
呆然としている獣人族たちに、ミーダットと副官は慌てて下がるように命じた。
大声で怒鳴りつけられ、我に返った獣人族たちは逃げださんばかりの勢いで下がっていく。
そして、後に残るのは魔人族たちの焼死体だけだった。
「片付きましたね。……あれが、王都ですか」
「そ、そうみたいだね……」
座りなおしたオリガが指差す方向には、大きな塀が続く中に門が見える。
開放された大門の前には、数名の魔人族の兵たちが待機していた。
「どうする?」
ミーダットは問う。
真正面から攻撃するか否かという意味だったが、言いながらミーダットは自分の失態を悔やんでいた。
本来ならば敵を目視できる位置に来る前に斥候を出して状況を確認し、作戦を立てるのが定石なのだ。敵を追いまわす勢いに乗って、行き過ぎてしまった。
副官もそれがわかっているのだろう。
敵に見つかっている状況にある以上、急ぎ身を隠すことを考えなければ王都から出てくる大量の敵兵と対峙する羽目になる。
オリガが進むことを選択するなら、彼女の魔法によって勝利は得られるかもしれないが、その場合は多くの民衆が犠牲になるだろう。
「雇われの立場で言うのもなんだが、ここは一度退いた方が賢明だ。いくら魔人族でもウチは町の連中まで攻撃したくない」
「攻撃の必要はありません」
ミーダットの進言にオリガは即答した。
「見てください。ほら、主人がいます。彼らは敵ではありません」
居並ぶ魔人族の後ろから、一二三とウェパルが姿を見せた。
「馬車を速めてください。早く」
「わ、わかりました」
副官が馭者に指示を出している間に、ミーダットはオリガの顔をちらりと盗み見た。
そこには、先ほどまで無慈悲に魔人族たちを葬り去っていたとは思えないほど、極上の微笑みを浮かべた美しい女性の姿があった。
☆★☆
「そいつらは敵じゃない」
城を前にして、座り込んでのんびりと休憩をしている一二三とウェパルの元へ駈け込んできた魔人族の男は、集団が近づいてきていると報告に来た。
そこであっさりと一二三が答えたのだ。
「どうしてわかるの?」
「オリガがいる」
わかるんだよ、と立ち上がった一二三は、報告に来た魔人族兵の背中を叩いてから門へと向かった。
緊張している魔人族兵たちの間を抜けると、遠くに獣人族ばかりで構成された部隊が見える。
妙に緊張した面持ちをした者ばかりなのは、敵地の中心部に来ているからだろうかと一二三は考えたのだが、この際どうでも良いことだと思った。
馬車から飛び出すようにして、オリガが駆けてくる。
青いローブを揺らして、急いで、でも慎重にお腹を抱えて小走りに近づいてくるオリガを、一二三はじっと立ったままで待った。
「あなた!」
「こんなところまでどうしたんだ?」
オリガは結構な勢いで一二三にぶつかったのだが、小揺るぎもせずに受け止める。
「カイムさんよりも美味しいお菓子が作れるようになったんです!」
「そりゃすごい。あいつもすごかったが、あれ以上か」
ふと、オリガが一二三の道着を見おろした。
「切れていますね」
「ああ。もう予備が無いんだ。焼かれてしまってな」
「繕いますから脱いでください」
「ああ、頼む」
さっさと上着を脱いでオリガに手渡した一二三を見て、追いかけてきたウェパルは肩をすくめた。
「敵地のど真ん中なんだけど」
「敵が来ないなら敵地も何も無い。城の中で震えて待っているだけなら、待たせておけばいい」
それよりも食事にしよう、と一二三が言い出したことで、魔人族兵たちは王都を探して飲食店の主人たちに金を払い、多くの料理を用意させることになった。
大量の食材が次々と調理され、腹を空かせた魔人族と獣人族の兵たちに配布されると、大通りはまるでお祭りのような様相を呈した。
通りのあちこちに座り込み食事をしている兵たちは、交じり合ってお互いの戦闘について語り合う。
敵兵の死体が片付けられ、通りに笑い声が響くようになると、いつの間にか戻ってきた町の者たちは彼らを歓迎するかのように酒を提供し、中には音楽を奏で始める者すら出てきた。
ウェパルには挨拶の機会を求める者たちが長蛇の列を作り、町の有力者や城に勤めている者も含まれていた。
「それは素敵なことですね。私も協力します」
一二三から魔国ラウアール攻略後の計画を聞き、オリガはそう感想を述べた。
「いや、それ以前に子供のことを考えるべきだろうな。もう臨月も近いだろう」
初産な上に若い母親である。早産になる可能性も高い。プーセからそのように聞かされていたオリガは、素直に従った。
二人は完全に、ここで過ごしてここで子供を産むつもりでいる。
一二三としては計画に無かったことだが、来てしまった以上は仕方がない。それに、初めての子供の出産に立ち会ってみたいという気持ちもあった。
「子供か。まだ実感が無いな」
「私は、この子がどんどん大きくなっていくのを肌で感じています……。男の子か女の子かわかりませんけれど、きっと元気な子ですよ。ほら」
一二三の手を取り、オリガは自分のお腹にそっと当てた。
「へえ……」
掌に広がる温もりの向こうで、確かに何かが動いているのを感じる。鼓動がある。命は確かにそこにあった。
「不思議だな」
「はい。でも、確かにこの子は生きています」
感触を包み込むように拳を握った形で腕を組んだ一二三は、じっと座ったまま考えた。
そして、答えが出る。
「親としては環境を整えてやるべきだな」
見上げた先には、魔国の城があった。
「そのために、さっさと城を分捕るとするか」
☆★☆
「一体、連中は何を考えているんだ! 何を狙っている!?」
一二三が見つめている城の中では、ネヴィルが激昂していた。
「町の連中まで、調子に乗りやがって……!」
拳を握りしめ、玉座の肘掛を殴りつけながら見回した彼は、謁見の間に臣下を集めたはずが半数余りしか見当たらないことに気付いた。
「……他の連中はどうした」
ネヴィルの問いには、誰一人答えなかった。
互いに顔を見合わせるだけの臣下たちに苛立ちを募らせたネヴィルは、押し殺した声を発した。
「逃げたな?」
それでも、誰も何も言わなかった。
中には自分が逃げ出す機会を逃したことに気付いたらしく、焦る表情を見せる者がいて、ネヴィルの視線に気づいて慌てて顔を伏せる始末だ。
「国家の危機なのだぞ!」
再び、肘掛を殴る音が響いた。
「危機に瀕しているこの町、この国から、責任ある立場の者が真っ先に逃げるとは何事か!」
「ですが陛下。敵は強力であり、城に残っている兵も百に満たない人数です。敵は増えていますので……」
「敗けると言いたいのか貴様は!」
吠えるネヴィルに、進言した男性は滝のように流れる汗を拭いながら言葉を続けた。
「どうか、ご避難ください。陛下の身柄があるところが即ち魔国の中心地となります。ここは一度退いて、各地の戦力を糾合すべきかと」
荒い息をついているネヴィルは、自分がいつの間にか立ち上がっていることに気付いて座りなおした。
そうしてネヴィルは冷静になったつもりであったが、撤退の提案は受け入れる気になれない。
「……あの男だけだ」
呟きに、臣下の目が集まる。
「一二三さえ潰すことができれば、ウェパル程度はどうとでもなる」
この際、他の兵士連中はどうでも良い、とウェパルは言う。
「一二三を殺せば連中の頼みは潰え、組織としても瓦解するだろう。ウェパルだけならおれの実力で倒せる」
では問題の一二三をどうするのか。
ネヴィルは一人の男を指差した。
「お前に任せる。兵を並べて城に侵入してくる一二三を誘導しろ。あれは敵と見れば襲いかかってくる獣のような男だ。剣を握らせて立たせておくだけで良い」
自国の兵を平然と犠牲にする手段に、誰もが戸惑う。
指名された人物は、声も出せないまま答えに窮していた。
「誘導する場所は例のホールだ。あそこにはウェパルがここを築城した際に作った罠がある。簡単に逃げられるような罠ではないが、念のためだ。ウェパルを城に入れるなよ?」
「しかし、あれは誰かが罠を作動させなくてはなりませんが……」
「おれがやる。おれは先にホールで待機している」
言うが早いか、返事を待つことなくネヴィルは立ち上がり、護衛の兵を数名連れて立ち去っていった。
「やるしかあるまい……我々は、もはやウェパルに組するには遅すぎるのだ」
「何としてでも連中を倒さねば、未来は無い、か」
静かになった謁見の間には、遠くからかすかに外の歓声が聞こえていた。
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