77.彼の影響
77話目です。
よろしくお願いします。
鞘を走った黒い刀は、偽のオリガをかばうように横滑りして割り込んできた偽一二三のわきへ向かって横から叩き込まれた。
一二三が誰かをかばうような動きを見せることはほとんどない。
だが、攻撃を後ろにそらさずにやるとすれば、多くの場合上へと流す。一二三は自分の行動パターンをそう理解していた。
正解だった、と一二三はほくそ笑む。
横薙ぎの抜き打ちに対して、偽一二三はサーベルを斜めに立てて上方へと刀を流した。
一二三はその動きに逆らわず、逆袈裟に変化した動きそのままに身体を大きく伸ばす。
「来い」
声には出さなかったが、一二三の目は相手に向けてそう語っている。
それに反応したように、偽者は防御に使ったサーベルを振り上げるや否や、稲妻のように突出しながら斜めに振り下ろす。
速い。
流麗な動きは無駄がなく、腰から肩へ、そして腕へと伝わった力はしなやかな剣撃を生み出す。
だが、一二三は相手がそうすることを“知っていた”のだ。
上方に流された刀を手放した一二三は、振り上げたままの腕で敵の手首へと手刀を当ててそのまま掴み取る。
偽一二三はそのまま振りぬくことを選んだ。
その勢いはそのまま一二三の腕へと伝わり、彼の身体を前に進める一助となる。
無理やり腕を振り下ろされるような恰好になり、サーベルは激しい火花を散らして石畳を削り、先端が折れた。
それでも、一二三が作った回転力は止まらない。
前回りに、一二三の上を通って自らの力でもって投げ飛ばされた偽物は、受け身も取れずに地面へと落ちていく。
その瞬間だった。一二三は背後から魔力の流れを敏感に感じ取った。
「アレをやるのか!」
良く知っている、と苦笑しつつも回転する敵の身体をそのままくるりと引き上げて盾にする。
そして、素早く両耳を塞いだ。
直後に衝撃が響く。“バン”とも“ドン”とも表現しがたい爆音が響き、周囲の水壁がぐしゃぐしゃと乱れた。
音波を真正面から受けた偽一二三は、身体の表面からパウダーを零しながら地面へと落ちる。
「つぅ……何度やられても、慣れるもんじゃないな」
少しだけふらつく頭を抱えて立っている一二三は、首を振って二人の相手を見据える。
「大したもんだ」
偽物の自分が崩れかけて立ち上がろうとしているのを、一二三は走りこんで蹴り飛ばす。
一部が砂と化して飛び散り、一部は偽オリガへと降り注いだ。
「目つぶしにはならんか」
意に介したふうもなく、近くへ来た一二三に対して大上段から打ち下ろすような動きでナイフを振るった。
それは、オリガが鉄扇を使ってよくやる動きだ。
「おっと」
内側から肘を当て、手首ごとナイフを止める。
「……本人並みに器用なことをする」
小さくつぶやいた一二三は、周囲の空気が薄くなりつつあることに気づいた。
長引けば、単なる人間の一二三は酸欠に耐えられないだろう。
「ふうっ!」
息を吐き、一二三は止めた手首を握りしめた。
ぐしゃりと潰れ、粉をまき散らす右手には、すでにナイフはなかった。
下に落としたナイフを左手で受け止め、偽オリガはそのまま横に振って一二三の腹を狙ってくる。
一歩下がろうとした一二三の足が止まった。
「ちっ」
状態をそらして避けたが、道着の腹部がバッサリと裂かれた。
「もう予備も無いのに……」
バイロンに焼かれてから着替えた道着だったのだが、それよりも問題がある。崩れかけた偽の一二三が、足元を抑えていたのだ。
「邪魔だ」
踏みつぶそうとしたが、オリガが左手のナイフを振るってその時間を取らせない。
左の足首から下が固い砂に埋もれたような状態で、一二三はその攻撃を避け、止めていく。
だが、フットワークが使えない一二三は偽オリガが背面に回ったことで対処ができなくなる。
酸欠で息が荒くなってきたこともあり、集中力は限界を迎えようとしていた。
「やれやれ……偽物でも、手ごわいな」
背後から迫るナイフが持つ、人を殺す圧力。
背中が粟立つようなひりひりとする殺気に対して、一二三は両手の指先を鉤爪のように曲げた。
「終わりだ」
振り向きながら、すぐ近くまで迫ったナイフに肘を当てて弾いた。
抑え込まれた右足を無視するように、右足でがっちりと踏み込んで身体を捻って振り向くと、左足首や膝から骨と筋がけたたましい悲鳴を上げるが、意識して無視をする。
回転も手伝った高速の掌底が偽オリガの胸を叩く。
ドン、と思い音が響く。
動きを止めた偽オリガは、ナイフを落とした。
それは人間の体内に衝撃を響かせるための技だった。胸を叩けば心臓を止め、腹を叩けば胃がひっくり返るほどの鈍い衝撃を受ける。
だが、パウダーで作られた身体には別の効果があったようだ。
全身に走った衝撃は、特別な身体をまんべんなく解していったらしい。
脱力し、一二三の胸元に飛び込むように倒れた偽オリガの身体は、足元から崩れていった。
最後に、一二三を見上げる顔が崩れ、一二三の前で単なる砂山に変わる。
直後に、耳が痛くなるほどの勢いで気圧は戻り、一二三は呼吸が楽になると同時に左足の痛みを自覚した。
「ふっ!」
足元に残っていた自分の偽物を叩き潰し、一二三は念のために崩れたパウダーをすべて闇魔法で回収すると同時に、石畳に座り込んだ。
「痛ぇ」
戦闘が終わったことを知ったのか、水の壁はみるみる流れていき、ウェパルが姿を見せた。
周囲にはいくばくかの兵の死体があったが、多くは逃げたのか投降したのか、姿が見えない。
「終わったみたいね……って、どうしたのそれ」
投げ出すように伸ばした一二三の左足は、つま先が後ろを向いている。
「足首と膝が折れた。あとは、股関節は亜脱臼だな」
言いながら、太ももを掴んだ一二三は思い切り左足を引っ張り、無理やり股関節を押し込む。
ゴクン、と音が響いて、ウェパルの方が痛そうな表情を浮かべた。
「治った」
「むちゃくちゃやるわね……。待ってて。治癒魔法が得意なのを呼んでくるから」
背を向けたウェパルに、一二三は声をかけた。
「オリガは意外と強い方なんだな」
「強い方?」
ウェパルは振り向き、鼻で笑った。
「別格と呼ぶべきよ。育てたのは貴方でしょうが」
そうなのか、と一二三は石畳に倒れこんだ。
そのまま見上げると、城が見える。
「さて、あとは城内か」
☆★☆
「うぅむ……」
獣人族の将ミーダットは、二百名を超える部下を率いて長い隊列を作り、幌を取り去った馬車の上で胡坐をかいて唸っていた。
「どうかされましたか?」
同乗している副官が、水筒からカップにぬるい茶を入れて手渡した。
「ああ、ありがとう」
カップを受け取り、一口だけ飲んで喉を潤したミーダットは、先ほどまで考えていたことを語る。
「魔法が得意なのはエルフや魔人族で、人間は使える奴と使えない奴がいる。んで、獣人はもっと苦手なんだろう?」
常識ですね、と副官は頷いた。
「エルフと魔人族は、大昔は同じ種族だったという説もあるようですよ。何かの理由で二つの場所に分かれて、長い年月をかけて変化したとか」
「エルフや魔人族の寿命で言う“長い年月”なんて、それこそ気が遠くなるような話だねぇ」
いやそういう話題じゃない、とミーダットは首を振った。
「魔法が得意なエルフでも魔人族でもないのに、オリガさんの魔法が今まで見てきた中で一番強烈だったのよ。それが不思議って話」
オリガはここ数日の行軍の間に、野党や敵集団をほぼ一人で魔法によって撃退している。
「ああ、そのことですか」
副官としてミーダットをサポートする男性はゆっくり頷き、自分のカップに入れたお茶を飲む。
「これは、フォカロルのギルド長から聞いた話なのですが……」
何やら深刻そうな話を始めた副官に、ミーダットは息をのんだ。
だが、次に出てきたのはシンプルすぎる答えだった。
「気にしない方が精神安定のために最適だそうです」
「……は?」
ギルド長クロアーナが語ったのは、“例外”の存在だった。
長く一二三やオリガについて調べていた彼女は、一二三に関わった多くの人々が、その後の人生において本来は考えられない地位を得、また能力も上昇していた可能性があるという持論を持っていた。
獣人族を冒険者として雇うため副官が彼女とやり取りをする中、イメラリア親政時代が雑談の話題になったときにクロアーナは語った。
現在はイメラリア教のシンボルとして扱われているイメラリア・トリエ・オーソングランデは、王女時代にすでに“聖女”と呼ばれてはいた。だが、それは単に王族の中でも民衆に対して施しなどを行っていたことから呼ばれたものであり、現在のような宗教的な理由は存在しなかった。
彼女が変わったのは、一二三という人物を呼び出してからの事だ。
一二三およびオリガの手によって家族が悉く殺され、結果としてその幼い両肩に国を背負わされる事になる。
これが生来の単に大人しいだけの彼女であれば、とても国主としての仕事を長く勤めることはできなかっただろう。まして、オーソングランデを多種多様な人種が共存する国として維持し続けることなど不可能だったはずだ。
それが、一二三との交流の中で強制的に成長させられた、とクロアーナは考えていた。
同様に一騎士から近衛騎士隊長まで出世したサブナク・トワスト・ヴィンジャー。フィリニオンやその夫であったヴァイヤーなど、数名が一二三の影響を受けた。
「その最たる人物がオリガさんってこと?」
「ギルド長が言われるにはそのようです」
オリガは一二三に帯同し、時には彼のために部下を率いて行動するなど、封印前の人生の中で多くの戦いを経験してきた。
同時期に一二三から直接手ほどきを受けた最初の一人であり、最も長く彼の薫陶を受けた人物である。
「技術的にも知識的にも、オリガ様が一番一二三の影響を受けたわけですから……」
クロアーナの仮説が当たっているとすれば、オリガは一二三によってこの世界の人々が考えるよりも一段階上の能力を得ていると考えられる。
「待て待て。もう一人、獣人族も一緒に封印されていただろう? そっちはどうないだい」「兎獣人のヴィーネ様ですね」
ヴィーネは獣人族の中ではそこそこ有名ではあった。現在でも訓練していた兎飛翔拳の訓練場を中心に人気がある。
「彼女も通常の兎獣人以上の身体能力を見せています。途中で町を出たせいで町でのランクは上の中どまりですが、ほんの数週間でそこまで勝ち進むことも無敗なのも異例です」
「なるほどねぇ……」
空になったカップを副官に返したミーダットは、再び腕を組んで目を閉じた。
「一二三さん、か。ウチの父さんはカイムさんから話を聞こうとしたけど、結局ほとんど教えてもらえなかったらしいんだ」
晩年を獣人族の町で過ごしたカイムは、行政と格闘術について一二三から教わったものをレニをはじめとした獣人族へと伝えたが、一二三やオリガについて個人的な人となりは何も語らなかった。
「人間にしてはえらい強かったらしいけど、一二三さんって人と一緒にいたら強くなるって事なら、納得できる」
ということは、とミーダットは副官を見て笑った。
「ウチも一二三さんに会ったら強くなれるのかな?」
「オリガ様と同様、訓練を受けたらなれるのではないのでしょうか」
ミーダットは黙り込んだ。父から聞いたカイムの指導は一二三仕込みで非常に厳しく、真剣にやらないと死ぬ、と本気で思えるような苛烈さだったらしい。
「部下の訓練をお願いしよう」
「恨まれますよ」
そんな話をしているうちに、ミーダットたちは魔人族兵の部隊とばったり出くわした。
国境を引き上げて、地方から集めた兵をそのまま王都へ連れて行く途中の一団に追いついたのだ。
「敵の後背を突いた格好になっていますね」
「では、そのまま前に出る。歩兵を前面に出して馬車を後ろに。街道の左右に逃げる連中を魔法で処理するんだ」
ミーダットの指示を受けて動き始めた兵たちの後ろで、オリガは一人箱馬車の中で腹部をそっと撫でていた。
「もうすぐ、お父さんに会えますよ」
戦闘音が響いてくると、そっと立ち上がって箱馬車の馭者へ伝える。
「前に出てください。私が片付けます」
オリガは急いでいた。有象無象の邪魔などまともに相手する気持ちなど欠片も持ち合わせていない。
お読みいただきましてありがとうございます。
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