75.追いかける影
75話目です。
よろしくお願いします。
「あの男は! そしてウェパルは一体何を考えているのだ!」
ネヴィルが激高したのは、城へ駆け込んできた伝令から伝えられた言葉が理由だった。
「もう一度言ってみろ!」
「お、王都正面は真正面から敵の攻撃によって突破されました……。今は防衛の為に兵士が出ておりますが、敵はまっすぐ城へと向かって来ております」
つまり、兵が出てはいるものの止めきれないという悲鳴でもあった。襲撃者はウェパルと変わった服を来た男の二人組という事なので、ネヴィルは間違いなく一二三だと思っている。
「……城内にいる兵士を半数出撃させろ。回り込んで背後からも襲って挟み撃ちに、左右の道には弓兵を伏せて援護させろ」
少し足りないか、とネヴィルは考える。
「男の方もウェパルの方も、止めを刺した者には褒美として金と地位を約束する。すぐに動け」
「畏まりました。すぐに民衆の避難と合わせて……」
「そんな暇はない。民衆は勝手に逃げるから気にするな。それよりも急ぎ迎撃せよ」
一時は唖然としたが、兵は命じられるままに執務室を後にした。納得はできなかったが、命令であれば仕方が無い。
「このようなことまで私が指示せねばならんのか……」
ため息混じりに呟いて立ち上がったネヴィルは、別の兵に城内の警備を厳しくするように命じて、さらに一人を研究所への伝令に出した。
ネヴィルは一二三が近づいている事を知ってから、オーソングランデ国境で戦っている塀の大半を呼び戻すように命じている。
ただ、人数の差もあって一二三に追いつくことはできなかった。それでも町一つを使った罠によって差は縮まったらしく、伝令によると二日後には王都へと到達するらしい。
「二日だ。二日でこちらの戦力は倍増する。多少町は荒れるが、実験体が出れば問題無い」
ネヴィルは町の状況を見ておくために、城の最上階へ上がって町を見た。
まだかなり遠くだが、確かに騒動は始まっているようだ。
城へと続く広い大通りには兵士がひしめいており、戦闘では大声を上げて戦う兵士達の姿が見える。そこに小さく二人の人物が見えたが、顔が判別できる程近くも無い。
「無謀な事を……このままなら、実験体が出る前に消耗して死ぬだろう」
安堵して大きく息を吐いたネヴィルは、安全な距離にいる事でしばらく観戦する事にした。いずれ多勢を相手に潰される二人が見られるかもしれないという希望からだ。
「ここに酒を持ってこさせろ」
と、木戸を開いた窓枠に背中を預け、ネヴィルは護衛として付いていた兵士に命じる。
「ようやく出たか……」
見ると、研究室周辺から数人の簡素な白い服を着た者たちがゾロゾロと出て来るのが見えた。
彼らはパウダーを使った因子接続のための実験に使われた者たちだ。全員が犯罪者であり、特に王政府関係者に対して大きな不利益を与えた者たちが多く含まれている。
ぞれぞれに獣人族やエルフの因子が組み込まれており、通常の獣人族よりも膂力や魔法の威力に優れている。
「だが、所詮は失敗作だ。ここでいくら消耗しても構わん」
とネヴィルが吐き捨てた通り、彼らは実験の途中で何とか死なずに保つことができた程度の状態で、因子による影響を脳にまで受けて木偶人形のようになっている。
何かあると防衛本能が刺激されるらしく反撃するのだが、言葉を理解せず、動物のようにただ欲望で動いていた。
「……ん?」
実験体から目を離し、最前線での兵士達の動きを見てあれこれと文句をつけていたネヴィルは、ふと眼下に見える城の真正面が騒がしい事に気付いた。
視線を向けると、そこにはたった二人の人物が立ち、先ほどまで戦線へと向かって研究員たちに引っ張られていた実験体たちが倒れていた。
実験体たちは手足や頭部を切断されていたり、折られていたりしているようで、誰もがピクリとも動かない。
「ぎゃあああ!」
再び悲鳴が上がり、研究員の一人が殺された。
「何をやっている!」
ネヴィルが良く見ると、二人の人物には見覚えがあった。
それはネヴィルが研究所で“例の因子を使った”と言っていた研究素体であり、少なくとも成功すれば最強の兵士として世界を手中に収める事すら夢では無くなる研究の成果だった。
「実験体アルファとベータか……!」
二人の実験体は、パウダーを作ってゼロから作られた肉体を持っている。擬似的に製造された生命体で、いわゆる人造人間だった。
人造魔人では無い理由として、彼らに生命の核となる因子として埋め込まれたのが、各地の戦場で採取された“一二三”と“オリガ”のものだったからだ。
外見も良く似ており、シンプルな衣服を来た二人は色素が薄い程度であり、能力的には因子のオリジナルと然程変わらないと考えられている。
しばらく周囲を窺っていた二人の実験体は、すぐに兵士達がひしめく戦場へと向かった。
それを見たネヴィルは、顔をひきつらせながらも「まあ良い」とこぼした。
「多少の犠牲は元より覚悟の上。研究員が一人でも生き残っていれば良いが……万一の場合は、また人材を探して私が自ら指導すれば良い話だ」
いよいよ援軍は不要だな、と呟くネヴィルの視線の先では、部下の兵士達が背後から実験体に襲われて、悲鳴と血しぶきを上げていた。
☆★☆
「敵がいなくなった」
トオノ伯爵領、国境にある砦の上で、一人の羊獣人女性が呟いた。
その人物は白いふわふわとした髪を持つ可愛らしい顔をした女性で、眠そうな瞳は薄い青色をして遠くを見ている。
数日前から、獣人族の町から部下を連れてきて“有志の冒険者”の体で防衛に強力していたが、ぱったりと敵が来なくなってしまったのだ。
「魔人族は諦めた? 何かの準備をしている?」
少し危険ではあるが、誰かを偵察にやるべきかと悩んでいると、砦の下から声がかかる。
「大将! お客さんですぜ!」
「大将はやめろや! 何度言わせんじゃボケ!」
大声で変事を返した姿は、先ほどの凛とした雰囲気を完全に吹き飛ばした。
どん、と音を立てて砦から飛び降りてきた女性は、声をかけてきた獣人族の頭を一発だけ叩いた。
「ウチたちはここでは冒険者なんだから、そのつもりでいろと言っているだろうが。国内だって妙な言いがかりをつけてくる奴はいるんだ」
「すいやせん……」
「で、客ってのは?」
「それが……」
兵士の後ろから、一人の女性が姿を見せた。
「貴女が獣人族の将として高名なミーダットさんですね。女性とは存じませんでしたが、お噂はかねがね……」
一礼した女性は、口元を押えて微笑む。
「獣人族の町には伺いましたが、その時にはお会いする機会もありませんでしたね」
「あ、あんたは……」
驚いているミーダットに、妊娠しているらしいお腹の大きなその女性は「初めまして」とあいさつをする。
「遠野一二三の妻、オリガと申します。突然の訪問、申し訳ありません」
ミーダットは、両親や祖父母から一二三とオリガについて良く聞かされていた。それは町に住む獣人族全体が同じであったが、彼女は町を作った人物レニと遠縁にあたる。
他の獣人族以上に、一二三やオリガの強さや考え方について聞かされていた。
特に女性として、オリガのように一生をかけて側にいたいと思うような男性を見つけるのが密かな夢でもあったのだ。
「まさか本人にお会いできるとは……あ、申し訳ない。ウチはミーダット……です」
「いつも通りの話し方で構いません。私は一時期的に貴族の妻であっただけで、今は単なる冒険者に過ぎません」
謙遜も過ぎる、とミーダットは苦笑する。
そのまま兵士に案内されるままに向かったのは、国境防衛の指令所としている宿のロビーだった。
その一角に座ると、一人の兵士がお茶を運んできた。
「ありがとうございます」
と言って、オリガは少しだけ口をつけるにとどめる。
「実は、一つお願いがあって参りました」
オリガはすぐに本題を切り出した。
「これから魔人族領に入って、夫に追いつきたいので、護衛をお願いしたいのです」
ミーダットはオリガの言葉に「護衛など必要だろうか」と一瞬だけ頭をよぎったが、確かに身重の身体でも有り、戦争中の敵国に入るのだから必要ではあろう。
「何分、この身体ですから無理はできません。起きて移動している間はさておき、眠っている間などは最近少し感覚が鈍ってしまっていて……」
「そうまでして一二三さんに追いつきたいってんだから、何か理由があるんでしょ?」
「ええ。ちょっと夫の帰りが遅いので迎えに行こうと思いまして」
「はあ?」
愕然とするミーダットの目の前に、オリガは小さな包みを開いて焼き菓子を見せた。
クッキーのような一口サイズのもので、冷めているようだが良い香りが漂う。
「うめぇ……」
勧められて口にしたミーダットは菓子を「あまり食べなれないが、正直に美味いと思
い、そう口にした。
「ありがとう。ここまで作るのに本当に苦労したんですよ。主人ったら“焼き菓子だけはカイムの方が上手だった”なんて言うものですから、ついムッとしてしまって。一生懸命練習したんですけれど、妊娠中に体重が増えすぎるのも良くないということでしたから……」
すらすらとオリガの口をついて出て来る話を要約すると、一二三に焼き菓子だけはまだ最高の味と認めて貰えていないので、コツコツと練習と研究を重ねてようやく最高の物が作れた、ということらしい。
「それを渡すために、わざわざ……?」
「これじゃありません。ちゃんとした厨房をお借りして焼き立てを食べていただかないと」
こういう時は一二三の収納魔法が羨ましい、とオリガが言っている前で、ミーダットは頭を抱えた。
「だが、今は国境の警戒中なので……」
「敵は国境の十キロ以内にはいません。一二三様の影響で収集でもかかったのでしょう。いくらゆっくり戦いながら行ったとしても、そろそろ魔国の首都に着いて良いころですし」
さらりと言ってのけたが、オリガ以外に居合わせた兵士たちは顔を見合わせた。
「その……どうやって調べたんだ?」
「風魔法を使うのです。誰かが私のメモを見て割と一般的な方法になりつつあると聞きました」
同じ、と言われてもミーダットは否定するしかなかった。空気の流れで周囲の状況を調べる方法は確かに風魔法を使える者なら知っているだろうが、十キロの範囲を調べられる者は皆無だ。
「どうせ夫が首都に辿り着いたら、戦闘はそこで終了になります。そうなれば、夫の事ですからすぐにふらりと出かけてしまうかも知れません。一刻も早く、この焼き菓子を評価してもらわないと」
オリガは、これを正式な依頼だと告げた。
「フォカロルのギルド長であるクロアーナさんに確認しました。貴女たちは今、冒険者としてここにいると言う事。そしてトオノ伯爵からも一筆いただいております」
オリガが見せた書類には、トオノ伯爵のサインが入っていた。
曰く、現地の判断で防衛のための依頼を一旦停止してオリガの依頼を受ける事を認める、と。
ミーダットはなんとなく、直談判されて断るに断れなかったギルド長クロアーナとトオノ伯メグナードの姿を想像した。
「なるほどね」
オリガはエヴァンスに聞いた抜け道を身重のままで通ったあと、一度フォカロルまで馬車で向かい、それから国境まで来たそうだ。
「一人でかい?」
「正統イメラリア教から三人、お世話係を付けていただきました。国境越えで疲れたようで、今は休ませています」
旅慣れない方は大変ですね、とオリガは笑っているが、基本的な体力から違うはずだとミーダットは確信している。
「わかった。わかりましたよ。伝説の英雄と一度話して見たいとは思っていたんだ。何しろ荒野に訓練で出ていて入れ違いになったからね」
「ありがとう。ではお願いいたします」
いずれにせよ、魔国の状況を偵察せねばならない状況ではあった。ミーダットはついでに小遣い稼ぎになると割り切る事にした。
「では、出発は明朝で」
「急ぐねぇ」
もちろんです、とオリガは微笑む。
「早く会いたいと思うのは、自然な事です」
その為に周囲を巻き込むのは自然なのかと考えたが、ミーダットとしてはオリガと正面から対立する気は無かった。
なんとなく、そうしない方が良い気がしたからだ。獣人族軍の将となってまだ数年だが、彼女は自分の勘を信用していた。
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