73.清掃の報酬
73話目です。
よろしくお願いします。
ある程度魔力を回復して起き上がったウェパルは、同じように仰向けに倒れていた一二三を見て、近くで護衛していた者たちに告げた。
「危ないから近づかないように」
そして、一二三は放置しておく事にした。他にやらねばならぬ事が多いからだ。
津波に流された者たちの中で、生き残りを見つけて始末して来た仲間たちと合流したウェパルは、気絶したままのレナタを鎖でぐるぐる巻きにしてから、水を浴びせた。
「う……」
「目が覚めたみたいね。じゃあ、さっさと吐いてもらうわよ。貴女のその馬鹿力とネヴィルのやっている事について」
気絶から回復したレナタは、自らを縛る鎖を見下ろしてから、目の前に立つウェパルに向けってゆっくりと顔を上げた。
「パウダーを使った、生命体の結合……」
ぽつりとつぶやかれた言葉に、ウェパルは大きく頷いた。大方の予想から外れていなかったからだ。
一二三がホーラントで戦ったという人間と獣人間に生まれたハーフの存在。そして“パウダー”を使ったネヴィルの実権は繋がりがあるようだ。
「という事は、貴女は最初からネヴィルのスパイとしてエヴァンスと同じ諜報部にいたわけね」
「くふふ……」
ウェパルの言葉に、レナタは肩を震わせた。
「あんたが王じゃなくなってからよ。ネヴィルが何人かに声をかけた時期があって、それに参加しただけ。結構いいお金になったし、何より人間を使った実験も終わって、概ね問題は無かったみたいだし」
レナタは、ウェパルが拍子抜けする程すらすらと喋った。
「……どうやら、バイロンもやられたみたい。いや、相打ちかな?」
「一二三の方は生きてるわよ。単に疲れてるだけみたい。それで、どうしてそんなに素直に話してくれるのかしら?」
「あたしだって、一度負けたら実力差がわかるわ。それに、変に抵抗して殺されたくないもん。折角拾った命を捨てるつもりないし」
「冷静な考えを持ってくれて良かったわ」
にっこりと笑ったウェパルは、手のひらの上に水の玉を見せた。
「変に抵抗したなら、喋る気になるまで貴女の口から出口まで水を何度も往復させるつもりだったもの。死にはしないわよ。気管には入らないようにするし」
「そ、そうなんだ……」
乾いた笑いを浮かべたレナタは、バイロンについても話した。
「パウダーについてネヴィルがやっていた研究は二種類。一つはあたしみたいに獣人の因子を取り込むための“繋ぎ”に使う事」
当初は魔国ラウアール内の人間などをどこからか攫って来ては実験を繰り返していたらしい。それはまだ、ウェパルが魔国の王であった頃だ。
「密かに実験を続けていたネヴィルは、生まれる前の状態であれば因子の結合をする事に成功したみたい」
その頃についてはレナタも伝聞でしかないが、少なくとも数百人の人間や獣人族の命が犠牲になった事は間違いない。
「途中で資金集めのために何人かは売り払ったり、実力で逃げ出したのもいたようだけれど、ほとんどが“処分”されたみたいね」
その後、ネヴィルはどこかから安定した資金を得るようになり、実験体を積極的に外に供給するようになった。
「全員が国外に売られたみたいね」
「だから魔国にいる間は噂をほとんど聞かなかったわけね……」
「そういう事みたい。その後、成体の人間にも獣人族の因子を埋め込んで発現させる事に成功。自分の部下になれば力をやるという誘い文句で人を集めたわけ」
そうして地盤を固めたネヴィルは、王に成る為の工作を続けていた事も有り、政治的にも軍事的にも強い力を得た。そしてウェパルを追い落とす事に成功したのだ。
「そして数か月前、今度はもう一つの研究でも成果が出た。それがあれよ」
縛られたままのレナタが顎をしゃくって指したのは、仰向けになっている一二三だった。
「一二三……じゃなくて、バイロンの事ね」
魔力を使って因子を結合させる事が出来るパウダーを、自在に操れる魔法媒体としての研究を進めた結果、ウェパルの前の魔人族王と同じような、パウダーで形作られる身体だった。
それは一二三の左手という成功例があっただけで、長く原因不明とされてきた現象を再現する画期的な発見でもある。
だが、ネヴィルはそれを自己の権力を増強するためだけに利用した。
「数十人の犯罪者を実験体に使って、ようやく確立した方法をバイロンに使ったらしいよ。他に誰かにやったかは知らない。でも、やろうと思えばできるって事よね」
「相性が悪かったのよ」
ウェパルは一二三の戦いを見ていて、魔法使いとして見ても恐ろしい相手だと一二三を評した。
「結局、パウダーについては一二三の方が扱い方を良く心得ているという事でしょうね」
ウェパルも知らず、レナタも知らなかった事だが、バイロンはパウダーで形作られた自分の身体を一定の形に保つのに長い訓練を要した。
ベッドで無ければ眠れない、というバイロンの言葉は、実の所見栄やライフスタイルが理由では無く、野宿などで眠っている間に風や雨に晒されると身体の一部が崩れて飛ばされてしまう可能性があったからだった。
「火炎魔法も格闘戦も得意だったけど、こればっかりはどうしようも無かったわね」
「そうよねぇ……やっぱり、戦闘には相性があるのよ。その点、あたしの力があれば純粋な力比べで勝てるんじゃない?」
「何言ってるの、そんな単純な相手じゃ……」
と、振り向いたウェパルが見たのは、跳躍したレナタの足先だった。
「あんたなんでどうでも良いのよ! 一二三さえ殺せば、次はあたしが魔国軍の長! 死ぬまで贅沢に、部下をこき使って暮らせる!」
鎖の一部を引きちぎり、じゃらじゃらと音を立てて落としながら着地したレナタは、ウェパルに背を向けて走り出した。
行く手には、一二三の姿がある。
「あたしの力は純粋で強力無比! おまけに一二三は疲れてダウンしてるじゃない。一発でぶち殺してあげる!」
強力な筋力で足の速さにもウェパルが目を見張るものがあった。倒れんばかりの前傾姿勢で駆けるレナタには、ウェパルの魔法は追いつかないだろう。
「うぇ、ウェパル様……!」
部下に声をかけられたウェパルは、落ち着いた様子だった。
「この程度の事で殺せるなら、八十年前にとっくに私が殺してるわよ」
見てなさい、と言われて部下たちもハラハラとしながら一二三とレナタを見ていた。
十メートルは離れている場所から、まるで弾丸のように水平にレナタは飛んだ。仰向けになった一二三の頭部に、拳を叩き込むつもりらしい。
「……はぁ?」
直後、レナタは先ほどのウェパル戦と同じように宙に浮いていた。
真下には足を振り上げた一二三の姿が見える。
「大した力だな。良く飛ぶ」
飛びかかってくるレナタに対し、一二三は足を使って下から掬い上げるように軌道を変えたのだ。
ゆうに二十メートルは打ち上げられた格好になったレナタは、そのまま落ちる勢いで一二三を踏みつけようと空中で体勢を整える。
「あれだけ騒いで走れば、熟睡していても分かる。あとな、単純に力が強いのは悪くないが、その使い方を知らなければ、何の意味も無いぞ」
「あんたの力がどれくらいか、宿で戦った時に知ってるわよ! 強がりを言うなぁ!」
落ちてくるレナタに対して、一二三が取った行動は簡単だった。
手を上げて、一歩だけ下がる。
落ちてきたレナタは思い切り地面に足を叩きつける形となったが、それだけでは終わらなかった。
一二三が上から手を当てて完璧なタイミングで押えた事で、レナタは膝を使ったクッションを使う事が出来ず、足首までを地面に埋めると同時に着地の衝撃を全身で受ける事になった。
「ぐぅっ!?」
痛みに身体を起こした所で、一二三の手がレナタの首を叩く。
的確に気管を叩いた一撃は、思い切り息を吸おうとした彼女に得も言われぬ苦しみを与えた。
えづくように口を開いたところで、横っ面に掌底が入る。
顎が外れたレナタが涙を浮かべて両手を伸ばすと、一二三はその肘を下から拳で打ち上げた。筋肉の無い関節部分を的確に叩いた打撃は、関節を破壊する。
さらにこめかみ、下腹部、半月板と筋肉で護られていない箇所へと打撃を入れると、最後は刀を取り出して頭部から縦に両断した。
「……ふむ。試しにやってみたが、悪くない」
左右に別れたレナタの死体が水っぽい音を立てて地面に倒れると、一二三はいつも通りに血振りをして、刀を掲げて見た。
打ち直した事で刃紋も消えかかっていた刀が、今は刀身を真っ黒に染めている。
一二三がバイロンとの戦いで慣れたパウダーの操作を応用して、刀身をまるごと包んでみたのだ。
二度、三度と振ってから納刀する。
うっすらと表面に纏わせただけではあるが、刃の剛性が上がっており、切れ味も先ほどの手応えでしっかり確認できた。
「でもなぁ……」
やっぱり、しっかりと刃の輝きが分かる状態が良い、と一二三は複雑な表情だった。
☆★☆
それから、一二三は町の中で思うさま駆けずり回って敵を殺して回る。
総大将であるバイロンが敗れたこともあり、最早罠を仕掛けた側である魔国軍の者たちは逃げ回っているばかりだ。
時折功名心に駆られた者が戦いを挑むことがあったが、往々にして一撃で、長くとも三度の攻撃で絶命していく。
「邪魔になる」
と言われたウェパルたちは、敵味方の区別なく戦って回る一二三からの攻撃を避けるため、一軒の宿に入って交代で見張りを立てながら休息を取っている。
レナタの裏切りによって一時的に互いを疑うような雰囲気もあったが、ウェパルは気にした様子も見せなかった。
「あの子は最初から敵だったわけで、別に裏切られたわけじゃないわよ。それより、今ここにいる中でネヴィルのスパイだったり、裏切りを考えてるのがいたら……今のうちに逃げた方が得策よ?」
どうせこの町を出たら、次の戦闘は王城の攻略戦になる。その場で不意打ちを狙ったところで、一二三に殺されるのがオチだ、とウェパルは言う。
「八十何年も前に、私もイメラリア女王も、そしてエルフも獣人族も、一二三を封印したのは、殺すことが不可能だったからよ」
ウェパルはそういう表現を使った。殺したかったが実力的に無理だったという面が大きいが、一二三に対して心情的に殺せなかった者もいる。
「そりゃあ、今よりも魔法や格闘は未熟な者が多かった。だから“昔の英雄なんて今の自分なら倒せる”とか考えちゃうのもわかるけどね……」
ウェパルは酒を注ぎ、呷る。
「その格闘の基本を教えたのが一二三だし、魔法の体系を変えたオリガさんだって、そのヒントは一二三から習った事が基礎にあるんだから」
「それじゃ、おれたちはこのままここで待機してるんですか?」
魔国の問題を人間に任せる事に気が引けているのか、それとも自分も戦いたいと思っているのか、一人の魔人族が尋ねた。
「そう。一二三に任せて私たちは休んでおくのが一番。何と言っても本番は王城攻略なのよ? 自発的にやってくれるなら任せておいた方が一番よ」
逆に思う存分戦わせる方が彼にとっても報酬の一部になる、とウェパルは言い切った。
「人を殺すためにこの世界に来たような男よ。名前は忘れちゃったけど、オーソングランデの昔の王様は馬鹿をやったわね」
ウェパルは口ではそう言っていたが、もし一二三が居なければヴィシー同様に人間の国は他種族に占領されていた可能性も否めないとは思っていた。
「誰よりも戦いたい癖に、変に突出しているから抑止力になっちゃうのよね。可哀想とは思わないけれど、不器用よね」
「ウェパル様。では一二三さんはこの戦いに敵を殺すために参加しているのですか?」
また別の魔人族が質問を口にすると、ウェパルは大きく頷いた。
「それだけじゃないけれどね。ネヴィルを始末する手伝いをしてもらう代わりに、私も彼の頼みを聞く約束だから」
酒のせいで赤みを帯びた顔をしていた事も有り、部下たちが顔を寄せ合って一二三との仲を邪推してヒソヒソと話し始めると、ウェパルは憤慨した。
「何考えてるのよ!」
「いや……でも……」
ウェパルが長い年月独り身だった理由を、封印された一二三の復活を待っていると考える者は魔人族では少なくなかった。
王座を押し付けられたと言っていたウェパルだったが、自ら退陣する事も無く、またその王座を得る時に一二三の協力があった事からの推測でしかなかったが。
「嫌よ。あんな血の臭いがぷんぷんしているような男。ずっと隣にいたら緊張して酒が不味くなるわ」
再びカップを満たし、三分の一程を一気に飲み込むと、大きく息を吐いた。
「あいつを全ての国の全ての生き物の敵。いわゆる魔王に仕立て上げる。それが今回の協力に対する報酬よ」
さらりと言われた重大事に、誰もがしばらく声を出せなかった。
お読みいただきましてありがとうございます。
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