72.連撃
72話目です。
よろしくお願いします。
一二三は思ったよりも動きが制限されないパウダーによる防護膜に満足しながら、ようやく自在に動かせるようになった縄をくるくると回した。
「ここまで長く一人の相手と戦ったのは初めてですよ」
「そうかい。そりゃ良かったな」
左右から何度目かの炎が迫るなか、息を止めた一二三はその中を突っ切る様に走る。
炎から抜けた時には一二三の拳がバイロンの顔面を狙う。
「当たりませんよ」
顔を引いてギリギリのところで躱したバイロンは、そのまま右足を振り上げて一二三の股間を狙った。
一二三は右足を上げてバイロンのつま先を足の裏で受け止める。
「いい動きだ」
「褒めていただけるとは、光栄ですね」
股間蹴りを諦めたバイロンは、体勢を立て直して燃え上がる拳で一二三の身体を殴りつける。
肉を叩く音は響いてくるものの、バイロンは苦い顔を浮かべている。
「……いったいどういう原理ですか。パウダーに衝撃を吸収する能力を付加したとでも?」
「何を言っているんだ。こんなもの十年も修行すれば身に着くぞ」
離しながらも、バイロンの拳は一二三の胸や腹を叩いているが、少しも効いたように見えない。当たってはいるが、衝撃が通じていないのだ。
埒が明かないと判断したバイロンは、一二三からの反撃を避けるようにして後ろへと飛び下がった。
だが、一二三はそこにぴったりとついていく。
「ぐぅっ!?」
一二三が放った右の拳がバイロンの鳩尾に叩きこまれ、さらに左の抜き手が脇腹をえぐる。
バイロンが着ているジャケットの裾からわずかにパウダーがこぼれる。
「離れなさい!」
追加で放たれた正拳付きに対して、身体を逸らして躱したバイロンはそのまま飛び上がり、一二三の胸を狙って蹴りを放つ。
打撃が目的では無く、突き飛ばすような蹴りだ。
「うっ!?」
バイロンの狙いは叶わず、一二三の身体に当たった蹴りの勢いは全て受け流された。
「おっと、流石にそのまま落ちたりはしないか」
一二三はバイロンが落下する予定の場所に向けて縄を振るったが、バイロンは両手から炎を噴き出した勢いで横方向へと無理やり身体を流して避けた。
「ふぅ……殴っても感触が変だった理由がわかりましたよ。拳に合わせてわずかに身体を下げていますね?」
バイロンが見抜いた事に対して、嬉しそうな表情で正解だ、と一二三は構え直した。
「小細工ですが、驚かせていただいましたよ」
微笑みを浮かべているつもりだろうが、バイロンの表情はやや引きつっている。
「まさか地面に転がされそうになるとは思いませんでした。ここからは本気で行きます。薄皮一枚で避けられるような炎だとは思わない事です」
宣言通りにバイロンの両手を覆う炎が倍以上に吹き上がる。もはや火炎が全身を覆っているような状態だ。
「上等だな」
一二三はそれでも臆することなく踏み込む。
迎えるバイロンはローキックを一二三の膝に叩き込み、袴を焼きながら脛を強かに叩いた。
ぐらり、とゆれた一二三の腹に向かって、身体を起こしながらのショートアッパーを叩き込もうとするバイロンだったが、その腕がいきなり止まる。
驚いたバイロンは、振り上げようとした腕に一二三が持つ縄が引っかかり、ローキックで払った足がしっかりと縄の端を踏みつけて固定しているのを見た。
「計算づく!?」
驚いている間に、一二三が左手を引いて縄に引っかかったバイロンの身体を引き寄せる。
目の前に来たバイロンの左太ももに、身体を傾けたままの一二三が肘を落とした。これが生身の人間であれば、大腿骨を骨折している程の強烈な打ち落としだ。
「ふっ」
炎と共に崩れる左足。地面に着いた裾を踏みつけ、さらに抜き手を脇腹から突っ込んで肩まで一気に指で引き裂いた。
痛みは感じ無いバイロンだったが、身体の中を一二三の指が走り抜ける不快感に顔を顰めて、口から炎を噴き出して一二三から無理やり離れた。
縄を振りほどき、倒れそうな身体を再構成してバランスを取るバイロンに対し、一二三は右手に掴んだパウダーを胸に押し付けて身体を守る分量を増やした。
「縄をそのように使うとは。それにここまでスーツを破られるとは思いませんでしたよ」
「俺だって道着も袴も焼けてボロボロだ。作らせるのが大変なんだぞ」
「私のスーツだって特注です」
バイロンは敗れたスーツを脱ぎ捨てた。
「勿体ないですが、貴方が相手ではそうも言っていられませんね」
駆け寄ったバイロンは轟々と燃え上がる両手で一二三の頭を挟むように叩きつける。
身を低くした一二三の顎に向かって復活した膝を思い切り振り上げて打ち当てる。
仰け反る一二三の顔。その目に向かって指ごと炎を突っ込もうとしたバイロンだったが、打ち上げた膝を掬い上げられて仰向けに倒れた。
転がって離れようとするバイロンに対して、パウダーで黒く覆った足で一二三が肩口を踏みつけて動きを止めた。
覆いかぶさるように身体ごと前傾姿勢を取って、倒れるバイロンに拳を落とそうとする一二三。
バイロンは口と両手で炎を噴き出して一二三の身体を押し返そうとしたが、業火に巻かれながらも一二三は止まらなかった。
「ぐぶぅ!」
顔の中央、鼻を叩き潰されただけでなく頭部の半分ほどまで拳が埋る。
「……ぶあっ!」
炎から脱し、目や鼻の部分まで含んで頭部全てを覆っていたパウダーを剥がした一二三は、大きく息を吸い込んだ。
「ああ、息苦しい」
そう言いながら、一二三は油断無くバイロンを見据えている。
頭部をここまで破壊すれば普通の人間ならば死んでいるが、バイロンはその身体全てをパウダーで構成していると言った。
それは本当のようで、一二三は殴りつけた感触が砂袋と然程変わらず、骨や肉の手応えをまるで感じなかった。
「ふぅ……どうやら、炎だけではどうにもならないようですね」
「それが分かったとして、どうする?」
「簡単な事です。さあ、格闘戦を続けましょう。貴方は単なる人間なのは、傷や感触でわかります。ですが私は魔法生命体と言って良い存在ですよ。形を気にしなければ疲れる事も怪我を負う事も無い」
体力が有限である一二三の方がいずれ疲れるか怪我の蓄積で死ぬ。バイロンはそう結論付けた。
「長期戦を覚悟したか」
「認めたのですよ、貴方を。その位の覚悟が無ければ倒せない相手だと」
バイロンが潰れた顔を手のひらで撫でると、目鼻が消えてのっぺら坊のような相貌へと変わる。
口であった部分がポッカリと開いて、そこから声が響く。
「私は人のカタチを真似る必要も無いのです。それでも、貴方の体術が通じますかね?」
「んじゃ、試してみようか」
吹き上げる炎が消え、両手も指が無くなり一枚のヘラのように変わったバイロンに対し、一二三の方が先に動いた。
縄を操り、鉄環を振るう勢いを使ってバイロンの足元を狙う。
ところが、その足が瞬く間に細いピンのように変わったかと思うと、足だけが異様に伸びてバイロンの上半身が一二三の真上から襲い掛かった。
迎撃として一二三の右手が裏拳を放つと、バイロンの頭部、あごの部分がごっそりと削られる。
しかし、バイロンは意に介したふうでもなく右手を一二三の肩に叩きつけ、さらに左手で顔面を横から殴りつけた。
首が持って行かれるような勢いに対して、一二三は身体を浮かせて勢いを流そうとしたが、いつの間にかバイロンの首から新たな腕が伸びており、一二三の足を固定している。
ゴッ、と鈍い音が響き、一二三の視界が揺れる。
三半規管に負荷がかかった一二三は、身体を支えきれず膝をついた。
視界はぐるぐると回っていて、こみ上げる吐き気が一二三の顔を歪ませる。
「人間の身体は不便な物ですね。痛みや出血だけでは無い。関節も各感覚も、戦いには邪魔なものです……ん?」
バイロンは、一二三を固定する為に生やした三本目の腕が、手首から先を失っている事に気付いた。
「やれやれ、あのタイミングでいつの間に反撃したのやら……ですが、だからと言って私は痛みも感じなければ、ダメージも有りませんよ」
「ふむ……まるで羨ましくない」
一二三は正座のような形で座り、つま先を立てて背筋を伸ばした。そして、右膝を前に、左膝を横に向ける。左手には、まだ縄を掴んだままだ。
それは座ったままで戦う姿勢だった。
「痛みも感触も、身体が発する信号だ。傷がつき、血が流れるから戦っている、命を奪い合っている実感が湧く。そして、命は尽きるから殺し合いが真剣になるんだ」
「命は奪うものですよ。殺し合いなどというのは野蛮な者たちがする児戯に過ぎません」
そうか、と一二三は座して構えたままあざ笑う。
「だから、お前のやっている事は中途半端なのだな」
「立つ事すらできない状態で、強がりを!」
再び、バイロンは身体を引き延ばして一二三に襲い掛かった。
両手を完全に融合させたスレッジハンマーで頭部を叩き潰す勢いで打ち下ろす。
「立てないんじゃない」
引いていた左膝を前に滑らせたかと思うと、一二三はくるりと向きを変えた。
バイロンの腕を避け、身体の真下に入り込む恰好だ。
「大した動きです! ですが私の身体に死角は存在しません!」
シャツを突き破り、バイロンの胸や腹から棘が突き出る。そのまま逆さにした剣山のように刺し貫きながら押し潰すつもりなのだ。
だが、一二三は止まらなかった。
左手の縄から、右手の二本指で引っかけた鉄環を投げ飛ばしながら、逆方向へと立ち上がりながら潜り抜ける。
「何を……」
一二三からの攻撃を警戒している間に、鉄環はバイロンの脇を抜けて背中を通り、回り込むようにして片腕に絡みつく。
「よっ、と」
一二三が立ち上がる勢いのままで縄を引くと、細い足で立っていたバイロンはくるりと仰向けにひっくり返され、地面へと背中から落ちた。
「この程度、何と言う事もありません!」
絡みつく縄に対し、身体を一度砂状に変えてシャツごと取り去る。シャツについて幾ばくか身体が削れたが、バイロンは気にしていない。
「転がそうと殴ろうと、私には通用しませんよ!」
砂が持ち上がるような動きで立ちあがったバイロンに対し、一二三はさらに縄を操って腕や足へ絡めては、砂と化したバイロンの身体を僅かに掬っただけに終わる。
「無駄な事をしますね……いい加減、ウザったいですよ!」
鞭のように伸ばした右手で一二三の腹を狙ったバイロンの攻撃は、身構えた一二三の肩に当たってその身体を弾き飛ばした。
「ふふふ……そろそろ諦めなさい」
近づくバイロンに対し、飛ばされた勢いを回転で殺してすぐに立ち上がった一二三は、縄を放り捨てた。
「それで良いのです。勝てない相手と戦うなど無駄な……なにっ!?」
話している最中のバイロンに対して、一二三は瞬時に近づいた。
手刀を打ち込み、そのまま掌底、肘と流れるように叩き込む。
横合いから来たバイロンの腕に対しては、下から掬い上げるようにして裏拳を叩きつけて逸らした。
さらには蹴りや拳による連撃が続き、バイロンの反撃は全て叩き落とされた。
「分かりましたよ。確かにまともな生き物であれば近接戦闘で貴方に適う者はいないでしょう。ですが、何度も言うように私は生物の次元を超えているのです。ですから……」
「だから、気付かないんだな」
「……は?」
「痛みも恐怖心も無い。自分の身体がどうなっているかを知っているが気付かない」
どういう意味か、とバイロンは自らの身体を見下ろした。
そこには、先ほどから殴られ蹴られた部分がどんどんと削り取られている状況がある。
「な、なにを……」
「さっきから腕や足、胴体を少しずつ削り取っていったが、まるで気づかないんだからな。全く、不便な身体だ」
バイロンは、つい先ほど喉から伸ばした腕の手首から先が消えていた事を思い出した。あれは打撃で削られたのではなく、吸い取られていたのだ。
「や、やめろ!」
まだ続く一二三の連撃は、少しずつ、だが着実にバイロンの身体を削り取って行く。
「やめろぉおおおおおお!」
絶叫と共に、目の前にいる一二三に攻撃を仕掛けるが、逆に手足を削り取られていくだけだ。
再び手足から炎を噴き出し、口からも火炎を吹き出すバイロンに対し、一二三は削り取ったパウダーをも利用して身体全体を覆う。
炎は一二三の身体を舐め回したが、空気を取り込むための穴は見当たらず、それでも一二三の身体は動き続けていた。
「ぬおおおおお!」
絶叫を上げて一二三の全体を炎で包もうとするが、手も足も延ばした先から手刀と蹴りが切り落とし、熊掌打が顔面を叩きつけると同時にごっそりと削り取り、口からの火炎も止まる。
声も出なくなったバイロンが、完全に消滅するまで一二三が繰り出した打撃は五十を超えた。
わずかに残った部分を、最後の正拳突きで拳に当て、そのまま腕の中に取り込んだ所で、バイロンの存在は完全に消えた。
「……ぷはっ!」
頭部のパウダーを剥がし、一二三は大きく息を吸い込むと、その場に倒れた。
身体を覆うパウダーはバイロンを取り込んだことで分厚くなっており、倒れた背中に集中させる事でクッションとなる。
「はあ……久しぶりに思い切り動いた気がする」
少し休憩、と呟き、一二三は目を閉じた。
「最初から炎に包んでいれば、チャンスはあっただろうに。また死に損ねたか」
残念、残念。と一二三はもう一度深呼吸をして、町の中にまだまだ残っているであろう敵を思い、胸が震える期待感を味わっていた。
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