70.水の魔人、炎の魔人
70話目です。
よろしくお願いします。
ひょい、とレナタが流れて行った廊下にウェパルが首を出すと、すぐに金属鞭の攻撃が飛んできた。
「おっと」
「まさかウェパルにまで避けられるなんて! もう!」
皮鞭とは違い、ナイフのような金属製の先端がついた鞭は硬質な音を立ててガシガシと壁を削る。
「廊下だってあたしの鞭は止まらないわよぉ! むしろ狭い分逃げ道はないのよ。隠れても一緒!」
「ちょっ!?」
壁に当たり跳ね返った鞭の先端がウェパルを襲い、間一髪倒れこんで躱した。
「あっぶない。鞭をどうにかしないと近づけない。近づいたらあの馬鹿力ってことね。ぶっ飛ばしてやるのも一苦労だわ」
言いながら、生み出した水を廊下へとどんどん流し込んでいく。
「何をやってるのよ。足が冷たいだけだからやめてよ」
「大丈夫よ。すぐに全身が冷えるから」
ウェパルがいうと、あっという間に水位が首元まで上がる。しかも廊下全面を沈め、部屋には水が一切漏れていない。
「く……」
水中では鞭を振るっても速度が出ない。
攻撃方法を一つ封じられたレナタは、舌打ちをしてざぶざぶと水をかき分けてウェパルが身を隠した部屋へと進んだ。
だが、そのまえにウェパルが姿を見せる。
「あら、降伏? 当然よね。まともに殴り合ったらウェパルの方があっという間に潰れて終わりだもんね」
レナタからの嘲りに、ウェパルは口をとがらせた。
「わかりきったことをわざわざ口に出していうのは若い証拠ね。馬鹿な証拠でもあるけど」
「おやおや? 年齢を言ったら自分が傷つくんじゃないの? 確か百以上あたしより上よね? いやいや、そんな言い方はまずかったかしら? おばあちゃん」
「殴って終わりにしようと思ったけど、絶対に殺すわ」
「何を言って……なにそれ……」
お互いに水に浸かった状態に見えるが、ウェパルの周囲だけは水が無い。筒状にぽっかりと空けたスペースに立っているのだ。
そして、周囲の水がうねり、巨大な腕が水面から生えてくる。
「貴女の言うとおり、まともに殴り合ったらわたしの負けは確実ね。でも、まともじゃなかったらどうかしら?」
同時に二本の水腕が拳を形作りレナタを襲う。
「水の塊なんて! ……なによこれ!」
鞭を手放して自らの拳を叩き付けたレナタは、想像以上の硬さに驚いた。
「水って高速で当たると石より硬いのよ。いつまで打ち合っていられるかしら?」
「馬鹿にして!」
水の拳を拳ではじき返しながら、レナタは前進した。
「近づいて直接ぶん殴ってやる!」
「あら、怖い」
ウェパルが水の流れを操作し、レナタの身体は押し戻されていく。さすがに膂力が強くとも、踏ん張りがきかない水中ではどうしようもない。
バランスを崩しながらも器用に水の拳をはじき返していくレナタは、水の中から抜け出すために泳いで近くの部屋へと向かった。
だが、それもウェパルが作った速い流れに阻まれ、うまくいかない。
「ぷあっ! もうっ! うざい!」
水面から顔を出したところで再び水の拳が遅い、あわてて水中から腕を引き抜いて拳を当てる。
「案外踏ん張るわね」
「この程度であたしがやられるわけないでしょ!」
両手で二つの水腕を殴り飛ばし、動きが止まったところで水の中から飛び上がったレナタは、天井を蹴って水の上を滑るようにウェパルへ迫った。
「もらった!」
「甘いわね」
レナタの目の前に、新たな水の腕が伸びてきたかと思うと、彼女をあっさりと叩き落とした。
「……その程度の軽業くらいは想定してる。一二三だったら水の上を走ったり、天井に足を突っ込んでさかさまに立つくらいはするわよ?」
「く……こんな、あたしの力が、水なんかで……」
水流に流され、再びウェパルと離れてしまった場所で水面から顔を出したレナタが悔しそうに歯を食いしばった。
「あら。水を馬鹿にするものじゃないわよ? 変幻自在で流れがあれば力も強い。ほとんどの攻撃を通さない上に移動にも使える」
ほら便利、とウェパルは冗談めかして言うと、その後すぐに厳しい顔つきに変わった。
「貴女の腕力は以上よ。まさか一二三を投げ飛ばして壁を破るような力持ちが魔人族にいるとは思わなかったわ」
「普通の魔人族には無理ね。でも、ネヴィルがやっている研究の成果はこれくらいのことができるまでに完成してるのよ。実験も終わったらしいしね」
レナタの言葉に、ウェパルはやはりネヴィルの研究かと舌打ちした。
「その研究と実験について、素直に話してくれるなら、殴られる回数も減るわよ?」
「やめてよね。これでも顔には自信があるの。まだ若くてしわもない顔を傷つけられたらたまらないわ」
再び二本の鞭を手にしたレナタは、両方を思い切り前方へと向けて振りぬいた。
「何をするつもり?」
警戒の水壁を作ったウェパルの左右を通り過ぎた鞭先は、ウェパルの背後、廊下の突き当たりの壁に突き刺さった。
「殴るのはあたしの方よ!」
鞭を引いた勢いで水中から飛び出したレナタは、先ほどよりも早い速度でウェパルへと向かった。
三本ある水の腕を躱し、ウェパルの前に作られた水の壁を飛び越え、レナタは無防備なウェパルの背後を捉えた。
「死ね!」
鞭を離し、天井を蹴った勢いも合わせて落下しながら、レナタは握りしめた拳をウェパルへと向かって打ち下ろす。
「……あれ?」
気づくと、真下と左右から先ほど躱したはずの水の拳が伸びていた。
「水の形を変えるだけなのよ。数の制限なんてあるわけないじゃない」
ウェパルの言葉と同時に、三本の腕がまとめてレナタを殴り飛ばした。
打ち上げられたレナタの身体は、そのまま先ほど蹴とばした天井を突き破り、屋根を破壊して空中へと浮き上がる。
どれほど力が強くても、空が飛べるわけではない。
そのまま引力に惹かれて穴の中へと落下を始めたレナタは、眼下に見える穴の奥に、自分のそれと同じくらいの大きさになった水の拳が、数えきれないほど上を向いて待っているのが見えた。
「……ちょ、ちょっと待っ……」
言葉の最後を待たず、レナタは気絶と覚醒を五回ほど繰り返すまで、無数の拳に全身を殴られた。
レナタは気づく余裕もなかったが、顔を狙った攻撃が気持ち多めであったのは、ウェパルの気持ちを良く表していたと言える。
☆★☆
レナタの相手をウェパルに任せた一二三は、他の宿を探すかと通りを見回した。
目標はすぐに見つかった。近くにある三階建ての建物。その一室から炎が吹き上がっていたのだ。
「運が良ければ、あれが例の“炎の魔人”だな」
建物に近づいたところで、建物の中に無数の人間の気配を感じ、同時に一二三はその気配がどんどん減っているのを感じた。
「た、助けてくれ!」
建物の二階から転がり落ちてきた魔人族の男は、一二三の顔を見て足を引きずりながら近づいてきた。
「ああ、ウェパルの部下か」
「急に敵襲が!」
「こっちも同じだ。邪魔だからどっか行ってろ」
冷たくあしらわれた男は、困惑しながらも背を向けて一二三が来た道を行こうとする。
直後、強烈な熱を感じて一二三が横方向へ飛び退くと、逃げようとした男が炎に巻き込まれた。
一気に喉まで焼かれたのだろう。声も上げずに紅蓮の炎の中で踊った男は、ほどなく小さく縮こまって単なる炭に変わった。
「おやおや、一匹は逃しましたか」
涼やかな声が響き、一人の痩せた男が一二三の目の前に飛び降りてきた。
「見ない顔ですね。……いや、貴方が例の一二三ですか」
一二三の顔を見て、長く伸ばした真っ赤な髪を書き上げた男は、黒いスーツのような服を着ており、武器の類は持っていない。
細面で切れ長の目からは、真っ赤な瞳が未だにくすぶっている炎に照らされて輝いている。
「お会いできて光栄です。お噂は聞いております。人間の中ではずいぶん強く、魔人族も結構な数を殺したとか」
「で、同胞を殺された復讐がしたい、とでも?」
「いえいえ。とんでもありません」
一二三の問いに、男は爽やかな笑顔を浮かべて否定した。
「人間程度に殺されるようなクソ無能を同胞などと考えておりませんよ。そんな連中はいても邪魔になるだけ。魔人族のレベルを下げるだけです」
男は妙に芝居がかった動きで両手を広げたかと思うと、右手を胸に当てて一礼した。
「私はバイロン。魔人族の軍を統率する者であり、軍のトップに君臨する者です」
顔をあげて、はじめまして、とあいさつする。その仕草は服装もあいまって、軍人というよりは執事のように見える。
「お前が“炎の魔人”か。言っちゃ悪いが、炎のイメージとは全然違うな」
「良く言われます。ですが、見た目の筋肉が大きいから強いとか、威圧感のある顔をしていれば敵が怯むとか、そういうレベルにいるわけではありません。貴方も同じでしょう?」
バイロンは一二三の身体が鍛え上げられた結果として引き締まっているだけで、貧弱というわけでは無いだろう、と言う。
「強さに見た目は関係ありません。その辺はウェパルも同じでしょう?」
「そうだな。あれは見た目は単なる酔っ払いだからな」
「おやおや、酷い評価だ」
クスクスと笑うバイロンに、一二三は首をかしげた。
「しかし、それだけ強さに自信があるなら、お前が王に成ればいいんじゃないか?」
「それも考えたんですけどね」
ふぅ、とため息をついて首を振ったバイロンは答えた。
「私はこう見えて前線で戦うのを好むタイプなんですよ。玉座に座って執務に追われるなんて面倒です。かといって、貴方のように一人でふらふら戦って回ると、野宿の必要なども出ますでしょう?」
バイロンはちゃんとしたベッドが無ければ眠れない、と深刻そうな顔をして語った。
「それに、部下がいれば色々と身の回りの世話をさせることもできますからね。軍のトップというのは、そういう意味で居心地が良いのです」
「何を言ってるんだ」
一二三は腕を組み、口をへの字に曲げた。
「俺は領主をやっていたが、勝手にあちこち行ってたぞ」
「ぷふっ……あっはっは!」
バイロンは大声で笑い、両手を叩いた。
「なるほど、なるほど。そういう意味では貴方の方がずっと器が大きい。いや、細かいことを気にしないのかな? いずれにせよ、貴方は私とは違うようだ」
「それじゃ、始めるか」
「ええ。まだまだやることもありますからね。始めましょう」
バイロンは笑みを浮かべたままで両手を広げるような格好で構えた。対する一二三も刀は抜かず、無手で右手右足を前に出して半身に構える。
「“英雄”の実力を楽しませてもらいますよ。がっかりさせないでくださいね」
「お前こそ、頼むからすぐ死んだりするなよ」
先に動いたのはバイロンだった。
広げた両手の先から、火炎放射器のように炎が噴き出す。
二つの炎が絡み合うように迫るのに対して一二三は、単純に横へ滑るように躱した。
「おっと。結構範囲が広いな」
袴の裾に引火したのを見て、一二三は高速で回って火を消した。
「器用な人だ」
関心する言葉とともに、さらにバイロンは炎を伸ばして地面に広げた。
炎の舌が足元に到達する直前で、一二三は飛び上がってバイロンへと襲いかかる。
「おっと」
一二三の拳を片手で受け止めたバイロンは、そのまま一二三を炎に巻こうと拳をつかんだままで火を点けた。
火が来ると気づいた一二三は、拳をひねって高速から逃れ、一瞬だけ炎に包まれたものの、くるくると回りながら距離を取ることで難を逃れた。
だが、身体のあちこちに軽い火傷を負い、袴は穴が開き、紺の道着はほぼ黒に変わっていた。
「なるほど。こりゃあ難儀だな」
ぼろぼろになった道着を脱ぎ捨て、袴は股立ちを取って足元を露出して動きやすさを優先する。
上半身裸になった一二三は、さらに左手の手袋も焼け焦げていることに気づいて、破り捨てた。
「さて、待たせたな」
大きく息を吐いた一二三は、収納から一本の細い縄を取り出した。縄の両端には重りを兼ねた鉄環が付いている。
捕り物で活躍した捕縄術で使われる武器の一種である。刀の修理をするついでに、町の武器屋に作らせた一品だ。
ビシッ、と音を立てて両手で縄を張りつめた一二三は、バイロンが両手を向けてくるのを待っていた。
「燃えてきたな。いい感じだ」
「それは良かった。では、骨まで焼き尽くして差し上げましょう」
バイロンの炎が、再び一二三に襲いかかった。
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