69.閉ざされた戦場
69話目です。
よろしくお願いします。
レナタの進言で決まった侵攻ルートには敵がいなかった。
町での補給も楽なもので、どこでも快く迎えてくれた上、魔国の軍隊からの監視も見当たらない。高い塀で囲まれた町は、出入り口が街道に繋がる二か所のみ存在する。
「温すぎるわね」
ウェパルは国の中心地に近づくごとに敵が減る奇妙な現象に嫌な予感を覚えていた。
「ようこそおいでくださいましたウェパル様。表向きネヴィル王に従ってはおりますが、町の者たちはみな、ウェパル様の味方です。どうぞ、早速宿を用意させますのでゆっくりお休みください」
と、ウェパルたちを出迎えた老翁は笑顔で案内する。
彼は人間だが、ネヴィルからこの町の管理を任されているという。
「あの他種族嫌いにしては、随分と寛容な事をするわね」
「この国の為に尽くしてきた事を認めての事、とネヴィル王から言われておりますが、何かあれば見せしめに処分するつもりなのは明白です」
ウェパルの治政時代から魔国ラウアールにずっと付きまとっている問題も原因だとウェパルは考えていた。
魔国はその成立を侵略に寄る者からスタートしている。
ヴィシーと呼ばれる都市国家群を電撃的な侵攻によって支配した魔国は、ウェパルを筆頭に政治の中枢を魔人族が占めてはいたものの、狭い封印地にいた魔人族の人数は少なく、広い国土全てを魔人族だけの手で治めるのは難しかった。
当時、一二三の攻撃によって国土が削られていたとはいえ、それでも大小の都市と農村は合わせて三ケタを超える。
結果として、ヴィシーの中央委員会と言う国政の中心メンバーが行っていたのと同様、各都市に魔人族を派遣して監視と徴税のみを行い、実質的な運営はヴィシーの国民たちがそのままやっていたのだ。
平民たちにとってはトップがすげ変わっただけであり、生活は特に影響は出なかった。
一時的にオーソングランデとの緊張状態が発生したものの、それも一二三封印と共に収まった。
「ちょうど、王城からの監視はおりません。ただ、明日の夕刻には戻る可能性があります」
「一日だけでもゆっくり休めるならありがたいわね」
ウェパルは仲間たちと町の宿に分かれて宿泊する事にして、一二三とは同じ宿で隣の部屋を取る事にした。
レナタも同じ宿を希望した。
「変な声が夜に聞こえちゃうかもしれませんけど、気にしないでくださいね?」
「うまく行かないと思うけどね」
ウェパルは、一二三が女性に対して早々興味を示さない印象を持っていた。
イメラリアは別として、ウェパル本人やアリッサや領地の女性たちなど、周囲に女性は多かったが、恋愛や肉体的な興味を示すのをほとんど見たことが無く、そういう話もあまり聞かない。
ヴィーネという自称愛人もいるが、未だにそういう関係では無いらしい。妻であるオリガに操を立てているのだろうか、と考えたが、ウェパルにはあまりうまく想像できなかった。
「最初から相手にされて無かったから、無いと思うけどね」
今日は軽く飲んでからさっさと寝てしまおうか、とウェパルは考えていた。
部屋は特色の無いワンルームで、元女王が泊まるような広さでは無かったが、ウェパルとしてはどうでも良かった。
「軍隊出身だもの、これくらいでも充分。どうせお酒飲んで寝るだけの部屋だし」
食事中に部屋の事を老翁から確認されると、ウェパルはそう言って気軽に答えた。恐縮している老翁に、まともなベッドで寝られるだけでもマシだと伝え、部屋へと戻る。
ウェパル自身はそういうつもりは無いのだが、エヴァンスが声をかけた仲間たちは、ウェパルの部下として動いている。すでに王でも何でもない単なる女性として扱ってもらいたいのだが、そうもいかないならしい。
見張りは交代で行うから、と言われて大人しく部屋に戻ると、いつでも起きられるように服を着たままベッドへと横になる。
ちらり、と一二三の部屋がある方の壁を見た。ベッドが寄せられた側とは反対の壁で、簡素な机に水差しが置かれている。
「……ちょっと判断ミスしたかも」
レナタの事では無く、騒動が起きるとしたら一二三を中心に起きるのではないか、その時に隣で寝ている自分が真っ先に巻き込まれるのではないかという危惧だ。
一二三がいればまず安全だろう、という意識があったが、ウェパルは冷静に考えたら逆だった気がしてきた。
「……自衛も、いつもより念入りにしておこうかしら」
トオノ伯爵領の防衛に人でも必要であろうと思ってフェレスとニャールを置いてきた事を後悔しながら、ウェパルは扉と窓を薄い水の膜で塞いだ。
いつもならそれだけなのだが、さらに一二三の部屋に接する壁にも、一面に水を張る。ゆらゆらと表面が揺れる水は、まるでガラスのない水槽のようだ。
これで部屋から大きな音がすればすぐにわかり、またドアや窓から何かが入って来てもウェパルは感知できる。眠っていても飛び起きる事が可能だ。
「それじゃ、おやすみ」
誰に対するでもなく言うと、ウェパルは魔法を使いながら酒を飲んでいたカップを机に置き、眠りについた。
☆★☆
「……んあ?」
真夜中、魔法で作った水壁にわずかな反応を感じて、ウェパルは目を覚ました。
すぐに覚醒しなかったのは、反応しているのがドアや窓の水壁では無く、一二三の部屋との壁に張りつけた水壁だったからだ。
それも、壊れたりしている訳では無く、ガタガタとわずかに揺れているのみ。
「まさかね……」
よもやレナタを連れ込んだわけではあるまい、と思ったウェパルだったが、直後に水壁が聞き覚えのある女の声を拾い、さらには壁に接している机がゆれ、カップがカタカタと音を立て始めた事で眉を顰めた。
「やめてよね。オリガさんと次に会った時にどんな顔して良いかわからなくなるじゃない」
まさか、「出先で旦那が浮気してたわよ」などと言えるはずも無い。どんな反応をするのかも気になったが、おそらくはろくな結果にはならないだろう。
「……ん?」
水壁を解除して寝なおそうかと思ったところで、妙な事に気付いた。
壁の振動が、直接何かを叩きつけているような感触に変わったのだ。
「これってひょっとして……」
と口にした直後、派手な音を立てて壁を突き破り、一二三が転がり込んできた。
破片は水壁にさえぎられ、崩れた土壁の埃も水が吸いこんだ事で、大きな穴がぽっかりと開いた部分は綺麗にくり抜かれたようになっている。
「ん……ボロい壁だ。見た目よりも安普請だな。その分クッションにはなったが」
ウェパルが横たわるベッドの上、足元でむっくりと身体を起こした一二三は暢気に呟いた。
「な、何があったの?」
ウェパルにとっては一二三が飛ばされてきたのが予想外だった、誰か襲撃者が壁を突き破って飛ばされてくるならわかるが。
「見ればわかる」
「レナタ……」
「まったくぅ……寝てると思ったらこれだもの」
右手に鞭を持ったレナタが、穴から顔を覗かせた。
かと思うと、ウェパルにも見えない程の速度で金属鞭が唸りを上げて一二三を襲う。
ガツン、と音を立てて、首を寝かせて一二三が避けた背後の壁に、鞭の先端が突き刺さった。
「ほんと、ずっとこの調子で当たらないのよねぇ。どういう目をしてるのかしら」
「鞭の先端を見るわけじゃない。お前の手元が見えれば充分予測できる」
一二三は立ちあがりながら首をゴキゴキならしている。
「鞭で壁を壊したの?」
「いや、鞭は見せかけだ。碌に使い方がなっていない。手の表面も鞭を握ってできるような擦り傷の跡や皮が厚くなった場所も無い」
見ただけでわかったのか、とウェパルが視線で問うと、
「その程度の判断は基本だろう」
と返した。そして、
「こいつの持ち味は馬鹿力だな」
一二三の身体を左手一本で軽々と持ち上げ、壁に数回叩きつけた挙句突き破ったという。細身の、しかも戦闘専門では無い諜報部員であるはずの女性としては異常とも言える膂力だ。
「気配がする。ずいぶん殺気立った連中だが、これもお前の仲間か」
「あたしの仲間というよりは、全員があなた達の敵ってだけかなぁ。要するに、この町に閉じ込められた一二三さんたちは、町全員を相手にしないといけないのよ」
レナタは総勢二千名を超える人間族とわずかながら含まれる魔人族たちが、この町中で一二三やウェパル、そして協力者たちを狙っていると言う。
「ふむ……町の奴ら全員か?」
「そうよぉ。驚いちゃったかな? ネヴィルが“一二三を倒せば生涯無税にする”って無茶苦茶言って集めたんだもの」
愉快そうに笑うレナタは、一二三が無言でいるのを見て笑い声を上げた。
「あっはは! 二千人を相手にして、貴方の体力がどれくらい持つかしら? 仲間も助けなきゃいけないし。ここから逃げても朝までもつかしら?」
「なるほど。それは大変良い。実に良い。素晴らしい、素晴らしい」
「……何を言っているの?」
感心した、と頷く一二三にレナタが困惑する。
「貴女は、もう少しエヴァンスから一二三の事を聞いておくべきだったわね」
ウェパルはため息混じりに言った。
「この状況、食べ放題の密室に冬眠明けの熊を放り込んだようなものよ」
「つ、強がり言わないでよ! 全員で百人もいないのに、二十倍の相手なのよ? おまけにかなりの人数が寝こみを襲われて死んでいるはずなのに!」
叫びながら振り回す鞭に対して、ウェパルは巨大な水球に閉じこもって身を守り、一二三は軽々と避けながら進んでいく。
「うっ!?」
鞭を躱して近くに来た一二三は、レナタの首を掴んで壁に押し付けた。まだ残っているウェパルの水壁から、水滴が飛び散る。
「お前以外に、強いのはどれくらいいる?」
「ふん、あたしだって強いわよぉ? ……けど、強いて言えば魔国軍最強の魔人バイロンが町の中にいるわ」
一二三はその名前を何度か聞いていた。炎の魔人バイロン。オーソングランデの元騎士隊長アモンも知っていた名前だ。
「つまり、バイロンたちが王都に籠っているというのも嘘だったのね」
「今さら気付いたって遅いわよ? 閉ざされた町の中で大勢の敵にすりつぶされて死ねば良いのよ」
「……一二三。レナタは私に任せて。バイロンをお願い」
ウェパルはレナタの声を聞いて表情が抜けた顔で水球から出てきて言う。
「それと、バイロンを探すついでに、私の仲間を助けてくれる? 彼らがいないと、貴方の希望を叶えるのも難しくなるわ」
「良いだろう。だが、お前が先にバイロンとやらを見つけたら、ちゃんと俺に譲れよ」
「わかってるわよ。バイロンの能力は私と相性悪いもの。出会ったところで、私の方が負けちゃうわ」
「ふぅん……ウェパルがそう評価するなら強いんだろうな。楽しみだ」
「ふざけんな!」
暢気に話している一二三に向かって、レナタは鞭を持っていない左手で腹を殴りつけようとした。
「……えっ?」
とある理由で強力な腕力を誇っているはずの腕が、止められた。振り抜こうとしたところで、肘の関節を前から押えられたのだ。
そのまま、左腕を背中側に抑えられて、同時に右手が引っ張られる感触。
直後、レナタは投げ飛ばされていた。
「押し流せ」
「はいはい」
一二三の指示に答え、ウェパルは防御のために水球にしていた水を崩し、その水流でレナタの身体を廊下へと流した。
「みんなはこの宿の他に、三つの宿に別れてるから」
よろしく、とウェパルが言葉を続けようとしたところで、水を張ったままだった窓を蹴破り、一二三は飛び降りて行った。
四階の部屋だが、ウェパルはまるで心配していない。
「さぁて、それじゃあ私も頑張らなくちゃね。確認しないといけない事もあるし」
レナタの膂力は魔人族としては考えられないレベルだった。彼女の特性としてそういう魔法であれば問題無いが、もし何か別の理由で強化されているとしたら問題だ。
大方予想はできている。獣人族の能力を付与された可能性だ。それが正解だとしたら、可能な人物は限られている。
「ネヴィルの大馬鹿め。私の仲間がやられたら、それ以上の痛みを味わってもらうわよ」
まんまと嵌められた恥ずかしさもあり、ウェパルはとりあえずレナタを気が済むまで殴る事にした。
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