66.痴人の夢
66話目です。
よろしくお願いします。
「一体どういう事か!」
激高して玉座の肘掛けを殴りつけたオレステ・ランテ・オーソングランデ皇王は、目の前で跪く伝令の兵に向かって唾を飛ばしてさらに吠えた。
「魔人族が何故オーソングランデに攻め込むのだ。ラウアールとの国境は魔人族とも友好を唱える共生派のトオノ伯爵領では無いか!」
謁見の間にいる者たちは、誰もが緊張した面持ちで並んでいた。王に限らず、この場にいる者全員が対外的な戦闘の経験など皆無だ。
それだけ、長い期間平和であったとも言えるが、人心掌握に関して多くの部分でイメラリア教に頼っていた面も否めない。情報収集能力に関しても同様だ。外注が過ぎて自社の能力が著しく衰えた会社のようである。
「陛下。現状はトオノ伯爵領とその周囲の戦力で充分に持ちこたえているとの事。ここは督戦の者のみを派遣し、状況を改めて確認すべきではないでしょうか」
一人の男が進み出て口を開いた。
「メンディスか……」
フィリニオンの孫であり、王の護衛であったメンディス・アマゼロトは一二三との戦いで受けた傷がようやく回復したものの本調子とはいかず、また本人も鍛え直したいとして近衛から外れている。
「陛下。一騎士の意見ですが、聞いていただけますでしょうか?」
「よかろう。どの者も意見一つ言えぬ状況だ。続けろ」
「ありがとうございます」
一礼するメンディスに、王は違和感を感じていた。本来のメンディスは寡黙な人物であり、求められない限りは自分から意見をいう事はほとんど無かった。まして政治的な分野に関しては尚更だ。
「魔人族にとっての主な狙いがどこにあるのか、そこが問題です。我が国オーソングランデ全体を狙っているのであれば問題ですが、もし旧ヴィシー領のみを取り戻そうとしているのであれば、これは共生派にとってのダメージであり、我々にとっては有利になります」
「待て。それは軽重を取り違えておる」
共生派を弱めるために国土を諦めよ、と言っているに等しいメンディスの意見に、王は口を挟んだ。
「神聖オーソングランデ皇国の土地を奪われても良いと言うのでは、余の力を過少に取られる可能性もある。まして土地と人民が減れば、税収も減るではないか。余に反対する意見を持っている領地であっても、我が国には変わりあるまい」
「一時的な事だとお考えください。この戦いは恐らく長引きます。さすれば、トオノ伯爵領を始めとして共生派の背中を討つのも容易となるでしょう」
メンディスらしからぬ言葉に、謁見の間にいる者たちが戸惑いを口にしてざわめいた。
「……詳しく申してみよ」
「は。魔国ラウアールは一気呵成に国境を侵すつもりであったのでしょうが、失敗いたしました。国境は固く守られ、そこで睨み合いが続いているとの事。他の共生派貴族からの援助もあるでしょうから、戦闘は膠着状態が続く事間違いありません」
戦闘は勝っても負けても結果が出れば終わりだが、継戦状態が続く限り資金と物資は減り続け、人心は荒廃する。その負担をトオノ伯爵領に負わせようとメンディスは言うのだ。
「ここは状況の確認だけ密に行い、手伝いはせず静観いたしましょう。万一の際に陛下のお気持ちを理解できる者たちの領地を守る準備だけしておけば良いかと」
さらに、メンディスはこの状況を試金石として使う提案をした。
「その防衛線力の援助を受けるにあたり、各地の領地持ち貴族に陛下より親書をお送りください。“かかる危急に際して王国としては援助をする意思はあるが、果たして守るに値する領地か否か”と」
まるっきり脅しでしかない。要するに助力が欲しければ王政府の意向に従えというわけだ。
「陛下への忠誠を確認するという意味でも。また陛下の御威光を示す良い機会でもあるかと」
「だが、現実問題として王国兵だけでは各地の防衛に振り向ける程の人数は割けぬ。この王都を守るだけでも、かなりの人数が必要であろう」
「すぐ兵員を送る必要はございません。前線の監視から王都までの連絡網を作り、必要な場所にだけ防衛戦力を置けば良いのです。それでも足りなければ……聖イメラリア教から人数をださせましょう」
その場の者たちのざわめきが大きくなった。それを意に介したふうでも無く、メンディスは続ける。
「陛下。陛下は聖イメラリア教の教主です。全ての教会に対して行動の指針を示す義務がございます」
それはメンディスの立場で言うには踏み込み過ぎた意見だ。お飾りに過ぎない状況を打破して、積極的に教会を利用せよと言っているのだから。
「その通りですわ、お父様」
「サロメ。今はこの国の行く末を決める重要な時だ。お前の話を聞いている場合では無い」
王は娘が謁見の間に入ってきた事を注意しながら、ふと想像した。もしかするとメンディスの意見は、王女であるサロメの入れ知恵では無いかと。ひょっとすると、この進言そのものも彼女の指示かも知れない。
「お父様。新しい情報が入ったのでそれをお伝えにまいりましたの」
「ふむ。では内容をはな……いや、まず余にのみ伝えよ」
ヒールの音を響かせながら、サロメは王の耳元に口を寄せた。
「むぅ……。サロメ。ここにいる物にそれを伝えよ」
「はい。お父様」
玉座の横に立つサロメは、先にメンディスに微笑みかけると、居並ぶ者たちに視線を投げかけた。
「ホーラント国内での内戦ですが、大きな戦闘が発生してホーラント王政府及びイメラリア教が派遣した軍が敗北。ホーラントの将が一人死亡して撤退したそうですわ」
前後してホーラントの女王サウジーネが自国の兵に対して撤退を命じていたことがわかると、城内では「ホーラントが寝返った」と憎悪する意見が広がった。
「共生派を率いて戦ったのはフィリニオン・アマゼロト……我が国の貴族で隠居されていたおばあさんですわね。彼女は敵将と刺し違えて戦死したそうですわ」
フィリニオンの死について、反応は薄かったが、一部の者はこれで共生派の中心人物が一人減った事になるのでは、と好材料として受け取ったようだ。
「最終的には聖イメラリア教からも三騎士が出張ったようですわね」
「三騎士が出て、それでも敗れたと言うのか!」
誰かが驚嘆の声を上げた。
「ええ。一人が戦死。二人が戦闘終了後に姿を消したみたいですわ」
「イメラリア教の戦力も、大してあてにはならぬな」
王が呟くと、それは違います、とサロメは首を振った。
「共生派には一二三元伯爵が協力なさったそうですわ。ある種当然の結果と言えるのではないでしょうか?」
「彼が……!」
メンディスが声を上げた。
無理も無い、とサロメは悲しげな目を向けて頷く。
「わかりやすい状況ですわね。そこに戦いがあり、イメラリア教三騎士という強者がいた。メンディス様。貴方と戦って満足したあの方の考えそうな事ですわね」
そこで、とサロメはニッコリ笑って王へと進言する。
「お父様。前線の監視役にはメンディスを送ってはいかがですか?」
「何を……お前、さっきまでの話を聞いていたな?」
あるいは、やはり提案の発信元がサロメだったか。
サロメは質問には答えず、理由を並べる。
「彼ならば戦闘に巻き込まれても無事に戻る事ができるでしょうし、騎士を数名率いるだけの地位も見識も有ります。状況判断も他の者より上手でしょう」
そして、再び王の耳元に口を寄せた。
「戦場には一二三元伯爵が現れる可能性がありますわ。彼に復讐の機会を与えておくべきではないかと思うのです。イメラリア教の者に手伝わせて……そうですわね。本部に教主として命じてはいかがでしょうか」
驚く顔を見せる王に、サロメはニッコリと笑った。ホーラント国内はしばらく落ち着いているのだから、無視しておいて良いと前置きをすると、話を続ける。
「例えば、三騎士の生き残りにメンディス様を手伝わせろ……とか」
サロメが敢えて自分のところで握り潰した情報がある。姉のヨハンナが新たな宗教派閥を立ち上げたと言う情報だ。
これを知れば、王はホーラント方面にも目を向けてヨハンナに対して何らかの対応をするだろう。だが今は、せめてヨハンナの同行が王の耳に入るまでは、サロメ自身がオーソングランデ国内で目立つ必要があった。
「お姉様ばかり楽しむのは不公平ですものね。わたしはお姉様の陰に隠れて今一つ目立ちませんでしたもの。今のうちに聖女はわたしの方がふさわしいと認められる実績を作らなければ」
言葉には出さなかったが、サロメはその機会を得たと確信していた。
「戦乱で男たちが命を散らせば、それだけ女が輝く機会が訪れるもの。イメラリア教の名のもとに、わたしがしっかりと弔ってさしあげます」
その為に、サロメは教会の実権を握る事を考えていた。その一歩目として父である王に肩書にふさわしい実験を握らせる。
そして王を操るのだ。それは男系社会である貴族世界の中で、女性として生まれた彼女が考えた尤も手っ取り早い栄達の方法だった。
☆★☆
オーソングランデの王がサロメとメンディスの意見を受け入れた頃、すでに一二三は堂々と魔国ラウアールに入っていた。
ホーラントの国境もラウアール側から突然封鎖され、互いに最低限の荷物を抱えての帰国のみが許されていたので、当然正面から行っても通れるはずも無いのだが、そこはそれ、彼に取って国境は大して気になる境目では無い。
夜闇に乗じて砦と塀を乗り越えて、あっさりと通過した。センサーの類が存在しないこの世界では、オリガなど一部の魔法使いが監視状態でも無ければ、魔物も気にせず徒歩で通る者を発見するのは難しい。
エヴァンスが使ったけもの道を通る案もあったが、魔国側の情勢を見ながら行くのも良いと考えた一二三はそれを却下した。
のんびりとした一人旅だ。
夜明けを待って街道から外れた草原に座り、オリガが用意した弁当を広げる。
「おっ。料理のレパートリーが増えてるな?」
オリガは妊娠してから魔法の訓練に加えて料理の訓練も続けている。さらには、フォカロルから獣人族の町、そしてホーラントと移動している間に、地元料理もしっかりチェックしている。
駅までもうしばらく歩く必要があるな、一二三は弁当を平らげて再び歩き出そうとした。そこに通りかかった馬車から、見覚えのある顔がにょっきりと出てきた。
「兄さん! 久しぶりだな!」
それは最初にホーラントへ入った時、列車で同席した魔人族で槍使いの男だった。
「今ここにいるって事はホーラントから出て来たんだろう? 駅まで向かうなら、乗って行きなよ」
遠慮なく乗り込んだ馬車は、簡素な幌馬車だった。
中には青年以外に二人の魔人族が居たのだが、人間である一二三が乗って来た事に驚いたようだ。
「ああ、この兄さんなら大丈夫だ。なんたってウェパル様のお知り合いだ」
ウェパルの名前が出ると、馬車内の空気は和らいだ。
「しかし、良くホーラントからこっちに入ってこれたね」
「夜中に塀を飛び越えるだけだ。造作も無い」
「へへっ。兄さんらしいや」
依然と同じ二メートル近い長さの槍を抱えた青年は、いくつかの傷を負ってはいるようだが、元気そうだった。
「兄さんは凄い活躍したみたいだね。本当に伝説の英雄だったわけだ」
彼は一二三が冒険者たちを相手に暴れ回ったあの戦いを見ていたらしい。
「参加しようか少しだけ迷ったけど、顔見知りと戦うのは気が引けたんだ。でも正解だった。他の連中に釣られて戦ってたら、今頃斬り殺されるか黒焦げになってたぜ」
戦いが一先ず終わり仕事も無くなったため、青年は報酬を貰って一度郷里に帰るという。
「それで……」
魔人族の青年はそっと顔を寄せてきた。
「兄さん、ひょっとしてどこかに潜入任務?」
「いや、単に近道してトオノ伯爵領まで行くだけだ」
「トオノ伯爵領ね……どこだっけ?」
知らないのか、と同乗者がオーソングランデとラウアールの国境がある領地だと教えると、青年は腕を組んで考え込んだ。
「じゃあ、兄さんはオーソングランデ側で防衛に参観するわけだ」
「いや、一人連れて行きたい奴がいるからな。合流したらまたこの国にはいる」
「えっ?」
一二三は座る為に腰から外した刀を杖のように立てている。その上で指先を動かしてとんとんと柄頭を叩いた。
「魔人族にも強い奴がいると聞いた。それに妙な物を研究しているようだからな。それについても少し話を聞きたい」
話し合うだけでは終わらないだろう。もっともな理由を付けて戦闘を終わらせ、無茶苦茶な理由で私闘を始めた人物だ。
「……軍の長である“炎の魔人”バイロン将軍の事だね。あいつなら多分首都にいるよ。ネヴィルは臆病者だ。首都の護衛から外したりしないさ」
青年が一二三に伝えると、馬車に同乗する魔人族たちは慌てた様子で口を挟んだ。
「おい! そんな事教えて大丈夫なのか?」
落ち着け、と青年は彼らを押しとどめ、涼しい顔をして座っている一二三を見た。
「この兄さんが国内を虱潰しに探すよりは、ずっと被害が少なくなるだろうさ」
青年は郷里に引っ込んで、戦いが収まるまで国境と首都には近づかないつもりだと言った。それだけ、一二三の戦闘に巻き込まれたくないのだ。
「それにネヴィルの野郎は嫌いなんだ。ウェパル様の時の方が、ずっと気楽で過ごしやすい国だったぜ」
青年がそう言うと、同乗していた魔人族たちも納得したように頷いていた。
一二三はその様子を見て微笑む。どうやら、彼の狙いは民衆にも受け入れられそうだったからだ。
「んで、その同行者は誰なんだい? 兄さんに付いて行けるんだ。よほど強いんだろうね」
「ああ。確かに強いな。あいつの水魔法は大したもんだ。少し歳を食ったからな、衰えてないと良いが」
一二三は、彼女が昔見せた戦い振りを思い出していた。
「ウェパルだよ。魔人族の面倒事を片付けるなら、あいつがいた方が楽で良い」
一瞬呆けた顔を見せた魔人族たちは、笑顔で顔を向い合せた。
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