64.英雄の妻
64話目です。
よろしくお願いします。
トオノ伯爵領内。魔国と接する国境と接するようにしてローヌと言う町がある。現在魔国ラウアールとなっている旧ヴィシーという国の一部だったが、一二三が削り取って以来、オーソングランデの一部となっていた。
オーソングランデ対ヴィシーの戦争時には町の住人が全て魔法薬の影響で殺されたという悲惨な歴史があるが、つい先日までは重要な交易拠点として栄えていた。
そして今は、再び戦いの最前線となっている。
「流れて行きなさい!」
閉ざされた国境の門に押し寄せてきた魔人族を、ウェパルの魔法による水流が押し流していく。
塀の上に設置された投槍器から放たれたシンプルな槍が、倒れた魔人族の兵を狙撃していくと、たまらず魔人族の兵たちは退いていく。
投槍器は一二三が領主だった頃から補修交換を繰り替えされてきた所謂骨董品だが、それでも充分な威力があった。
魔法が使えない者でも使用できるうえ、弓よりも強力だ。
ずらりと並べられた投槍器は射程範囲から魔人族が見えなくなるまで射撃を続ける。
「魔法兵! 障壁を!」
と、部隊の誰かが指示を出すと複数の魔法使いによる魔法障壁が張られる。そこにはウェパルも再び参加していた。
直後、魔人族が放つ火球や風魔法などが飛来し、一部は障壁を突き破って味方に被害を出す。
「ちいっ!」
フェレスに治癒して回る様に伝えると、ウェパルは敵からの魔法攻撃が納まった瞬間を付いて、圧縮した水で目に見える範囲の敵を狙撃していく。
「ニャール!」
「はぁい。前方以外に敵の姿は見えませぇん!」
ウェパルの呼びかけに、索敵魔法を使えるニャールが側に来て報告を上げた。
「じゃあ、一旦休憩ね」
見張りの兵士を配置するようにトオノ伯爵軍の兵士に伝えると、口々に礼を言われながらウェパルは部屋を割り当てられた宿へと向かう。
「フェレスは治癒が一段落したら戻って来なさい。ニャールもここに残ってしばらく警戒を手伝いなさい」
二人の部下にそう告げるとウェパルは不満たっぷりの表情で宿に戻り、部屋では無く食堂へ行って食事と酒を注文する。
接収したこの宿では、戦いに参加している者は皆無料で食事ができる。ただ、酒まで要求できるのはウェパル他ごく一部の者だけだ。
「まったく……なんだってこのタイミングで仕掛けてくるのよ」
まだまだ食糧事情にまで影響が出る状況では無いので、出てくる食事は彩り鮮やかで味も悪くない。酒だってそれなりに良い物が残っている。
疲れた胃袋に少しずつクリーム煮の魚をいれながらワインを流し込むと、ようやく人心地ついた気分になれた。
「思い切って手紙でも送ろうかしら?」
ウェパルは戦況が今後どう動くか考えると、今の内に攻勢をかけて魔人族を押える必要があると考えていた。その為にはプーセやオリガ、そして一二三と連絡を付けるのが最も効率が良い。
「一二三さんはお願いして動いてくれるタイプじゃないけれど……戦いがあると知れば飛んでくるんじゃないかしら?」
もちろん、その為には強敵の存在も必要であろう。それについてもウェパルには心当たりがあった。だが、魔国の王がネヴィルに変わってから配置がどうなったかはわからない。
「“炎の魔人”バイロン……ネヴィル体制になってからもラウアールを出たとは思えないけれど」
二杯目のワインを注ごうとすると、誰かの手が伸びてボトルを持ち上げた。
「ウェパル様。酒盛りをするには、些か日が高いと思われますが?」
それは元魔人族の間諜であり、人間に紛れ込んで王城内で騎士として働いていたエヴァンスだった。
「エヴァンス。戻っていたのね」
「ええ。たった今帰着いたしました」
新しいグラスを厨房からもらってきたエヴァンスは、ウェパルと自分のグラスにワインを注ぐ。
エヴァンスは魔国ラウアールに戻りウェパルに協力する人員を集める任務を遂行していたのだが、今回の突発的な戦乱で慌てて戻ってきたらしい。
「参りましたよ。今回の侵攻は私の耳にも予兆が入って来ませんでした。魔国の軍で動いているのは地方駐在の戦力だけで、まだ主力は含まれていませんからね」
地方在住の人材から声をかけていたエヴァンスは、その動きに気付くのが遅れたと弁解した。
「上司の酒を無断でかすめ取るくらい元気なのはわかったわ。それで、私も国境で戦っていたというのに、どうやってこっちに帰って来たの?」
「そう難しい事でもありませんよ」
エヴァンスは警備の巡回が少ない場所を把握しており、オーソングランデとホーラントを分ける山脈の始まるあたりに抜け道があるらしい。
「多少は体力が必要なけもの道ですから、やんごとなき方々をお通しするような場所ではありませんがね」
「首尾は?」
グラスを傾けてワインを飲み、エヴァンスはウェパルに向けて「美味いですね」と笑った。
「それなりの兵力は集まりました。ネヴィル国王に対する違和感や不満を抱えている連中と言うのは結構おりましたのでね。ほとんどが地方で勤務している軍人や下級官吏ですが、戦力で言えば大凡二千名。ちょっとした軍団です」
軍という上下関係がはっきりした集団の長を狙って話を持って行った事もあって、まとまった人数を揃える事ができたらしい。それらのウェパルへの協力を約束した者たちは、そのままラウアール国内に残って今の仕事を続けながら指示を待っている。
「中央の連中に対するネヴィル国王の掌握は完璧です。ちょっと突き崩しは難しいでしょうね。例の“パウダー”についても、数が用意できずネヴィルの周囲を固める者たちだけしか使えません」
そうなると話は早い、とウェパルは考えた。
「今の攻勢が微妙に温く感じたのはそのせいね。中央のネヴィルとその取り巻きさえなんとかすれば、ラウアールは落ち着くというわけね」
問題は、それを誰がやるかという所だ。
恐ろしい話だが、どうやらオーソングランデ王城はこの攻撃に対して沈黙を守っている。元々いる国境警備兵以外は、トオノ伯爵領の兵や協力的な貴族から送られた兵士達、そして雇われた冒険者たちで防衛をしているのだ。
攻撃が現状のレベルで留まっているのであれば、今の兵力で充分に防衛は可能だ。だが、逆侵攻となると話は別になる。
「根本的に止めるには、今の数倍の兵力が必要ね」
「ですが、オーソングランデの王はこの機会を共生派を弱らせる機会だと見ているのでは? ラウアールからの攻撃に対応するだけでも、トオノ伯爵領は軍事的にも経済的にも大きな負担を強いられます」
空になったウェパルのグラスにワインを注ぎながら、エヴァンスは冷笑的な想定を語った。
「そこまで悪辣になるかしら? というより、それで国土が削られたらダメージを受けるのはオーソングランデ王国そのものでしょうに」
「トオノ伯爵領は実に半分以上が八十余年前まではヴィシーという国の一部でしたよ。人材だけ引き上げてしまえば、オーソングランデの経済的技術的な中心地を王都に引き戻す事も可能かも……と考えていてもおかしくありませんよ」
しかし、その考えは重要な部分を見落としていると言わざるを得ない。
トオノ伯爵領やその周辺を攻略した魔国ラウアールの軍が、そこで都合よく止まるはずが無い。
そして、共生派の軍勢が押え切れなかった敵を、王国率いる軍勢が止められるという保証も無いのだ。
「今のネヴィル国王も酷いものですが、オーソングランデの王も愚物といって問題無いでしょう。どうですか、ウェパル様。もう一度魔国の王に返り咲くというのは」
ウェパルもその方が良いかも知れない、と思わなくも無かったが。
「嫌よ。もうあんな激務も心労もうんざりだわ。平和の為に戦うのはやぶさかじゃないけれど、王は誰かに押し付けたいわね」
元はと言えば、ウェパル自身が女王となって魔人族を統一したのも一二三が無遠慮に暴れ回った結果だったのだ。
「……そうだ。戻ったところ悪いけれど、また出かけて貰えるかしら?」
「はあ……そりゃ、構いませんが。ここで防衛の手伝いをしなくても良いのですか?」
エヴァンスが急ぎオーソングランデへ戻ったのもそのためだった。
「ここは私に任せておきなさい」
ウェパルは厨房に確認して適当な紙と筆記具を借りてくると、ペン先にインクを付けてサラサラと何かを書きつけた。
二つ折りにしたそれを、エヴァンスへ手渡す」
「貴方が知っているルートを使って、なるべく早くヨハンナ様にこれを」
そして、できれば一二三にも会って、メッセージを伝えるように、と頼む。
「どのような?」
「戦場はここにある、ってね」
☆★☆
ヨハンナはプーセと共に新たな教派の設立と運営で忙殺されていた。
周囲の町にある聖イメラリア教の者の内、幾人かが協力の為に新教団本部とされたダカート子爵邸へ来ていたのだが、それでも仕事は一向に減る事が無かった。
屋敷内にいるオリガもお腹がかなり目立つようになっており、執務からは離れて日々プーセからの検診を受けては、裁縫や気晴らしの買い物に出るといった生活をしていた。
今までのオリガからすれば、驚くほど穏やかな人物に見える。
そんな話も聞こえてきたし、実際にヨハンナも同様の感想をプーセに話した。
「いいえ、ヨハンナ様。きっと今のオリガさんが本来の彼女なのでしょう。それが、幸か不幸か一二三さんと出会った事で、変わったのです」
プーセがオリガに出会った時には、オリガは完全に一二三の影響を受けていた。だが、イメラリアは“まだ大丈夫な頃”のオリガを知っており、その話を聞いていたのだ。
「オリガさんは元々、魔法が得意な冒険者です。職業柄多少は粗野な部分もあったでしょうけれど、魔法専門で可愛らしい女性だったそうですよ」
過去形で話しているが、オリガはまだ十七歳。一二三の二つ下でしかない。
一二三がこの世界に呼び出された直後、当時コンビを組んでいた女性と共に奴隷として売られていた所を彼に買われた。
騙されて奴隷になった彼女たちは、一二三と共に行動するうちに戦闘技術を鍛えて復讐を行った。
「その最中、彼女は一二三と対立した元の相棒を相手に戦う事になり、女性は亡くなりました。そして、奴隷から解放された彼女は一二三さんの妻となったのです」
オリガの存在と彼女が記した魔法技術は有名だが、彼女がどういう人物であるかは意外と知られていない。
イメラリアは一二三封印後、ミダスという騎士に命じてオリガについて調査した事がある。
元来冒険者というのはゴロツキと見分けがつかない者が多い。犯罪者は登録できない決まりにはなっているが、完全に確認できるものでも無いうえ、グループであれば誰か一人が登録していれば報酬は出るのだ。
そういう意味で、冒険者出身であるオリガの出自を調べるのは困難であった。
「どこかの小さな町で雑貨店をやっていた両親に育てられていたそうです。魔法の才能を見いだされ、町で隠居していた老齢の魔法使いから手ほどきを受けたと調査報告がありました」
そして、オリガが同じ町で育った女性に誘われて冒険者となり、独立した頃には魔法使いは死に、両親も半年程後に流行病で亡くなっている。
騎士ミダスはかなり苦労して調査したようだが、それ以上の事はわかっていない。
「若い頃から天涯孤独で、頼れるのは己自身のみ。冒険者としての相棒は自らの手で殺害する事になり、最後に残った相手は一二三さんだったわけです」
―――あるいは、家族なり血縁者なりが健在であれば、復讐を果たした時点で出身地へ帰るという選択が出来たかも知れない。それが不可能であった彼女は、目の前にいた力の象徴とも言うべき人物に縋ることを選んだとも言える。その結果が彼女にとって良かったかは不明だが、少なくとも本人は幸福だった。いや、今でも幸福であろう。
ミダスは調書の最後に「調査に携わり、また夫妻を知る者の私的な感想として」と前置きしてそう記載している。彼はこの世界に呼び出された直後から一二三を知っており、オリガが変わっていく姿を見ていた。
「一二三という人物がいなければ、彼女は奴隷として不本意な人生を過ごしたでしょう。運命とはわからないものです」
プーセの言葉を、ヨハンナは一言も挟まずに聞いていた。
些か詩的な表現にはなってしまうけれど、とヨハンナはプーセに断って口を開いた。
「イメラリア様も同じね。一二三様は出会う人の運命を変える不思議な力をお持ちなのよ」
そんな可愛らしいものだろうか、とプーセは考えたが、反論はできなかった。
事実、プーセ自身も一二三と出会わなければ人間の国で魔法顧問などという肩書を名残る事は無かったであろう。
「少し休憩にしましょう……あら?」
ヨハンナが執務に使う部屋から見える館の前庭に、オリガが急いで出てくるのがプーセに見えた。
ヨハンナにも伝え、二人で様子を見ていると理由はすぐに分かった。一人の兵士に案内されて館の前に来た人物を迎えに出たのだ。
「どういう感知魔法を使っているのかしら」
「魔法とは違うと思いますよ、殿下」
一二三に駆け寄り思い切り抱きしめるオリガを見ながら、運命はどうあれ、間違いなく彼女以外に一二三の妻は勤まらないだろう、とプーセは思った。
お読みいただきましてありがとうございます。
次回もよろしくお願いします。