60.女傑は笑みを浮かべて
60話目です。
よろしくお願いします。
排斥派の突撃は全く持って整然としていない。
初めは歩兵が先行していたが、後方から追いすがる騎兵が両脇から歩兵を追い抜いて行く。
「来たわね……」
冷静に、冷静にと自分に言い聞かせながら敵方の隊列(というにはもう崩れてしまっているそれ)を睨み付け、フィリニオンはタイミングを計る。
「矢を一斉に。一度だけ」
「はっ!」
味方歩兵の背後から、ざざあ、と音を立てて矢が飛んでいく。
それは正面を走ってくる敵騎兵に文字通り矢の雨となって降り注ぎ、数頭の馬と何人かの兵を貫いた。
だが、突撃は止まらない。
「敵が止まりません!」
「止まるわけないでしょう。戦争の狂騒とはそういうものよ」
フィリニオンは弓兵に予定通り左右にわかれるように指示すると、空いたスペースに入り込むように歩兵を下げ始めた。
「歩兵隊は足元に気を付けるように言いなさい」
波が引くように下がっていく歩兵たちを見て、敵は嘲笑った。
「見ろ! 敵は恐れて腰が引けているぞ!」
「矢も尽きた! 行け!」
声はフィリニオンにも聞こえた。
冷静な指揮官は突撃隊の中にはいないらしいと知って笑みを浮かべる。
「さあ、正念場よ。迎撃態勢を」
歩兵の足が止まる。楯も持たずに槍を並べた陣形を作った歩兵の後ろには、待機していた冒険者たちが戦いを前にして殺気をむき出しにして出番を待っていた。
「フィリニオン様。下がりましょう」
「不要よ」
フィリニオンは待機している歩兵の中央で、神輿の上に乗ったままで指揮を続けている。椅子を据え付けた神輿は周囲からも当然のことながら、敵からもよく見えるだろう。
「戦いの場は初めてじゃないけれど、こういう光景は初めてみるわ。壮観ね」
同じく神輿の上で指揮の手伝いをしている兵士は、気が気ではない。自分の身の安全もそうだが、下手をすればフィリニオンの身が危険だ。
敵の弓兵が出番を得る前に歩兵の衝突が始まろうとしている。
「狙撃される心配はないでしょうが、多少は下がるべきかと」
「ここで下がったら士気が低下する。それに、ここからはタイミングが勝負なのよ。良く見える位置にいないと駄目。……それに、騎士が後ろに隠れて指揮をするなんて、みっともない真似ができるわけないでしょう」
フィリニオンは、どこか若返って見えた。
掛け声、怒声、叫び声に馬の嘶きや蹄の音、足音が立てる地響きと相まって、大きな音のうねりがぶつかる。
だが、そこには少なくない悲鳴が混じっていた。
「引っかかった!」
フィリニオンは歓喜の声を上げた。
浅い落とし穴だが、馬の脚や前だけを向いてひた走る歩兵たちの足を引っ掛けるには十分だ。
前方を走っていた騎兵たちが次々と落馬し、後を追う歩兵も最前列の者たちが点灯していく。
無理やり乗り越えていこうとうする者たちもいるが、その速度は目に見えて落ちた。
「弓兵に合図なさい」
「はっ! 斉射せよ!」
合図を受けた弓兵の隊長たちが、倒れ伏す敵兵とその背後に向かって左右から×の字を描くように弓矢の斉射を始めた。
今度は一度だけではない。二度、三度と雨のように降り注ぐ矢は、一度勢いを殺された兵たちにとって恐怖でしかない。
逃げようにも後ろからは味方が押し込んでくる。
矢の雨は左右からきているように見えて、前には味方が倒れて邪魔になり、乗り越えても敵がいるだけだ。
集団に降り注いだ矢は、四度で終わった。
混乱に陥った敵で生き残った者たちは、矢の雨が止んだことに気付くと一瞬の静けさに周囲を見回した。
すでに死体になっている者はまだ良い方か、と周囲を見回した兵士は思った。
矢を受けたり味方に踏まれたり、馬の下敷きになって呻いている者や、警鐘でも恐怖に体がすくんで動けず、頭を抱えて震えているだけの者もいる。
「でも、とりあえずこれで……」
攻撃は収まった。生き延びたから逃げなくては、と考えた兵士の真正面。共生派側から迫ってきたのは、弱った敵を叩きのめさんとする大集団だった。
☆★☆
「兵を下がらせないように、押しとどめなさい」
「なんだと!?」
近くに来たオージュが突然命令口調で言うのを、想定外の被害状況に焦っていたヴァラファールは必要以上の大声で答えた。
「貴方自身が前に出て兵士たちの逃亡を止めるのです。冒険者たちを使って味方の後方から包囲して逃げ道を塞ぎなさい」
このままでは、歩兵を突破した相手が攻め込んでくる、とオージュは話す。
反論をしたかったヴァラファールだったが、他に方法を思いつかない。だがここで逃亡すれば、二度と攻勢に出るだけの兵力をまとめることはできないだろう。
敗北すれば、ヴァラファールは完全に居場所を失うのだ。
それでも迷っているヴァラファールに、オージュはため息交じりに提言した。
「私たちが側面から敵を攻撃します。そのために生き残っている歩兵を使って壁を作ってください。そういう事です」
「……わかった」
大声を上げて自分の護衛を集めながら、ヴァラファールは味方の援護に向かうと宣言する。
一人の伝令が走り、待機していた冒険者たちも動き始めた。
どうにか味方の後退する足が止まったのを確認したオージュは、ウワンとシャトーのところへ戻り、作戦を伝える。
「良いのか?」
「……敵の動きが思ったよりも良いのが問題です。ああも簡単に罠に引っかかるとは思いませんでした」
憮然とした様子で、オージュはどちらの陣地からも離れて戦況を見ている一二三を一瞥した。
ずいぶん遠くにいるが、気が向けばいつでも戦いに参加できるという体制だ。
「私たちが戦いに参加しなければ、このまま一方的に押し込まれて終わりになってしまいます。ウワンとシャトーで敵の左右から敵将を討ち取ってください」
弓隊はオージュが魔法で片づける。
「一二三さんはどうするの?」
「戦いに参加してきたら、三人で同時に掛る。もし参加しなければ……今回は諦めましょう。運が悪かったと思います」
だが、オージュは高い確率で一二三は参戦してくると踏んでいた。
「敵将は彼の知人です。危機となれば参加してくる可能性が高いでしょう」
「押し返せ! 倒れた味方は踏むなよ!」
ヴァラファールの指示が三騎士のところまで聞こえた。
「猛将……と言えば聞こえは良いが」
シャトーの苦々しい言葉にオージュは同意した。
「ええ。前しか見えていない愚か者ですね……さあ、始めましょう」
そっと前に出たオージュは、朝と同じように巨大な火球を作り出した。
敵も味方も呆然と見送ったそれは、両陣営が激突する間を通り過ぎ、左翼の弓兵に激突して中央部分をごっそりと削り取った。
直後、フィリニオンがいる前線の歩兵は左右から猛烈に攻め立てられた。たった二人に左右から攻撃されているだけだというのに、みるみる内に兵士は減っていく。
「ぬぅん!」
鎧に全身を包まれ、巨大な楯を構えて三メートルを超える鉄の塊と化したシャトーは、その巨体を力任せに押し出して敵を文字通り轢き潰していく。
「ま、回り込め!」
「無駄だよ」
左右と背後から攻めてくる攻撃に対しても、分厚い鎧はものともしない。剣も槍も跳ね返していく。
怖気づいた兵士たちに向かい、シャトーはその手に持つ巨大な楯を振り回した。
「ぐぶぇ!?」
側頭部を強打された兵士は、兜ごと頭をつぶされて吹き飛んでいく。
三人程がまとめて叩きのめされていく。猛然と進むシャトーの勢いは、兵士たちには止められない。
反対側からは、ウワンが次々と兵士を突き殺しながら進んでいた。
シャトーとは異なり、ウワンは兵士たちが繰り出すすべての攻撃を避けている。別方向から槍が同時に突き出されたとしても、その刃が彼を捉えることはできない。
ウワンは無言のまま、剣を避けてはその持ち主の喉を貫き、引き抜いた瞬間には別の槍持ちへと迫り、目を突き刺す。
シャトーよりも丁寧に一人ずつ殺害していくために、その進行速度は遅い。だが、その分兵士たちの被害は大きかった。
「まだ、かな……」
ちらり、とウワンは一二三がいるはずの方向を見た。
「この分だと、数分であのおばあちゃんの所までついちゃうけど……」
英雄である一二三が老婆を見捨てるだろうか?
ウワンはまだ姿を見せない一二三に対する疑問を抱えていた。また一人、二人と兵士を斬り殺したが、気になるのはそのことばかりだ。
「でも、来たところで僕の方が強いはずだ」
それに、今回はシャトーとオージュがいる。
マンに一つも負けはない、とウワンは確信していた。
頭上を、オージュの火球が飛んでいく。
直後に悲鳴が上がり、紅蓮の炎が火柱となって吹き上がるのが見えた。
先ほどとは反対側の弓隊を、火球が襲ったのだ。
「まだかな……」
一兵士程度の腕では、ウワンにとっては動かない的にも等しい。心動かされることの無い戦いの中で、ウワンは一二三の戦い方を思い出していた。
「たしか、こんな風に」
一二三が盗賊退治の際に見せた動きを真似て、兵士が繰り出した剣の横を通り過ぎるようにしてその腹を斬り裂く。
ウワンは一二三の登場を待っていた。
ヒーローを待ち焦がれる少年のような眼をして。
☆★☆
「危ない!」
再び勢いづいた排斥派の攻勢に、フィリニオンについていた兵士は剣を振るって近くに来ていた敵の頭部を横殴りに叩いた。
まだ少数ではあるが、周囲にまで敵兵の姿が混ざり始めている。
突出しすぎて孤立した兵士はすぐに刃を受けて絶命するが、時折ひやりとする程近くまで敵が来るようになった。
「フィリニオン様! 下がりましょう!」
「もう遅いわ」
すでに神輿の周囲は乱戦状態に陥っている。
火球による攻撃で後方でも混乱に陥っており、特に後詰においていた冒険者たちの狼狽が酷く、フィリニオンの周囲にいる歩兵が後退することもままならない。
「後方へ走って、ヴィーネ隊長に状況を伝えなさい」
「で、ですが……」
「彼女に指揮権を譲渡します。貴方がいれば、彼女もアマゼロト領の兵を動かしやすくなるでしょう」
それは、フィリニオンによる死を確信した言葉だった。
「今の時点で私は敗れました。ですが、まだ共生派の戦力が潰えたわけではないのよ。……行きなさい。今までありがとう」
「フィリニオン様……。ぐっ、し、失礼します!」
神輿から飛び降りた兵士を見送り、フィリニオンは神輿の上で立ち上がった。
「聞きなさい!」
左手に掴んでいたサーベルを抜き、正面に来た敵を大上段から叩き斬った。
その姿は、とても老婆には見えなかった。往年の王国女性騎士がそこにいた。
「全員後退! 隊列を崩してバラバラに広がりながら下がって、ヴィーネ隊長の近くで終結!」
神輿を下して逃げるように、と足元の者たちに伝えるが、誰もが拒否した。
「我々はフィリニオン様の足であります。足だけが逃げ延びたところで、頭が無ければ意味がありません!」
「馬鹿なことを……」
そう言いながら、フィリニオンは笑顔を浮かべて正面を見据えていた。
周囲の兵士たちは命令通り後方へと向かっているようで、周りは敵兵の姿が増えてきている。
「ありがとう、あなた。私は長生きした分苦労もしたけれど、あなたが遺してくれた最高の部下たちと共に戦って死にます。本当はあなたもそうありたかったでしょうけれど……そっちに行ったら散々自慢してさしあげるわ」
左右からは人間の域を超えた強さを見せつけながら、山が動いているかのような鎧の塊と見定めることも難しいほどすばしこい青年が迫ってきている。
そして、真正面にはやたらと大きな声で叫ぶ男に押されるようにして迫る歩兵たちがいた。
「そうそう。あなたに面白い土産話もできたのよ。あの一二三さんが、私に謝ったのよ。手を合わせて、“すまん”ってね」
あなたは信じてくれるかしら、と穏やかな表情を浮かべてフィリニオンはともすれば倒れそうになる体を杖で支えた。
「とはいえ、このまま戦功も上げずに逝ったら、あなたに怒られるわね」
フィリニオンの脳裏には、亡き夫ヴァイヤーとの思い出が駆け巡っていた。
イメラリアの命を受けて、当時一二三が納めていた領地に運営の手伝いとして訪れた彼女は、そこで王国騎士として働いていたヴァイヤーと出会い、互いに一目惚れして一緒になった。
婿入りしたヴァイヤーとは、任地など仕事の都合で共に過ごした期間はそう長いわけでは無かったが、彼女にとっては唯一の恋の思い出でもある。
「ようやくいける……後は頼みましたよ、ヨハンナ様……」
心を奮い立たせ、フィリニオンはサーベルを掲げて正面へ突き出した。
「大将首は私が取る! 進みなさい!」
「応!」
護衛たちだけでなく、多くの兵がフィリニオンの前には残っていた。
彼らは率先して次々に神輿の前に出ては、身体ごと相手にぶつかって道を切り開いていく。
血塗られた道は細かったが、それでも神輿を担ぐ彼らは躊躇する事無く突き進む。
「……っ!」
がくん、と神輿のバランスが崩れた。
椅子の背もたれにしがみ付いたフィリニオンが見ると、左前方にいた兵士が見えない。
「行け! 気にす……」
声は途中で途切れたが、言いたいことは伝わっているのだろう。素早く別の兵士が支えに入り、前進は止まらない。
数秒か、数分か。
興奮の渦中にいるフィリニオンにはわからなかったが、最早どうでも良いことだ。
多くの犠牲を出して突き進んだ結果、敵将と思しき男が目と鼻の先にまで迫っている。大勢は有利なはずなのに、真正面から肉薄されて驚いている様子がありありと見えて、フィリニオンには滑稽にすら思えた。
「構いません! 前に飛ばしなさい!」
最後の力を振り絞り、思い切り持ち上げられた神輿の上からフィニオンは、飛んだ。
「なんだとぉおおお!」
迫ってくる男の顔面に向けて突き出したサーベルは、大きく開いた口の中へと正確に突き込まれ、ぞぶりと嫌な感触と共にフィリニオンの手に貫通を知らせる。
私もやればできるものね、とフィリニオンは笑っていた。
敵将の剣は腹を貫き、周りの敵兵からは足や胸を槍で穴だらけにされているが、それでも笑っていた。
「剣は苦手……だったのだけれど……上出来……ね……」
フィリニオンの長い人生は、満足気な呟きで幕を閉じた。
お読みいただきましてありがとうございます。
次回もよろしくお願いします。