59.開戦の前に
59話目です。
よろしくお願いします。
「間に合わなかった!」
早朝の襲撃はあっという間に終わり、ヴィーネが兵士たちを引き連れて町の外へ出てきた時には、いくつもの死体が転がっている惨状を生み出した敵は引き上げてしまった後だった。
一方的に攻撃されて終わったらしく、敵の姿は死体すら見当たらない。
「怪我人の収容と治療を進めてください。何人かは周囲を警戒して潜伏している敵がいないか確認を」
てきぱきと指示を飛ばしていくヴィーネに、兵士に肩を借りたフィリニオンが、遅れて姿を見せた。
「やられたわね……しかも、今までとはけた違いに強いのが来たみたい」
フィリニオンは町の中へ侵入して来なかった理由を考えながら、ヴィーネと共に生き残りの兵士から話を聞いて行く。
「とりあえずひと当てして力量の確認というわけね」
敵がたった三人であったという事実に驚きながらも、人数が揃っていない為に町の制圧まではせずに一度退いたのだと想像ができた。
「ヴィーネさん。協力をお願いしたいのですけれど」
「もちろんです」
ヴィーネが連れてきた兵士達を新たに警備と警戒に配置して、二人は町の入口すぐの場所で椅子に座る。
露天だが、敵が来れば即応する為に町の出入り口から離れるわけにもいかない。元より前線で贅沢を言うような二人では無い。
「反対側の出入り口にも戦力を追加しておいた方が……」
「いえ。それよりも町を出たところで防衛の体制を整えた方が良いですね。炎系の魔法を使うようだから、町の中で火をつけて回られたらこちらが不利になりますから。戦いが終わった後で、兵士を休ませる場所も無くなりますし」
迎え撃つ体制を整えようと言うフィリニオンに、ヴィーネは「なるほど」と全面的に同意した。
ヴィーネとしては自分に指揮官としての才があるとは毛ほども考えていなかった。フィリニオンから見て、先ほどのてきぱきとした指示は充分に慣れた雰囲気ではあったが。
「昨日の質問についてですけれど……」
突然に切り出された話題について、ヴィーネは長い耳を傾けた。
「はい。お聞きします」
「私はこの場所に残ります。ここには私の部下もいるし、他に役立てるところも無いもの」
「……そうですか」
ヴィーネは少し考えたが、昨日伝えた言葉以上にフィリニオンを説得する言葉を彼女は持たなかった。それを受けて尚、彼女が決めた事であれば反対はできない。
「今のうちに、これを預けておきますね」
フィリニオンが取り出したのは三つの封筒だった。
それぞれ、ヨハンナ、カイテン、そして領地の息子に宛てて抱れている。
「でも、わたしもここから生きて帰れるかわかりませんよ?」
生き死にをあっけらかんと言えるあたりが、あの人の愛人だとフィリニオンは変に納得しながら微笑んだ。
「ええ、そうかも知れない。でもきっと、そう悪い事にはならないはずです」
フィリニオンには何かしら確信できるものがあるらしい。彼女の凛とした雰囲気に気圧されたヴィーネはおずおずと手を伸ばして手紙を受け取った。
「確かにお預かりしました。フィリニオンさん、どこか奥様……オリガ様に似ておられますね」
「ん~……」
フィリニオンは皺の目立つ顔を歪めて、苦笑した。
「それは、正直に言ってあまり嬉しい言葉ではないですね」
「そうですか?」
首を傾げるヴィーネは、どうやら結構な高評価のつもりだったらしい。
「良いんですよ。貴女達はそれで。そのままで」
編成についての話を手早くまとめ、再び来るだろう敵に対する準備についてヴィーネからも提案を行う。
その知識は一二三が以前に使った策であったり、オリガからの入れ知恵であったりする事を正直に話しながら照れ笑いするヴィーネを、フィリニオンは好ましく思っていた。
「できれば、私も若かった時にもう少しお話がしたかったわね」
「はい。わたしもそう思います」
敬語を止めたフィリニオンの言葉に、死ぬつもりである事を感じ取りながらヴィーネは握手を受けた。
「心配しなくても、しっかりヨハンナ様の求める“正統イメラリア教”の宣伝はしてあげるから」
方法は楽しみに待っていてね、というフィリニオンは杖を掴み、ゆっくりと立ち上がった。
「私も頑張るから、貴女もしっかりと実力を示してみせてね」
「はいっ!」
☆★☆
町を出て街道を僅か数約メートル程進んだ場所にて、ヴィーネの指示により大至急整えられた陣容は、傍から見ても装備がバラバラで統一感の欠片も無かった。
だが、それはホーラント兵と冒険者、そしてイメラリア教に熱心な貴族から派遣された兵たちによって構成される排斥派の陣営についても同じ事だった。
申し合わせたように向かい合う両陣営の距離は、ギリギリ矢が届かない程度だ。
「本当に真正面から来ましたね」
「敵を圧倒できるほどの強い戦力があるなら、真正面から戦って味方兵士の士気を上げる事に使うべきなのです。特に寄せ集めの時は」
フィリニオンの言に頷き、ヴィーネはじっと前方にいる敵陣営を眺めていた。
「馬が居ませんね」
「後ろに控えさせているのでしょう。……どう?」
脇にいる兵士に声をかけたフィリニオンは、相手が首を横に振ったのを確認して頷く。
「どうやら、朝から派手にやってくれた相手は、前の方には出ていないようです」
「では、どこかのタイミングで投入する為に温存している、と?」
「希望を言えば、そうそう使えない隠し玉でこちらを委縮させるために最初に使った、という可能性もあるけれど」
大きな魔法攻撃だけならその可能性もあったかも知れないが、三人のうち二人は物理的な攻撃を仕掛けてきたという。その線は薄い、と発言したフィリニオン自身も考えていた。
「迎撃準備が完了しました!」
駆け寄って来た兵士は、ヴィーネと共に来たホーラント内貴族の兵士だ。ヴィーネの指示により、罠の準備をしていた部隊を指揮している。
「わっかりました! では……」
「ええ。私の出番ね」
簡単に板を張り合わせて作った神輿に乗せられ、フィリニオンは部隊の最前列へと出ていく。
ヴィーネはここに残り、全軍が見える位置で指揮をせねばならない。
「フィリニオンさん……」
年老いてもしっかりとした姿勢で座っているフィリニオンを見送りながら、ヴィーネは戦いが避けられれば良いのに、と思わざるを得ない。
戦いの中では無く静かに死を迎える選択肢は、本当にフィリニオンの中には無かったのだろうか?
答えなど出ないだろう。いや、答えはフィリニオンにしか出せない。
「……良し!」
自分の頬を叩いて気合をれたヴィーネは、近くにいた兵士達に指示を飛ばす。
「全て予定通りです。相手の動きに合わせますから、タイミングを間違えないように気を付けて」
真正面には歩兵を並べているが、その後ろには弓兵を置き、両脇には騎兵が待機しているオーソドックスな陣形だ。
ヴィーネにはどうせ緻密な部隊運用などはできないので、わかりやすい配置と部隊分けに徹している。
後は現地での指示次第というわけだが、戦闘の前にフィリニオンの動きを待つ。
☆★☆
対面にいるオージュは、共生派側の陣営を見て概ね想像から出ていない程度の兵力だと見ていた。何やら工作をしているようだが、この際それはどうでも良い。
ホーラント兵も多少は苦戦するくらいで無ければ困るのだ。すぐに戦いが終わってしまっては、一二三を狙う時間が無くなってしまう。
「彼が動くのをしっかり監視しておかないと……」
オージュが目を向けると、相変わらず馬車の上で刀を抱えて観戦を決め込む一二三が見えた。
その表情は乏しく、感情は読めない。
「一二三様。これから戦いが始まります」
「そうだな。……おっ、誰か出て来たな」
戦いの前に宣言などを行う事はこの世界でも珍しくは無い。
一二三としてはどうでも良い事だったが、まだまだ戦争の顔役が貴族である以上は仕方のない事であり、まだ大した連絡手段も情報も乏しい世の中なので、これが無いと誰と戦っているかわからないという、やや間抜けな理由もあった。
「……ん? ありゃ、フィリニオンか」
「誰です?」
と出てきた神輿から一二三へとオージュが視線を移すと、そこにはもういなかった。
「……えっ?」
慌てて振り向くと、猛然とした勢いで一二三が駆けて行くのが見える。
「何をする気……?」
驚いたのはフィリニオンも周囲にいた兵士達も同じだ。
慌てて弓を構えようとする兵士たちを押え、フィリニオンは駆け寄って来るのが一二三だと確認する。
「安心……して良いかはわからないけれど、どうやら朝の襲撃者じゃないみたいね」
「フィリニオン様がご存じの方ですか?」
護衛として近くにいた兵士が尋ねると、フィリニオンは頷いた。
「貴方も知っている人物よ。封印されし英雄。……そしてイメラリア姫の……」
それ以上言うのは、味気ない事だとフィリニオンは言葉を止めた。プーセも黙っているらしい主君の秘密は、あの世まで持って行くべきだろう。
「あの方が……ですが、それほどの人物が敵陣から出てきたとすれば、注意すべきでは?」
「大丈夫」
フィリニオンは構える必要も無い、と伝えた。
「逆に剣を抜かないように、全員に徹底させなさい。敵と戦う前に全滅するわよ。それに朝の襲撃が彼だったら、とっくに町の人間は一人もいなくなってるわよ」
楽しそうに言うフィリニオンを兵士が不思議に思っているうちに、恐るべき速さで一二三が近づいてくる。
「久しぶりだな」
「ええ。まだどうにか生きながらえています」
神輿を下ろさせ、フィリニオンは座ったままで挨拶をした。
「なぜあちらにいらしたのです?」
「単なる見学だ。……この戦いで死ぬ気か」
驚いた顔で一二三を見つめたあと、フィリニオンはそっと微笑んだ。
「はい」
「そうか。なら見届けさせてもらおう。それと」
バシッと音を立てて両手を合わせた一二三は、頭を下げた。
「すまん! まだお前の孫は生きている」
突然の謝罪に、フィリニオンも後方から駆け寄って来たヴィーネも心臓が飛び出す程驚いた。そういう事をする人物だとは毛ほども思っていなかったのだ。
「あ、あの……」
「オーソングランデの城に乗り込んで、一度手合せはしたんだがな。中々将来性があったんで生かしておいた。もう少しあいつは強くなる」
だが、それは約束を破ったに等しいと一二三は言う。
「そうですか……メンディスは、強いですか」
「少し経験が足りないけどな。あれなら鍛えれば良いところまでいける」
フィリニオンは、複雑な表情だった。
「嬉しい気もしますが、微妙ですね。それだけあの子は私がいる陣営の邪魔になるわけです」
「そこは心配しなくていい。頃合いを見てちゃんと殺してやる」
それも妙な言葉ですね、とフィリニオンは穏やかな表情を見せた。
「一二三様が観られているのであれば、無様な真似はできませんね……。ヴィーネ騎士隊長、しばらく私に指揮権を貸していただけるかしら?」
「え。そりゃ構いませんが……」
答えながら、ヴィーネはチラチラと一二三を見た。騎士隊長などという肩書で呼ばれているのを一二三に知られて、どんな顔をされるか気になったのだ。
だが、一二三としては肩書は特に気になる部分では無い。
フィリニオンの言葉を受けて、一二三は踵を返して去っていく。
「じゃあ、またな」
「はい。では後程……」
一二三とフィリニオンの挨拶は簡単なものであり、何故か再開を匂わせていた。
それは戦場には似つかわしくない程の爽やかさを残し、幾分かフィリニオンの肩を軽くしてくれる。
指示を受けて神輿が再び持ち上がると、ヴィーネは再び後方へ下がる。フィリニオンに何かあれば、すぐにヴィーネが指揮を引き継ぐのだ。油断はできない。
フィリニオンは、敵では無く味方の兵士達に向かって口を開いた。
「聞きなさい!」
全ての兵たちに加え、フィリニオンの来歴を知っている冒険者たちも多くが耳を傾けている。
「イメラリア教は、かの聖女イメラリア様が目指した世界を作ると標榜し、獣人やエルフ、魔人族などの排斥を進めてきました! ですが、私はイメラリア様本人を知っています。その言葉を直接聞いた私が断言しましょう! イメラリア教は間違っている!」
どよめきが広がる。兵士達や冒険者の中には、共生派ではあるがイメラリア教の信徒である者たちも少なくない。
イメラリア教そのものを否定されては、心理的な動揺が広がるだろう。
だが、受け皿はある。
「オーソングランデ王女のヨハンナ様は、その事を危惧され本当のイメラリア様のお心を伝えるために“正統イメラリア教”を立ち上げられました。私は、それを全面的に支持する者です!」
ざわめきに拍手と声援が加わる。彼らの信仰対象は変わらず、その対象を見知っている者が支持する宗派があると分かったのだ。
「ヨハンナ様の所には、イメラリア様を良く知るプーセ様が付いています。比較して、今の聖イメラリア教の中心にいる者たちは、どれだけイメラリア様の事を知っているでしょう!」
呼応する声の、最初のいくつかはヴィーネの部隊にいた仕込みの者たちだ。一二三の指示で随分昔に使われた扇動手法だが、これをオリガが採用した。
「さらには、かの英雄がこの戦いを見ています!」
おお、と感嘆の言葉が広がる。
「イメラリア様を支えた英雄は、この戦いを見て感じるでしょう。我々こそがイメラリア様の心を引き継ぎ、世界の安定を目指しているのだと!」
「そうだ! 俺たちこそが正しい!」
仕込みの者たちが大声で呼応すると、広がる様に口々に声が上がる。
「さあ、戦いの時です。世界はこの一戦に係っています!」
大きなうねりとなった声は、ホーラント側の兵士の士気を否応なく高めた。
「大丈夫かなぁ」
唯一、ヴィーネは冷静だった。
「ご主人様の名前を使って良いのかな?」
不安の方向性が、若干ずれていたが。
戦いは、フィリニオンの声で始まる。
「さあ、世界に誤解を広めた愚か者たち! 正義が怖くなければかかってきなさい!」
挑発は覿面に効いた。
特にヴァラファールは老いた女性が兵士たちを率いている事をすら“馬鹿にされた”と感じているような男だ。
元よりヴァラファールの部下と冒険者たちで正面から当たり、機を見て側面から三騎士が当たる予定になっている。
オージュにとって予定はまったく狂っていないのだが……。
大声で叫び返し、突撃を命じるヴァラファールの怒鳴り声を聞きながら側面を見る。そこには鎧兜を着けたウワンが立っており、しきりに首を傾げていた。
フィリニオンの言葉を聞いて、イメラリア教というものに対して再び迷っているのだろう。
「単なる町の取り合いを、宗教戦争にすり替えられた!」
と、内心ではオージュはフィリニオンを呪い殺したい程の勢いで叫んでいた。
「これで、余計に変なところを見せられなくなった」
先ほどまで感じていた余裕は消え、オージュの内心をじわじわと不安が侵していた。
お読みいただきましてありがとうございます。
次回もよろしくお願いします。