58.戦場の両岸
58話目です。
よろしくお願いします。
現在、最前線のグネの町の主はフィリニオンであると言ってよい状況になっている。
ホーラント王国軍を中心とした排斥派による攻撃は続いているが、辛くも撃退を続けているとう状態だ。士気は低くない。だが、物資は枯渇気味になりつつある。
王城での変化はまだ現場には正確に伝わっていないのが現状で、排斥派の攻撃が弱まってきた、という程度の肌感覚でしか無い。
「援軍?」
「はっ。その代表がフィリニオン様に面会を求めております。なんでも正統イメラリア教の軍勢であるとか」
胡散臭い、というのがフィリニオンが最初に浮かべた感想だったが、兵力だけでなく物資まで周辺貴族から供出させたというあたり、それなりに力がある人物なのだろう。
「イメラリア教が、分裂でもしたのかしら……? とにかく、お会いしましょう。その方のお名前は聞いてますか?」
「はい。正統イメラリア教騎士団長のヴィーネ様と名乗られています。兎獣人の方ですね」
連絡に来た兵士は、フィリニオンの前で感心したように頷いている。共生派の軍も正規軍は隊長クラスはまだしも将官クラスになるとまだまだ人間族ばかりだ。そんな中で獣人が率いているという所に進歩性を感じているのだろう。
それがありありと読み取れた事で、フィリニオンは目の前にいる兵士の評価を内心で少し下げた。
“共生”と“優遇”を混ぜて考える事は危険だと気付いていない輩の多さに彼女は危惧さえしていた。迫害の対象から救い出すのは正義だが、だからと言って特権を渡すのは間違っている。
その流れで能力も無い者が権力を握る立場に押し上げられたらどうなるか、老いたフィリニオンでも将来が不安になる程だ。
「だけど、ヴィーネなら問題なさそうね」
「ご存じの方ですか?」
「何十年も昔の話だけれどね」
ヴィーネの見た目は二十代前半と言ったところだ。兵士は意味が判らないまま、フィリニオンに促されるまま、ヴィーネを呼びに向かった。
「彼女がいるという事は、その後ろに彼か彼女がいると言う事よね。心強いと言うべきか、心配の火種が増えたと言うべきか……」
フィリニオンは顔を合わせた事がある夫婦の事を思い出していた。一二三のやり方を自領に取り入れた彼女としては恩人でもあるが、平時に乱を望む男と妄信する妻。
封印された時は、二度と会う事が無いと思ったものだが。
孫の始末を頼んだ件はどうなっただろうか。もし一二三からヴィーネが話を聞いているなら尋ねてみようと考えていると、見覚えの片耳の兎獣人が姿を見せた。
「お久しぶりです、フィリニオンさん。お元気でしたか?」
「戦場で元気がなくちゃ、明日も迎えられないわよ」
座ったままで失礼、と微笑みながら右手を差し出したフィリニオンに、ヴィーネは握手で応えた。
「それで、何やら妙な事を始めたみたいだけれど?」
「えーっと、説明するとややこしいんですが……」
ヴィーネはオリガからの指示通り、現状ヨハンナが置かれている状況を説明した。
ホーラント国内に共生派の拠点が出来た事はフィリニオンにとってはプラスになる事だろう、とは判断できたが、そこにオリガが尽力している事がやはり気になる。
「オリガさんが動いているのは、一二三さんの指示でかしら?」
「多分違いますよ、ご主人様は長く遠出されていますから。王女様が奥様と相談して進められています」
オリガが裏にいるか、と確認できたフィリニオンはちらりとヴィーネの目を確認した。昔と変わらず、まっすぐに相手を見る目に濁りは無い。嘘は無さそうだ。
そうなると一二三が今どこでどうしているのかも気になるが、知ったところでどうしようも無い、と脇に置いておく。
「それで、兵力を引っ張って来てくれたのは嬉しいのだけれど、目的は何かしら?」
「一つは“正統イメラリア教”が存在する事を戦場でアピールする事です」
ヴィーネはヨハンナやオリガから教わった通りの話をした。
ヨハンナをトップとする正統イメラリア教が発足し、基本的な協議は本来の聖イメラリア教を踏襲しながらも「本来イメラリアは他種族との共生を目指していた」事を前面に出して、排斥派との違いを明確にする。
「そこに、フィリニオンさんも協力をお願いしたいと思っています。ヨハンナ様からのお願いです」
ヴィーネはヨハンナから預かっていた書面を手渡した。
受け取り、すぐに開いて内容を確認したフィリニオンは顔を歪めた。
「私に、新しい教派の“保証人”になれとは、殿下も人使いの荒い御方ね」
「カイテンさんの依頼でもあるんです。フィリニオンさんに無事に戻って来て欲しい、と」
その名前を思い出すのに、フィリニオンは数秒必要だった。
「カイテン? ああ、あの変わった趣味の子ね。そう、あの子が……」
「フィリニオンさん。戦いはわたしが引き受けますから、一度前線から退かれませんか?」
なるほど、とフィリニオンは頷いた。
要するに、自分の仕事は戦う事では無く昔を知る生き字引として存在して欲しいというわけだ。フィリニオンはそう理解した。
確かに彼女は夫に比べれば元騎士の中でも武張ったところが少ない人間でもある。ヨハンナが考える他種族との共生はイメラリアが作り上げた安定した世界における重要な“柱”であったのは間違いない。
たとえそれが、一人の男が世の中を引っ掻き回した結果だったとしても、最終的にオーソングランデを産業・商業の中心として安定させたイメラリアの成果はゆるぎないのだ。
フィリニオンは、戦いの勝者が一二三たちだったのは間違いないが、世界に寄与したという点ではイメラリアの方が上であったと評価していた。
それだけイメラリアを知っているからこそ、ヨハンナの動きに慎重にならざるを得ない。
もしかすると、理想を追うあまりに先ほどの兵士のように盲目的な友好を考えているのではないか、と危惧しているのだ。
「人間も獣人も、エルフもドワーフも魔人族も同じ。善も悪もいれば、軋轢や諍いは起きる。交わるべきと分けるべきを区別できなければ、ただ世の中は混沌に飲まれるだけ……。考えてみれば、あの羊獣人の子が一番うまくやっていったのよね」
交流はほとんど無かったが、獣人族の町がどれほど安定しているのかをフィリニオンは知っていた。一時的にだが自領でも真似をして他種族の立ち入りに制限をかけようかとも考えた程だが、始めるにはすでに遅かった。
「考えれば、“分け隔てない扱い”という言葉に一番近いのは一二三さんなのよね。最も命を奪った者が、最もイメラリア様の理想に近いとは、ね」
皮肉な事だ、とフィリニオンは思っていたが、目の前にいるヴィーネは「そうなんです!」と元気に答えた。どうやら、素直に一二三に対する褒め言葉として受け取ったらしい。
「貴女くらいにシンプルな生き方だったら、こんな苦労をしなくて済んだのにねぇ……」
苦笑いを浮かべ、フィリニオンは手紙は確かに受け取った、と言った。
「戦況の事もあるから、即答はできません。ですが、明日には答えを出しますから、今は現状の確認をしてもらえますか? それと、食料に余裕があれば分けていただきたい」
フィリニオンは口調を変えた。ヴィーネを同格以上の地位だと認め、騎士団長という立場を認めるという意思表示だ。
「食料は支援としての分をよういしています。大丈夫です」
「助かります。では、戦況や宿泊場所については私の部下から説明させます。申し訳ありませんが、私も歳なので……」
ヴィーネはハッと気づいて頭を下げた。
「あ、き、気付かなくてごめんなさい。では、また明日伺いますね」
慌てて部屋を後にしたヴィーネを見送り、フィリニオンは「ごめんなさいね」と小さく呟いた。
それはまだ体力には余裕があるのに芝居をしてヴィーネを追い払った事に対するものでもあったが、彼女の希望に応えられない事に対する謝罪でもあった。
フィリニオンは、この戦場で死ぬ事を決めていたのだ。
「でも、ヨハンナ様へ最後の奉公として、精一杯の事はさせてもらうわね」
そう言いながら、彼女は紙を取り出して手紙を書き始めた。この世に残していく幾人かへ向けた、彼女からの最後のメッセージを。
☆★☆
対して、フィリニオン達が占拠しているグネの町から、徒歩で半日程離れた野営地でも来訪者と現場責任者との会談が始まっていた。
それは穏やかとは程遠い雰囲気である。
「たった三人で“援軍”だと? 笑わせるな!」
「私たちは三人ですが、貴方方ホーラント兵一千人を相手にできる戦力です」
「法螺を吹くのもいい加減にしろ!」
ホーラントの将軍であり、排斥派の司令官として前線を任されているヴァラファールは、突然やってきて戦闘に参加すると言うオージュたち三騎士に対して怒りを振り撒いていた。
いつも通り馬車に乗ったままのシャトーに対しては、わざわざ馬車に向けて届くように大声を出している程だ。ウワンは怒鳴り声に顔を顰めていたが、兜の御蔭で表情は見えない。堂々としてただ座っているように見える。
オージュはヴァラファールの言葉を受けても、フードの下から見える口元から微笑みを消そうとはしなかった。
「法螺かどうかは戦場で確かめれば良いだけの事でしょう。それとも、グネを諦めて撤退でもするつもりでしたか?」
「馬鹿を言うな! グネを押えられたままでは今後の戦闘に支障が出るのは素人でもわかる事だ」
「で、あれば」
オージュはいつも通りのゆったりした口調で話す。
「貴方方に取ってなんの負担も無い戦力が加わるのです。反対する理由もないでしょう。光栄にも私たちの名前はそれなりに知られています。味方の士気はあがりますし、敵の士気をくじく事にもつながります」
「だが、お前たちが強いかどうかを知らぬままに策は立てられん。教会が下駄を履かせた評価を鵜呑みにして、味方の損害を増やすような馬鹿はできん」
さらに、ヴァラファールはトカゲという人物についても言及した。
「お前たちイメラリア教が派遣した連中もどこかに消えた。ろくな情報も得られないままに逃げたようだな。そんな連中を信用しろと言うのか?」
「信用? そんな物必要ありません。事実を戦場において証明してみせますとも」
オージュの提案は至極単純なものだった。
「私たちだけで町へ近づいて一戦交えてきます。敢えて一度ぶつかって損害を与えるだけです。三人では町の占拠はできませんからね」
微笑みを交えて話すオージュは、とんでもない事を言いながらも落ち着いていた。
「わしらが苦戦……いや、拮抗している戦力を相手に、三人で戦果を上げるとぬかすか!」
面白い、とまるで面白く無さそうな仏頂面でヴァラファールは腕を組んだ。
「では、その戦い振りを後ろから見させてもらおう。だが、敵をして調子づかせるような結果にでもなれば……」
「ええ。教会からはさらなる援助をお約束いたしましょう。それに……」
オージュは片目だけを覗かせてヴァラファールを見据えた。
「ここで成果を上げて王都へ戻られれば、貴方の軍のトップとしての地位は盤石なものとなるでしょう。そういった力ある方とのつながりは、我が聖イメラリア教にとっても重要な事ですから」
「ふん、生臭め……」
攻撃は翌朝行う事となった。
ほとんど挑発のような攻撃ではあるが、戦線で前に出てきたいくつかの部隊を叩き潰して見せる事が目的という戦闘のための戦闘。
「本来ならば唾棄すべき行為だとはわかっているが……」
「ええ。ですがこれも戦いを終わらせるために必要な事です。結果として、聖イメラリア教の教えは敵をも救うでしょう」
見届け人及び敵のあぶり出しの為の兵士がどよめく中、シャトーが馬車を降りてくる。
大きな馬車の中でも膝を畳んでじっとしていたのだろう。出てきたのは巨体という言葉をも凌駕する大きさの、鉄の塊だった。
黒々と染められた鎧を全身に着込んだその身体は身長が軽く見積もっても三メートルは超える。分厚い金属鎧は重々しい音を響かせており、その背には巨体に見合った分厚い盾が背負われていた。
彼は“鉄塊シャトー”と呼ばれ、物理攻撃はもちろん、魔法攻撃に対しても比類なき防御力を誇っている。
「戦場でも彼の後ろにいれば傷一つ負わない」
とまで称され、三騎士の中ではもっとも目立たない人物ではあるが、その能力は見た目が充分に示していた。
戦場となる予定の場所で、ゆっくりと馬車から下りてくる姿はのんびりとしているようではあるが、見た者には威風堂々であると映った。
「それでは、行きましょうか」
オージュはシャトーとウワンに声をかけた。
彼らは、宣言通りにたった三人でグネの町へと近付いていく。
その顔つきに緊張は見られない。普通の兵士たちが何百人出てこようと、シャトーの守りを破る事も、ウワンの剣を避ける事も出来ない。
そして、オージュの魔法から逃れる事は不可能だ。
だが、一つだけオージュは気になっている事がある。
背後にいるホーラント兵とは少し離れた場所で、オージュ達が乗って来た馬車の屋根に座っている人物。一二三の事だ。
「ふぅ……。余計な事は、今は考えないようにしましょう。二人とも、ここで活躍を見せてホーラントの兵士達の士気をあげるのです。そして次の戦いでは集団と集団がぶつかる乱戦にするのです」
「……心得た」
「わかってる」
それぞれの答えを聞いたオージュは、わずかな詠唱で頭上に直径二メートルはあろうかという巨大な火球を生み出した。
轟々と炎を噴き出す小さな太陽ともいうべきそれは、みるみるうちに倍の大きさになり、直後には音も無く飛んで行く。
爆風が町から慌てて出てきた兵士たちを纏めてなぎ倒し、かろうじて難を逃れた者たちも熱で火傷を負ったのか、苦しそうにもがきながら這いまわっている。
さらに町から出てきた兵士たちは、突然の惨状に右往左往しているようだ。
「今出てきた分を始末すれば充分でしょう」
オージュの言葉を受けて、ウワンが飛び出す。
こうして、早朝の一方的な虐殺が始まった。
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