57.宿の裏手で小芝居を
57話目です。
よろしくお願いします。
「はあ……ただ馬車に乗っているだけでこんなに疲れるなんて……」
オージュは前線まであと一日という町で馬車を降り、今夜の宿泊場所の一室へ入った。この建物は主が逃げてしまった宿で、部屋だけはちゃんの残っているのでそのまま使わせてもらう事にしたのだ。
野宿になっても否やはないが、ベッドで眠れるに越したことはない。
「ゆっくり湯あみもできるから、文句はないけれど……」
と、優先的に選ばせてもらったしっかりと鍵のかかる部屋で、ローブを脱ぎながらオージュはため息をついた。
宿の中では高級な部屋だったようで、体を洗うための小部屋もある。大きな桶も残っていたので、魔法を使ってお湯を作り、ゆっくりと体を洗う。
「前線で邪魔だけはされたくないのよね……でも、うまく彼を利用できれば……」
盗賊を瞬時に殺害して見せた一二三の腕前を、オージュはしっかりと確認していた。魔法は使っていないようだが、信教騎士があっさりと殺害されたというのも頷ける強さだ。
ウワンと比べてどうなのか、まではオージュの目ではわからなかった。ウワンが本気で戦うところを見たことが無いうえ、近接戦闘は彼女の専門外だ。
しかし、最終的には一二三を殺害せねばならない。それが教会司祭長からの指示なのだ。
「一番私たちにとって都合がいいのは“戦場でどさくさまぎれに殺す”ことだけれど……」
そのためには混戦にもっていかなくてはならない。個人の能力が高い三騎士が固まって行動すれば、どんな乱戦でも問題は無い。
「前線にいるホーラントの兵士たちをたきつけて、相手と乱戦をやってもらいましょう。彼らや陣借りしている冒険者たちなら、いくら死んでも私たちのマイナスにはなりませんし」
盗賊が出た時の反応を見る限り、戦場で戦いが始まればいの一番に突っ込んでいく可能性が高い。
追いかけるようにホーラント兵たちを後ろからぶつけて、混戦になったところでウワンともう一人の騎士シャトーを合わせて当たらせれば、まず負けはないだろう。オージュも魔法による補助を行えば万全だ。
清潔な布で体をぬぐい、女性らしいラインを保つ若い肢体を自分の目で確認していく。
「……いつ見ても、嫌な跡ね」
その下腹部から膝にかけて、大きな蛇がうねるように両足を灰色の太いあざが巻きついている。これが彼女を三騎士の一人にまで押し上げる力の源でもあるのだが、見るたびに嫌な気分になる。
下着をつけて簡素な絹の服を纏い、魔法で暖かな風を起こして金髪を乾かし、ローブをすっぽりとかぶる。清楚な印象を保つため、化粧はせずに保湿のためのクリームを唇に薄く塗るにとどめた。
「さて、一仕事しなくちゃ」
宿に着いたからと言って、そのまま休んでよいような立場ではない。前線に近いこの町には、傷病兵が何人も送られてきており、死の淵をさまよっている者も多い。
そういった者たちに魔法による治療を施したり、手遅れの者には優しく声をかけてイメラリア教としての見送りをする事も重要な仕事なのだ。
「むしろそれが本業なのだけれど……」
オージュは“現代の聖女”とも呼ばれる。
それだけ彼女の優しさと美しさを褒め称える声が多いのだが、彼女自身はそれが作られた偶像である事を知っていて。そのうえで受け止めている。
準備ができたところで、ノックする音が聞こえた。
「はい。どなたです?」
オージュの声に返事は無く、独特のリズムで三回のノックが響く。
「……ここでは気を付けるべきは一人だけよ。他に誰もいないから、入ってきなさい」
「では、失礼して」
部屋に入ってきたのは、ホーラントの兵に交じって前線にいるはずのイメラリア教暗部の一人、トカゲと呼ばれる男だった。
紫の布をぐるぐる巻きにしたような独特の服で音もなく歩いて、そっと音が立たないようにドアを閉めた。
「わざわざ前線から離れる必要がある程の話があるのかしら?」
「逆ですぞ。話を窺いたいのはこちらですとも」
ドアの前から離れず、トカゲはボロボロの布の隙間から粘つくような視線を向けてくる。
「ホーラント王城に潜り込ませた部下からの連絡も無く、我々前線に出ている暗部は情報的に孤立しておるわけですな。ホーラントの将兵も王城から帰還命令が来ておりますが、反発してこれも孤立無援状態ですぞ」
トカゲの言葉に答える事無く、オージュは持参した水をカップに注ぎ、飲みながら話を聞いている。
「王城の様子を聞かせていただきたい。司祭長が狙う“あの男”についての情報はありましたかな?」
「一二三なら私たちと同行してここまで来ています」
「なんと!」
「彼は私たちが前線まで連れて行ったところで始末する予定です。それまでは騒ぎにしたくはありませんから、接触は禁じます」
トカゲは突き刺すような視線をオージュへと向けた。
「禁じる、とは妙なことをおっしゃいますな。我々暗部は三騎士の下部組織ではありませんぞ」
「私たちは司祭長の命令を受けて来ているのです。邪魔をするなら、その事は司祭長の耳に入りますよ」
「……邪魔をするつもりはありませぬとも。ただ、吾輩たちは仕事をこなすだけのことです」
あくまで勝手に動くことを宣言するトカゲへ、オージュは冷たい視線を向けた。
しばらく沈黙した後、オージュは口を開いた。
「やりたければ、貴方たちらしく目立たないようにやりなさい。ただ、何があっても私たちとの関係を悟られる事のないように」
「当然ですとも……やはり同じ“混ぜ物”どうし、仲よくしませんとな」
オージュが投げつけた木のカップは、トカゲがしっかりとキャッチした。
「その言葉を二度と言わないように。次はカップではなく魔法をぶつけますよ」
「ひひひ、こわい、こわい……。ですがね、単に見た目がまともだっただけで“成功”とされた貴方たち三騎士と我々暗部、その後ろ暗い素性は同じだということを、ゆめゆめ忘れられませぬよう……」
トカゲは粘ついた舌を伸ばしてカップに残った水を舐めとると、音もなく部屋を後にした。
床にそっと置かれたカップを見下ろし、オージュは風の魔法を使ってカップを切り刻む。
「そう簡単に殺せる相手なら、私もシャトーもこんなに慎重になるものですか」
オージュはトカゲの失敗を確信していた。
この町に到着して、一二三が先に降り、ウワンが追いかけるように降りて行ったとき、オージュの後ろで沈黙したままおさまっていたシャトーが言った言葉を思い出す。
『あの男は一対一では難しい。二人で五分。三人なら勝てるだろう』
オージュはシャトーの眼力を信頼している。だからこそ混戦での奇襲を企てたのだ。
☆★☆
一二三について行ったウワンはまだ迷っている。
目の前を歩く男が強いのはわかったが、そのレベルまでは見抜けなかった。
盗賊を倒した時の動きは実に鮮やかだった。思わず素直に「綺麗」と呟いたほどだ。
だが、その動きは常人の域を超えず、筋力も高いようには見えなかった。
「っと、客が来たな」
一二三が急に立ち止まり、真後ろをついて観察していたウワンも止まった。
「客?」
「隠れてこっちを狙っている奴がいるぞ。殺気をぷんぷん臭わせてな」
この勘や察知能力だけは常人離れしているのは、ウワンも認めている。
場所は宿の裏手。
馬車を降りた一二三が日課の稽古をすると言うのでウワンはついてきていたのだが、そこで彼は再び一二三の腕を見る機会を得られた事に内心喜んでいた。
美しい動きを勉強したいというのもあるが、英雄と呼ばれた人物の実力を確かめたいという気持ちの方が強い。
一二三の言葉を受けて、建物の陰からゆらりと姿を現したのは一人。
ボロボロの布を体に巻きつけた陰気な男、トカゲだ。
「吾輩の気配を探り当てるとは……さすがは英雄というべきですかな?」
「御託は良いから目的を言え。俺は忙しい」
トカゲは肩を竦めて笑う。
「本当はね、アンタが何も知らずに歩いて来た所を一瞬で殺すつもりだったんですよ」
トカゲが細く妙に長い指を一二三へと向けた。
「こうやってね」
予備動作など無い。
いきなり人差し指が伸びて、鋭利な爪が一二三の喉を襲った。
「気持ち悪い動きをしやがる」
かろうじて躱した一二三は、頬を浅く切られつつもすばやく距離をとった。
トカゲの正体を知らないウワンは剣を抜こうとしたが、一二三に止められる。
「こいつは俺が狙いらしい。引っ込んでろ」
刀を抜いた一二三に、ウワンは頷きながら離れた。
都合良く観戦者の立場を得たウワンだったが、軽く失望している。
「あの爪攻撃、僕なら傷も受けずに避けられる」
速度が自慢であるが、相手の動きを見切ることに関しても自分の方が上だ、とウワンは確信したのだ。
「おやおや、傷が増えて苦しいだけなんですがね」
「殺せなければ、どんな傷も意味が無いぞ」
二度、三度と伸びてくる指を避けながら、一二三は刀を突き出すようにまっすぐ構えた。
「おや。妙な構えですね」
「妙なのはお前の動きだ」
今度は一二三から前に出る。
相変わらず顔や喉を狙ってくる攻撃は、一二三が刀を手元に引きながら軌道を逸らすようにして弾いていく。
「くっ……もう目が慣れてしまいましたか。では!」
両手を広げ、放射状にトカゲの指が伸びると、一二三は退きながら指と指の間で身体を傾けて避ける。
「どういう……いや、どこかで見覚えがある伸び方だな」
一二三は観察しながら呟く。
「あれだ。カメレオンの舌だな」
この世界に存在するかどうかは知らないが、指は伸びるにつれて細くなっていて、どうやら指だけでなく腕全体の中に畳み込んだ肉を伸ばしているらしい。
「かめれおん? それが何かは知りませんがね。この手を見て死なずに済んだ敵はおりませんよ」
顔にもまかれたぼろ布の隙間からニタニタと笑う口元を見せながら、トカゲは攻撃を続ける。
「そうか。そりゃ良かったな」
「うぬぅ!?」
伸びてきた指の一つ。人差し指を一二三が無造作に掴み取った。
「爪以外の部分は何の攻撃力も無いな。飛び出す勢いはあるが、引っ掻くにも向かない動きだ」
「ご明察……」
ため息交じりのトカゲの言葉に、一二三は笑った。
その直後、一二三の背後にある植え込みから飛び出してくる人影がウワンに見えた。瞬時に危険を察したが、一二三に声をかける程の余裕はない。
背後を襲った男は大上段に構えた短い刺突剣を一二三の首筋めがけて突き出した。慣れた動きは無駄が無く、
「痛っ!」
と声を上げたのは、一二三でも襲撃者でもない。トカゲだった。
「少しは殺気を隠すべきだな」
バレバレだ、という一二三の左手には、引き延ばされたトカゲの指が。
刺突剣を突き刺されて千切れかけた指を一二三が手放すと、その勢いに剣を持って行かれてくずれる襲撃者の腹を刀の一閃が斬り裂いた。
声も出せずにはらわたをまき散らしながら倒れる襲撃者の方を向いたまま、一二三は後ろ向きに飛ぶ。
そこには指をようやく回収したトカゲがいる。
「ひぃっ!?」
全く自分を見ていないままに迫る一二三の姿に恐怖したのか、トカゲが引きつるような声を上げた。
そして、それがトカゲ最後の言葉になった。
「一芸は良いけどな。それに頼っていては、な」
半回転。一二三の身体がトカゲの方を向いた時には、その手にある刀の切っ先がトカゲの喉をざっくりと斬り割っていた。
泡立つ血を喉元からあふれさせ、トカゲは二歩ばかり後ろに下がってからどうと倒れた。
「準備運動代わりにはなったな」
懐紙で刀を拭う一二三を、離れて見ていたウワンは確信した。
一二三は自分より弱い、と。
だが彼は気付かなかった。一二三が自分の方を盗み見て、失望の苦笑いを浮かべていた事を。
お読みいただきましてありがとうございます。
次回もよろしくお願いします。
※『呼び出された殺戮者3』がお蔭様で無事刊行されました。
記念SSを「読める!HJ文庫」というサイトにて公開しております。