54.恋心
54話目です。
よろしくお願いします。
オリフ・ダガート子爵。というのが排斥派に与し、聖イメラリア教の暗部に協力していた者の名前だった。そして、結果としてオリガたちから報復を受けた哀れな男の名前でもある。
今は全身に無数の傷を負い、死なない程度に治療をされた状態で一室に監禁されていた。
そして、以降は犯罪者兼屋敷の貸主という良くわからない立場のまま、ホーラント王国と聖イメラリア教、そしてヨハンナが新たに立ち上げる教派の力関係によって、その身柄は扱いが変わるだろう。
最早本人にはどうしようもない話だが。
「……えーっと。これは一体どういう意味でしょうか?」
サウジーネは、多くの兵士を失った挙句、結果として一二三が一人だけ満足した戦いが終わり、ようやく身辺が落ち着いた所で、ダガート子爵領から送られて来た手紙に目を通し、首を傾げた。
先に目を通したサカトが説明を加える。
「ダガート子爵は聖イメラリア教と手を組み、あの一二三様の奥方や同行者、そして何故かホーラント国内へ入っていたオーソングランデの王女ヨハンナを襲撃したようですね……」
そして、その報復を行いダガート子爵の身柄をおさえたので、ホーラント王族としての対応を求める、としている。
さらにはホーラント王国内でも力を伸ばしつつある聖イメラリア教の教義についても言及されており、亡くなられた女王イメラリアの意思を歪曲している現在の教会中枢の間違いを正すために新たに独立した教派として正統イメラリア教を立ち上げる、としている。
「そして、教派の信念を通す為に、排斥派との戦闘を進めるというわけですか」
サカトの説明を聞いて右へ左へと首を傾げたサウジーネは、玉座のアームを叩いた。
「ホーラント国内でイメラリア教の内紛をやるということじゃないですか! どうしてオーソングランデでやらないのです!」
「オーソングランデ王国内では、まだ直接的な戦闘には入っておりません。すでに内戦状態にある我が国にて戦果を上げる事で、イメラリア教の本拠地外で勢力を作り上げるつもりかと思うのですが……」
言いながら、サカトは腑に落ちない物を考えていた。
純粋に宗教の勢力を広げるだけならばわからなくもないが、戦果をもって宣伝とするつもりであれば、そうとうな戦力が必要になるはずだが、そのような報告は王城には上がって来ていない。
魔国ラウアール側から密かに多くの戦力が入り込んでいるのだろうか。あるいは魔国が協力しているのだろうか。
「……一度、ヨハンナさんとお話できないでしょうか」
「陛下?」
「信教騎士を殺害した件で、私たちは完全に聖イメラリア教と袂を別つ事を声高に宣言したようなものです。兵力は減り、前線の将は排斥派で言う事を聞かない」
おまけに、とサウジーネは自虐的に笑った。
「一二三様は味方かどうかすらわかりませんしね」
サカトとの相談の結果、サウジーネはヨハンナやオリガの訴えに応える事にした。つまり、ダガート子爵の罪を確認し、正式に捌くこと。
そして、正統イメラリア教の存在を認めること。
「一二三様よりは、ずっと付き合いやすいと思いますよ。彼女が戦力を有しているとすれば、お近づきになる方を選びましょう」
サウジーネは、弟ゲコックを処分する事を決めた時、自らが普通の幸せを得る事を完全に放棄した。命を守るために女王としての立場を堅守した結果、その責任から逃れる事は出来なくなった。
であれば、と頭を切り替えて腰を据えるしかない。
「ですが、ホーラント王国も翻弄されてばかりというわけにはいきません。ヨハンナさん達との合流は、戦場で行いましょう」
サウジーネは立ち上がる。
「陛下、戦場とは……」
「今、戦場と言えば我が国のど真ん中にあるのが唯一の戦場でしょう。ヨハンナさんに宛てて、密かに手紙を送りましょう」
ヨハンナからの書類を握りしめ、サウジーネは自らの執務室へと向かう。
「ただ今をもって、前線の将であるヴァラファールは解任します。もう一度前線からの撤退命令を送り、応じない場合は反乱勢力と規定します」
執務室へと入りデスクへと座ったサウジーネは、目の前で直立するサカトへと目を向けた。
「恐らくは言う事を聞かないでしょう。ですから、私たちとヨハンナさん達共生派の勢力で、挟み撃ちにします」
サウジーネは、恭順を示した貴族から戦力を集めるように命じた。
「ホーラント王族はここにあります。オーソングランデに翻弄される国では無く、自らで立つ国を背負うものとして。それを国民に知らしめるのです」
「はっ!」
不安な門出ではあったが、サウジーネはここで初めてオーソングランデとの対立を明言した。
「そういえば、一二三様はどうされたのですか?」
「さて……昨日からお姿をみておりませんが……なにぶん、日ごろからあちこち出て行かれる方ですから」
☆★☆
聖イメラリア教のトップは、教主であり皇王でもあるオレステ・ランテ・オーソングランデだが、これはイメラリア教を国教とするにあたっての条件として用意された“名のみ”の地位であだった。
もちろん、王自らが信徒である明言する事によって国民に広く普及する目的と、他の宗教的な勢力を抑え込む目的もある。
だが、為政者である皇王が宗教トップとしての執務を行う事は当然難しく、肝心のイメラリア教に関する知識や礼法に付いてそれほど深く通じている訳では無い。
よって、実質的なトップとして別に司祭長という役職が存在した。
現在の司祭長はフィデオローという老齢の元男爵であり、家督は息子に譲って貴族としての立場上は隠居した形になっている。今はその息子も死に、孫が当主に収まっていた。
だが、それもあくまで貴族社会における名目的な事でしかない。
オーソングランデだけでなくホーラントまで大きな影響を与える聖イメラリア教を実質的に取り仕切る立場であり、その組織力と資金力、そして戦力はオーソングランデ王家にすら対抗できるのではないかとまで言われている。
フィデオローは八十五歳という老齢ながら思考が衰える事も無く、教会内での政敵に席を譲る隙を見せる事も無く、未だ精力的にイメラリア教を動かしていた。
「……ホーラントが、信教騎士を害した、と?
肺活量が衰えたとぎれとぎれの言葉ではあるものの、重く響く様な声だ。
「はい。ホーラント女王サウジーネの客人に無礼を働いたとしてテスペシウス司祭に謝罪をもとめたところ、抵抗したうえ信教騎士が剣を抜いたため、制圧した、というのがホーラント王国側からの説明です」
テスペシウスは未だホーラント王城敷地内の牢に捕縛されている。
報告書には“客人”が何者かまでは書かれておらず、ただイメラリア教に対する遺憾と同時に彼らを送り込んできたオーソングランデに対する遺憾も記載されていた。
「同じ書面がオーソングランデ王城にも届けられているようです」
「皇王は何と?」
「沈黙を守っております。先日よりホーラントとの国境警備が厳しくなり、こちらから兵力を送り込むのも難しくなりました。戦場への支援を盾に押し通る事も可能だと思われますが……」
報告に訪れた部下の言葉に、フィデオローは押えた笑いを洩らした。
「あの小心者には、現状でホーラントとの戦端を開くような度胸は無かろうよ。あちらが強く出たなら、今は退かざるを得ん。なにしろ、他国とのあれこれ以前に自分の娘すら押える事ができておらん」
フィデオローは、自分が口説き落として教主と祀り上げた皇王の事をまるで評価していなかった。国を纏めるカリスマ性に欠けていた事を内心でコンプレックスに感じていた王に乗じて近づいたのは、フィデオローに取って人生で最大の賭けだった。
そして、フィデオローは勝者となった。
男爵という、貴族社会の中では決して高いとは言えず領地も持たない家に生まれたフィデオローは、まだ一部王都貴族間の小さな勢力でしか無かった頃のイメラリア教に入信し二十年の間にここまでのし上がった。
皇王を教主とする事には反発もあったが、反対派を押えるだけの力があった。
「……恐らくは、その“客人”とやらはヒフミ・トオノであろう」
オーソングランデ側は一二三の所在を出国時点で見失っていた。いずれ戦場に現れるであろうと思われていたが、一向に姿を見せないためにオーソングランデ王政府も焦り始めている。一二三が知らぬうちに戻って来ていて、また城に押し込まれるかと戦々恐々としているのだ。
「暗部からの報告も途絶えておる……。では、すぐに“三騎士”全員をホーラントへ送れ。方法は問わぬ。皇国が何を言って来ても無視して構わぬ」
「ぜ、全員を……」
「どうした。聞こえなんだか」
承知いたしました、と慌てて部下が頭を下げて、退室していく。
広い執務室で一人になったフィデオローは、魔物の素材で作られた高価な椅子にゆったりと身体を預けた。身体の中に澱のように溜まった疲労は、眠ったところでどうにもならない。
思考ははっきりしていても、身体は年齢と共に言う事を聞かなくなってきていた。
「また、世の中をかき回そうというのか、一二三め……」
フィデオローは一二三と直接の面識は無いが、イメラリア体制以前から王城へ出仕していた父親から色々と聞いていた。亡き父はイメラリアと直接関わる事はほとんど無かったようだが、一度だけ父親に連れられてパーティーに参加する機会があった。
十六歳となって成人したため、跡取りとしての挨拶をするために許された事だったが、そこでフィデオローはイメラリアと人生で唯一度、言葉を交わす経験を得た。
三十歳をいくらか過ぎたイメラリアは年齢を感じさせないほど若々しく見えた。スレンダーな身体をゆったりとして落ち着いた雰囲気のドレスに包んでおり、優雅でありながら芯のある強さを思わせる瞳で微笑んでいた。
『男爵位を継がれるのですね。苦労も多いと思いますが、どうか国民の為に生きられる貴族となってください』
どう返事をしたのか、緊張の極致であった事もあって憶えていないが、その時の女王イメラリアの美しさを、七十年近く経った今まで片時も忘れたことなど無かった。
貴族同士の付き合いの一環としての結婚はしたし、今は亡き妻も愛してはいた。
だが、フィデオローにとっての一番は常にイメラリアである。それは今でも変わらない。
イメラリアが病死し、城詰めの文官としてその葬儀に参列したときの悲しみも、彼の胸に根深く残っている。そして同時に、一二三に対する憎悪も芽生えていた。
ついに未婚のままで逝去したイメラリアに唯一父親がわからない子供。その瞳が黒であったことから、一二三との関係を考えた者も少なくない。フィデオローもその一人であり、尚且つその事が彼にとって一二三に対する憎悪の根源でもある。
「教会、一二三、オーソングランデにホーラント……魔国が動く可能性もあるのだったな。何とも面倒な情勢ではあるが……今度はお前の思い通りにはさせぬ。イメラリア様が本当に目指していた世界を、必ずや……」
彼は一二三がイメラリアに力づくで迫った結果が、彼女のたった一人の子カールであったと考えていた。愛しい女王の敵であるからには、彼にとってもまた、一二三は敵なのだ。
フィデオローの原動力は、七十年にわたって燃え続ける恋心だった。
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