5.町の風景
5話目です。
よろしくお願いします。
にぎやかな街並みを楽しみながら、一二三はブラブラと歩いていた。隣にはプーセの姿があり、はらはらと一二三の様子を観察していた。
傍目から見たら恋人に見えたかも知れない。
「以前よりも人が増えているな」
「戸籍というものが一般的になってから左程経っていませんから、正確な事はわかりませんが、確かに増えました。今はフォカロルだけで言えば四十万人が住んでいるそうです」
観光や商用で訪れている人間を含めると、その数はもう少し増えるだろう。
「一二三さんが封印された後、アリッサさんはとても頑張っておられましたよ。最後まで独身を通されて、養子を取られて後継ぎとされました」
「見ればわかる。俺だったらここまで手をかけなかった。おおよそカイムの奴がやった事も多いんだろうが……あいつが満足してやり遂げた事なら、良い死に方ができたんだろう」
アリッサはこの世界としては長寿な八十代まで生きたという。高齢になっても矍鑠としていて、最期まで若々しい女性でした、とプーセは振り返った。
ふとプーセが見上げると、一二三は笑っていた。
「悲しくないのですか?」
貴方を好いていた女性だと知っているはずなのに、という言葉が、プーセの喉元まで来ている。
「悲しむ理由は無いな。あいつは自分の選択で俺と共に来る事を選び、俺の指示を聞いて残る事を選んだ。そして腹いっぱい生きた。羨ましいとは思うが、悲しいとは思わん」
一二三は、ふらりと繁華街にある店に立ち寄り、こんがりと焼いた香ばしい香りのする肉をパンで包んだ食べ物を買った。端数として残していた分も、これでほぼ底をついた。
「世界の技術が進んで、武器が増えて食い物も美味い。良くやった、とも言えるな」
ガツガツと、あっという間に食べてしまった一二三に、プーセは一つの建物を指差した。
「あそこが、フォカロルの冒険者ギルドです」
店が集まる通りにほど近い場所にあり、荒くれ者が集まるような雰囲気とは程遠い、小ざっぱりとした雰囲気の建物が冒険者ギルドらしい。
「冒険者試験で問題を起こされても困りますから、私が紹介者になります」
「俺は冒険者登録終わってるぞ」
「八十年以上前の登録なんて、抹消されているに決まってるでしょう?」
私が推薦人になりますから、とプーセは一二三の前に出て、先にギルドへと入って行く。
一二三がすぐ後ろから入っていくと、室内の雰囲気は以前と変わった所は無い。奥に二人程の受付がいるカウンターがあり、依頼を張り出したボードと、いくつかのテーブルには相談や休憩をしている冒険者たちの姿があった。
「受付がたった二つで、回せるのか?」
「都会に近い程、周囲から魔物が少なくなりますから、処理する案件は減るのです。中規模の都市や新規の開発地の方が魔物被害が多いですから、ギルドはそちらの方が盛況ですね」
説明を聞きながらカウンターの前に立つと、プーセは自分の懐から刺繍の入った布を取り出し、カウンターの女性に見せた。
「皇国魔法顧問のプーセです。一人、私の推薦で冒険者登録をお願いしたいのですが」
「えっ……あ、ほ、本物の……失礼いたしました! もちろん大丈夫です。それで、冒険者になられるという方はどちらですか?」
「彼です」
プーセは、一二三の方を指すと、少し声を押えて続けた。
「深い……ですがごく単純な、周囲に聞かれたくない事情があります。良かったら個室で手続きが出来れば良いのですが」
「なるほど……では、当ギルドの長に確認して参ります。申し訳ありませんが、少しお待ちいただけますか?」
「ええ、もちろん。お願いいたしますね」
足早に奥へと向かった職員を見送ると、プーセは一二三を振り返った。
「待っている間に、少しお話をしましょう。ヨハンナ様の前では話せない事も……」
「失礼ですが、プーセ様ではありませんか?」
一二三を押しのけるようにして、一人の青年が話しかけてきた。
細い目をして、爽やかな笑顔を浮かべた青年は、一見して冒険者には見えない。地味な服を着て、荷物も持たずに何故ここにいるのか。どこかの町から依頼の提出にでも来たかのような雰囲気だった。
「ええ、そうですが。貴方は?」
「この町の役人の端くれでして、皇国魔法顧問であられるプーセ様のお噂はかねがね……まさか、仕事中にプーセ様のご尊顔を拝する事ができるとは、光栄です」
すらすらと賛辞を並べている役人だと名乗る青年に、プーセは言いようの無い違和感を感じた。
長い王宮勤めですっかり身に着いた余所行きのスマイルで、プーセは喜んで見せる。
「そうですか。ありがとうございます。申し訳ありませんが、今は少し忙しいもので……」
「いえいえ、すぐに終わります……よ!」
青年が、袖口からナイフを取り出し、プーセに向かって突き出すまでの動きはとても慣れた滑らかな手つきだった。
「くっ……!」
違和感を感じてから身構えていたプーセは、なんとか致命傷だけは避けたものの、脇腹を斬られて転倒した。
痛みに耐えながら、スカートを翻して青年の腹を蹴り、なんとか距離を離す。
「ちぃっ! 外したか!」
ナイフを構え直した青年は、失敗したと見るや、途端に騒がしくなったギルド内からの逃走を図った。
彼の不幸は、振り向いた目の前に一二三がいた事だろう。
「良い動きだった。だが、言葉に溜めを作るのは良くないな」
一二三は何故か上機嫌で笑っていた。
プーセはそれを苦々しく見ていたが、同時に青年がナイフを突き出そうとしているのを見て、捕まえて情報を吐かせるのを諦めた。
「おっと」
するりと水月を狙ってきたナイフを、一二三は指でつまんで逆に引っ張った。
「うおっ?」
ナイフにつられる形で前に流れた青年の身体を、一二三の足払いが転倒させた。
木製の床に胸を打ち付け、ショックで呻き声が漏れた。
その声も、一二三の足が首を踏みつけた事で止められ、そのまま頸椎を砕かれて青年は息絶えた。
「やれやれ。一芸だけなのも悪くは無いが、もうちょっと周囲に気を配るべきだろうな」
死体となった青年に興味が失せたらしく、杖を頼りにヨロヨロと立ち上がり始めたプーセに近づいた一二三は、ニヤニヤと笑いながら話しかけた。
「命を狙われる程の有名人か。羨ましい事だ」
「冗談……というわけでもなさそうですね。ちょっと待ってください」
治癒魔法で自らの傷を治したプーセは、少し血の気が引いた顔で息を整えた。
「ご無事ですか?」
ギルドの職員たちが集まり、プーセを気遣ったり、死体を手早く建物の奥へと引っ込めていた。
「素晴らしい技をお持ちで」
一二三に話しかけたのは、初老の女性だった。
若い頃はしっかり鍛えていたのだろう。しわの目立つ顔をしてはいるものの、その所作はしっかりとしている。
「部下から話を聞きました。プーセ様のご推薦で冒険者として登録されたいという事で……」
一二三の顔を見た女性が固まった。
「どうした?」
「い、いえ。私の執務室へどうぞ。プーセ様も、お怪我は大丈夫ですか?」
「ええ、自分で治しましたから、大丈夫です」
「流石は皇国魔法顧問。多少の怪我くらいは問題になりませんか」
「痛いのは一緒ですよ」
女性に案内された部屋で、一二三とプーセはソファへ腰を下ろした。
すぐに紅茶が運ばれてくる。
「改めて、ようこそいらっしゃいました。皇国魔法顧問プーセ様。そして、“細剣の騎士”様」
☆★☆
フォカロルの町はかなり発展し、それに伴って拡張され変化している。
以前住んでいたとは言え、オリガもヴィーネも道がさっぱりわからなくなっていた。そこで、町を良く知っているシクが案内をする事になったのだが。
「わたくしもついていくわ!」
一二三にバッサリと頼みを断られて固まっていたヨハンナも、同行すると言い出したのだ。
断る訳にもいかず、フードをかぶって顔を隠す事を条件に、シクは兵士を三人ほど連れて周囲を警戒させながらヨハンナも連れて行く事にした。
「興味深いですね」
にぎやかな街並みで、オリガが足を止めたのは魔法関連の物を扱う商店だった。魔道具はもちろん、以前は見られなかった魔法に関する指南書が揃っている。
それなりに高価だが、治癒や伝声、解毒などバリエーションに富み、魔法がいかに進歩したかが良くわかる。
「すごいですねぇ。昔はこんなのありませんでしたよ」
ふと隣を見ると、ヴィーネも目を輝かせて指南書を見ていた。
「すごいでしょう。オリガさんのおかげなのよ!」
何故か、ヨハンナが自慢げに胸を張っている。
名前を出されたオリガは、黙ってヨハンナを見ていた。黒い瞳から、彼女が一二三とイメラリアの間にできた子供から続く子孫だというのは理解できたが、他の女との子孫という嫉妬もあるが、良人の子孫だと思えば愛おしくもある。
ハッキリ言って、オリガはヨハンナとの距離を掴み損ねていた。だが、そんな迷いを吹き飛ばす発言が出る。
「フォカロルで“オリガの手帳”と呼ばれる手記が見つかってから、魔法はぐんと種類が増えたの! プーセが研究を進めたのもあるけど、魔法の風で声を伝えたり物を動かしたり、水の流れを使って地盤を緩めて工事に応用したり、とにかく魔法の使い道が広がったのよ!」
興奮気味に話すヨハンナ。彼女は一二三という英雄の話を聞いている中で、同時にオリガという女性についても色々と聞かされていた。彼女自身が高い魔力を持つ魔法使いという事もあったが、興味の方向としては“英雄に付き添う偉大な魔法使い”としてだった。
「わ、私の手帳……?」
「そうなの! お部屋から発見された手帳には、革新的な技術のあれこれが……」
「シクさん」
「は、はい!」
マズイ単語が出た、と戦々恐々としていたシクは、オリガからの呼びかけに、思わず背筋を伸ばして大声で答えた。
次第に圧力を増すオリガの雰囲気に、周囲の兵士たちも息を飲む。
「説明をお願いしたいのですが?」
「ぼ、ボクが聞いた話は、カイムさんが遺品を整理している際に見つけた、とだけで」
「現物はどこにあるのです?」
「王城の保管庫から盗まれた、とプーセさんから聞いてます!」
ミシミシと音を立てて鉄扇を握りしめていたオリガに、ヴィーネは果敢に抱きついた。
「お、落ち着いてください奥様! お腹のお子様に良くない影響が!」
「そ、そうですね。ふぅ、はぁ……」
胸を押えて、呼吸を整えたオリガは、怒りに歪んでいた顔をいつもの形に戻すと、ジャキ、と音を立てて鉄扇を開いた。
「お、オリガ、さん……?」
「ヨハンナ様。後でゆっくりお話を窺います。それと、シクさん」
「な、何でしょうか」
オリガは、近くの路地を指差した。
「あのように路地からコソコソと覗いている者も、この町の兵士ですか?」
「えっ?」
全員の顔が路地へと向いた瞬間、一人の男が逃げだした。
「ヴィーネ!」
「はい、奥様!」
護衛の兵士達よりも早く、そして速く、ヴィーネが駆ける。
路地に置かれた木箱や籠をひょいひょいと飛び越えながら、スカートである事も気にせず、ヴィーネはあっという間に追いつき、壁を蹴って飛び上がると、その行く手に降り立った。
「何をこそこそ見てたのか知らないけれど、逃げるという事は、やましい所があるってことですね?」
「ちっ、獣人め!」
「うひゃあ!?」
短剣を取り出して振り回し始めたのに対し、ヴィーネは武器を持っていなかった。
横薙ぎに振り抜かれた切っ先をかろうじて躱したヴィーネは、慌てて短い杖を取り出し、風魔法を放って牽制を試みたが、剣で容易に散らされてしまった。
「やりますね。というより、長年の研究でそういう“対処法が確立された”というのが正解でしょうか」
ようやく追いついて来たオリガが、男の背後から声をかけた。
「いつの間に!」
「気配の消し方は、それはそれは努力して身に付けましたから」
「このっ!」
無防備に歩いてくるオリガに向かって、男は突きによる攻撃を選んだ。
「遅い」
「えっ?」
鉄扇の掬い上げるようなひと振りで、短剣は宙を舞う。
それだけでは無い、武器を持っていた手が、手首から折れてだらしなく垂れ下がっていた。
「うわあああ!?」
遅れて襲ってきた痛みに、男は半狂乱に陥った。
「私は夫から任された仕事を果たさねばなりません。貴方のような小物に付き合っている暇は無いのです」
シクとヨハンナが、兵士たちと共に現場に到着した瞬間、オリガの鉄扇が男の首を叩き折った。
「すごい! 一二三様の奥様は、魔法だけでなく武術も優れてらっしゃるのね!」
ヨハンナは無邪気に喜んでいたが、死体となり、力なく倒れた男の姿を見ていたシクは、現領主にどう報告すれば良いのか、頭を抱えていた。
お読みいただきましてありがとうございます。
次回もよろしくお願いします。