44.不意の刺客
44話目です。
よろしくお願いします。
他の商業ギルドと違い、冒険者ギルドは夜中でも開いている。
夜間でも魔物の出現などで緊急に対応しなければならない状況が訪れる可能性がある事や、夜間に活動する魔物を狩る冒険者への対応などをするためでもある。
だが、基本的に夜間は暇である事に変わりなく、特に内戦中のホーラントにおいては夜間に出歩く者も激減していた。
オリガが中の様子を窺ったが、カウンター内で書類を掴んだまま突っ伏して眠っている女性と思しき職員が一人いるだけだ。
「……普通に入りましょう。職員に声をかけて話を聞きます」
いまだにウトウトしているヴィーネの頭を軽く叩いて、オリガはドアをそっと開いてギルドの中へと入った。
職員は起きる様子が無い。
ギルドの内部は待ち合わせや打ち合わせのためのテーブルがいくつか並んでいるが無人で、依頼や賞金首が張り出されたボードにはびっしりと揃えて情報が張り付けられている。
神経質な職員でもいるのだろうか、とオリガは目を向けて、そのまま固まった。
カツカツとヒールを鳴らして近づいたのは、賞金首に付いて張り出されたボードだ。
その中に、一枚だけ無惨に破られた物がある。
「これは……」
三分の一程残っている紙には、確かに一二三の名前が書かれている。
違和感を感じたオリガは、すぐに風魔法を展開して索敵を開始する。
「……もうっ! 我ながら迂闊でした!」
障害物が多い場合に利用する、空気の揺らぎで人の存在を判断するタイプの魔法を展開していたのだが、すぐに違和感に気付いたオリガは鉄扇を構えた。
それを見て、ヴィーネも素早く釵を抜く。
「奥様、ど、どうしたんですか?」
「受付の職員は息をしていません。死んでいます……敵がまだいるかも知れません」
慎重に索敵を続けるオリガと背中合わせになる様に移動したヴィーネは、すっかり眠気が飛んで行った顔で、ゆっくりと見回しながら長い耳で音を拾っていく。
二人は、ギルドへ入ろうとする気配に気づいて動いた。
オリガは身を低くして手裏剣を構え、ヴィーネは気配に向かって駆ける。
「そこっ!」
ヴィーネが突き出した蹴りは、カウンター横の奥へと続く扉が開きかけているところを思い切り開いた。
「ちぃっ! 勘のいい奴らだ!」
ドアに当たるのを間一髪避けた相手は人間の男だ。冒険者と思しき格好の男は、着地したヴィーネへ向けて反撃にナイフを突き出す。
だが、すでにヴィーネはしなやかにバック転で距離を取っていた。
「ちょこまかと! ……つぁ!?」
追いすがろうとした男は、膝に違和感を感じて足を止めた。
見ると、見慣れない金属板が膝の皮防具に突き刺さっている。オリガが投擲した手裏剣だ。
「くそっ!」
対したダメージは無いが、男は一度ドアの奥へと引いた。ダメージは受けていないが、動いている足を正確に狙ってくる投擲の腕には警戒しなければならない。
男が短く口笛を鳴らす。
直後、挟み撃ちにするように二人の男女がギルドの入口から飛び込んできた。彼らも人間族で、それぞれ手槍と魔法媒体の杖を持っている。
「くらえ!」
男の方が短い杖を振い、魔法の石つぶてを放つ。
「わたたっ!?」
ヴィーネは慌てて避け、オリガは無言で鉄扇を振るい、石を叩き落とした。
その間に、手槍を持った女はヴィーネへと迫る。一目でオリガが妊婦であると確認し、元気に動ける方を狙ったのだろう。
無言で繰り出される手槍の速さは大したことは無いが、手元の動きを見えづらくしたポンチョのような服のせいで、ヴィーネは槍の動きを予測できずに難儀していた。
釵を使って何とか打ち払ってはいるものの、熟練の動きで壁に背を付けさせられた。
「追い詰めたわよ」
「まだまだ……っ!」
ヴィーネは驚異的な跳躍力で真上に飛び上がると、追いかけて付き上げてきた槍に対して、壁を蹴って避けた。
「やっ!」
着地と同時に、掛け声と共にヴィーネの釵が二本同時に突き出されるが、女は槍の石突で乱暴に払い、そのまま斬りつける。
耳に当たらないようにべったりと床に貼りつくほどしゃがんだヴィーネは、足払いでカウンターを狙うが、しっかりとすね当てで固められた足で逆に蹴られた。
「あたたっ!?」
防具らしい防具を身に着けていないヴィーネは、痛みに涙ぐみながらも、後ろに転がる事で体勢を立て直した。
想定外に苦戦したヴィーネは、相手の強さに緊張していた。長い槍であれば距離を詰めて自分の得意な接近戦で片が付く所だが、相手は室内向けの短い手槍を自在に使い、遠近共に対応できる腕前を持っている。
一瞬だけオリガの方を見ると、彼女は二人を相手に堂々と立っていた。
「……いやいや、守るのはわたしの役目!」
くるり、と両手の釵を回し、切っ先を小指側に向ける逆手の形に持ち替える。
「兎らしくすばしこく逃げるわね。でも、攻撃の腕はまだまだね」
「そんな事、言われなくてもわかってるんですよ!」
ヴィーネは、稽古場の先輩やオリガ、そして一二三に指摘されたらな納得もしただろうが、敵に言われても腹が立つばかりだと改めて思った。
「負けるわけにはいかないんです」
「それはこっちも同じ事よ」
近づかなければどうにもならない。ヴィーネは慎重に足を進めた。
隠れていた男と、魔法使いに囲まれたオリガは、少しも表情を変えずに二人に挟まれていた。
一度は隠れた男が、有利と見て再び姿を現している。ナイフを戻し、サーベルのような剣を抜いて笑っていた。
「二対一だ。この変な飛び道具も、不意打ちじゃ無けりゃ使えねぇだろう」
脛の防具から引き抜いた手裏剣を放り捨るのを、オリガは冷笑で見ていた。
「貴方たちに対する警告でしたが、通じませんでしたか……」
シャキ、と音を立てて開いた鉄扇で口元を隠し、侮蔑の視線を向ける。
「警告? 悪いが一対一でも女相手に後れを取るようなルーキーとは違うんだ。そういうハッタリは余所でやってくれ」
オリガは悠々とした動きで、カウンター内で突っ伏して死んでいる女性職員を鉄扇で指した。
「彼女は?」
「俺が殺した。知り合いだったか? 仕事するのに騒がれたりギルドのハンターなんぞを呼ばれても困るんでな」
男はぺらぺらと喋り、警備の為に残っていた当直の他の職員も殺した、と嬉々として喋った。
「そうですか」
「なんだ、怖気づいたか? 情報じゃあ随分と気の強い女だと聞いていたが……」
「おい。そこまでにしておけ」
魔法使いから注意された男は「気にするなよ、すぐ死ぬ相手だ」と笑っている。
「怖気づくべきは貴方達です。今のお話で貴方達をただ殺すだけの理由が追加されましたが、念のために聞いております。……これについても、貴方達ですか?」
次にオリガが指したのは、破られた一二三の手配書だ。
「それも俺だな。なんだ、やっぱりこいつと関係があるんだな? 情報通りだ」
男は乱暴に破られた手配書をひらひらと揺らして見せた。
「って事ぁ、腹の子供はコイツの子か? おびき寄せるのにそいつは都合がいいな」
ため息が、オリガの口から洩れる。
「どこで私たちの事を知ったのか、どうして今ギルドへ来るのを知ったのか知りませんが、そろそろ黙りなさい。しばらく痛めつけてから、ゆっくり聞き出します」
「何を強がりを……うっ!?」
妊婦では動きもままなるまいと思っていた男は、強襲されて防具のない腿部分を鉄扇で殴られる間際、何とか剣を滑り込ませて防御した。
想定外の膂力にバランスを崩した所で、肩を当てられて後ろへ転びそうになるが、自ら飛び下がる事でどうにか転ばずに堪えた。
「クソッ!」
さらに距離を詰めてくるオリガに対し、悪態をつきながら男は前蹴りで腹を狙う。
しかし、簡単に鉄扇で防御された。
「魔法は……!」
と、オリガの背後にいるはずの仲間へと目を向けるが、何故か倒れて悶絶している。
男は気付かなかったが、オリガは前に出る際にさりげなく足元へ巻き菱を撒いていた。
それに気づかず背後から近づいた魔法使いは、思い切り踏みつけた巻き菱に足の裏を貫かれ、慣れない痛みにもがいているのだ。
「よそ見をしている場合ですか?」
「畜生め!」
サーベルを振るって攻撃しながら、じりじりと位置を入れ替えて味方の近くへと向かう。その間に、床にまかれた見慣れない物に気付いて歯噛みしたが、反応している余裕はない。
攻撃をしているつもりだが、ときおり的確に混ぜられる鉄扇の反撃で連撃を悉く止められ、タイミングを崩される。
「おおっ!」
自らを叱咤するように吠え、連撃の速度を上げる。
「女が、力で男に勝てるかよ!」
男が、連撃の中に体重を乗せた一撃を混ぜるようにするとオリガはやや押され気味になる。
「くっ……!」
弾き切れずに受け流す動きが多くなり、身体を使って避ける動きも増えた。
勝てる、と男が確信した時、オリガは後ろへ飛んだ。同時に、鉄扇を左手へ持ち替え、右手に手裏剣を掴む。
「また、それか! だが不意打ちで無ければ当たるわけがねぇ!」
男は投擲された手裏剣を軽く避けた。
さあ反撃だ、と笑みを浮かべたが、後ろから悲鳴が聞こえた事に硬直した。
「ぎゃあっ!?」
悲鳴を上げたのは、倒れてもがいていた魔法使いだ。
男は振り向いて、仲間の額に深々と手裏剣が刺さっているのを見て声を上げようとしたが、同時に自分もバランスを崩して倒れた。
「う、うあっ!? いてぇ、いてぇ!」
いつの間にか、男は右の脛を切断されていた。立ったままの自分の右足を見て、男は初めて痛みを感じて喚いた。
「目に見えるものにだけしか注意が行かないなんて……まるでルーキーですね」
ゆっくりと近付いたオリガが、男を見下ろす。
その右袖は避けており、そこから革のベルトで固定されたナイフ状の魔法媒体が見えていた。
「ま、魔法……」
初めから魔法使いを狙って手裏剣を投げたオリガは、同時に風の魔法で男の足を切断したのだ。
オリガが魔法を使う事を知らず想定もしていなかったらしく驚愕している男の顎を、オリガは激しく蹴り飛ばした。
「ぶえっ!? ひ、ひいぃい……」
ダメージでチラつく視界の中、這いずって逃げようとする男の腰をオリガが踏みつける。
ヒールが腰椎を押え、男は動けなくなった。
「大切なあの方の子供がいるお腹を蹴ろうとしましたね……情報を引き出した後は、しっかり反省するまで死ぬ事を許しませんから、そのつもりで」
激しい殴打で気絶させ、死なないように足の切断面を治癒魔法で塞いだオリガは、まだ戦いが続いているヴィーネの方を見遣った。
「こちらは終わりました。情報元も確保しました」
魔法使いの額から手裏剣を引き抜き、ハンカチで丁寧に拭う。
「その女は殺して構いません。さっさと終わらせなさい」
簡単に言うけど、とヴィーネは槍の連撃に汗だくで対応しながら内心手伝って欲しいと叫んでいた。
今まで獣人族の町で対戦してきた相手よりも強く、武器の相性も悪いと感じていた。これが刃物であれば釵でからめ捕ることもできるが、穂先以外は太くて引っかけられない。
肝心の穂先も動きが早く、相手も引っかけられるのを警戒しているのか、攻撃後の引きが速い。
「……ちいっ! あの馬鹿共はやられたか……!」
「オリガさんがたった二人相手に後れを取るはずがありません。いい加減に降参してください」
ヴィーネの言葉に、女は鼻で笑って返した。
「逃げるに決まってるだろう。失敗は腹立たしいけどね!」
細かい突きの押収から一度身体を引いた女は、手槍の石突近くを持って大降りに振り回した。
前のめりになっていたヴィーネは、突然動きの流れが変わった事に反応が送れ、釵を十字に構えてギリギリで防御が間に合った。
だが、その勢いで彼我の距離が離れ、ヴィーネにとってはかなり不利な状況になる。
「……どうやら、あんたの飼い主は手伝っちゃくれないみたいだね」
「わたしのご主人様はあの方の旦那様です。それに、そんなに甘やかされる立場じゃありませんから」
じりじりと扉に向かって移動していく女は、思わず吹き出した。
「気になるのはそこかい? まあいいわ。悪いけど、今日はここまでにしておくわ」
敗れた二人の仲間に悪態をつきながら、女は槍をしっかりと構えたままドアへと走り出した。
「逃がさない!」
というより、逃がしたらどんなお仕置きをされるかわからない、と焦りに背中を押されたヴィーネは、右手の釵を投げた。
「おっと」
立ち止まった女は軽々と避けると、再び走り出す。
「じゃあね……って、ええ?」
女が避けた釵は、床にしっかりと刺さり、ドアが開くのを完全に止めていた。
「なんて事を……しまった!」
ドアを蹴り破るかどうか、一瞬だけ迷った女は、自分がヴィーネに対して背中を向けている事に気付くのが送れた。
慌てて振り向いたとき、目の前には空を飛んでいるかのように軽やかにジャンプして襲い掛かるヴィーネの姿が迫っていた。
「よそ見をされるほど、わたしは弱くはありません!」
左手に持っていた釵が、女の喉を貫いた。
飛びかかった勢いのまま相手を蹴り飛ばして、くるりと回って着地を決めたヴィーネは、そのまま座り込む。
「へあ~……強かった、です」
激しく押し込まれた釵によってドアに縫い付けられた女が、二度ほど痙攣して絶命したのを見届けて、ヴィーネは大の字に寝転んだ。
両目をギュッと閉じて、再び深呼吸をする。
「汗で服が張り付いて気持ち悪いです」
その顔に、水の入った袋が落ちてきた。
「ひゃっ?」
「水を飲んでおきなさい。水分が少ないと身体の動きも鈍ります」
驚いて見上げるヴィーネに、オリガは微笑んだ。
「強い相手でしたが、よくやりましたね」
「奥様ぁ……」
優しく声をかけられて、感極まって泣き出したヴィーネの頭をなでながら、オリガは先ほどとは全く違う鬼のような形相を見せるオリガは、ヴィーネにも聞こえない声で呟いた。
「……誰かが、良からぬ事を考えているようですね」
場合によってはギルド全体を敵に回す事も厭わない、とオリガは静かに燃えていた。
お読みいただきましてありがとうございます。
次回もよろしくお願いします。