41.ホーラントへ
41話目です。
よろしくお願いします。
一二三が登場した時から、この世界は初めて女性が活躍する時代となっていた。
歴史の牽引役となった聖女イメラリアを始め、魔人族を取りまとめたのはウェパル。エルフの長はザンガーという老女であり、プーセと言う若いエルフがイメラリアを支えた。
オリガは英雄の奴隷として歴史に登場し、現在では魔法研究の新たな基礎を築いた人物であり、英雄の妻として偉人の一人として認知されている。
しかし、身体的特徴や顔立ちが文章で伝えられているだけのものが多く、イメラリアやウェパルなど、ごく一部の人物の肖像が残されているだけである。肖像とされる絵画なども出回ったが、その多くが似ても似つかぬ偽物であった。
遠野一二三という人物が、八十数年後の現在でも容姿を含んである程度の認知度を保っていたのは、偏に本人が石像として公開されていたからに他ならない。
中でも、封印前の一二三に合流したのが遅く、目立った功績も無かったせいか、ヴィーネの扱いはかなり低い。
オリガと並び一二三と共に封印された割には、知名度はかなり低かった。
そういう理由も有って、片耳兎獣人の彼女を知らない者はかなり多い。
「嘘だろ……」
「兎の獣人だろ? アイツ」
ヴィーネの試合が行われている会場に居合わせた者たちは、口々に先ほど勝利した彼女の噂話をしている。
突然、外の人間と共に町にやって来て、即日兎飛翔拳の道場へと入門したかと思うと、破竹の勢いで町のランキングを駆けあがっていく彼女は、今は町一番の注目株となっていた。
「続けて試合を組むなんて。オリガさんの差し金かな……?」
疲れたけど仕方ない、と諦めた表情で木製の釵を構える。
彼女の目の前には、豹の獣人がナイフ状の木製武器を持って構えていた。
「連勝につぐ連勝で随分と調子に乗っているようだが、それもここで終わりだ」
どうやらスピードに自信があるらしく、軽快なフットワークを見せつけるようにステップを踏んでいる。
「はあ、そうですか」
ヴィーネとしては、言われるままに試合を重ねているだけだ。敗北すれば“一二三に恥をかかせた”として、オリガからどんな折檻を受けるかわかったものでは無いので、勝つ以外に道は無い。
彼女自身は勝利を貪欲に求めるタイプでも無ければ、誰かを叩きのめす事に幸福感を覚える性質も持ち合わせていない。
ただ、一二三のグループに所属するための最低条件として出された強さを求めているのだ。
それは他人に理解されるような事でもない。
「オレを舐めているな? 兎程度がオレの速度においつけるわけがない」
「はあ、そうですか」
どうしてこの人は自分の持ち味を親切に教えてくれるのだろうか、もしかしたらそれは欺瞞では無いかとすら考えた。
「始め!」
と、立会人の声が聞こえた直後、豹獣人は自慢の足を活かしてヴィーネの周囲を走り回る。
ヴィーネは両手に釵を掴んだまま、まっすぐ立っていた。
「足がすくんで動けないか! 安心しろ、すぐに終わらせてやる!」
勝ち誇ったような言葉に、ヴィーネはため息を吐いた。
「あの方の刀に比べれば、止まって見えますよ」
ひょい、と前に出したヴィーネの足にひっかかり、豹獣人は派手に砂埃を上げて転がって行く。
速度があった分、ダメージも大きいのだろう。ヨロヨロと立ち上がる様は、もう戦えるようには見えない。
「止めにしません?」
「ふざけるな!」
折れてしまった木製のナイフを放り捨て、豹獣人は拳を握りしめた。
戦いが続く事にうんざりしながら、ヴィーネは釵を構えた。
それを、会場内隅で椅子に座っている人物がいる。
オリガと、彼女を誘いに来たヨハンナだ。プーセと案内役のシクは、オリガが逗留している屋敷にて荷物をほどいている。
「ヴィーネさんも強いのね」
「当然です。そうでなければ、一二三様に付いていく事はできません」
視線をヴィーネから離すことなく、二人は話している。
「それで、私やヴィーネに手伝いをせよ、と」
「もちろん、オリガ様は身重ですから前線に出て頂こうとは思ってないわ。ただ、わたくしも含めて実際の戦場を知る者は少ないから、助言を貰えればと思って」
ヨハンナはあくまで“お願い”という形で話を切り出した。もちろん、オリガが望めばギルドを通した依頼という形にして、冒険者としての実績にする事も了承するつもりでいる。
とはいえ、オリガは地位や名声を求めるタイプでは無い。
ただひたすらに、一二三への愛情表現を探し続けている。
「御自らも戦場へ?」
「当然。かのイメラリア様も自ら戦場に立って指揮をされ、時には馬を駆って味方の救出の為に突撃されたとか」
瞳を輝かせて語るヨハンナをちらりと盗み見たオリガは、彼女が何故ここまでホーラント内乱への介入に積極的なのかを理解した。
フィリニオン。オリガも彼女の事は当然知っている。
フォカロルを中心として、ヴィシーから削り取った領土を合わせた広大なトオノ伯爵領を運営するにあたって、代官として赴任予定だったサブナクという騎士に代わって派遣された女性騎士だ。
騎士としての技量は平凡であったが、領地運営は慣れたもので頭の回転も速く、何事もソツなくこなす女性だった、とオリガは彼女の豊かなオレンジの髪を思い出していた。
「フィリニオンさんにはお世話になりました。ただし、一ヶ月の間だけです」
「一ヶ月、ですか?」
「ヴィーネには、何があっても成さねばならぬ課題があります」
オリガから“一二三の課題”について説明を受けたヨハンナは、すんなりと納得した。
「そうなのね、流石は一二三様だわ。いずれにせよ、今回はフィリニオンの救出が主な目標だから、そこまでの日数がかかるとは思えないから、心配してくても大丈夫」
「では、明日にでも向かいましょう」
まっすぐに自分を見つめてくるヨハンナに対して、オリガは直接目を見る事は無かった。
ヨハンナは、一二三とイメラリアとの間に生まれた子の子孫である事は間違いない。イメラリアと同じ銀の髪が目立つが、黒い瞳は一二三と同じ輝きを持っている。
イメラリアは幸せだっただろうか、とプーセにも彼女にも聞いてみたいとも思ったが、それは自分が尋ねて良い内容でも無いともオリガは思っていた。
自分が同じ立場なら、と胸が締め付けられる思いがする。
「ヴィーネ。次の予定が出来ました。早く終わらせなさい」
「わ、わかりました!」
立ち上がって声をかけたオリガは、深呼吸をしてヨハンナへと向き直った。
「明日には出発しましょう。万が一にも、主人がここへ戻った時に留守にしていたくはありません」
殊更に“主人”という言葉を使う自分を、オリガは軽蔑した。
☆★☆
たっぷりと湯を使った湯浴みは、この世界でもまだ贅沢な部類に入る。
ビロン伯爵の家へとたどり着いた一二三は、伯爵の勧めで浴場を使ってしっかりと身体を洗っていた。
脱いだ道着を手渡された侍女は、赤黒くずっしりと湿った道着に怯え、直後に一二三の裸に照れて、逃げるように浴場を出て行った。
どす黒く固まった血を爪でがりがりとそぎ落とし、泡立ちの悪い石鹸で乱暴に髪を洗うと、乳白色はあっという間に黒く濁っていく。
「ふむ……」
自らの裸体に視線を這わせていくと、いくつかの小さな傷があった。乱戦の中で引っかけたりした程度の、すぐに治る程度の傷だ。
少しだけ滲んでいる血を洗い流すと、すでにかさぶたが出来ていた。
「兵士程度だと、まだこの程度か」
腕一本程度持って行かれても不思議では無い人数差だったが、そこまで至らなかったのは、彼ら敵兵が混乱していた事と、指揮官が無能だった事が原因だろう。
「誰か、有能な指揮官であれば結果は違ったかも知れないな」
熱い湯を被り、しつこく残る泡を流しながら、ふと思う。
「魔人族や獣人族の軍はどうなっているんだろうな」
魔国ラウアールを通過しただけで、今の魔人族がどうなっているかまでは見ていない。ただ、住んでいる所に行った所で、まともに戦いになるかと言えば別だ。
戦場で出会わなければならない。もしくは、相手が殺す気で狙ってくる必要がある。
ふと思い出し、闇魔法収納から一抱えほどある巨大な宝石を取り出した。
砂埃に塗れたそれは、オーソングランデ王城内にある召喚魔方陣から掘り返してきた、魔法媒体となっていたらしいアクアサファイアだ。
「これを使うつもりだったが、俺がどこにいるかわからないと襲いようも無いな」
苦笑して、湯をぶっかけて乱暴に洗うと、一二三はそれを抱えて浴室を出た。
「こ、これをお使いください」
先ほどの侍女が待ち構えており、一二三に大きなタオルを手渡してきた。
やわらかい肌触りのそれは、間違いなく高級品だった。血濡れの男に渡すには勿体ない代物だが、それだけランスロットが一二三を歓待していると示したいのだろう。
「ああ、助かる」
「御着替えもご用意しております」
「いや、それは自前で用意できる」
再び収納を開き、引き摺り出したのは予備の道着だ。先ほど同様に顔を赤らめて出ていく侍女を放って、丁寧に身体を拭った一二三は、鏡を見つけて背中も確認する。
緊密にひしめく筋肉が浮かぶ背中にあるのは、以前からある傷跡だけだ。新たな傷は見当たらない。
湯気が立ち上る身体を見ているうちに、何故かオリガの事を思い出す。
考えてみれば、オリガとイメラリア以外だと、裸を見られたのは先ほどの侍女だけかも知れない。
下らない考えに苦笑しながらも、自分の妻に会いたいという気持ちが自分の中にある事に少しだけ戸惑う。
「まあ、しっかりやっているだろう」
信頼はしている。ひょっとすると、この世界で唯一の人物かも知れない。
道着を着て、袴をつける。刀は収納に放り込んだままにして、無腰のままで脱衣所を出ようとして、不意に一つのイメージが浮かんだ。
「家族で戦場を渡る、か。ふむ……」
侍女に案内され、上機嫌な様子で現れた一二三を見たランスロットは、一時的ではあるものの湯を用意していた事は正解だったと胸をなでおろした。
が、一二三が小脇に抱えている大きなアクアサファイアに硬直する。
「さっぱりした。良い湯だった。礼を言う」
「いや、それは良いんですが……その巨大な宝石は……」
ランスロットの目の前に一二三がゴロンと置いたアクアサファイアは見事にカットされており、直立して輝いていた。
「アクアサファイアだ。知っているだろう」
「存じておりますが、これほど大きな物は始めて見ます」
目を見開いて宝石を眺めるランスロットの顔は、年齢以上に子供のように見えた。
「それで、俺に何の用だ?」
「そうでした、そうでした。まずは仕事のお礼を。お蔭様で町中での兵士による被害はほとんど無くなりました。それどころじゃありませんからね。冒険者からの報告も聞いています……その、素晴らしい腕前で」
戦果としては強烈過ぎて褒めようがない、とランスロットは言葉に迷った。
「いや。あの連中は弱かった。例えば王城内にいたフィリニオンの孫……メンディスだったか。あの程度の奴が何人かいたら危なかったかも知れないが」
それは難しい話だろう、とランスロットは首を振った。
「彼は彼の存在を知る者たちの間では有名な猛者です。祖父であるヴァイヤー卿に鍛え上げられたうえ、獣人族の町でも訓練を受けたそうです」
酒を勧められた一二三が断ると、すぐに紅茶が用意された。
「ギルドには報酬を用意しております。それで、これからどうされるのですか?」
「またホーラントへ入る」
戦場へ行くという一二三に、ランスロットは息を飲んだ。
「失礼ですが……やはり共生派に付かれるのですか?」
「自分が旗色を隠したままなのに、俺には尋ねるのか」
失礼しました、と言いながらランスロットは内心で舌打ちをした。
一二三は来歴的には共生派に付く、と想像するのは難しくない。従者の中に兎獣人がいるうえ、ヨハンナとの交流も確認されている。
だが、とランスロットは不安が拭えなかった。
目の前の人物は、自らの倫理で王や王妃ですら眉ひとつ動かすことなく殺害する事ができるのだ。
共生派として戦っている誰かが一二三と対立しようものなら、彼は即座にその人物と周囲を殺戮してしまうだろう。
もっと悪い想像もできる。ランスロットの頭は勝手にそれを思い浮かべる。
最悪のパターンは、一二三が「どちらも敵だ」と認識した時だ。
「話がそれだけなら……」
「お、お待ちください」
一二三の言葉に思考への没頭から復帰したランスロットは、慌てて一二三を止めた。
「情報は必要ありませんか? 復活されたばかりで、まだ世の中の情勢に疎い部分もあられるのでは?」
一呼吸おいて、一二三がじっと自分を見ているのを確認してランスロットは続ける。
「今回のお礼に、ぼくが情報を集めましょう。こう見えて、ビロン伯爵家は辺境な分、情報収集は得意な所がありますから」
「……逆に、情報を撒く事は?」
「可能です。何故か曾祖父のサブナクはそういった情報操作に慣れていましたから、ぼくもその技術は学んでいます」
一二三の狙いが分からないまま、ランスロットはアピールを続ける。
これは賭けだ。最終的にビロン伯爵領が無事に残ればランスロットの勝ち。それ以外は負けになる、規模が大きく期間も長く、それでいて繊細で神経を使う賭けだ。
「これは」
一二三は指先でアクアサファイアを叩いた。硬質な音が響く。
「王城内で俺や他の勇者を召喚するのに使われた魔方陣の下から掘り返してきたものだ。どうやら、召喚魔法の鍵になるらしい」
「っ! それは、その……ぼくが聞いて良い内容なのですか?」
「逆だ。この宝石がどう言う物で、今誰が持っているかを喧伝してもらいたい。人間だけでなく、魔人族や獣人族、エルフやドワーフに至るまでな」
「何が狙いなのですか?」
尋ねるランスロットの目の前で、一二三はアクアサファイアを収納へと放り込んだ。
「俺がこれを持っていると知れば、王城の連中もそれ以外の金目当の連中も、こぞって俺の所に集まってくれるだろう。本人にせよ雇われにせよ、腕の立つ奴が奪いに来る可能性も高い」
だから、と一二三は立ちあがり、刀を取り出して腰へと手挟む。
「俺はホーラントにいるから、そう広めてくれ。戦場で、俺を探して狙いに来る奴が山のように押し寄せるのを期待している」
侍女に茶の礼を言いながら出て行った一二三を見送ったランスロットは、脱力してソファへともたれかかった。
お読みいただきましてありがとうございます。
次回もよろしくお願いします。